第六話・逃亡
独り言を呟いた俺の背後で、人の動く気配があった。
俺の後ろの少し離れた位置から小さく声がかけられる。
「あの……」
驚いた俺は、慌ててそちらを振り返りそうになった。
いや、駄目だ。
いきなり動いたのでは、声の主を驚かせてしまうかもしれない。
俺は小さく深呼吸をすると、何でもない事かの様にゆっくりと振り返った。
声を聞いた時から分かっていた事だが、振り返るとそこには牢屋から出てきた少女達がいる。
少女達は、俺の顔を見るとヒッと小さく悲鳴を上げた。
俺が立ち上がっただけで怯えた様に一歩後ずさる。
悲しいかな、この反応は予想通り。
お互いに、しばしの間見つめ合う。
と言っても、まるでロマンチックさの欠片もないのだが、相手が怖がらない様に俺は静かに声をかけた。
「よかった。牢屋からお出になったのですね。安心しました。これなら、人里まで送って差し上げる事が出来るかもしれません」
俺が声をかけると、三人の少女に庇われていたドレス姿の少女が震えながら前に出てきた。
「アンネフローゼお嬢様?いけません!お戻りください!」
三人のうちの一人がドレスの少女に声をかけるが、彼女は震えながらもきっぱりと首を振って答えた。
「いいえ、メアリ。助けていただいた恩人に失礼はできません。ここは、私が直接お話いたします」
アンネフローゼと呼ばれたドレスの少女は、キッと決意を込めた眼差しを俺に向ける。
(いや、そんな親の仇でも見る様な厳しい目を俺に向けなくても良いだろうに……)
そんな俺の内心などお構いなしに、お嬢様は話を始める。
「どっ、どなたかは存じ上げませんが、助けていただき誠にありがとうございます。このご恩はいっそ……一生忘れません。私の名前はアンネフローゼ・インベル・ローゼンハイムと申します。それでお願いがあるのですが、私が無事にローゼンハイム伯爵家に戻れる様に街までの護衛をお願いできますでしょうか。無事にローゼンハイム伯爵家に戻った暁には、相応の謝礼をご用意いたしましょう」
お嬢様の言葉を聞いた後ろの三人は驚いた様な声を上げる。
メアリと呼ばれていた少女が、慌てた様にお嬢様の前に進み出てくる。
「アンネフローゼお嬢様!いけません!この様な悍ま……怪しい風体の輩に向けて、御尊名を名乗られるなど!さらには助けを求めるだけではなく、褒美の約束までなされるなんて!この様な輩は、何を褒美に要求するのか分かったものではございません!」
前に出てきたメアリという少女は、お嬢様のお付きの侍女なのだろう。
メアリの言葉に、お嬢様は首を振る。
「危険は承知しております。どのみち、この様な場所から無事に帰るためには致し方のない事なのです」
おいおい、本人を目の前にして言う事か?
俺は、彼女達の発言に呆れてしまう。
そんな事は知らないお嬢様は、メアリから目線を戻して真っ直ぐ俺を睨み付ける。
いや、本人に睨み付けているつもりはないのかもしれないが……。
「それで、あの……。貴方のお名前を、もう一度お伺いしてもよろしいかしら?」
昨夜会った時に名乗ったとは思うが、あの時はお嬢様本人ではなく侍女のメアリが問い掛けてきたのだったか。
まぁ、どちらでも構わないか。
名乗るくらいの事は問題ない。
「アルト・アイゼンと申します。以後、お見知りおきを……」
俺が頭を下げると、四人の口から安堵したかの様なため息が聞こえた。
顔を上げると、四人はビクッと肩を震わせる。
いい加減、その反応はどうなんだ?
「それでは、お嬢様方に問題が無ければ、早速出発いたしましょうか?」
俺は、相手の反応を気にも留めていないかのように笑顔を浮かべる。
すると、また四人はビクッと肩を震わせる。
(この顔か?この顔が駄目なのか?それとも、この顔で笑顔を浮かべるのが駄目なのか?)
俺の考えなど知らないお嬢様は、震えながらも頷いていた。
「えっ?えぇ、問題はありません。お願い致します」
お嬢様に頷き返した俺は、周囲を見渡して広間にある雑多な道具類とたっぷりと水が入った大きな水瓶を三つと空の水瓶を二つ、『アイテムボックス』に収納する。
後ろから驚く様な声が聞こえるが、別に問題はない。
荷物を収納した俺は、洞窟の出口へ向けて歩き始めた。
俺の後ろから、少し距離を開けて四人の少女達が追いかけてくる。
洞窟の外に出ると、既に日は天高く昇っていた。
よく晴れた空、燦燦と輝く太陽の光が、薄暗い洞窟の中になれた目には眩しいくらいだ。
目を細めて眩しさをしばらく我慢していると、徐々に目が日光に慣れてくる。
周囲を見渡すと、辺りの地面には多数の生々しい血の跡が残っている。
しかし、血が乾いたからか風に流されたのか、昨夜に感じた血の臭いは無くなっていた。
「所で、お嬢様方は、街がどちらの方向にあるかがお分かりで?」
俺は、洞窟の入口付近で立ち止まった少女達を振り返って問いかけた。
まだ距離があるな。
俺が洞窟の入り口にいるから、彼女達が入り口まで出てこれないという事か?
