17
「メ、メマちゃん……あの……」
教会から帰宅したメマを出迎え、オドオドと声をかけたのは、ジャックの妻ヌラである。
昨日愛らしいメマを見て発狂していたヌラだったが、一晩経てばさすがに正気に戻ったようで、昨日驚かせてしまった詫びをしたいのだとメマに告げる。
「こ、これ……メマちゃんが食べられると……いいんだけど……」
日も暮れて食事の時間ということもあり、食卓に座るメマの目の前へ、ヌラは自信なさげに手料理を出した。
美しい黄金の卵にぎっしりと具を詰めたそれは、オムレツという人間の国では一般的な家庭料理だ。宝箱のように中に好みの具材を入れることで、ただの卵を丸めたものより美味で面白みがあるとして、人間の子供の機嫌を取る王道家庭料理として名高いらしい。
「……!!」
無論、まだ幼いメマにもそれは該当する。
「最近は異国のライスというものに味を付けて、卵の中へ入れるのが流行りらしくて……入れてみたんですけど……」
メマをチラチラと見ながら説明するヌラは、メマの瞳が輝いていることに気が付くと、安心したように息を吐いた。機嫌を取りたいのもそうだが、恐らくメマを喜ばせたかったというのが本音だろう。
卵の上にとろみのついた赤いソースをかけると、ヌラは「どうぞ食べてください……」とやはりオドオドとした口調で、しかしあたたかい微笑みをメマへ向ける。
メマは手渡されたスプーンで卵の膜を破き、慎重にそれをスプーンに乗せると、赤い瞳を星のように輝かせながらパクリと頬張った。
「……おいしい」
「よ、よかったぁ……!」
「おいおい、あんまり興奮するなよ……」
メマが呟いた言葉に、ヌラは感激のあまり、またも昇天しそうになっていた。そんな妻を夫のジャックは心配そうに見つめている。
一方メマは、オムレツの美味さにはもちろん感動したが、それとは別の感情が頭を占めていた。
(……お兄ちゃんのと、ちがう)
漠然と思ったメマだが、実はオムレツを食べるのは初めてではないのだ。
魔族の国ダークネスは、瘴気のせいで健康な植物が育たないゆえに美味な食事も少なく、元人間であるメマには些か暮らしにくい地といえた。
物心つく前から魔族として生きてきたとはいえ、食事に関してはやはり子供というべきか、メマは魔族の作る食事が舌に合わず、長年食わず嫌いをしていた。
人間と変わらぬ成長速度や健康面を考えても、ある程度の栄養は加味しなければならないため、食事を摂らないというのはメマにとって致命的だったのだ。
悩んだ兄ルシファーは、メマが食べられるものを必死に考え、そしてダークネスで唯一美味な魔鳥の卵の存在を思い出した。
瘴気に充てられ魔物と化してしまった鳥、魔鳥は黒い卵を産むが、割ってみると人間の国に伝わる普通の卵とそっくりな見た目で、味もそう変わらない。魔族はみんな食事に興味がなかったが、魔鳥の卵だけは好き好んで食べる者がいたほど、美味な食材なのだ。
そんな卵ならメマも食べるかもしれない、と希望を抱いたルシファーは思い立ってすぐに魔鳥の卵を収穫に向かい、そして少しの戦闘の後に卵を得ることに成功した。
卵を得たルシファーは人間だった頃に自分が食していたものを思い出しながら、愛する妹のため、慣れない手で一生懸命に料理をした。人間時代も王族だったので料理の経験がなかったルシファーが、苦労して作り上げたもの――それが、オムレツだった。
火の加減が分からず少し焦げ目の入った不格好なオムレツを、ルシファーは今よりさらに幼かったメマへ差し出すと、
『今度からは俺がお前の食事を作ってやる。だから必ず食べなさい』
と優しい声で言ったのだ。
そんな兄のオムレツは、ヌラの作ったものと違い、黄色く輝いてもいなければ具なんて一つも入っていない。味付けだってされていないというのに、なぜかひどく美味しかったのをメマは今でも覚えている。
以降、ルシファーは本当にメマの食事を毎日作り続けていた。レシピ本なども存在しないため、毎回なにかしら失敗しては、失敗だと気付かずメマへ食べさせていたが、それはメマだけが知る事実である。
どんな味が正解か知らないメマは、兄の手料理だけは食わず嫌いせずに食べ続け、なんとかここまで成長できたのだ。
