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「まだ見つけられないのか!!」
メマが美味しいサンドイッチを夢の中でも頬張っていた頃、魔王城では溢れんばかりの黒いオーラを漂わせた魔王ルシファーが執務室で怒声を上げていた。
「どうやらあちらの魔法使いが一枚上手だったようで……私のコウモリがメマの痕跡を辿れないことから、恐らく追跡遮断魔法を使ったのではないかと」
ルシファーの怒声を浴びても尚、冷静沈着に報告を上げているのは、四天王の内の一人ヴァイスである。
元はただのコウモリだったが、瘴気を浴びた影響で人の形と優れた知能を手に入れ、今では複数のコウモリを操ることができるようになった男だ。
コウモリ故に視力が驚くほど悪く眼鏡が手放せず、日に当たると死にかけるため、ダークネスを出るときは日傘も手放せないという弱点の多い男だ。しかし、その脳みそ一つで魔王の秘書的役割も担っており、頭が切れる頭脳派の彼をルシファーはよく頼っている。
全てにおいて感覚的な魔王を頭脳で支えるヴァイスは、四天王唯一の非戦闘要員だ。
「追跡遮断魔法など、俺が解除してくれるわ!!」
メマを失いどこか正気で無いルシファーは、冷静なヴァイスを前に魔法解除を試みた。
「…………」
「…………」
――暫し静かな時が流れる。
ルシファーがどんなに魔法解除の念を込めても、何か起こったような気配は無い。
「……できたか?」
「恐らくできておりません」
「なぜだ!!」
よもや理不尽に怒声を上げている主君へ、ヴァイスは小さくため息を吐く。
「……魔王様、そろそろ魔法の勉強をきちんとされた方が良いのではありませんか」
呆れた口調で提案するが、ルシファーは見向きもしない。
「必要ないだろう。なんか想像すれば出るのだから」
「あなたも元は人間だったのですから、魔法の基本はご存知でしょう? なんとなくで出来ることにも限界があるのですよ」
「うるさい。お前は俺の母親か」
「違いますが」
「だったら黙っていろ」
上司と部下の会話には到底思えない内容だが、ヴァイスは生意気な口ぶりでありながらも呟く。
「これでもあなたを尊敬して言ってるんですがね……」
人間だった頃は才のない凡人であったにも関わらず、魔族となると途端に素晴らしい才能に恵まれ、それっぽい想像をするだけで信じられないほど高威力の魔法を放てるルシファーは、天才を超える天才であった。だからこそヴァイスは到底敵わないルシファーを尊敬しているのだと言うが、当の本人はこれ以上に才能を伸ばす気はないらしい。
「あなたがなんとなくで魔法を発動できる天才なのは最もですが、きちんと勉強すれば今よりもっと強大な力を手に入れられるでしょうに……」
「そんなものは必要ない。それより早くメマを見つけ出せ!!」
「あなたでも解けない魔法ですよ? そう簡単には見つけられません」
ヴァイスの冷たい言葉に「うぐぐ……」と何も言えなくなるルシファーは、魔王の威厳など忘れてしまったように項垂れた。
「地道に人間の国を調べて回るしかありませんね」
「メマ……」
青い顔で妹の名を呟くルシファーに、掛けている眼鏡を指で上げながら淡々と口にするヴァイスだが、彼も彼で静かに勇者たちへ怒りの感情を抱いていた。その証拠に、額には薄らと青筋が立っている。
魔王城のマスコット的存在である天使メマを攫ったことは、その命をもって償わなければならないほどの重罪。そう考える魔王と四天王たちにとって、攫われたメマがどんな目に遭っているか想像することは、筆舌に尽くし難い苦痛であった。
実際は、肉が三枚も挟まれた美味なサンドイッチを与えられ、満腹感で幸せな夢を見ているとは露知らず。
