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【ローファンタジー】 『ありふれた怪異、街の名物』

忘れ髪

作者: 小雨川蛙

 

 天と地。

 見上げれば空であるかさえも分からぬほど白いものが広がり、見下ろせば闇であることさえ疑うほどの黒が広がる。

 けれど、存在しているのは四畳にも満たない狭い空間だけ。

 まるで紙の上に描かれた正方形のように、私はそこに閉じ込められていた。

 退屈だった。

 息苦しかった。

 それでも、私には役目があった。

「恐ろしゅうございます」

 空間のほとんどを支配している人でないモノが思い出したように呟く。

「恐ろしゅうございます」

 まるで母が子を求めるかのような儚さで言葉を繰り返す。

「ご安心くださいませ」

 私はそう答える。

「わたくしがここにおります」

 すると、それは落ち着きを取り戻し静かになる。

 呼吸がすぅすぅと繰り返されていくのを聞きながら私は正座したままそれを見つめていた。

 永く生き続けていたそれは、今、永遠の眠りにつこうとしていた。

 私の役目はそれを見届けること。

 ただそれだけだった。

 長く守られ続けて来た一族の末裔として。

 最後の契りとして。

「恐ろしゅうございます」

 安らかな寝息が乱れ再び悲痛な泣き声がした。

「ご安心くださいませ。わたくしがここにおります」

 声を聞き、それは再び穏やかな眠りにつく。

 その繰り返しだった。

 退屈だった。

 あまりにも。

 ・

 ・

 ・

 遥か昔。

 戦に敗れた一族の娘が必死に逃げていたその先で恐ろしい鬼と出会った。

 血で染められたかのような肌に、人間の倍はありそうな体躯。

「何から逃げておる」

 鬼が問う。

 本来ならば悲鳴をあげて逃げなければならない瞬間にありながら、娘は半ば自棄になりながら鬼へ答えた。

「人間から逃げています。けれど、それもおしまい」

「何故だ?」

「あなたに食べられるから」

 鬼は大笑いをして答えた。

「お前のような骨と皮ばかりの人間など喰っても腹も満たぬだろう」

 娘は安堵したが、それも束の間、結局のところ自分の状況が何一つ変わっていないことに気づき、堪えきれず泣き始めた。

「何故、泣く」

 鬼の問いに娘は答えた。

「あなたに喰われずとも、私は殺されて死ぬからです」

「お前を追っている人間にか」

「はい。私は死ぬのが恐ろしいのです」

 そう聞いた鬼は黙り込むと娘が逃げて来た方を見つめた。

 鬼の眼は人間のそれよりも遥かに鋭く、遠方を見るのに優れている。

 故に、娘を探している者達が駆けてくるのもはっきりと見えた。

「恐ろしいのか、死ぬのが」

 鬼の問いに娘は頷いた。

「ならば、儂と取引をしないか」

「取引?」

「あぁ、互いにとり価値のある取引だ」

 ・

 ・

 ・

「恐ろしゅうございます」

「ご安心くださいませ。わたくしがここにおります」

 しかし、それは安堵しないままに声を繰り返していた。

「恐ろしゅうございます。恐ろしゅうございます。独りは、独りは恐ろしゅうございます」

 直後、私は悟る。

 終わるのだと。

 先ほどまで渦巻いていた想いはどこへやら。

 私は体を起こすと自分よりも遥かに巨大で、そして力を持つそれの体にしがみ付くようにして抱きしめた。

「ご安心くださいませ! あなたは独りではございません!」

 自分の内にどこにあったのかも分からない声をあげながら私はそれに必死に伝えた。

「独りではございません! 私はここにいます!」

 しかし。

「恐ろしゅうございます。闇が。死が。独りが……」

 丸まった背を震わせながら、鬼はさめざめと泣いていた。

 まるで幼い子供が寂しくて泣き出すように。

 何をすれば良いのか分からなかった。

 故に鬼の背を、私のあまりにも頼りない小さな手のひらで何度も優しく摩った。

