20
毎日のように購入しているストロベリーキャンディーを食べながら、メマは勇者アラステア像付近のいつものベンチに腰掛け、兄自慢のようなビムの話を黙って聞いていた。
「兄ちゃんってすごいんだぜ! 父ちゃんみたいな立派な商人になるために、今日みたいにニセモン売る奴の露店で目利きの訓練してんだ!」
「めきき?」
「本物と偽物を見分けるんだよ!」
「ふーん」
ビムの話のほとんどが理解できないからか、メマはキャンディーを食べながらつまらなそうに話を聞いている。
兄弟の父親は意識の高い旅商人で、早くに母親を亡くした息子たちを連れて各国を回り、質のいい商品の買い付けや販売を行っているらしい。評判も良く、旅商人にしては珍しく固定顧客も存在するため、兄弟の父親はよい稼ぎのようだ。
そんな父親に息子たちが憧れるのも必然で、すでにマルコは父親の弟子として商人の修行に励んでいた。
そんな長ったらしく、イマイチ理解できない説明を聞かされたメマは、聞いているのかいないのか、感情のない顔で一生懸命に話すビムを見つめている。
しかしビムはメマの理解など構わず、大好きな兄の自慢を話し続けた。
「『一流の商人は一流の商品を知っていなきゃダメだ』って言ってた父ちゃんの言葉をチュージツに守って、たくさん勉強したり、本物を目に焼き付けたりしてるんだ! かっこいいだろ!」
「も、もうやめてくれ……」
弟の止まることのない兄自慢に、隣にいたマルコは恥ずかしそうに顔を手で覆い隠している。
その恥ずかしさの原因の一つに、メマのつまらなそうな態度も含まれているのか、マルコはメマの顔が見れないようだった。
「オレの兄ちゃんは努力家の天才なんだ!!」
まるで自分のことのように兄を語るビムの姿に、興味がないながらもきちんと話を聞いていたらしいメマは、なぜだか胸がモヤモヤとする。そして気付いたら、キャンディーを頬張ろうとしていた口が声を発していた。
「……メマのお兄ちゃんもすごいもん」
メマの声に、誇らしげだったビムの口が閉ざされる。
「そういえば、メマもお兄さんがいるんだったね」
マルコが反応すると、まるでビムに対抗するかのように、メマは兄である魔王ルシファーの凄さを語りはじめた。
「メマのお兄ちゃんはまほう使える」
「ふーん、メマの兄ちゃん魔法使いなんだ」
「いっぱいまほう使って、メマのこと守ってくれる。メマをいじめたおっきいドラゴンもたおしてくれた」
「ドラ……えっ?」
有り得ない話に困惑する兄弟だが、事実である。
メマがまだ五歳の頃、兄に黙ってこっそり城を抜け出したメマが、餌を探すドラゴンに標的にされ、巣まで攫われたことがあった。
あと一歩で食べられる、というところで怒り狂った兄、ルシファーが駆け付け凄まじい威力の火炎魔法を放ったことで、本来は火も通じないはずのドラゴンは、鱗の隙間から火が伝い中まで黒焦げになった。
一度ドラゴンによって攫われた経験があるというのに、二度も妹を攫われてしまったのだから、現在のルシファーの後悔は計り知れない。
「ドラゴンまっくろにするもん」
到底信じられない内容に、マルコは本気にすることなく子供の戯言だと横に流した――が、弟のビムはそうはいかない。
「オレの兄ちゃんなんか、このあいだ本屋で安く売られてた古書を買ってさ、それを博物館に持っていったら、すごい歴史書だとかで展示までされたんだぞ!!」
すごいだろ!! と言うビムだが、メマにはやはり凄さが伝わっていない。
しかしメマは、なんだかムッとして再び対抗してしまう。
「メマのお兄ちゃん、おこってお城ばくはつさせた」
「ばくは……う、嘘つくな!!」
「うそじゃない。メマのお兄ちゃんすごくつよいの」
「城なんか爆発させたら、お前の兄ちゃん今ごろ牢屋だろーが!!」
「ろうやってなに」
「悪い奴が捕まるところ!!」
「メマのお兄ちゃん悪いヤツじゃない」
ビムは嘘だと騒いでいるが、これも事実である。