そう考えた俺は洞窟の入り口を離れて、目の前の広場の中心付近まで移動する。
すると、少女達は恐る恐るといった感じにそろそろと洞窟から出てきた。
「はい、アイゼン殿。街へと続く街道の途中で襲われましたので、この山を少し降りれば大きな街道に出るはずです。街道に出た後は、道なりに西へと進めば街が見えてきます。しかし、街道のどこで襲われたのか正確には分かりかねますので、街までどれ位距離があるかは分かりません」
少女達を代表する様に、侍女のメアリが口を開く。
なるほどと頷いた俺は、改めて周囲の森を見渡す。
森は深く、茂みは人の通行を妨げるかの様に旺盛に生い茂っている。
少女達を連れてこの森を抜けるのは、一苦労だろうな。
彼女達の見た目は旅をする服装ではないし、馬車移動の最中に襲われた感じか?
そうすると、移動速度は徒歩よりかは早いのだろうか。
街道の途中で襲われたと言うが、出発してからどれくらいで襲われたのだろう。
街道沿いの街と街がそれほど離れているとも考えにくいので、襲われた時間によっては出発地の街の方がここから近いかもしれない。
それなら、俺一人であれば山を下りる時間を踏まえても、それほど時間をかけずに街まで行けるだろう。
しかし、彼女達が行きたいのは目的地の方の街だ。
目的地の街までどれくらいあるか分からないが、相応に歩く事になると思っておいた方がよさそうだ。
それに、明らかに歩くのに適した風でもない彼女達の格好を考えると、むしろ山を下りた所で一晩明かすくらいの事まで考えておいても良いかもしれない。
そこまで考えた俺は、自分の考えを伝えようと少女達に振り返った。
そうして俺が少女達に話しかけようとした時だ。
突如、ゾワッとした不快な感覚を覚えた。
首筋に感じた嫌な気配に、とっさに俺はその場を飛び退る。
次の瞬間、俺のいた場所に上空から次々と矢が降り注ぐ。
(襲われた?敵か?)
俺は振り返ると警戒して周囲の森を見渡す。
もしかして、昨日の山賊の生き残りでもいたのか?
すると、洞窟と反対側の森の茂みがガサガサと揺れ動き、そこから立派な鎧を着た男を先頭にした一団が姿を現した。
おいおい、結構な数がいるじゃないか。
俺は警戒を強めた。
突然現れた一団を素早く観察する。
「うおぉぉ!」
先頭に立つ立派な鎧の男は、茂みを抜けると腰の剣を引き抜いて雄たけびを上げながらこちらに向かって一直線に走ってくる。
鎧の男の両脇には、槍を構えた十数人の男達が続いていた。
さらにその後ろには、弓を構える者が複数控えている。
鎧の男が、こちらに向かって走りながら怒鳴ってくる。
「おのれ、化け物め!アンネフローゼお嬢様のそばから離れろ!」
鎧の男は、俺との距離を一気に詰めると振りかぶった剣を迷いなく振り下ろす。
その一撃には、容赦なく相手を殺そうという殺気が込められている。
俺は、鎧の男が放った鋭い一撃を飛び退って避けた。
鎧の男は、俺とお嬢様達の間に割って入ると、こちらに剣を突き付けてくる。
そしてわずかに腰を落とし、油断なく俺を睨み付けてきた。
「アンネフローゼお嬢様、御無事でございますか?遅くなって申し訳ありません!このラインハルト、お助けに参りました!」
鎧の男が、チラリとお嬢様方の様子を窺う。
お嬢様は鎧の男の姿を認めると、パッと顔を輝かせた。
「あぁ、ラインハルト!よく来てくれました!」
お嬢様の声がどう聞こえたのか、ラインハルトと呼ばれた男は俺に向かって激しい怒りの表情を浮かべる。
まるで、目だけで人が殺せそうな勢いだ。
「よくもやってくれたなぁ!貴様ぁ!この薄汚い化け物がぁ!このラインハルトが来たからにはぁ!好き勝手にはさせんぞぉ!お嬢様に手を出そうとしたぁ!その罪は万死に値するぅ!ここでぇ!叩き切ってくれるわぁ!覚悟しろぉ!」
ラインハルトは、額に青筋を浮かべ血走った目で叫ぶ。
油断なく剣を構えるラインハルトのあまりの剣幕に、俺は距離を取って弁明しようと語り掛けた。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!何か誤解があるようだが、俺は彼女達を襲ってなんかいない!ここの山賊を退治して、彼女達を助けたんだ!」
