……わたしの心はリアナ様にあります。
踊りの時間がおわり、楽士たちがひきあげると、宮殿の使用人がハンドベルを鳴らす。
そして、晩餐会の出席たちの注目が集まるとジェラミーとナターシャの婚約が知らされた。
リアナが待っていたときだった。
「今宵、皆様にお伝えしたいことがあります。偉大なるスプリングホルムにとって喜ばしい知らせです」
ナターシャの父親、宰相デミトリ・フェルナンがよく通る声で貴族たちに呼びかけた。
リアナとノエルはデミトリを囲む多くの貴族たちの間を縫って前にでた。
貴族たちはふたりを気味悪がり、道を空けた。
デミトリの隣にジェラミーとナターシャが並んで立っている。
鳥と盾の紋章を縫ったダブレッドを着たデミトリは娘のナターシャより背が低い。
底をあげたブーツを履いていると噂されていた。
「われらが土地は冬を迎えました。しかし、魔人王討伐の勇者、ジェラミー殿は春を迎えます。われらが勇者は妻をめとります」
デミトリが告げると大広間に耳が痛くなるようなおおきな拍手がおきた。
ジェラミーは人々の歓声に並びのいい歯をみせ、微笑みで応える。
「そして、幸運な花嫁は我が娘、ナターシャ・フェルナンです」
デミトリがジェラミーの婚約者を紹介すると貴族たちはふたたび一斉に手を叩く。
大広間に残っていた楽士たちがトランペットでファンファーレを鳴らす。
晴れ舞台であるはずが、ナターシャは寂しげに微笑んでいた。
(……大丈夫、ナターシャ。あなたは望まない結婚をすることはない)
リアナは手を叩きながら心の内でナターシャに呼びかけた。
「ジェラミー殿、これはロッド国王からの贈り物です」
デミトリが手にもつ証書をジェラミーに渡そうとする。
「世界の王、ロッド国王はジェラミー殿にサラ地方に領地をお与えになられた」
デミトリが王の威光を示すように貴族たち見回した。
「身にあまる光栄です」
ジェラミーは一礼し、うやうやしく王からの証書を受けとった。
(……ジェラミー、あなたはその領地に城館をかまえることはない)
リアナは心の内でジェラミーに宣告する。
「わたしからレディ・ナターシャに贈り物があります。婚約の誓いの品です」
証書を取り巻きのひとりに預けたジェラミーがナターシャの前に立った。
「愛しいひと、お受けとりください」
片膝をつき、金のブレスレットをナターシャに差しだした。
ナターシャはためらいながらブレスレットを受けとった。
儀礼的な笑顔もなかった。
だが、晩餐会の参列者たちからこの日もっとも大きな拍手がおきた。
若い女性貴族は憧れの目を婚約者たちに向けている。
「ジェラミー! ジェラミー! ジェラミー!」
ジェラミーの取り巻きたちが、手を叩き、かれの名前を連呼した。
他の貴族たちもジェラミーの名を呼び、かれを称賛する。
ジェラミーは優雅に長い腕を伸ばし、手をあげてかれらの声に応えた。
「二人の式は国王の計らいによってこの太陽宮殿で行います。スプリングホルムを挙げての盛大な結婚式になります。この場にいる皆様にはご参列いただきたい」
ようやく拍手は終わると、デミトリがいった。
(……今だ)
リアナはノエルの肩にふれ、合図をした。
(さあ、ノエル)
するとノエルはリアナの耳元に口をよせる。
「……わたしの心はリアナ様にあります」
リアナは突然のことに困惑する。
(……これからナターシャにいうことは、本心ではないといいたいの……)
ノエルの律儀さに微笑ましくなった。
もう一度ノエルの肩を叩くと、ノエルはよろよろしながらナターシャの前に進みでた。
「……だめだ! だめだ! だめだ! ナダーシャ様、結婚したらだめだ!」
ノエルはナターシャの前で両膝をつき、間のびした声で叫んだ。
(いいわ、ノエル)
リアナはノエルに拍手を送りたくなる。
(ナターシャは芝居がかったことが好き。おおげさにやったほうがいい)
ナターシャは雷にうたれたように口を開き、固まった。
ジェラミーの顔が強張る。
こめかみが痙攣する。
突然のことに広間は静まりかえった。
何百人もの貴族たちの視線がノエルに集まる。
「この男は新しい宮廷道化師か」
宰相のデミトリが一変した祝祭的な雰囲気を戻すように貴族たちを見回し、声をあげて笑った。
すると、ノエルを道化師だと思った貴族たちはデミトリに合わせて笑った。
ジェラミーは余裕があるところをみせようとしていた。
その場に合わせるように微笑んでいる。
だが、顔はひきつったままだった。
ナターシャの顔は真剣だった。
「ニセ勇者と結婚したらだめだ、ペテン師にだまされたらだめだ」
ノエルは両手を大理石につき、ナターシャに懇願する。
「ナダーシャ様、わしと結婚してくれ。わし、あなたさまに惚れだ、一目惚れだ」
背中をのけぞらせ、大きな尻をつきだす。
ズボンがいまにも裂けそうになる。
「老いぼれブタがナターシャ様にお慈悲を願ってるぞ!」
酒に酔った貴族たちからはしゃいだ声があがった。
「神聖な婚約の場を汚すな!」
「そのとほうもない愚か者をつまみだせ!」
怒りの声もあがった。
どこからか、ゴブレットが勢いよくとんでくる。
ノエルの頭にあたり、ワインがノエルの顔にかかった。
「一緒にウィンダーゴスにかえろ。それでな、ウィンターゴスでずっとずっと一緒に暮らそう」
顎先までワインをしたたらせたノエルが、ダブレッドの胸ポケットからリングを取りだした。
