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「ど、どうしたんだ……?」
しばらくして口を開いたのは、メマの姿を心配そうに見つめていた結界内の男だった。堪えきれず目を閉じていた人々も、男の声に続いてメマと魔獣の様子を確認する。
彼らの視界には、メマの前で佇む勇者と、四本の足をプルプルと震わせる子犬のような魔獣の姿が映った。
「えっ……な、なんでだ……?」
思わず目を点にする勇者が呟くと、メマは勇者の横から顔を覗かせる。
魔獣はメマと目が合うと、「キャウンッ!?」と高い悲鳴のような声を漏らした。魔獣の優れた瞳に映るもの、それはメマの纏うオーラだった。
火煙のように赤黒く漂う、魔王という最強の男のオーラが、メマを守るように身を覆っているのだ。
生まれてから今まで、魔王ルシファーによって守られ続けてきたメマの体には、すでにルシファーのオーラがこれでもかと染み付いていた。
普段のルシファーのオーラは漆黒だが、『メマに手を出せば殺す』という思いを嫌というほど込めて防御魔法をかけ続けた結果、メマの体へ染み付いたオーラの色は、ルシファーの激しい感情の通り赤黒くなったのだろう。
つまり、魔王ルシファーのオーラというよりは、妹を愛する超過保護お兄ちゃんの威圧オーラ、ということだ。メマに染み付いたこのオーラは、ルシファーがその命尽きるまで、一生涯消えることはない。
さらに、魔王によって厳重にかけられた魔法は、魔獣など簡単に跳ね返せる。それどころか、逆に殺られてしまう。魔獣はそれを本能で悟り、動けなくなったのだ。
「クゥン……」
少しずつ後退りする魔獣が、足元にあった魔王人形の上に足を乗せそうになる。
「あっ、ふんじゃダメ!!」
思わずメマが声を上げると、赤黒いオーラはメマの感情に反応し、より激しく揺れ動いた。
「キャウンッ!?」
まるで怒り狂った魔王ルシファーが、メマの後ろに立っているかのように燃え盛るオーラ。魔獣は情けない声を上げると、そのままの勢いで王都を去っていった。
その魔獣が群れのリーダーだったのか、逃げ帰るリーダーの姿に、よほど恐ろしい死の危機を感じたのだと察した魔獣たちは、皆続いて逃げ去った。
残された人々は勇者のように目を点にして、逃げ帰る魔獣たちの背を呆然と見送った。
メマはというと、幼い足取りで魔王人形の元へ駆け寄り、やっとのことでそれを手にする。
「お兄ちゃん、ケガしてない?」
人形の隅から隅まで汚れや傷がないかを確認し、何もないことに安心すると、ふぅと小さく息を吐いた。そして人形をギュッと抱き締め、「よかったぁ……」と呟く。
天使と見紛うほど可愛らしい魔族の少女、メマは意図せず王都ソロモンの危機を救ってしまったのだ。
しかし、何の能力もない小さな少女がオーラだけで魔獣を撃退したとは露ほども思わない人間たちは、逃げ帰った魔獣たちから勇者へ視線を移すと、歓声を上げはじめる。
「ゆ……勇者様が我々を救ってくださったぞぉ!!」
「え?」
誰かの声に疑問符を浮かべる勇者は、下ろしかけの剣を持ったまま、人々を見る。
「勇敢なる勇者様の気に圧倒されたんだ!!」
「さすが勇者様だわ!! 子供を救うために立ち向かう勇気が、奇跡を生んだのね!!」
「奇跡なんかじゃない!! 俺たちの目には到底見えない技を使って、奴らを追い払ったんだ!!」
「え……えーっと……?」
混乱する本人を差し置いて、勝手に勇者を持ち上げる人々に、メマはぼんやり思った。
(勇者、メマのことまもってくれたんだ……)
本当はメマに纏わりついた兄のオーラが守ってくれたのだが、メマはそのことに気付いていない。そのため、必死にメマの前で剣を構える勇者が、自身を救ってくれたのだと考えるのは当然だった。
「……ありがと、勇者」
勇者の手を握り、歓声に飲まれるほどの声でメマが呟く。すると勇者はその手を強く握り返し、メマに優しい瞳を向け微笑んだ。
「とにかく、無事でよかったよ、メマ」
「……うん」
騒がしいなかでもメマの声が聞こえたのか、勇者はあたたかい眼差しを向けてくる。メマは不思議な思いで満たされて、口元がわずかに緩んだ。
「……? メマ、今笑って――」
「メマちゃああん!!」
そこへ、勇者の声を遮るように、アリサがメマに飛びつく。
「心配したじゃなぁい!! 危ないことしないでよぉ!!」
髪を振り乱しながら頬を擦り付けるアリサのせいで、メマの表情は戻っていた。勇者は何かを言おうとしたが、微笑みを浮かべて口を閉ざす。
