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モーリスと別れた勇者一行と、鋭い目つきの魔王人形を大事に抱えたメマは、アラスタ王国の都、ソロモンの最大名所である漁港を訪れていた。勇者アラステアが愛した広大な海が広がる漁港は、メマの瞳も奪う。
時代を感じさせる大きな船の数々、それに乗り国から国を渡る大勢の行商人たち、そしてアラステアに『ここに国を作りたい』と感じさせたコバルトブルーの海……メマは何だか分からないが、言葉にはできない何かを胸に抱いた。
「メマ、この海はきっとお兄さんのいる場所とも繋がっているはずだ。だから、不安にならなくて大丈夫だよ」
「…………」
攫ったくせに何を言っているんだ、この人間は? と思う気持ちも若干あるメマだったが、優しい勇者の声を聞くとなぜだか口にはできなくなる。
「……お兄ちゃん、この向こうにいるの?」
「うん、きっとすぐ近くにいるよ」
勇者の言葉を聞き、メマは考えた。
近くにいるのに迎えに来ないということは、きっと何か事情があるのだろう。
実はここ最近、魔王としての政務が忙しいルシファーがあまり構ってくれず、メマは寂しい思いをしていた。苛立つヴァイスに嫌味を言われながらたまに遊んではくれたものの、物足りないメマが兄の気を引くため、何度か我儘を言って困らせてしまった。
そのとき、兄が初めて妹の前でため息を吐いたことで、メマは子供なりに自身の幼稚な行動を気にしていたのだ。
構ってほしいからと我儘ばかり言って、兄を困らせてしまった。そんな自分はなんて自分勝手なのだろう、と。
だからこそ勇者に攫われたあの日、メマは忙しい兄のため魔鳥の卵を収穫に行こうと思ったのだ。
忙しい兄に頼らず、自分の力で兄を労わるべきだとメマなりに考えたのだが、結果このようなことになってしまった。
(お兄ちゃん、メマが悪い子だからおこってるかなぁ)
だからお迎えに来ないのかな、と少し寂しい表情のメマは、まだ十歳の少女である。いつもなら瞬時に自分を助けにくる兄が、なかなか来ないのには自分に原因があると思ったのだ。
シスコンな兄の後悔に塗れた心情など、想像できるはずはない。
攫われたというのに旅行気分で人間の国を楽しむメマだが、もしかしたらそんな自分に愛想を尽かしてしまったのかもしれない……と、メマはシュンとして魔王人形を見つめた。
心なしか人形の顔も怒っているように見える。
「メマ」
兄への思いにふけりながら静かに海と人形を眺めるメマへ、勘違い勇者は優しい言葉を投げかける。
「大丈夫。すぐにお兄さんと会えるよ」
「……ほんと?」
「本当。メマはいい子だからね」
自身の頭を兄と同じように撫でる勇者に言われると、なぜだか本当にそんな気がしてくる。
「必ず魔王から君を守ってみせるよ」
会わせてくれるのかくれないのかどちらなんだ、とメマは疑問に思いながらも勇者の目を見た。その目は嘘など吐いていないような淡く暖かい空色で、金の髪は夕暮れに溶けてしまいそうだ。
前向きなメマは爽やかな優しさを醸し出す勇者を見つめていると、何だか別に兄は怒ってなどいないような気がしてきた。
(まぁいっか。きっと、お仕事がおわったらおむかえにきてくれるもんね)
誘拐犯と共に海を眺めるメマ。幼い少女は、ルシファーと出会った赤ん坊の頃のように逞しい。
(今日のごはんはなんだろう。朝のパンがまた食べたいな)
兄が今、瞳を潤ませながら妹との思い出を振り返っていることなど、知る由もない。
船の行き交う漁港をしばらく眺めたメマと勇者一行は、再びジャックの家へと戻ってきた。
仕事がある、と朝出て行ったジャックも帰ってきていたようで、勇者が玄関の扉を開けるとジャックと誰かの会話が聞こえる。
「なぁ〜、機嫌直してくれよ〜」
「ゆ、勇者さんたちが来ていたなら……教えてくれたらよかったのに……」
「いや、あいつら急に来たもんだからさぁ。連絡する暇なかったんだって〜」
「呑気に実家で寛いでいた私を『使えない女……』なんて言ってたんじゃないの……」
「そんなこと言ってるわけねぇだろ〜」
室内へ入ると、台所にどんよりとした空気を纏った覇気のない声の女性と、そんな彼女を甲斐甲斐しく宥めるジャックの姿があった。
あまりにタイプの違う組み合わせに、メマは目を瞬かせる。
「ヌラ! 帰ってたんだな!」
勇者に名を呼ばれた女性は、包丁を持ったままハッと振り返り、勇者一行に気が付くと恥ずかしそうに頬を染めた。
「お、お久しぶりです……皆さん……」
彼女が俯くと長い黒髪が目元を隠し、どんな表情をしているのか分からなくさせる。
「ごめん、僕たちのせいで揉めているんだよね? ジャックの言った通り、僕たちが連絡もせず突然お邪魔したんだ。あまり責めないでやってくれ」
「い、いえ……そんな、揉めてるとかじゃ……」
爽やかな勇者が眩しいのか、顔を上げたヌラという暗めの女性は目を細め、少しずつ後退りする。
誰だろう、と疑問符を浮かべるメマに、身長が一番近いノートがこっそり教えてくれる。
「メマ、この人はジャックの奥さんだよ。子供好きでとっても優しい人だから、見た目で怖がらなくていいからね」
べつに怖くはないが、と言いたげな顔で頷くメマ。
この若干ジメッとした雰囲気の女性、ヌラは実家に帰っていたというジャックの妻らしい。今朝、勇者たちがメマを連れて街へ出てから、つい先ほど帰宅したようだ。
意地の悪さが顔に出た髭面の男と夫婦であるということが不思議なほど内気に見える女性なのだが、実はジャックの一目惚れなのだとノートは語る。
常に後ろ向きなわりには世話焼きで勝気な性格のヌラは、何だかんだとジャックを尻に敷いているのだとも。
「み、皆さん……我が家へようこそ……どうぞゆっくりしていってくださ……」
最後の『い』を言う前に、ヌラはようやく勇者と手を繋ぐ愛らしい存在に気が付いた。
「ほわ……な……なん……なんて……」
ヌラは小刻みに震えながら手にしていた包丁を落とす。ドスンッ! と包丁が地面に突き刺さる鈍い音が鳴ると「おっ、おい危ねーっ!!」とジャックが慌てて声を上げた。
そんなジャックの声も耳をすり抜け、メマから視線をそらさないヌラは、その見た目からは想像もできない声量で叫ぶ。
「か、かかかかかか可愛いいいいいいいい!! ててててて天使が迎えに来てしまいましたあああああ!! わたわた私、いつ死んだんですかああああああ――!?」