リングをナターシャにかかげてみせる。
リアナが用意したその安物のリングは、錆びて黒ずんでいる。
「……伯爵、できません」
眉を寄せ、苦渋に満ちた顔のナターシャがいった。
(ノエル、もう一押し)
リアナにはナターシャの表情から心の内が手にとるようにわかった。
(ナターシャの心には嵐が吹き荒れている)
ノエルが床に膝をついたままソーセージのような太い指をした両手で、鼻息荒くナターシャの片方の手をとった。
たちまち雲っていたナターシャの表情が晴れやかになった。
ジェラミーの金のブレスレットを床に落とす。
ノエルの手を愛おしそうに握りかえす。
「道化、身をわきまえるんだ。ナターシャ様は貴様が触れていいおひとではない」
ジェラミーが動揺した声でいった。
リアナはジェラミーが気持ちを乱したところをみるのはじめてだった。
「……ジェラミー様、申し訳ありません。わたしはあなたの妻にはなれません」
ナターシャがノエルの手をとったままおおきな罪を告白するようにいった。
「……わたしはノエル・ドロン伯爵と結婚します」
「この男ですか?」
ジェラミーは不意に平手打ちをくらったように唖然とする。
ナターシャの異変に貴族たちの笑い声がたちまち引いていく。
晩餐会の広間が静まりかえった。
暖炉で燃える炭が割れる音がきこえる。
「ナターシャ、酔ってるのか?」
デミトリが精一杯の笑顔で、取りなすようにいった。
「わたしは本心を語っています。わたしも伯爵に一目惚れをしたのです」
何百もの貴族たちの視線に気がついたのか、ナターシャは女優のように聴衆の前に踏みだし、告白をした。
「恋心とは前触れもなく落ちる雷のようなものです。自分でも驚いています」
「やっだ、やっだ。ナダーシャ様もわしが好き、わしが好き」
ノエルが呆けた笑みを浮かべる。
貴族たちはひそひそと話はじめる。
社交界の新しいゴシップににやにや笑う者たちがではじめる。
(……うまくいった)
リアナは目があったノエルとうなずきあう。
「だめだ、許さん! こんな道化のような男と……。フェルナン家の恥だ!」
デミトリがナターシャに似た大きな目を開き、声を荒げた。
「……お父様、申しわけありません。身勝手だというのはわかっています。ですが、気持ちをおさえられないのです」
ナターシャは父親からジェラミーに顔をむける。
「……ジェラミー様、申し訳ありません。婚約を破棄させていただきます」
「……ナターシャ様、婚約を破棄する必要はありません」
ジェラミーは怒りを鎮めるようにゆっくりとしゃべった。
「恋心は雷ではありません。流行病みたいなもの。時期がたてばきえていきます」
きつく握った拳を震わせ、引きつった微笑を浮かべる。
「わたしはそのときを待ちます」
(貴族たちの面前で婚約破棄をされ、婚約者からは他の男への想いをきかされる。勇者ジェラミーにとってものすごい屈辱だろう。それでも、ものわかりのいいふりをしている。まだ宰相の娘と結婚をしようとしている)
リアナはジェラミーにあきれと気味の悪さを感じた。
(自尊心より出世のほうが大事なのだろう。ジェラミーにとってやはり女は出世の道具)
「……心苦しいですが、ジェラミー様の気持ちに応えられません」
ナターシャが世界中の罪を背負った者のように悲痛な顔でいった。
「わたしは伯爵とともにウィンターゴスにいきます。スプリングホルムを去ります」
ジェラミーの顔に血管が浮かび、目が赤くなっていく。
「……この尻軽女! ふしだらな雌犬! 恥をしれ!」
おさえていた怒りを爆発させた。
「ジェラミー・ランドルが結婚をしてやるといっているんだぞ!」
歯を剥きだしたジェラミーが恐ろしい剣幕で広間に響き渡る声でナターシャを罵倒した。
床に落ちた金のブレスレットを金のブーツのつま先で蹴っ飛ばす。
美しく優雅なジェラミーの豹変に貴族たちがふたたび静まりかえった。
年配の貴族たちはジェラミーの汚い言葉に顔をしかめる。
「ジェラミー! わたしの娘になんという侮辱! 身をわきまえろ!」
デミトリがジェラミーにつめよった。
「平民の出の貴様に娘との結婚を許してやったというのに!」
長身のジェラミーを怒りの目で見上げる。
(……ジェラミーは出世の階段を踏みはずした。ナターシャを公の場で侮辱した。ナターシャの父親の逆鱗に触れた。宰相の影響力は消えた)
リアナはこの日はじめて緊張がとけるのを感じた。
(ジェラミーはお父様に裁判で勝てないだろう。賠償金を手にいれられないだろう。宰相デミトリがジェラミーを裁判を勝たせない)
我にかえったジェラミーが、人々の視線から逃げるように大股で広間からでていこうとする。
「哀れ」
リアナは目の前を通るジェラミーにいった。
立ち止まったジェラミーは憎悪の目でリアナを睨む。
顔が怒りで赤黒くなっている。
リアナの頭にヘイランの森でジェラミーに喉を裂かれたときの恐怖がよみがった。
だが、ジェラミーから目を離さなかった。
どういうわけか、これまでの怒り、憎しみをジェラミーに示したかった。
「……この始末は必ずつける」
ジェラミーはリアナから視線を外し、自分にいいきかせるようにつぶやいた。
それから、広間からでていった。
混乱している取り巻きたちはジェラミーを追おうとしない。
(……負け惜しみ)
このときはリアナはジェラミーの態度をそう思っていた。