「メマさん、お怪我はないですか? 痛いところがあれば教えてください」
「どこもいたくないよ」
安心したように息を吐くマリアも、ゆっくりとアリサの上からメマを抱きしめる。
「メマさん……こんな危険なことは二度としないでくださいね……?」
優しくも諭すようなマリアの声に、メマは思わず頷いた。
「ホ、ホント……もう死んだと思ったよ……」
胸を押さえて青い顔をするノートは、いまだに先ほどの恐怖が頭から離れないらしい。目の前で少女が食われるかもしれなかったのだ、まだ十二の少年には刺激が強い。
「ごめんね、ノート?」
なんだか申し訳なくなったメマが謝罪すると、ノートは無理に笑みを浮かべて、ヘーキヘーキ……と返事をする。その明らかに平気ではない顔に、メマの申し訳なさは増してしまう。
「……しかし、怪我人が少なく済んだのはよかったが、突然退散するだなんて不思議なこともあるものだな」
勇者が仕切りなおすように呟くと、仲間たちはうんうんと頷き同意する。
「まるで何かを恐れているみたいでしたが……」
「本当にユリウスの気に圧倒されたのかしら?」
「いや、僕の気はそんな大層なものではないよ」
「じゃあ……いったいどうして?」
四人が首を傾げるなか、ようやく離してもらえたメマは、ひとり魔王人形を見つめていた。彼らはメマが魔族であるとは、やはり疑うことはないのだった。
「メマ!」
一部始終を見ていた兄弟がメマへ駆け寄ると、アリサは「……ん?」と突然声を漏らす。
「そういえば、あなたたち誰なの?」
見知らぬ兄弟の存在に今さら気が付いたアリサが問いかけると、呆れた様子の勇者が代わりに答える。
「何度もヌラから聞いただろ? メマの友達の兄弟だよ」
やっと会えて嬉しい、と微笑む神々しい勇者ユリウスに、兄弟は頬を染めて感動の息を漏らす。
「うわぁ……」
「す、すげー……マジで勇者様だ……」
放心するマルコの隣でビムが呟くと、勇者はクスクスと笑い声を漏らす。
「いつもメマと仲良くしてくれてありがとう」
まるでメマの家族のように挨拶するせいで、兄弟は再び先日のメマの兄自慢を思い出した。
ドラゴンを倒し、何処かの城を爆発させたというメマの兄……。魔法が使えると言っていたことはさておき、それ以外は勇者なら出来なくもないような気がしたのか、兄弟は矢継ぎ早に勇者へ質問する。
「ドラゴンってどうやって倒したんですか……?」
「城爆発させたってホント!?」
「実は魔法も使えるんですか?」
「うーん……それは誰の話だろう……?」
覚えのない規模の大きな質問に、勇者はまたも混乱する。
メマの兄が勇者である、というあらぬ誤解を解くと、勇者一行は兄弟を父親の元へ送り届けた。
兄弟との別れ際、ビムのメマへ向ける熱い視線から、アリサはいち早く恋の気配を察知して興奮していた。けれど、なんともなさそうに「またね」と告げたメマの声色から、この恋は淡く儚いものなのだとも同時に察し、アリサとマルコは涙しながらビムを見つめた。
兄弟と別れた後、仲間たちには怪我人の治療や被害状況の確認に当たってもらい、勇者とメマは二人きりで手を繋ぎ、帰路についていた。
久しぶりに勇者とゆっくり話す時間ができて、メマは少し嬉しそうだ。彼が誘拐犯であるという事実を忘れてしまったかのようである。
「メマ、今日は大変だったね。きっとヌラも心配しているよ」
優しく微笑む勇者の顔は、なんだか少し申し訳なさそうに見える。
「勇者、かなしいの?」
なんとなく思ったメマが聞くと、勇者はフッと笑い、子供には見透かされてしまうな……と呟く。そして立ち止まった勇者は、メマに目線を合わせると、そのまっすぐな幼い瞳から目をそらした。
「……ごめん、メマ」
「?」
脈絡のない謝罪に困惑するメマは、静かに勇者の続きの言葉を待つ。
「……君を守るのが僕の役目なのに、簡単に一人にして危険に晒してしまった。もし君が魔獣に襲われ死んでいたら、僕は……」
いつもまっすぐにメマの瞳を見る勇者が、珍しく弱気で俯いている。その目はどこを見ているのか、メマには分からない。
「……僕は勇者失格だ。君も街も僕が守らなくてはならないのに……ほとんど何もできなかった。こんなんじゃ、魔王に勝てる日は来ないかもしれないな……」
いつも明るく正義感溢れる男の弱々しい言葉に、メマはまたしても兄の姿を重ねた。
自身が危険にさらされる度に、落ち込んだ兄がよくこんなことを言っていたな。そう思ったメマは、落ち込んだ兄へいつもかけている言葉を、勇者にもかけてあげることにした。