メマの居場所が分からず、ルシファーが絶望に打ちひしがれていると、バンッ!! と勢いよく執務室の扉が開き、賑やかな声が響いた。
「魔王様ぁ!! メマが誘拐されたって聞いたんだけどぉ!?」
現れたのは、豊満な乳を激しく揺らす、女型の魔族だった。
四天王、サキュバスのラブ。
くびれた細い腰と男の夢を掻き集めたような肉付きのいい臀部は、種族の通り男の精気を食らうためのもの。魅惑的なのは体だけでなく、ぽってりとした唇やどこか寂しげな目元はどんな男も魅了してしまう、魔性の淫魔だ。
どんな男も戦闘を忘れ見惚れてしまうことから、現在の四天王最強は恐らく彼女だろう。
「嗚呼、これも神のお導きか……私に神力があれば、神によって試練を与えられたメマに祈りを捧げることが出来たであろうに……誠不甲斐ない……」
続いて祈りながら姿を見せたのは、四天王、鬼人のカリオス。
メマやルシファーと同じ元人間。最高なる神力を持ち、とある国の教会で神官長として神を崇拝していたらしいカリオスは、数十年前に突如としてダークネスへと迷い込んだ。初代魔王の張った結界のせいで、人間だった彼は外へ出ることが出来ず、ダークネスを彷徨ううち鬼と化してしまったのだ。
鬼となり神力を失った今も『これも神のお導き……』などと言って神への崇拝を忘れられないことから、メマは神官であるマリアを見てこの男を思い出したのだ。
「メマ……人間に攫われるなんて……ついてないね~……」
最後にやる気のない声で空気を一変させたのは、四天王、ネイオン。
昔四天王として名を馳せた魔女メデューサが生んだ後継で、人間に絶世の美女とまで謳わせたメデューサの息子ゆえに美形の男だ。しかし、やる気のない声と垂れた目元がぼーっとした印象を抱かせるため、あまり美形らしく映らない。母の石化能力も受け継いでおり、感情が昂ったとき白銀の髪は蛇に姿を変える。その状態のネイオンと目が合った者は忽ち石となる……が、如何せんやる気がないため十秒程度で石化が解けてしまうのがネイオンの残念な点だ。
メマがジャックの垂れた目元を見て思い出す者とは、言わずもがなネイオンである。
「ネイオン、不吉なことを言うのはやめなさい。ただでさえ気苦労が多い状況です。これ以上、心労をかけないでください」
「え〜? そんなに冷静そうなのに、心労なんて感じてるの? 全然見えないけど〜……」
「当たり前でしょう。悪どい人間のことです、純粋なメマに今頃どんな仕打ちをしているか……想像するだけで血が沸騰しそうですよ」
「分かるわぁ……メマったらチョ〜〜〜〜かわいいから、変な趣味の男に売り飛ばされでもしてたら……って心配よねぇ。ほら、人間ってド変態な奴も多いじゃなぁい?」
「すみません、そこまで深刻な状況は考えていませんでした」
「やだぁ! ごっめぇん」
「それも神のお導き――」
「そんな導きあってたまるかぁ!!」
メマが攫われたというのに何だか和気あいあいとしてしまっていた四天王に、耐えきれなくなったルシファーが喝を入れた。いや、『喝を入れた』というよりは、想像もしたくないほどのおぞましい内容に『心が限界を迎えた』という方が正しい。
「魔王様ぁ、なんだか変じゃなぁい?」
「メマが攫われて正気でいられる訳がないだろう……」
ルシファーは瞬く間に萎れ、いつもは広く感じる背中を丸くする。そんな魔王に、眉を下げた四天王の面々は慰めの言葉をかけようとする。
「魔王様ぁ、メマならきっと大丈夫ですよぉ」
「そうですよ~……。メマってああ見えて逞しいですから~……」
「善良な者には、救いの手を差し伸べてくださるのが神というものです」
三人がそれぞれ声をかけるが、ルシファーは頭を抱えた状態で俯いている。そこで、見かねたヴァイスも三人と同様に慰めようとした。
「……魔王様、あなたのことですから、メマに防御魔法の一つや二つ付与しているのでは?」
