今更ながらのチュートリアル
「怪異戦略本部」施設内の小会議室。
陸は戦闘員の来栖と二人、デスクを挟んで向かい合っている。
「……知ってはいると思うが、『怪異戦略本部』は、『怪異』への対策を担当する組織だ。本部は、ここ東京だが全国各地に支部がある。警察や自衛軍とも協力関係にあるが、『怪異』に関しては独自の権限を持っている。『怪戦』の前身は皇室に仕えていた術師集団 で、近代に入り組織は様々な変遷を辿った末、現在の形に落ち着いたということだ」
手元の冊子や書類を捲りながら、来栖は、ため息をついた。
「俺たちは生身では『怪異』に太刀打ちできないが、『術』と化学技術を融合した『呪化学』で開発した武装を使用して任務にあたっている。海外でも、似た組織を有する国は多い……君も一応『怪戦』の戦力になるということで、簡単にレクチャーしろと言われたが、俺一人に丸投げとは、参ったぜ」
「なんか、すみません」
陸は申し訳ない気持ちになって、思わず首を竦めた。
「何せ前例のないことだ。上層部も混乱気味らしい」
「あの、来栖さんは、俺のことが嫌じゃないんですか?」
陸が恐る恐る尋ねると、来栖は僅かに首を傾げた。
「そりゃ、初めて君が暴れ回るところを見た時は、驚いたし怖いと思ったさ。だが、その気になれば逃げられたのに、君たちは我々を援護しに来てくれた。それだけでも信用に値すると、俺は思っているよ」
言って、来栖は榛色の目で、まっすぐに陸を見た。
信用に値する――今の陸には、最も心に沁みる言葉だ。
「あ、ありがとうございます……」
「俺も、君に銃弾を何発も撃ち込んだし、任務だったとはいえ申し訳なかったな」
両目を潤ませている陸を見ながら、来栖が苦笑いした。
「ふむ、来栖と言ったか。貴様、人間にしては、なかなか見どころのある奴である」
突然、どこからともなく響いた若い男の声に、陸は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。
「何者だ?!」
立ち上がった来栖が、身構えながら周囲を見回している。
「落ち着くがよい。我である」
その口調から、今喋っているのが「ヤクモ」であると、陸は気付いた。
「『ヤクモ』……? 君、自分の声が出せたのか」
「うむ。音声というのは空気の振動であると気付いて、色々とやってみたらできたのである」
「これなら、一人漫才状態じゃなくなるな。助かったよ、ヤクモ」
状況を把握したのか、来栖も椅子に座り直した。
「なるほど、これなら、我々も『ヤクモ』と直接コンタクトが取れる訳だな」
「常に、陸を介して話すのは手間がかかるからの」
来栖の言葉に、ヤクモが、はははと笑い声をあげた。
と、誰かが部屋の扉を叩く音がした。
来栖が、どうぞと答えると、術師の花蜜桜桃が小会議室に入ってきた。
「遅くなって、すみません」
軽く頭を下げながら、桜桃は、来栖の隣の空いている椅子に腰掛けた。
「いや、『術師』は数が少ないから忙しいだろう。では、『術師』関連の話は花蜜さんに任せるか」
来栖が、柔らかく微笑みながら言った。
「あの……俺と『ヤクモ』は、花蜜さんの『使い魔』……なんですよね? 『使い魔』って、どんなことをするんですか」
陸は、桜桃の顔を見ながら尋ねた。
「『怪戦』における『使い魔』は、安全性が認められ、術師によって使役される『怪異』を指します。風早さんとヤクモは、その能力から、有害な『怪異』の討伐に参加してもらうのが主な任務になります。とはいえ、あなたたちの場合は、あくまで手続き上のことですから、私が『主人』という訳ではないと思っていただいて大丈夫ですよ」
桜桃が、陸の目を優しく見返した。
「そうだ、私の『使い魔』も紹介しておきますね」
そう言った彼女の掌の上に、ハムスターを思わせる真っ白な毛玉が、虚空から這い出るように出現した。
