宿りし者
「まり……冷泉さん、私、気が付いたんですけど」
はっとした表情で両手を小さく打ち合わせると、桜桃が言った。
「暴れ回っていた時の風早さんの目は赤く光っていたけど、今は黒くなっています。寄生している『怪異』が主導権を握っている時に、目が赤くなるのでは?」
「なるほど、言われてみれば……」
言って、陸の顔をまじまじと見た真理奈の口元が、ぎょっとしたかのように引きつった。
桜桃や、傍に控えていた戦闘員や職員たちの顏からも血の気が引いている。
「目が……赤くなってる……」
戦闘員の一人が、掠れた声で言った。
「……無礼な。我を誰だと思っておる」
陸も、自身の口から、意思とは関係なく言葉が出ているのに気付いた。
「我は……むう、分からぬ。我は、何者なのだ」
自分の身体が勝手に首を傾げている様を、陸は体内から奇妙な気分で眺めた。
「あなたは、風早さんではないのですか?」
いち早く反応したのは、桜桃だった。
「……この小僧は、我の器に過ぎぬ。今の我は、肉の身体を失いし魂のみの存在……この器に縋らねば消ぬ……あな息衝かし」
「風早さんの身体の中で、回復を待っているということですか?」
「然り。この器の寿命が尽きる頃には、力を取り戻せるであろう」
「お前は、何を企んでいるのです? どうせ、人に寄生して、我々に害をなすつもりでしょう?」
我に返った様子の真理奈が問いかけた。
「否、我の望みは、力を取り戻すまで、この器の中で憩うことのみ……抵抗したのは、貴様らが襲いかかってきたゆえだ。それと、我が離れれば、この器は死ぬ……こやつが生きているのは、我が生命を維持する働きをしているゆえなのだからな」
薄々感じていたことが決定事項になってしまった――やはり、自分は一度死んでいたのだと、陸は、もはや感情が整理できなくなっていた。
「――我は疲れた。あとは、この小僧に任せて寝るのである」
「怪異」が言うと同時に、陸は身体の主導権が戻るのを感じた。
「……目の色が、黒に戻りましたね。あなたは、風早さんですか?」
陸の顔を覗き込んで、桜桃が言った。
「は、はい……さっきの話だと、俺、もう『人間』には戻れないってことですよね……」
彼は、俯いて目を伏せた。
「『怪異』が表に出ている時も、意識はあったのですね。なるほど、たしかに興味深くはあります」
真理奈が、顎に手を当てながら呟いた。
「あの『怪異』が、わざわざ出てきたということが、彼に害意の無い証拠だと思います。私たちを陥れるつもりであれば、ずっと人間のフリをする筈でしょう?」
桜桃が、同意を求めるように陸へ目を向けた。
「分かっています。コードネーム『ヤクモ』については、上層部から精査しろと指示が出ている以上、『処理』は保留です。私としては不本意ですが」
真理奈が、肩を竦めて言った。
「風早陸、あなたには、これから私の管理下において『怪異戦略本部』の施設内で過ごしてもらうことになります。厳しい行動制限と、職員による監視が付きますが、それでも、これは相当に寛大な措置と考えてください。細かいことは、追って伝えます」
その身に起きたことを完全には飲み込めず、ぼんやりと真理奈の言葉を聞いていた陸だったが、ふと彼は、一つの気掛かりを思い出した。
「一つ、聞いていいですか」
真理奈の、眼鏡の奥にある冷たい灰青色の目を見ながら、陸は問いかけた。
「何でしょうか」
「あの事故が起きた時、俺と一緒に、小学生くらいの男の子がいたと思うんだけど……その子は、どうなったんですか? 怪我をしていたみたいだったから……」
陸の質問が思わぬものだったのか、彼女は、やや虚を突かれた様子だった。
「……その子なら、奇跡的に軽傷で済んだそうです」
「なら、良かった」
真理奈の言葉を聞いて、陸は、安堵のため息をついた。