(お兄ちゃんのごはんよりおいしい……でも)
ヌラの作ったオムレツを頬張りながら、メマは兄の作る不格好なオムレツに思いを馳せる。
(お兄ちゃんのごはんも、すき)
膝に座る魔王人形を見て、密かにメマは思った。
兄の愛情が込められた食事を恋しく思いながら、かといって目の前の美しいオムレツを頬張ることはやめないメマだった。
*
朝日が昇り、眠るアリサを横目に寝台から起き上がったメマが階段を下ると、勇者たちはすでに着替えなどの支度を済ませ、朝食を摂っていた。
「おはよう、メマ。起きるのが早いな」
「アリサはまだ寝てるっていうのにね」
偉いぞ、と歩いてくるメマの頭を撫でた勇者は、食事も終えコーヒーを嗜んでいる。本を読みながら二階へ続く階段を見るノートが、やれやれとため息を吐いたのを、メマは寝ぼけた頭で不思議がった。
「おはようございます……メマちゃん……ど、どうぞ……」
メマが起きてくるのを待っていたように、台所から出てきたヌラは、温かいパンとミルクをテーブルの上に置いた。
「あ、あとで髪を……梳かせてくださいね……」
ぎこちなくも優しく微笑むヌラに、母とはこんな感じだろうか、とメマは微かに思う。
メマは勇者の隣の席へ座ると、小さな口でパンに齧りついた。すると、正面に座るノートが本を閉じる。
「さて……僕は先に出るよ」
「早いな。まだ図書館もやってないんじゃないか?」
「図書館は行かないよ。僕に足りないのは魔法の知識じゃなくて、度胸だと気付いたからね……一人は怖いけど、森へ入ろうと思う」
覚悟を決めたようなノートの表情から、勇者は何かを感じ取る。
「そうか……気を付けてくれ」
しかし、普段通りの口調で止める様子はない。
ノートは先の魔王との戦いで、恐怖に駆られ一切動けなかったことを気にしているようだ。だから魔物の多い森林へ籠ることにしたのだろう。籠る、と言っても夜には帰るつもりなのか、荷物は少ない。
「それじゃ、メマは楽しい一日を過ごしてね。それが君の仕事だからさ」
子供のくせに大人のようなことをメマに告げ、玄関の扉を開けたノートは、僅かに重い足取りを悟られないよう笑顔で去っていった。
「ノート、今日はあそばないの?」
この日も勇者たちと出かけるのだと思っていたメマは、隣の勇者へ問いかける。勇者はメマのどこか寂しそうな瞳に、眉を下げた。
「ごめんね、メマ。今日からみんなそれぞれ鍛錬に入るんだ」
「たんれん?」
「強くなるために修行するんだよ」
なぜそんなことをするのか、と問いたいメマの思考は勇者にバレバレだったのか、優しく撫でながら諭される。
「僕たちは弱い。今のままでは、魔王からメマを守り切るのは困難だ。だから、強くなって君を魔王から守りきるため、修行しなくちゃならない」
「メマ、そんなのいらないよ?」
「そうだね……でも、僕たちには必要なことなんだよ」
本当にいらないのに、というメマの言葉はさらりと無視される。勇者は『いらない』の意味を『子供視点での必要性』とはき違えているのだ。魔王がメマを襲うことなどありえない、と分かっている上での発言だとは微塵も思わない。
「僕たちは、いずれ魔王と再び戦わなければならない。メマがいなかったとしても、この手で魔王を倒さなければならないんだ……そのためにも、今は修行を積む必要がある」
「たたかわなきゃいいのに」
「……うん、だけど魔王が存在する限り、僕たちは戦い続けるよ」
「…………」
めんどくさいなぁ……とぼんやり思いながら、メマは再びパンを齧る。
そうまでしてお兄ちゃんと戦わなくてもいいじゃないか。メマはわずかに不機嫌になった。勇者はそんなメマに、遊んであげられないから不貞腐れてしまったのだと勘違いしたようだ。
「なぁ、メマ……今度たくさん遊んであげるから、許してくれないか……?」
メマの瞳を覗き込みながら、機嫌を取ろうとしている。
そこで、二人の様子を微笑ましく見守っていたマリアと、気だるげなジャックが立ち上がった。
「メマさん、ユリウスさんをあまり責めないであげてくださいね。彼も本当はあなたと遊びたいのですから」
「マリアもどこかいくの?」
「ええ、神と向き合い神力の精度を上げ、命と向き合う覚悟を極めるため、病院で働く医療神官の応援に行ってきますわ」
