リアナ様のためになんでもやります。
贅を凝らし、手間暇をかけたサラダ、スープ、豆料理、肉料理、酒、デザート。
ベルベッドのクロスがかかったテーブルには料理が目いっぱい並んでいる。
(……こらからの数時間でわたしの将来がきまる。わたしが処刑されずにすむか……お父様の屋敷を守れるか……)
リアナはそう思うとみごとな料理にも手が伸びなかった。
胃がきゅっと痛む。
大広間の椅子に座っていると自分がここにいるべき人間ではないと思いしった。
下座に並んで座るリアナとノエルの周囲はがらんと空いている。
見知った顔の貴族たちはリアナの存在などないかのようにふるまっていた。
首に醜い傷があり、魔物に憑かれたと噂のリアナ。
得体がしれない田舎貴族。
ふたりと席をともにしたいと思う貴族はいなかった。
貴族たちはたまにリアナと目があうとすぐに目をそむけた。
笑顔の人々に囲まれ上座に座るジェラミーとナターシャはずっと遠くにいた。
「みな、まだ魔物をおそれているのですね……」
ノエルは貴族たちの魔物に憑かれたとされるリアナへの反応をみて、ショックを受けていた。
(……何の心配もなく屋敷の食堂でこのような御馳走をノエルと食べられたら、どんなによかっただろう……)
リアナはハープを弾く吟遊詩人が歌う愛の歌を聴きながら思った。
しばらくすると踊りの時間になった。
広間の中央の磨きこまれた床に色鮮やかな服を着た男女たちが集まる。
そして、宮廷楽団の演奏に合わせて踊りはじめる。
「ナターシャを踊りに誘って」
リアナはペアになって踊るジェラミーとナターシャを見ながらノエルに声をかけた。
ジャラミーとナターシャは優雅に複雑なステップを踏んでみせている。
勇者ジェラミーは大広間にいる誰よりも注目を集めていた。
少女から老人の女性貴族まで美しいジェラミーをうっとりと見ている。
彼女たちのため息が聞こえるようだった。
「わたしは踊りがわかりません。人間が踊るのを見るのもはじめてです」
ノエルは戸惑う。
「彼女の手をとって、からだを揺らすだけでいいです。ナターシャがあなたにもっと好意をもつようにしたい。計画を確実なものにしたいの」
リアナはジェラミーと身体を寄せあって踊るナターシャが視線をノエルに向けているのに気づいていた。
ナターシャが心を奪われた宝石に向ける目だった。
「……それでは、彼女と踊ってみせます。リアナ様のためになんでもやります」
ノエルは困惑しながらもリアナの言葉に素直にうなずいた。
そのとき、リアナは間近にあるノエルの顔を見て、ひやりとした。
「……ノエル、顔が元にもどってます」
中年男のひびわれていた頬の一部が白くなめらかになっている。
眠そうだった片方の目が、青く澄んだ目になっている。
ふたりの人間の特徴が組み合わさった顔はより奇妙にみえた。
「……魔法の効果がきれかかっている。ここまで長い間、姿をかえていたのははじめてですから……」
ノエルは顔に汗を浮かべている。
「……一度、広間をでましょうか」
リアナは人々の視線が気が気でなかった。
このときは貴族たちが自分たちを避けることをありがたく思った。
「もう一度、魔法をつかいます」
ノエルは椅子に立てかけてある木の杖を手にとった。
目をつぶり、小さく唇を動かし呪文を唱える。
だが、青い目と白い肌はきえない。
「くそ」
「深呼吸して。ノエルならできる」
リアナはテーブルの下でノエルの手をとった。
頬を赤らめたノエルは、大きく息を吐いた。
再び呪文を唱える。
すると、たちまち澄んだ目が眠そうになり垂れさがる。
白い肌が土色になりひびわれていく。
「ノエル・ドロン伯爵になってますか?」
「……鼻の穴がおおきくなってる」
ノエルの鼻の穴は不自然なほど広がっていた。
「……でも、大丈夫。ナターシャはあなたに惚れてこんでいる。馬の鼻の穴くらいおおきくなっていても気にしなでしょう」
