15
魔王城では、鬼人のカリオスとメデューサの息子ネイオンが、ルシファーの執務室で何やら遊んでいた。呑気なことに、攫われた姫を救出するというボードゲームを楽しんでいる。
「あっ、またお姫様しんじゃった~」
「神に反抗するからだ……」
「何をしているんですか、お前たちは……」
メマの捜索から戻ってきた手下のコウモリたちに餌をやるヴァイスは、危機感のない四天王たちの戯れに、言葉の通り呆れていた。
「いや〜……やることなくて〜」
「そんなに暇ならメマの捜索を手伝ってほしいんですがね」
チクリ、と嫌味を吐くヴァイスは、この三日間コウモリも自分も働き詰めで寝不足だった。ルシファーは落ち込むばかりで頼りにならず、自分以外の四天王はろくな捜索もせず自由に過ごしており、自分ばかりが捜索にあたっている、と疲れた様子だ。
「探す範囲が広すぎると俺たちはなんの役にも立たないからさ〜……ヴァイスが国を絞り込めるのを待ってんの〜……」
「だから言ったでしょう、範囲は東側諸国に絞られた、と」
「まだ広いよ~……俺たち、ヴァイスみたいに羽もないし、魔王様みたいに魔法も使えないもん~……せめて国が絞り込めたらな~……」
「頼りなさ過ぎてため息が出ますね……」
「私は神を信じるのみ……神がメマに試練を与えたというのなら、神の意志をねじ曲げることなど必要ない」
「その神に見捨てられたくせに何を言っているんだお前は」
「怒んないでよ〜……カリオスだって心配してるんだよ〜」
「この胸の痛みは神のみぞ知る……」
「うるさい。お前の神はとっくの昔に死んでる」
寝不足と過労で苛立ちを隠せないヴァイスをぼや〜っとした声で宥めるネイオンだが、そのやる気のない声ではなかなかヴァイスの苛立ちを収めることができない。
刺々しいヴァイスの言葉に傷付いたカリオスがしょんぼりと項垂れていると、執務室の扉がギィ……と音を立てゆっくりと開いた。
入室したのは、寝不足の男二人目、魔王ルシファーである。
「俺の執務室を溜まり場にするな……」
覇気のない声で注意をしたかと思うと、ルシファーは重い足取りで自身の事務机へ腰掛け、カリオスと同じく項垂れた。
そのまま机に突っ伏すように情けなく雪崩ると、「メマの情報は……」と未だガラスが割れたままの窓際で、コウモリと向かい合うヴァイスへ問いかけた。
「いえ、まだ特に」
「……そうか」
この人本当に魔王だっけ? と疑いたくなるほどの暗くどんよりとした空気を纏うルシファー。ネイオンは、ゲームを続けたまま「魔王様〜……」と口を開いた。
「そんなに心配しなくても、大丈夫じゃないですかね〜……? 魔王様の防御魔法がかけられてるメマなら〜……」
「そうなんですが、一つだけ懸念事項があるのですよ」
「え〜?」
最強の魔王に強力な防御魔法をかけられているメマを心配する様子のないネイオンだったが、彼の言葉にルシファーよりも早く返答したのはヴァイスだった。
「人間の国には『聖水』が存在するということを、昨日まで私も失念していました。防御魔法は、あくまで攻撃や暴力から身を守るための保護膜をメマに張っているというだけで、そういった枠にはまらない聖水には力を発動できません」
「聖水って〜……あの聖水〜……?」
「そうです。穢れのない清らかな魂しか受け入れない、神秘の水と言われているあれです」
「聖水……?」
聖水という単語を聞いた元神官の男、カリオスは耳をぴくりと動かし呟いた。
その呟きに、ヴァイスはあからさまに『しまった』という感情を顔に出したが、時は既に遅い。元人間の、それもどこかの教会の神官長という立場であった信仰深い男は、勢いよく立ち上がり聖水について興奮状態で語りはじめる。
「万物を創ったと言われる創造神、アンネリーゼ様が人間へ贈ったとされる美しい水!! 魔法の付与などしていないにも関わらず尽きることなく教会に湧き続けるその水は、まさしくアンネリーゼ様が全ての生き物を愛した証拠……嗚呼、なんと懐かしく麗しい響きか……!!」
「アンネリーゼ様〜……? 人間は神様なんて空想の存在に名前を付けてるの〜……?」
「空想ではない。全ての神は我々を見守り、導いてくれるのだ」
「神への信仰心がないネイオンは、お前のその考え方が空想だと言っているんですよ」
カリオスが勢いよく立ち上がったせいで、遊んでいたボードゲームはパラパラと地面へ散らばった。ネイオンはなんとなく話に耳を傾けながら、ゆっくりとそれを片付けている。
「ん〜……? え……待って……?」
すると、唐突に何か気が付いたネイオンが、散らばったボードゲームを拾い上げる手を止めた。
