表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/11

……リアナ様のために戦います。リアナ様の災いを断ちます。

「……伯爵、結婚の申し出、喜んでお受けします」


 ナターシャがノエルの手からリングをとった。


「わたし寒さに強いのです。あなたとウィンターゴスのオーロラをみるのが楽しみです」


「うれじい、うれじい」


 前歯が抜けている歯を見せてノエルが笑う。


 貴族たちは物珍しいカップルの誕生に忍び笑いをしている。

 こらえきれず顔を赤くして、腹を抱えて笑い声をあげる者もいる。


(……もうひきあげよう)


 リアナはノエルの魔法の効力が切れるのではないかと心配になっていた。


 ノエルは額に汗を浮かべ、口を開き喘ぐように息をしている。

 体力を消耗しているようだった。


(何百人の前でノエルが元の姿に戻り、魔導士だと知られたら、ナターシャとジェラミーの破局より事件になる)


 リアナはノエルに近づき、かれの肩にふれた。


(ナターシャを夢から覚まして)


 ノエルはリアナに目配せし、口の中で呪文を唱える。


 すると、頬を赤らめていたナターシャの顔色が一変する。

 悪夢から覚めたようにたちまち青ざめる。


「……お父様、わたしは今までなにをいっていましたか?」


 ナターシャは口をぱくぱく動かし、デミトリにきいた。


「この男と結婚すると……」


 デミトリは戸惑った様子でノエルを指す。


「どうしただ? わたしの花嫁さん」


 ノエルは離れていくナターシャに歩みよる。


「……わたしがあなたの妻になるわけないでしょう。ありえない。あなたがプリンスでも結婚なんてしない」


「ナダーシャ様はうれしそうにいっただ。わしと結婚するって。わしに一目惚れしたって」


「その醜い口を閉じなさい! 吐き気がする!」


 ナターシャはノエルを怒鳴りつけ、リングを投げつけた。

 だが、リングはノエルの耳の横に飛んでいく。


「この男を宮殿から追いだして!」


 ナターシャの言葉に従う者はいなかった。

 貴族たちの顔から笑みがなくなっている。

 気味悪そうにナターシャを見ている。


「……みなさん、これは戯れです。宴の余興です」


 ナターシャは慌てて貴族たちに呼びかけた。


「この男をからかったのです。ワインを飲みすぎてしまいました。わたし、ふざけていました」


「……ナターシャ、戯れがすぎるぞ。悪酔いしたのだな。ジェラミーはおまえの冗談を真にうけてしまったではないか」


 デミトリが困惑したままいった。


「ナダーシャ様はまじめだった。酒も飲んでなかっだ」


 ノエルは太い首を振り、顎を震わせる。


「愚か者! 勘違いしないで。わたしはあなたが嫌い。死ぬほど嫌い!」


 ナターシャは悲鳴をあげるように叫ぶ。


「……レディ・ナターシャはおかしい」


「……魔物に憑かれているのではないか」


「……魔物がレディ・ナターシャをあやつり、ジェラミーに恥をかかせたのだ」


 リアナの近くにいる貴族たちが囁きあう。


 ナターシャへの疑いはたちまち広がっていった。


 貴族たちがざわめきだす。

 不安そうな顔で広間からでていく者がではじめる。

 怯えた顔のナターシャの取り巻きたちはナターシャから離れていく。


(ナターシャは社交界での居場所を失った)