俺の言葉を聞いたラインハルトの顔に、信じられないと言った驚愕の表情が浮かぶ。
「なっ!何だと!喋った?まさか人語を解する化け物だと言うのか!クソッ!油断のならん怪物のようだな!いいか?お前達!全員で、化け物を取り囲め!連携して、事に当たるんだ!気を抜くなよ?ここで、この化け物を始末するぞ!」
「「「はっ!」」」
ラインハルトが号令をかけると、槍を持った男達が俺の周囲を囲むように整然と動き始める。
一糸乱れぬ男達の動きには、確かな訓練の跡が見える。
こいつら全員、かなりの手練れのようだ。
さすがに、このまま取り囲まれたら不味い。
こいつらに取り囲まれたら、逃げ道をなくしてそのまま嬲り殺しコースに一直線だ。
そう考えた俺は、躊躇なく一目散に逃げだした。
襲い掛かってくる化け物の相手をするつもりで構えていたラインハルトが、一瞬驚いた表情を浮かべる。
しかし、すぐに状況を読んで指示を出した。
「あの化け物に、矢を放て!」
ラインハルト達から離れてついて来ていた弓を持った一団が、一斉に弓を構えると俺に狙いを定めて矢を放つ。
しかし、彼らが弓を引き絞り矢を放つまでの僅かな時間で、俺は森の茂みに飛び込む事に成功していた。
俺の背後の茂みに、ビュンビュンと風切り音を立てて矢が降り注ぐ。
俺は、その音に振り返る事なく森を突っ切って走り続けた。
そのまましばらく森を走り続ける。
こんな走り方をしていたら、その痕跡がありありと残るだろう。
追跡されたら、追ってこられる可能性が高い。
俺は、ある程度走って距離を取ったと判断した所で立ち止まる。
乱れた息を整えつつ、周囲の音に耳を澄ます。
しかし、追いかけてくる様な音は聞こえてこない。
状況からして、あのラインハルトとかいう男の一団は、お嬢様方を救出するために来たのだろう。
ならば、無事にお嬢様方を保護する事ができたのだ。
お嬢様方を放置して、こちらの追跡を優先するとは考えられない。
ひとまず、危機は脱したと考えても良いのだろう。
だが、俺の事を危険な化け物と考えているのならば、お嬢様方の安全を確保した上で追跡、討伐のための追手を差し向けてこないとも限らない。
俺は、もしそうなっても簡単に追跡できない様にと、今度はなるべく痕跡を残さない様に気を付けて歩き始めた。
「ここまでくれば、もう安心だろうな」
かなりの時間を歩き続けて夕闇が辺りを包み込み始めた所で、俺はその歩みを止めた。
これだけ逃げれば大分距離も稼げただろうし、後を追ってこられる心配も少ないだろう。
俺は適当な木の洞を見つけたので、今日はそこで休む事にした。
周囲から枯れ木を集めて小さな焚火を起こし、洞窟から失敬してきた大鍋を取り出す。
まだほのかに暖かい大鍋を火にかけて温める。
スープは結構な量があったので、まだ半分ほど残っている。
俺は、残ったスープと食糧庫から頂戴した黒パンで今夜の飯にする。
洞窟で水の入った水瓶を頂戴したものの、水を確保する当てがない以上、水の残りは心許無い。
今はスープの水分で何とかなるだろうが、これから先の事を考えると不安でしかなかった。
明日の内に、どこかで水源を探して追加の飲み水を確保しないと、この先まずい事になるかもしれないな。
そこまで考えて、俺は一先ずスープを平らげる。
今日は疲れた。
こんな頭じゃ、ろくな考えも出てこない。
腹も膨れたことだし、まずは休息を取ろう。
そう考えた俺は、毛布と外套を取り出して木の洞に潜り込むと眠りについた。
……
…………
………………
時は少し遡る。
背を向けて一目散に逃げだした化け物が消えた森の茂みを睨み付け、ラインハルトはしばらく警戒を緩める事はなかった。
しかし、様子を窺ってもあの化け物が戻ってくる気配は無い。
周囲にあの化け物の仲間がいる様子もなかった。
一先ずの危機が去ったと判断したラインハルトは、剣を収めると少女に向き直って片膝をついた。
「アンネフローゼお嬢様、ご無事で何よりでございます。お助けに来るのが遅くなってしまい、誠に申し訳ございませんでした」
膝をつくラインハルトに向けて、アンネフローゼお嬢様は頭を振る。
そして、穏やかな声でラインハルトに語り掛けた。
「いいえ、助かりました。ご苦労様です、ラインハルト」