「してない訳がないだろうが……」
「ええ、ですからそこまで心配なさらなくとも良いのではないでしょうか。あなたの付与した強力な防御魔法が、メマを守ってくれるはずです」
「そんなことは心配していない」
部下の思いやりをいとも簡単に跳ね返すルシファー。
「ではなぜそこまで気を落としているのですか」
主の態度に、眉をピクピクと痙攣させて苛立ちを醸し出すヴァイスが問うと、ルシファーは一つの後悔を口にした。
「……攫われる前、メマが『外に行きたい』と駄々をこねたのを厳しく咎めてしまった……。卵がどうとか言っていたのにきちんと話を聞かず、挙げ句そばにいたと言うのに守りきることが出来なかった……。俺は最低な兄だ……こんな自分が恥ずかしい……消えたい……」
「なんだそれ」
情けない声でボソボソと自分を責めるルシファーに、正直なヴァイスは思わず心の中で思ったことを口走ってしまう。慌てて咳払いをして「失礼しました」と謝罪すると、改めてヴァイスは主君へ確認する。
「要は、あなたはメマの心配をしているのではなく、自分の言動や不甲斐なさを悔いているだけなのですね」
「心配してない訳がないだろう!! 妹だぞ!!」
「なんなんですか面倒臭い」
素が隠しきれなくなってきたヴァイスが堂々と貶すが、ルシファーの耳には届かない。
そんな二人の話を静かに聞いていたネイオンは、「……卵?」と呟くと何かを思い出しそうに窓の外を眺める。
闇に包まれた何もない空を眺め、ネイオンはしばらくぼんやりとしていた。すると、先ほどルシファーが勇者への怒声を上げたことで割れた窓の外から、けたたましい魔鳥の声が響いた。その不快なほどに耳を刺激する鳴き声で、ネイオンは「あ」とようやく何か思い出したようだ。
「思い出した〜……。メマ、魔鳥の卵を取りに行くって言ってたんだ〜……」
突然会話に割り込んできたやる気のない声に、ルシファーとヴァイスは続けていた会話を止め、耳を傾けた。
「……魔鳥の卵だと?」
「あ、はい……『いつも忙しいお兄ちゃんに元気になってもらいたいから』って言ってました〜……。ほら、魔鳥の卵ってこの国で唯一の美味しい食べ物じゃないですか〜……」
「なっ……!?」
ネイオンの何の気なしに放った情報は、ただでさえ自分を責める気持ちが抑えられないルシファーの胸に、とてつもなく鋭い刃を突き刺した。
「こ、こら! やめなさい! 魔王様が血でも吐いたらどうしてくれるんですか!」
「あ〜ん! 魔王様かわいそぉ……アタシが慰めてあげましょうかぁ?」
「状況を考えろアバズレ淫魔」
「え、やだ、こわ……」
ヴァイスとラブの一触即発な展開が目の前で起きているにも関わらず、ルシファーはというと、灰になりそうなほど心を痛めていた。愛する妹の精一杯の気遣いに気づいてやれなかったことに、後悔は尽きない。
というのも、特別な能力を持たないメマは、一人で外出をすれば瞬時に魔物からの攻撃を受け、傷を負ってしまうほどの弱魔族なのだ。メマの能力を敢えて挙げるとするならば、可愛いが能力、それだけだ。
だからこそルシファーはメマに防御魔法を付与し、何かあればすぐに駆け付け、過保護にメマを守ってきた。
そんな弱すぎるメマが、兄のため危険を冒してまで魔鳥の卵を取りに行くと言ったのだ。ルシファーが、理由も聞かず厳しく咎めてしまった自分を殴りたい気持ちに駆られるのも無理もないことだった。
「お、俺はなんてことを……」
「魔王様、落ち着いてください。きっとメマも、あなたの心配する気持ちを理解していますよ」
「あぁ……メマ……ごめん……ごめんな……。今度こそ、お兄ちゃんが絶対助けてやるからな……」
「ダメですね、使い物になりません」
魔王の威厳は何処へやら……微かに潤む赤い瞳のこの男は、ただのシスコンなのである。