楽団が演奏を終えた。
次の曲に移る間にナターシャがノエルのほうにやってきた。
ジェラミーの手を離し、いてもたってもいられない様子でドレスの裾を持ち上あげ、足早にノエルのほうにむかってきた。
「伯爵、楽しんでいただいてますか?」
ナターシャはノエルに微笑みながら緊張した声でいった。
「だのしい、だのしい」
「それはよかった。……あの、伯爵、わたしと踊っていただけませんか?」
頬を赤らめたナターシャが消え入りそうな声でいった。
唇が震えている。
社交の場で生まれてはじめて男性貴族と踊ろうとしている内気な少女の貴族のように。
ナターシャの取り巻きたちが不思議そうに顔を見合わせた。
ナターシャが自分から男性貴族を踊りに誘うのをみるのははじめてだった。
しかも相手はあか抜けない田舎貴族だ。
「……伯爵、光栄ですね。ナターシャ様から誘っていただけるなんて」
リアナもノエルの想像以上の魔法の効果に驚いていた。
「ナターシャ様、伯爵に恥をかかせないほうがよろしいですよ。彼はステップひとつ踏めないないでしょう」
ナターシャについてきたジェラミーがノエルを小馬鹿にしたようにいった。
「バルカレならすぐに覚えられます。わたしが教えてさしあげます」
ナターシャが指先が震えている手をノエルに差しだす。
ジェラミーの言葉が耳にはいっていないようだった。
ジェラミーのこめかみがひくつく。
「踊ろう、踊ろう」
立ち上がったノエルがナターシャの手をがっしりと握ると、ナターシャは全身に痺れが走ったように身震いした。
ヘイランの森でジェラミーに額に口づけをされたときよりつよく。
「あの男はほんとうに伯爵なのか? 道化師ではないのか?」
広間の中央に移動するノエルとナターシャを見ながらジェラミーがナターシャに苛立ちをぶつけた。
冷たい目が鋭くなっている。
「立派な伯爵です。ジェラミー様より位が上のね」
リアナはにっこりと微笑んでみせた。
「……生意気な女」
ジェラミーの怖いくらい整った顔が怒りで歪んだ。
リアナはジェラミーと出会ってからはじめて彼の顔を醜いと感じた。
楽団が演奏を再開した。
パヴーマの緩やかなテンポに合わせて人々が踊りはじめる。
ジェラミーと踊っていたときと同じようにナターシャは人目をひいた。
ノエルの動きは踊りといえるものではなかった。
ゆったりとしたヴァイオリン、フルートのテンポとまったくあっていなかった。
手をひいてノエルをリードしようとするナターシャを酔ったような足どりでふらつきながらぐるぐる回す。
周りで踊る貴族たちは、ぶつからないようにノエルとナターシャから離れていく。
田舎貴族と宰相の娘の滑稽な踊りにあちらこちらから笑い声がおきた。
楽士たちも演奏をしながら笑っていた。
年配の貴族は顔をしかめる。
ナターシャは嘲笑を気にしていなかった。
おおきな腹を揺らしているノエルを夢見るようにみつめている。
(……いつものナターシャなら身分の低い者に笑われることを許さないだろう。ナターシャは周りが見えないほどノエルに惚れている)
リアナの口元に笑みがこぼれる。
「……なんなんだ、あの男」
自分が恥をかかされたようにジェラミーが怒りで顔を赤くしている。
妻になる女性が不格好な中年男に惹かれているのが我慢ならないようだった。
ジェラミーは大広間の奥にいる宮廷楽団のほうに大股で歩きだした。
指揮者に声をかける。
すると、演奏がぴたりととまった。
踊っていた男女たちが、そろって動きをとめた。
だが、ノエルとナターシャは世界から切り離されたようにどたどたと足音を立て、不器用な踊りをやめない。
楽器の演奏がやんだ大広間にさらに大きなノエルとナターシャへの笑い声が響いた。
遠くからでもジェラミーの顔つきが険しくなっているのがわかった。
(今夜、ジェラミーとナターシャの婚約は破談する……)
リアナは計画の成功を確信した。