「はっ!もったいなきお言葉!」
深く頭を下げたラインハルトは、立ち上がると洞窟の前の広場を見渡す。
そこにはかなりの量の血痕が残されていた。
「この血の量は、あの化け物がやったのか?死体がないという事は食ったのか?なんと悍ましい化け物だ……」
ラインハルトは化け物が消えていった西の方角に目を向ける。
「俺の剣を避けたあの身のこなし、かなり危険な化け物だな。あのまま戦っていれば、こちらにも犠牲が出ていたかもしれん。お嬢様の身の安全を確保するのが最優先とは言え、あのような化け物を見捨てておく事はできんな。西に逃げたのであれば、人里に出る可能性もある。余計な犠牲を出さないためにも、早急に討伐隊を編成すべきだな」
ラインハルトが考え込んでいると、アンネフローゼお嬢様がラインハルトに語り掛ける。
「ラインハルト、信じられない事かもしれませんが、あの方は決して悍ましい化け物などではありません。山賊に捕らわれていた私達を救い出してくださった、心優しい命の恩人なのです」
アンネフローゼお嬢様の言葉に、ラインハルトは信じられないと驚きの表情を浮かべる。
「そんな、まさか!あのような醜悪な化け物が、人助けをする事など考えられません。……はっ!おいたわしや、アンネフローゼお嬢様……。山賊に襲われた恐怖で、そのような妄言をお言いになるとは……」
痛ましく顔を歪めるラインハルトに向けて、アンネフローゼお嬢様のそばに控えていた侍女のメアリが進み出る。
「ラインハルト様、発言をお許し願います。……アンネフローゼお嬢様のお言葉は嘘ではございません。あの方はアイゼン殿と仰られ、山賊を退治して捕らわれていた私達を助けて下さったのです」
メアリの言葉に、ラインハルトは絶句する。
他の侍女にも目を向けると、彼女達も深く頷いた。
「信じられん。あのような化け物が、人真似などして人助けとは……」
すると、アンネフローゼお嬢様がラインハルトの呟きを咎める。
「ラインハルト、命の恩人の事を、そのようにいう事は許しませんよ」
アンネフローゼお嬢様の言葉に、ラインハルトは深く頭を下げて謝罪する。
その時、アンネフローゼお嬢様救出のための救助隊としてラインハルトと共に来た従者が駆け寄ってきた。
「ラインハルト様、ご報告いたします!洞窟内には、目ぼしい物も人影もありませんでした。奥の部屋に複数の血痕がありましたので、恐らく先ほどの化け物にやられたものかと思われます」
報告を受けたラインハルトは、アンネフローゼお嬢様の言葉は本当だったのかと驚きの表情を浮かべる。
すると、少し離れた所から別の従者が駆け寄ってきた。
「どうした?何かあったのか?」
ラインハルトは、駆け寄ってきた従者に声をかける。
すると、従者は敬礼して驚くべき事を口にした。
「はっ!ご報告いたします。あちらの地面に、土を掘り返した様な新しい大きな痕跡があります。そこには、墓石と思しき石も設置されております。掘り返された跡の大きさから察するに、かなりの人数を弔ったものではないかと思われます」
従者の指し示した先の場所は、確かにこんもりと土が盛り上がっている。
さらには、その前に墓標にも見える石が置いてあるのも見える。
「あれも、あの化け物がやった事だというのか?にわかにはとても信じられん」
ラインハルトが考え込むと、アンネフローゼお嬢様が心配そうに声をかけてくる。
「ラインハルト、どうかしましたか?」
ラインハルトは、頭を振って雑念を振り払うと、アンネフローゼお嬢様へと向き直る。
「いいえ、アンネフローゼお嬢様、大した事ではございません。それよりも、アンネフローゼお嬢様をご無事にお救いする事が出来て何よりです。さぁ、山を下りましょう。少し下った先に迎えの馬車も用意してあります。どうぞこちらへ……」
ラインハルトが号令をかけると、救助隊の一同はアンネフローゼお嬢様を守る様に布陣を敷く。
「アルト・アイゼン様……。どうかご無事で……」
命の恩人の去って行った西の森を振り仰いだアンネフローゼお嬢様は、ポツリと一言呟くと救助隊に先導されて歩き出す。
そうして、ラインハルトと救助隊の一同は、アンネフローゼお嬢様を無事に送り届けるべく慎重に山を下りていくのだった。