一度、ラブがメマへ色仕掛けの方法や淫魔の心得など、子供に教えてはならないことを教えようとしたことがある。その際、何も知らない兄へ、メマがモザイク処理が必要なほどの言葉を言ったことで、ブチ切れたルシファーが魔法で城を破壊したのだ。タイミングよくラブが出かけていなければ、ラブはもうこの世にいなかったかもしれない。
翌日にはそのときの記憶はメマの脳から消されてしまったが、恐らくルシファーが何かしたのだろう。
もちろん、そんなことを知らない兄弟からしたら、どこかの国の王城を破壊したとんでもない犯罪者の兄がいる、というようにしか聞こえない。メマの話は非現実的なものとして、二人に伝わった。
「さっきから嘘ばっかり! 嘘つきは泥棒のはじまりなんだぞ!!」
「メマ、ドロボーじゃない」
「オレの兄ちゃんの方がすごい!!」
「メマのお兄ちゃんの方がすごい」
「お、落ち着いて二人とも!」
段々とヒートアップするビムに、なぜだかこればかりは負けたくないメマも言い返し、さすがにマルコが二人を諌めようとするが、幼い二人の耳には気弱な声は届かない。
最終的に、顔を真っ赤にしたビムが声を荒げた。
「もーいい!! メマなんか知らねー!!」
メマもびっくりするほどの声量で突き放したかと思うと、ビムはその勢いのまま走ってどこかへ行ってしまった。
「ビム!? メ、メマごめん、追いかけなきゃ!」
気をつけて帰ってね! と最後までメマを気遣う言葉をかけたマルコは、急いで弟を追う。
一人残されたメマは、胸に残るモヤモヤとした感情に不快感を抱きながら、まだ残っていたキャンディーを齧った。なぜだかいつもより苦く感じて、メマはちょこんと膝に座る魔王人形の手を強く握りしめる。
微妙な気持ちのまま帰宅して食事を終えると、いつものように話をするため、ヌラがメマへ声をかけた。
「メマちゃん……なんだか今日は、元気がありませんね……?」
いつも話したがりなメマが、今日は一切口を開かないことから、何かあったようだと察したらしい。
「…………」
何も言わず食卓に座るメマの様子に、ヌラは思いついたように台所へ行き、少しするとコップを持って戻ってきた。
「メマちゃんは、ホットチョコレートって知ってますか……?」
「?」
ヌラは静かにコップをメマの前へ置くと、湯気の漂うそれの中身を教えてくれる。
「ミルクとチョコレートだけで出来る、甘くて美味しい飲み物なんですよ……」
「ほっとちょこれーと……」
興味津々なメマは、瞳を大きく開いてコップの中身を覗き込む。
人間たちによってすっかり胃袋を掴まれてしまったメマは、見たことのない食べ物や飲み物でも、躊躇なく口にするようになった。もはやルシファーの知っている食わず嫌いの子供は、ここにはいない。
メマはあたたかいコップをそっと手に取ると、か弱い息でフーフーと熱を冷まし、ゆっくりと口に含んだ。口の中いっぱいに温かく甘い香りが広がり、メマの瞳は途端に輝きを放つ。
「……どうですか?」
「おいしい」
その甘さはメマのモヤモヤとした気分を一瞬で晴らし、特徴である無表情も思わず綻びそうになる。
「ふふっ……よかったです」
そう言って微笑むヌラは、母親のいないメマにとって、不思議な存在となりつつあった。
あたたかく、そしていつも優しいヌラが傍にいると、なんだかメマの心に小さな明かりが灯るような感覚へと陥るのだ。
「ヌラはなんでやさしいの?」
「……えっ?」
「ヌラも勇者も、みんなメマにニコニコする。人間はみんなメマのこときらいだとおもってた」
「だ、誰がそんなことを吹き込んだんですか……」
純粋なメマの発言に、ヌラは驚愕の表情を見せる。
もちろん吹き込んだのは、魔王ルシファーだ。
「人間はみんなワルモノだから、メマも気をつけなきゃいけないって」
「幼い子供になんて極端なことを……」
メマに対して勝手に同情するヌラは、人間の悪い部分だけをメマへ教えたのが、まさか魔王だとは思いもしない。
「……メマちゃん」
ちびちびとホットチョコレートを飲みながら、上目遣いになるメマ。ヌラはきゅんとする気持ちを抑えるような顔をしたあと、諭すように話した。