 リアナはうろたえているナターシャを見て思った。


「リアナ! あなたのせいよ!」


 ナターシャがリアナに顔がくっつきそうなほど詰めよった。


「あなたが晩餐会にわけのわからない男を連れてきたせい! その醜い男がいなければわたしはジェラミーと結ばれていた!」


 リアナとノエルに憎しみの目をむける。


「ジェラミーのブレスレットを腕にはめていた! みなの祝福を素直にうけていた!」


 リアナの頬を唇が切れるほどつよく平手打ちする。


「……ナターシャ様、ありがとうございます」


 リアナは息を乱し、血走った目を見開き興奮しているナターシャに落ち着いた声をかけた。

 目的を果たし満足していたリアナは怒りがわかなかった。


 ナターシャは怪訝な顔になる。


「あなたのおかげでわたしはジェラミーと結婚をせずにすみました。あなたはわたしからジェラミーを奪いました。そのおかげで、わたしはあの男の道具にならずにすみました」


 リアナはナターシャを見据える。


「ナターシャ様も幸運です。ジェラミーと結婚をしなくてすんだんですから。ジェラミーはあなたをふしだらな雌犬と罵りました。あれがあの男の本性です」


 ジェラミーにいわれたことを思いだしたのか、ナターシャが傷ついた表情になった。


「それから、大丈夫ですよ。今、この広間にいるひとたちが、ナターシャ様が魔物に憑かれているといっているようですけど」


 リアナは自分とナターシャを取り囲む貴族たちを見まわした。


「ナターシャ様が魔物に憑かれてジェラミーとの婚約を破棄したと思っているようです。それでも、家柄が立派なお父様がナターシャ様を守ってくれるでしょう」


「……皮肉なの……嫌な女!」


 ナターシャがリアナに怒鳴った。

 だが、ナターシャの顔は蒼白になってる。

 こわばった表情の貴族たちの視線に気づいているようだった。


「……どうして、どうして、どうして、こんなことに……」


 ナターシャの大きな目から涙が流れる。

 引きつけをおこしたように全身を震わせ泣きはじめる。


(ナターシャ、あなたは殺人の罰を受けてるの)


「……ナターシャ、帰ろう」


 悲痛な顔の父親のデミトリがナターシャの手をとった。


 ナターシャはデミトリに連れられ、足をもつれさせながら広間から出ていった。


 それが、リアナが見たナターシャの最後の姿だった。


 この日からナターシャは屋敷に引きこもるようになった。

 社交の場に出ることはなくなった。

 朝食からワイン、エールを飲むようになった。


「宰相の娘は魔物に憑かれてる」


「魔物に憑かれ、晩餐会で錯乱した」


 ナターシャの噂は貴族たちの間で事実となった。


 ナターシャは父親に止められても酒を飲みつづけた。

 世間の声から逃げるように酒の量は増えていった。


 そして、ナターシャは屋敷の敷地からでることもくなった。

 宝石を身につけることもなくなった。




「……レディ・リアナ。わし悲しい。帰りたい」


 ナターシャがいなくなるとノエルがリアナに声をかけた。


(……ノエルはほんとうによくやってくれた)


 リアナはノエルを連れ、ひと気のない場所に移りたかった。

 ノエルをはやく元の姿に戻してやりたかった。


 だが、リアナは広間の扉に向けた足を止めた。

 

 そこに、ジェラミーが現れた。

 顔からは怒りがなくなっている。

 氷のように冷たい表情になっている。


(……なにをするつもり?)