「防御魔法が反応しない聖水が懸念事項ってことは〜……メマが聖水をかけられる可能性があるってこと〜……?」
「そうです。悪どい人間のことですから、実験や拷問と称して魔族のメマに聖水を浴びせていても、なんら不思議ではありません」
「えぇ〜〜〜!? そそそそれヤバイじゃ〜ん!!」
いつもふにゃふにゃした口調でぼんやりとした空気を纏っているネイオンが、事態の深刻さに気付き、珍しく声を張り上げる。しかし、机に突っ伏したままのルシファーは体をビクリとも動かさない。
「お、俺たち魔族には聖水は毒っていうか〜!! めちゃくちゃ痛いやつなんでしょ〜!? そんなのひ弱なメマじゃ耐えらんないよ〜!!」
途端にメマが心配になり、興奮が収まらない様子のネイオンは、拾ったボードゲームの駒を再び落とし慌てはじめる。そして室内をウロウロするネイオンの美しい白銀の髪は、みるみるうちに蛇へと変化していく。
「どうしよ〜!! 早く探さないと〜!!」
「こら、落ち着きなさい。お前が興奮すると面倒なんですから……」
興奮状態に陥っているネイオンを諌めようとするヴァイスだが、その声は頭の蛇を刺激し威嚇させるだけだった。
結局、髪の毛全てが蛇に変わってしまい、ヴァイスは深くため息を吐く。
そのとき、堪えきれなくなったネイオンは、勢い任せに部屋を出ようとした。
「ね〜!! 一刻を争うから俺ちょっと探してくるよ〜!!」
「なっ!? 待ちなさい!! 探すなら冷静な状態でコウモリとも連携をとって――」
引き止めようとして、ヴァイスは勢い余ってネイオンの腕を引いてしまう。腕を引かれたことで重心が傾いたネイオンは、よろけた拍子にヴァイスの瞳とうっかり目を合わせてしまった。
「「あ」」
またも『しまった』と思ったのも束の間、ヴァイスは一瞬にして全身が石と化し、動かなくなった。
「……ヴァイス〜、ごめ〜ん」
それをきっかけにようやく落ち着きを取り戻したネイオンは、謝罪を口にするが反応はない。石になっているのだから当然だ。
感情が昂り、髪が蛇に姿を変えたネイオンと目が合った相手は、十秒ほど石像となる。一度蛇になった髪はしばらくの間そのままで、その間ネイオンと目を合わせてはならない、というのが魔王城での暗黙のルールだ。しかし、ネイオンの感情の昂りなど予測不可能なため、こうしてたまに食らってしまうのである。
「あ~あ~……気を付けてたのにな~……」
自分に落胆するみたいに呟いたネイオンは、シュンと肩をすぼませる。
類まれなる魔力量をその体に宿す魔王は石化をものともしないが、一度だけ無力なメマが石化してしまったことがある。そのとき、愛する妹を石化させられたことに怒り狂った魔王が大暴れしたのだ。
さすがに幼いメマを石化させてしまったことを反省したネイオンは、それ以降、自身の感情を抑えるよう人知れず努力しようとした。やはりやる気が発揮されず進歩はないようだったが……。
「嗚呼、何度見ても痛ましい姿だ……」
「もはや芸術だよね〜……逃げられないのが惜しいけど〜……」
石像となったヴァイスを眺めながら呑気に言うネイオンは、石化が解けた後のことを心配している。苛立ちが限界突破したヴァイスに、きっと恐ろしい顔で叱られるだろう、と想像しているようだ。自身の腕を掴み固まっているヴァイスの手を離せばいいのだが、そうもいかなかった。
石化は完全な石になるため、無理に振り払えば、簡単に割れてしまう。そして、そのまま石化が解けると大出血することとなるのだ。石像とは、風や少しの衝撃で割れてしまうほど脆いのである。
メマが石化させられ魔王が憤慨したのも、そういった理由からだ。
暫くすると、ネイオンの腕を掴んでいたヴァイスに生気が戻り、掴む腕の力が強くなった。ネイオンが恐る恐るヴァイスの顔を見ると、明らかに苛立ちが滲み出た表情をするヴァイスに、目を閉じたまま凄まれる。
「お前……このクソ忙しいときにふざけるなよ……」
「ごめんって〜……メマが聖水で拷問されるかもって思ったら、いても立ってもいられなくなったんだよ〜……」
怒りのオーラを纏い、今にもコウモリたちを操って攻撃を開始しそうなヴァイスだったが、ネイオンの気持ちも理解できるのか、心を落ち着けるように息を吐くと腕を離した。
「……手伝ってくれるのは助かりますが、もう少し冷静になりなさい」
「は〜い……」
なんだか父子のような会話をする二人に、それまで机に突っ伏していたルシファーが、時を見計らったように発言した。
「聖水だが……お前たちが心配するような事態にはならない」