「……確かに、人間の中にはメマさんに意地悪するような悪い人もいるかもしれません。メマちゃんを家族から引き離す人だって、今後現れないとは言い切れません……」
勇者のことだ、とメマは思いながら、ヌラの真剣な瞳を覗いている。
「……だけど、悪い人ばかりではありません。メマちゃんを大好きな人だって、この世にはたくさんいます」
勇者と他のみんなのことかな? とさらに思うメマ。
ヌラの言う通り、誘拐の主犯でありながらいつもあたたかい勇者の雰囲気が、メマはいつまで経っても嫌いになれないのだ。善と悪のどちらに片足を突っ込んでいるのか、勇者という存在の意味を、メマはいまだ理解できない。
だが、ただ一つメマに分かるのは、勇者ユリウスが魔族のメマを嫌いではないということ。
「メマちゃんはとってもかわいいです」
自分に向ける勇者の微笑みを思い出しているメマを、突然ヌラが褒めた。
「信じられないほどかわいいです。私のお腹の中の子を『かわいい』と言ってくれる、優しい子です。私の作ったご飯を『おいしい』と言って食べてくれる、無邪気な子です。そんな良い子なメマちゃんには、みんな優しくしたくなります。嫌いになんてなりません」
言葉を詰まらせることなく、まっすぐに告げたヌラの声は、メマの胸に強く残る。
同時に兄のとある言葉を思い出させた。
『メマ、お前は良い子だ。この世で一番の良い子だ。だから誰もお前をいじめない、いじめさせない……良い子なお前は、俺のような嫌われ者にはならない』
優しい兄は嫌われ者なのに、良い子なだけのメマは違うのか――そう思った記憶が、鮮明に蘇る。
メマはほのかに湯気が漂うホットチョコレートに視線を移すと、憧れのかっこいい兄の姿が浮いているような気がした。その姿は少し寂しそうで、なんだか可哀想に見える。
「お兄ちゃんのことも、みんなすきになってくれる?」
チョコレートの波に揺れる一人ぼっちの兄を眺めながら、メマは問う。ヌラは当たり前のように「もちろんです」と答えた。
するとメマの瞳はパッと明るくなり、兄の寂しさを拭えたような気になる。
メマの膝に座る魔王人形も、心做しか『変な幻覚を見るんじゃない……』と困ったような表情に見える。人形に兄の声を重ねると、メマの気分は少しずつ晴れてきた。
「メマちゃんは……お兄さんのことが大好きなんですね」
メマの兄を想う気持ちを察し、ヌラは微笑む。
たった一人の家族である兄から魔王によって引き離された可哀想な少女、という風に見ているからか、愛を知っているメマの姿に喜びを感じるようだ。
「だいすき」
メマの口元は変わらないが、目がフッと細くなったことで、笑みを浮かべたように映る。
「お兄ちゃん、やさしくてかっこいいの。怒ったらこわいけど、いっつもメマのことだいじにしてくれる」
「そうですか……素敵なお兄さんですね」
「うん、メマお兄ちゃんとけっこんするの」
「まぁっ……!」
ルシファーが聞いたら昇天しそうな発言だが、結婚の意味も知らないメマは、自身がどんな爆弾発言をしたか分かっていない。恐らく、もしこの場にルシファーがいたら、ダークネスの法案をすぐにでも変更するだろう。
「メマ、お兄ちゃんのことだいすき……でも……ビムもマリオのことがだいすき……」
しばらくビムのことなど忘れていたメマだったが、兄を好きな気持ちを話していると、突如としてビムの気持ちが理解できた気がした。
一番に兄を好きだという気持ちは互いに同じ、だから対抗したい、負けたくない……そんな子供心を、メマはなんとなく察することができた。
ビムも自分もきっと間違ってなどいない、どちらが凄いかなんて決められるものではないのだ、と。
「……ビムさんと……何かあったんですか?」
「ううん、もうだいじょうぶ」
ビムとのケンカを話さなかったメマの、どこか晴れたようなその表情に、ヌラは安心したように微笑んだ。
また翌日、メマは兄弟と再会した。