 リアナはジェラミーが冷静さを取り戻していることがおそろしくなった。


「貴様に決闘を申し込む」


 ジェラミーはノエルにまっすぐ歩み寄り、冷たい声でいった。

 金のマントを外している。

 両手にそれぞれ鞘に収まった剣を持っている。

 剣の柄には大鷲と太陽のスプリグホルムの紋章がある。

 城の剣をもってきたのだろう。


「ジェラミー・ランドルは婚約者を奪われ、物笑いの種にされて黙っている男ではない」


「……わし、剣術はだめだ。木剣をもった子供にも勝てないだ……」


 ノエルが呆けた顔のままいった。


「貴様に拒否権はない。侮辱を受けた代償は、貴様の命でつぐなわせる」


 ジェラミーがノエルに剣を差しだす。


「……伯爵はウィンターゴスからきた客人です。決闘などすればスプリングホルムとウィンターゴスが大事になります」


 リアナは非難するようにいった。


「ジェラミー、わたしが決闘を許可する」


 広間に戻ってきたデミトリがジェラミーの背後からいった。


「この男は娘を誘惑した。スプリングホルムの祝祭日を最悪の日にした。この男を黙って帰せば、国の威信にかかわる」


「……宮殿で血を流すことは許されません」


 リアナは助けを求めるように広間に残った貴族たちを見た。


 だが、決闘騒ぎに貴族たちは好奇の目をむけている。

 ワインに酔った男性貴族は剣術の大会を見物するように興奮をしている。


「ロッド国王は侮辱をうけたままにされる戦士を好まぬ。国王もご理解くださるだろう」


デミトリが断言した。


「……わし、ナダーシャ様に嫌われだた。ナダーシャ様とは結婚しないだ……」


 ジェラミーはノエルの言葉を無視して、ノエルの前の床に剣を放った。


 ノエルが剣をとるのを待たずに、鞘から剣を抜く。


「伯爵、こんな野蛮な決闘を受けることはありません」


 リアナはノエルの腕を掴み、ジェラミーから引き離そうとした。


 だが、ノエルは床の剣を手に取る。


「……リアナ様のために戦います。リアナ様の災いを断ちます」


 ノエルは木の杖をリアナに渡しながら、耳元で告げた。


 リアナはヘイランの森でノエルがいったことを思いだす。


「わたしはリアナ様のためなら死ねます」


(……無謀)


 リアナはノエルの愚直さにいらだちを感じた。


 ノエルが鞘から剣を抜く。


(……ノエルは勝てない……)


 リアナは両手で剣を持ったノエルを見て、血の気が引いた。

 絶望的な気持ちになる。


 ノエルは腰が引け、剣の重みで剣先がふらついている。


 ジェラミーは表情を変えず軽々と自分の身体の一部であるように剣をかまえる。


(……ジェラミーは魔人王を倒してしていないかもしれない。けれど、この男は本物の戦士なのだ)


 ジェラミーの力みのない流れるような動作を見て、リアナにもジェラミーが剣の扱いになれているのがわかった。


(ノエルを戦わせてはいけない……)


 だが、ジェラミーはリアナに考える間をあたえず、剣をすばやく振りおろす。


 鋼がぶつかる音が広間に響く。

 ジェラミーがノエルの手から剣を叩き落とした。


 そして、剣の先端をノエルの胸元に突きつける。


 ノエルはへたり込み、動けなくなる。

 呆然とジェラミーを見あげる。


 ジェラミーの早わざに男性貴族から感嘆の声があがる。

 デミトリは満足そうな笑みを浮かべていた。


「ジェラミー! 勝負はついた。伯爵の命まで奪うことはないでしょう!」


 いてもたってもいられずリアナはノエルとジェラミーの間に割ってはいろうとした。


(……ノエルが命を落とすようなことがあれば、悔やみきれない)


「剣術の稽古じゃないんだ! これは決闘だ!」


 酒に酔い、赤い顔の若い男性貴族がリアナの腕をつかみ、怒鳴った。


「男の戦いに女が口をだすな!」


 リアナはふりほどこうとするが、男は痛みを感じるほど手に力をこめる。


「伯爵!」


 リアナはとっさに木の杖をノエルにむかって投げた。


 ノエルが魔法をつかい、窮地を逃れることを願った。


 ノエルは床に尻をついたまま側の杖を手にとった。


「道化! いい武器を手にいれたな!」


「そいつでジェラミーを切ってみろ!」


「ジェラミー、気をつけろ!」


 貴族たちは杖を身体の前にかまえるノエルを囃したて、馬鹿笑いをする。


 ジェラミーは唇の端をつりあげ、剣先をノエルの胸元から喉にむける。


(だめだ。ノエルには魔法を使う力が残っていない……)


 息が荒いノエルの顔から汗が流れ落ちている。

 木の杖を手にするのもやっとのようだった。


 ジャラミーがノエルの喉を突き刺そうとする。


 リアナは自分の首が刺されたように息が止まりそうになる。


 ジェラミーの剣先が動く。


 その瞬間、リアナはノエルが小声で呪文をつぶやくのを見た。


(ノエルが魔法をつかう……)