よく見ると、毛玉には尖った二つの耳と、ふさふさした尻尾が生えている。
「何です、これ……ちっちゃい狐?」
陸が凝視すると、毛玉も、その青いビーズのような目で、彼を見つめてきた。
「私が子供の頃から一緒にいる『コンちゃん』です。妖狐の一種と言われていますね。普段は隠れていますが、人の言葉を覚えてレコーダーのように再生できるので、誰かに連絡したい時などに手伝ってもらいます」
桜桃が説明している間に、「コンちゃん」は陸の肩へ、ちょこんと飛び乗ってきた。
「うひゃ?!」
ふわふわと顏の周りを飛び回り、匂いを嗅いでくる「コンちゃん」の柔らかな毛の感触に、陸は思わず声を上げた。
「あら、この子は自分から他の人に近付くことなんて滅多にないんですけど……風早さんのこと、気に入ったんでしょうね」
「こんな可愛い『怪異』もいるんですね」
自分の掌の上で丸くなった「コンちゃん」を眺めながら、陸は微笑んだ。
「だが、万一、風早くんが何か仕出かしたなら、『形式上の主人』であっても花蜜さんが責任を問われることになるんだろう?」
来栖が、陸と桜桃を交互に眺めながら言った。
「そ、それは、そんなことにならないように気を付けます! ヤクモもだぞ」
「分かっておるわ。その娘にも、恩があるようだからな」
陸の言葉に返事をするヤクモの声を聞いて、桜桃が目を丸くした。
「あら、ヤクモも声を出せるようになったんですね」
「然り。其方とも、こうして普通に話せるのである」
ヤクモの得意気な話しぶりに、陸は、思わずくすりと笑った。
「では、私たち『術師』について説明しますね」
桜桃が、居住まいを正した。
「風早さんが『術師』についてご存知のことって、ありますか?」
「そうですね……」
陸は首を捻った。
「生まれつき『霊力』……って言うんですか? 普通とは違う『力』を持っていて、色々な『術』を使って『怪異』と戦える人たちということくらいですかね」
「概ね、その通りです。昔は、術師の技術は血族間で継承されるのが殆どでした。しかし、近年になって、素質のある人を民間から募集して術師として教育する学校も作られています。民間で活動されている『術師』もいますが、私のように『怪戦』に所属している『術師』は、来栖さんたちと同じく、国家公務員として扱われます」
「花蜜さんは、この若さで『乙級』の術師だ。これは、凄いことなんだぞ」
来栖が口を挟んだ。
「きのと級? 術師にもランクみたいなのがあるんですね」
陸が言うと、その通りとばかりに桜桃は頷いた。彼女は、デスクの上に転がっていたボールペンを手に取ると、メモ用紙に綺麗な字で「甲乙丙丁戊」と書きつけた。
「上から『甲・乙・丙・丁・戊』の五つの階級があります。『怪戦』の術師採用試験に合格すると、全員が『戊級』になります。以後は、個々人の技量や実績などによって階級が上がっていきます。言いにくいので『甲・乙・丙・丁・戊』と呼ぶ方もいますけど、どちらでも分かるので問題ありません」
「もっとも、術師の大半は『丁級』で、『丙級』以上と言うと、ぐっと数が減るんだ」
桜桃と来栖の説明を受けて、陸は色々な事柄に納得した。
「花蜜さん、冷泉さんにも普通に意見してたけど、上から二番目の『乙級』だったからなんですね」
「俺は一尉だからな。冷泉三佐には、おっかなくて意見なんかできないって訳さ」
言って、来栖は肩を竦めた。
「俺や花蜜さんは、君とヤクモが悪い奴ではないと分かっているが、『怪戦』には、冷泉三佐のように『怪異』全てを敵視している人も少なくない。嫌な思いをすることもあるだろうが、何かあれば俺に相談してくれていいぞ」
「私も、もちろん、できる限り力になりますから!」
「ありがとうございます……俺も、頑張ります」
二人の言葉に、陸は胸の中が暖かくなるのを感じた。