「行ってらっしゃい、頑張ってくれ」
送り出す勇者の声に合わせ、パンを食べ終えたメマも「ばいばい」と手を振ると、マリアは嬉しそうに微笑み出ていった。ジャックは愛するヌラの額にキスをしたあと、ニヤニヤとメマに近づく。
「嬢ちゃん、俺も仕事に行ってくるぜ」
「うん、ばいばい」
「なんだよ、あっさりしてんなぁ……『ジャックはどうして仕事するの?』とかもっと質問しろよ~」
「いいから早く行け、ジャック」
「チッ、勇者殿も冷てぇの」
ブツブツと文句を言いながら、ジャックはさり気なくメマの頭に触れる。そして容赦なく撫でまわしてメマのピンクの髪を乱れさせると、わがまま言うなよ、と笑って去っていった。
マリアもジャックも、わがままだなんて見当違いだ。そう思いつつも、わしゃわしゃと撫でられたことで、思いのほか心地よかったメマの機嫌はすでに直っていた。
最後に残ったのは、勇者といまだ起きてこないアリサのみだ。
「メマ、パンは美味かったか?」
ちまちまとミルクを飲むメマに勇者が問いかけると、メマは二度頷いた。ただパンを焼いただけでも、ダークネスの食事と比べるとかなり美味である。
気付けば、勇者の飲んでいたコーヒーも空になっている。
「満足したならよかった」
いつものように優しく微笑むと、「それじゃ、僕も行くよ」とついに勇者も立ち上がる。
「ヌラ、メマのことを頼んだよ」
「は、はい……任せてください……!」
「くれぐれも無理はしないように」
ヌラを気遣いながらニコリと笑顔を向ける勇者と、それに対し相変わらず緊張しながら返事をしたヌラ。席を離れ玄関へ向かおうとした勇者の服の裾を、メマが引いたことで勇者の足は止まる。
「メマ? どうした?」
引き止められて嬉しく思う表情を隠さず、勇者はメマの方へ向き直すと、膝を折り目線を合わせた。子供と接し慣れているような勇者の姿に、ヌラが密かに尊敬の視線を送っているが、二人が気付く様子はない。
「メマ、お外に出たい」
「え?」
思いもよらぬメマの要求に、優しい勇者の顔も思わず崩れ、困ったような表情へと変わった。
勇者一行の計画では、修行中はヌラにメマの面倒を見てもらい、身重なヌラと共に家の中で大人しく過ごしてもらう予定だったのだろう。
もちろん、当初の予定ではヌラとメマが外出しても特に問題はなかったのだが、思いがけずヌラの妊娠を知ってしまったために、それは考え直した。長時間の外出でヌラに負担をかけるわけにはいかない、と勇者は考え、そのつもりでヌラにメマを頼んでいたようだった。
「メマ、お外もっといきたい」
兄に愛されて育った好奇心旺盛なメマが、実は子供らしく駄々をこねるのだということを、勇者は想定していなかったのだ。
「うーん……そうだなぁ……」
メマの要求に、どうしたものかと頭を悩ませる勇者へ、傍でやりとりを見守っていたヌラが「あの……」と口を開く。
「わ、私なら大丈夫です……! 少しくらいなら外へ出ても……」
「いや、確かに少しなら平気かもしれないけど……メマは少しだけでいいのか?」
「やだ。お外たくさん見たい」
「ふぉわ……駄々こねても可愛い……」
子供の駄々に何やら興奮気味のヌラはさておき、勇者は困って考えあぐねる。
妊婦のヌラに負担をかけるわけにはいかない、かといってメマを一人で外出させるのも心配、と勇者が分かりやすく顔に出し葛藤していると、困らせている張本人メマが最後の押しにでる。
「……ダメ?」
「――!!」
小さくか弱い声で勇者へ問いかけたメマは、その愛らしさを全身でアピールする。メマの背後で蕾が花開いたような幻覚まで見える。
無意識なメマに意図などなかったが、その甘えるような声は一瞬にして勇者の頭を空にさせ、同時に思考も停止させた。
兄ルシファーも幾度となく悩まされてきた、メマの必殺技である。
あれこれと悩んでいた勇者は、出会ってから初めてのメマの駄々で、ついに折れてしまった。
「分かった……だけど、行ったことのある場所しか行ってはいけないよ? それと、日が暮れる前には必ず帰ること」
「うん、やくそくする」
「本当にメマはいい子だなぁ……」
困り顔をしつつもメマの頭を撫でる、意思の弱い勇者であった。