 リアナは呼吸をとりもどす。


 杖の持ち手がノエルの掌の中で、一瞬薄く光る。


 そして、ジェラミーの豊かな金髪の頭頂部に火がついた。


 ジェラミーの剣が宙で止まる。


 時間が止まったようだった。


 奇妙な出来事に貴族たちは口をあんぐり開ける。


 ジェラミーは自分になにが起こっているかわかっていないようだった。

 ノエルから視線を外し、髪についた火に手をやる。

 そして、炎の熱さに顔を歪める。


 ノエルがもう一度、口の中で呪文をつぶやいた。


 今度はジェラミーの顔が炎に包まれる。


 ジェラミーは剣を落とし、絶叫する。

 床に倒れ、溺れたように長い手足をばたつかせる。

 顔が炎に焼かれたまま床を転げまわる。


 女性貴族たちが悲鳴をあげる。


 貴族たちが混乱している間に、炎はジェラミーの金のチュニックに燃えうつる。

 煙の柱がたちのぼる。


 リアナは魔法の威力におどろきながら、床に座ったままのノエルに近づいた。

 肌に炎の熱を感じながらノエルの手をとり、立ちあがらせる。


 ノエルは叫びつづけているジェラミーを呆然と見ている。

 自分がしたことが信じられないようだった。


「火を消せ!」


 男性貴族のひとりが、自分のマントをジェラミーにかぶせた。


 貴族たちは一斉に動き、ゴブレットに入ったジュース、ハーブティーを次々にマントの上にかけていく。


 炎が消えたとき、上半身を濡れたマントで覆われたジェラミーはぴくりとも動かなくなっていた。


 ジェラミーの取り巻きがおそるおそるジェラミーの顔から焼け焦げたマントを取った。

 ジェラミーの姿を確認した取り巻きは、顔をしかめ腕で鼻を覆う。


 人の肉が焼けた臭いが鼻を刺す。

 リアナも鼻を手で覆い、煙にせき込みながら、思わず顔をそむけた。


(無残……)


 ジェラミーの美しい顔が消えていた。

 ガイコツに腐った肉をつけたようになっていた。

 輝いていた金髪は焼けてなくなっている。

 頭の先から首までの皮膚全体が、赤黒く焼けただれている。

 頬と鼻の骨が露出していてる。

 両目が眼窩から飛びだしたようにむきだしになっている。


 仰向けになったジェラミーは息をしてないようだった。

 死んでいるのか意識を失っているのかわからない。


(……ジェラミー、あなたも報いを受けた)


 リアナは自分の残酷さが嫌になりながら、同情心も罪悪感もわかなかった。


「魔人王だ! 魔人王の仕業だ! 魔人王は生きている!」


 突然、あちらこちらから貴族たちの恐怖の声があがった。


「魔人王が魔物をつかって、ジェラミーを焼き殺したんだ!」


「宮殿に魔物がいる!」


 そして、大広間にいる百人以上の貴族たちが、太陽の彫刻が施された扉にむかって殺到した。

 見苦しく押しあいへしあい我さきに逃げようとする。

 転倒する者たちもいる。

 悲鳴、怒声がとびかう。


(……ノエルが魔法をつかったことに気づいたものはいない)


 血相を変えてドアに群がる貴族たちを見ながらリアナはほっとする。


(みんな、死に至る伝染病のように魔物の存在を怖れている。もし、ノエルが魔導士だとしられたら、ノエルとわたしはこの場でかれらに殺されるだろう)


 晩餐会など行われていなかったのようにあっという間に貴族たちはいなくなった。


 床に倒れている勇者ジェラミーを気にかける者はいなかった。


 リアナはジェラミーの身体がかすかに動いた気がした。

 だが、ジェラミーの生死を確認する気がおきなかった。


(ジェラミーはおわった。宰相を怒らせ、スプリングホルムの政治の世界での影響力を失った。人々は魔人王が生きている思っている。魔人王討伐の勇者という称号も失った)



 翌朝、宮廷医師の手当てを受けたジェラミーは意識を取り戻した。

 だが、それはジェラミーにとって幸運なことではなかった。


 歩行できるまで身体が回復するとジェラミーは裁判にかけられた。

 魔人王を討伐したと虚言を吐き、ロッド国王と人民を騙したとして。

 裁判でジェラミーの主張を信じる者はいなかった。


 判決に不服なジェラミーは評議会の席で暴れたところを兵士たちに手枷と足枷をかけられ、デミロックの牢獄に送られた。


 衛兵たちが駆けてやってくる足音がきこえる。

 リアナはふらついているノエルの腕を支えた。

 そして、衛兵たちにノエルが怪しまれないことを願い、ノエルと腕を組み広間から出ていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