「いっつもありがと」
「……え?」
「メマ、勇者がいるからさみしくない。なにもこわくない」
「メマ……」
勇者は、メマが名詞だけ変えたこの言葉を落ち込んだ兄によく言っているとは思いもせず、自分のための言葉なのだと受け取り感動している。
「メマ、今しあわせだよ」
そう言って勇者の頭を撫でるメマだが、これも落ち込んだ兄を元気付けるための常套手段だ。これをすると一気に元気になると知っているのである。
「……ありがとう。メマは優しい子だね」
小さな子供に励まされ嬉しそうな勇者が頭を撫で返すと、メマもまた嬉しそうに頬を染めた。
いつもの調子に戻った勇者は、再びメマの手を握り歩き出す。
「明日、ソロモンを出ようと思うんだ」
「出る?」
言葉の意味が理解できないメマが聞き返すと、勇者はさらに続けた。
「海を渡って南側にある、ルーランという国へ行こうと思ってるんだ」
アラスタ王国、王都ソロモンから大型船で十日ほどの距離にある小国、ルーラン。
小国でありながら豊かな資源と様々な特産品を生み出す美しい南の国は、旅行に人気の場所だ。
一年中暖かいルーランでは、マリンブルーの海で時間を忘れるまで泳ぐことができる。何より物価が安いため、旅行客だけでなく、冒険者たちの間でも物資調達に打って付けの国なのだ。
勇者たちも、旅の再開に向け物資を調達するつもりらしい。
「修行は続けつつ旅を再開しよう、と昨日みんなで話したんだ。ルーランには海賊も現れるけど、滅多に現れないから安心してくれ。せっかく仲良くなったヌラやジャックと別れるのは、寂しいかもしれないけど……」
再び申し訳なさそうな顔になる勇者に、メマは純粋な瞳で聞き返す。
「ビムとマリオともさよならするの?」
初めてできた友達との別れを悟るメマ。そんなメマの質問に、勇者は心苦しそうに肯定する。
「…………」
黙り込んだメマは、腕の中の人形をぎゅっと抱きしめる。
別れというものを経験したことのないメマは、まさかの言葉に目を伏せた。寂しい、それが今のメマの心情だ。
ビムと仲直りできたのに……ヌラとの会話も楽しくなっていたのに……とあからさまにしょんぼりとするメマへ、空を見上げた勇者は輝く夕日を眺めながら「メマ」と名を呼んだ。
その声には、先ほど弱音を吐いていた男の弱々しい音は含まれていない。凛としてまっすぐなその声にメマは反応し、伏せていた目を勇者へ向けた。
――淡く輝くスカイブルーの瞳が、メマの深紅の瞳を突き刺すように見つめる。
メマはその美しい瞳から目をそらせなくなり、同時に言葉を失った。
「人と人との別れはいつも突然だけど、みんなとの別れはメマを苦しめるものじゃない。みんなだってメマともっと一緒にいたいと思っているよ。だから、きっとまた会うために『さよなら』じゃなくて『またね』と告げるんだ。そうしたら、また会えるから」
ありきたりな勇者の言葉は、兄と離れ離れになってしまったメマの心を優しく打つ。
夕日が後光のように差し込み勇者を照らすと、メマはその眩い光に久しぶりに目を細めた。
「大人の事情で君を振り回してしまうことを許してほしい。だけど、これだけは約束する」
メマの手を握る力を強めた勇者は、いつもの優しい微笑みではない、凜然とした表情でメマへ告げる。
「メマ、僕と君の別れが来るとしたら、それはきっと――」
「君が、お兄さんと再会したときだ」
スカイブルーの瞳は、メマの瞳を捉えて放さない。勇者ユリウスの瞳は誘拐犯として見ると異様だが、正義の味方である勇者として見ると、なんとも美しく勇猛な瞳である。
メマは大きな赤い瞳を瞬かせ、腕に抱いた魔王人形を見た。
勇者の言う通り『またね』と言えば、なかなか迎えに来ない兄にもいつか会えるのだろうか。そう思ったメマは、すぐに人形へ向かって「またね?」と告げてみる。
きっと、兄にまた会えると信じて――。
そうして翌日、メマは世話になった人たちへ別れを告げ、勇者一行と共に漁港に停る大型船へ乗り込んだ。
船が出港すると、あまりに早い恋の幕引きに泣きじゃくるビムと、それを慰めるマルコの姿、そして、まるで母のようだったヌラやジャックがメマの視界に映る。彼らは皆、メマへ大きく手を振り、別れを惜しんでいた。
メマにとって、みんなまた会いたい人間ばかりで、メマはこの地に来て初めて大きく声を上げた。
「みんな、またねぇ――!!」
メマの元気な声は出会った人々と勇者たちを笑顔にする。そして――兄ルシファーとの再会を、さらに遠ざけたのだった。