「独りではございません。あなたは独りではありません」

 何度も何度もそう伝えた。

「恐ろしゅうございます」

 果たして。

 声は聞こえたのだろうか。

 答えが出ないまま鬼の体が動かなくなり、そして声もまた消えていた。

 私は否応なく悟った。

 終わったのだ。

 鬼の体が段々と塵と化していき、それと同時に空間が崩壊していく。

 少しだけ怖かった。

 けれど、何が起こるかを私は知っていた。


 やがて、私は寂れた社に独りきりで立っていた。

 鬼と一族が結んだ契約が終わったのだ。

 そう悟った私は、ふと自分の手が握られていることに気づく。

 そっと、拳を開いてみると束ねられた髪の毛が握られていた。

 理解する。

 これはきっと、あの鬼が死ぬ間際まで持っていたものだと。

 直感する。

 これはきっと、鬼と契約した一族の内、初代のものであると。

 故に私は少しの間、髪の毛をじっと見つめていた。

 ・

 ・

 ・

 娘は呆然と鬼の所業を見ていた。

 あんなにも恐ろしくて仕方なかった人間共を鬼はあっさりと皆殺しにしていた。

 だからこそ、娘は乾いた笑いを漏らしていた。

「あなたはそんなにも強いのに死が恐ろしいのですか?」

 当然の問いだった。

 少なくとも娘の目を通して見た鬼はあまりにも強く、その強さは半ば不死を保証するものにさえも思えたからだ。

「当たり前だ。何者であっても死は恐ろしいものだ」

 鬼はそういうと返り血を浴びながらもほとんど変わらない顔色のまま言った。

「むしろ強き者にとってこそ死の恐怖は厄介なものだ。何せ、自分の持つあらゆる強さが通じぬのだから」

 その言葉を聞いた娘はまだ微かに残る恐怖に怯えながらも、血に塗れた鬼へと片手を差し出した。

「私には理解出来ません」

「分からぬか。長く生きた故に周りに誰もおらず、長く生きた故に記憶も曖昧で、そして微かな記憶を頼り赤子のように惨めに母に縋る」

「あなたのお母様にですか?」

 鬼は首を振り答えた。

「いや。儂はもう。自分の母の顔さえ忘れた」

 受け取った答えを解せずにいる娘の手を壊れぬよう細心の注意を払いながら、鬼は優しく包み返す。

「理解など出来なくとも構わん。約束を果たしてくれるならば」

「もちろんです。その頃に私が生きておらずとも、私の末裔が必ずや」

「ならば星の数ほど子を産め。お前たちは弱いのだから」

 カカカと笑う鬼と共に娘は静かに歩き出した。

 ・

 ・

 ・

 手の平に残る、髪の毛から記憶が私の中に駆け巡っているようにさえ思えた。

 あの鬼と私達の一族がした契約。

 それは鬼が死する時、決して独りにしないこと。

 この契約を鬼と初代がどの程度、本気にしていたのか私には分からない。

 きっと。

 いや、間違いなく。

 鬼からすれば戯れに近いものにあったに違いない。

 けれど、初代は真剣だった。

 だからこそ、今日、私は鬼を看取ることが出来たのだ。

 しかし。

「ごめんね」

 私は髪の毛を社の前にそっと置いて呟いた。

「うまく出来たか分かんないや」

 それが鬼に対して言ったものか、それとも初代に対して言ったものか。

 私自身にも分からなかった。

 微かに漂う風が初代の髪の毛を静かにどこかへ運んでいく。

 鬼が息絶える直前になるまで、窮屈さや退屈さを感じていた自分を憎むことも蔑むことも出来るがそれに意義は存在しない。

 つまり、もう自分に出来ることは何もないのだ。

 踵を返して社を後にする。

 ここは草茂る社。

 直にこの場所を知る者はいなくなるだろう。


 鬼が居たことも。

 娘が居たことも。

 そして、二人が交わした契約についても。


 浮かぶ微かな気持ちさえも社に置き去り、私は自らの生きる世界へと還っていった。

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