この日、メマはストロベリーキャンディーの屋台には行かず、朝からビムの姿を探していた。まだメマに気付いてはいないビムの後ろ姿を発見すると、メマは珍しく足を速め、その名を呼んだ。
「ビム!」
歩くビムの服を掴んだメマに、ビムは驚いて声を上げる。
「なっ、メマ!?」
思わず漏れた声に、『……しまった!』という心の内を駄々洩れで、自身の口を手で塞ぐビム。
ビムの方はまだ昨日の件を引き摺っているらしく、表情が不機嫌だった。
気まずそうに目をそらすビムに構わず、メマはまっすぐな瞳で昨日の議論の続きを話す。
「メマわかったの」
「……なにが」
「メマのお兄ちゃんはやさしくてかっこよくて、つよいからすごい」
「はぁ?」
昨日に引き続いての兄自慢対決か、と再び声を荒らげそうになるビムに「でも」とメマは更に続けた。
「マリオもやさしくてかっこよくて、たくさん知ってるからすごい」
「…………」
メマの言葉に、単純なビムは何も言えなくなる。自身の兄を褒められて嬉しくない弟などいない。名前は誤っているが……。
「メマ、ビムすき」
「はぁ……は、はぁ!?」
メマの脈絡のない告白に、バリエーション豊かな『はぁ』を繰り出すビムは、瞬く間に頬を染めたかと思うと動揺の色を見せた。今までメマのことを自身より幼いガキンチョのように思っていたビムだったが、美少女のこの発言には思わず勘違いしそうになる。
「マリオもすき」
「はは……名前違うけど、ありがとう」
実はビムの隣にいたマルコも、メマの発言に嬉しいような悲しいような表情を浮かべ礼を言う。
「みんなメマにやさしい。だからメマもみんなすき。でも、みんなお兄ちゃんのこときらいって言うから、すきって言ってほしくて『マリオよりすごい』って言った」
「お前の兄ちゃん、そんなに嫌われてんのか……」
言葉足らずなメマが思いを伝えようと一生懸命に言葉を並べているのに対し、同情的な視線を送る兄弟。この発言で、彼らの想像するメマの兄はろくでもない男となった。
「メマ、ビムおこらせた。ごめんね?」
「……!!」
素直なメマの謝罪に、頑固なビムも思わず胸を打たれる。
メマのこの素直さ、そして純粋さは、兄であるルシファーの愛によって育てられたものだ。
『悪いことをしたらきちんと謝ること』
ずっと昔に言われてから、メマは兄の言葉を今まで忠実に守り続けている。
やはり王族として最高峰の教育を受けてきた者だからこその教育なのか、そもそもの愛から生まれたものなのか、それはルシファー自身も知る由はない。
だが、そんなルシファーの教育は、完璧に今のメマを形作っている。
「メマのお兄ちゃんも、マリオもすごい」
「……うん」
「みんなすごいの」
「……そうだな」
「メマのこと、きらいになった?」
「……ならないよ、嫌いになんか」
「じゃあすき?」
「んなっ……!? し、知るかそんなもん!!」
顔全体を真っ赤に染めたビムが声を荒らげると、メマは「またおこらせちゃった……」とシュンとしてしまう。
「ち、ちがう! 怒ってない!!」
慌ててメマの手を握り否定するビムの頬は、まだ赤みが引いていない。
これぞ、メマの最大にして最高の能力である。
能力名を付けるなら、恐らくそれは『初恋泥棒』だ。
二人の会話を黙って聞いていたマルコは、無自覚にあざとく振舞うメマの手腕に天を見上げる。そして、なんという小悪魔……と呟いたマルコは、目の前で起きた尊い恋の物語にひっそりと涙を流した。
青年が尊い恋の幕開けに心を落ち着かせようと胸を押えた、そのとき――空気を打ち壊す声が響く。
「キャアアアアアアア――ッ!!」
尋常ではない女性の叫び声が街中に響いたことで、兄弟とメマの意識は互いから逸れる。
悲鳴の主らしき女性が三人の横を慌てた様子で通り過ぎると、他の人々も彼女に続くように悲鳴を上げながら走り去っていく。
なにがなにやら分からない三人は、騒ぎの原因を突き止めようと辺りを見回した。その原因は、すぐに彼らの視界に映りこむ。
優雅に街を歩いている、魔獣の群れの姿が――。




