リアナ様はわたしをつよくする。
「最後に明日つかう魔法の確認をしておきましょう」
リアナが提案すると、ノエルは部屋の真ん中に立った。
木の杖を身体の前にかまえる。
「ノエル、変身してみて。この部屋が明日、晩餐会が開かれる宮殿の大広間だと思って」
リアナは他の使用人が入ってこないように木のドアの前に立った。
「……モシュミツ……モシュミツ……モシュミツ……」
リアナがこれまでどんな人間からも聞いたことがない発音でノエルは呪文を唱える。
ノエルの身体が淡く光りだした。
(ノエルにかかってる。計画がうまくいくかどうか……)
ノエルはリアナが思っていた魔導士の姿とはちがっていた。
物語や歌にでてくる魔人王の配下の魔導士は人間を病死させたり、呪い殺したりする。
だが、ノエルは人間を攻撃する魔法は使えないようだった。
魔法も成功したり失敗したりしていた。
リアナの前ではじめて変身魔法をつかったとき、かれの赤い前髪が二三本、長く伸びたただけだった。
街の市場にいる奇術師のほうが本物の魔法をつかっているように思えた。
ヘイランの森でノエルが魔法でリアナを生きかえらせたのは幸運な偶然だった。
「どうですか?」
杖をおろしたノエルがいった。
「……鼻がすこし大きくなってる」
少しどころではなく、ノエルの鼻は不自然なほど巨大になっていた。
「……モシュミツ……モシュミツ……モシュミツ……」
ノエルが再び、呪文を口にする。
だが、今度は魔法の効果がきれ、鼻が元に戻ってしまう。
ノエル本来のすっと伸びた鼻筋になっている。
「くそ」
ノエルはもどかしそうに声をあげた。
「……もう少し、準備の時間が必要かしら?」
「……リアナ様、後ろをむいてもらえますか?」
「どうして?」
リアナがたずねると、ノエルは白くなめらかな頬を赤くする。
「リアナ様に見られると、身体に力がはいってしまいます……」
「……じろじろ見られたらやりにくいですね」
リアナはドアの方をむいた。
「……モシュミツ……モシュミツ……モシュミツ……」
リアナの背後でノエルが呪文を唱えだす。
「……モシュミツ……モシュミツ……モシュミツ……」
ノエルは呪文を繰りかえした。
声にはいらだちが交じっていく。
リアナはノエルの様子を気にしなが振り返った。
「……申し訳ありません。わたしがしくじればリアナ様に危険がおよぶというのに。ご主人様も今までの生活ができなくなる……」
「……ごめんなさい、あなたを巻き込んでしまって」
「これはわたしの為でもあります。お屋敷が人の手に渡れば、わたしは行き場がなくなります……」
(晩餐会の席で変身したノエルが元の姿に戻ってしまったら……)
リアナの頭にいやな考えが浮かぶ。
(晩餐会に集まったひとたちはノエルを奇術師だとは思ってくれないだろう。かれを人間だとも思わない。そうなればノエルとわたしは宮殿の衛兵に捕まる……)
「……ノエル、あなたはできます。今日まで魔法の訓練をしてきたでしょう」
リアナはいやな考えをとめ、いった。
(ノエルを信じるときめた)
ノエルはジェラミーに殺されかけたリアナを背中におぶりヘイランの森から連れて帰った日から、魔法の訓練をはじめていた。
ジェラミーからリアナを守るために。
夕方に使用人の仕事が終わってから真夜中まで屋敷の敷地の片隅で、計画に必要な魔法の訓練をしていた。
リアナは昼間、馬の世話をしながらうとうとしているノエルを何度もみかけた。
そのかいあって、ノエルが魔法を失敗することはすくなくなっていた。
変身魔法により前髪がのびるだけでなく、まったくの別人になれるようになっていた。
「昨日まではうまくできていたんだから。あなたはわたしを生き返えらせてもくれた」
ノエルはくる日もくる日も魔法のつよさを高めようとしていた。
リアナはノエルに心を動かされていた。
「……リアナ様、やはり、わたしを見ていてください。明日、皆の前で魔法の効果がなくなってしまうわけにもいきません」
「ええ」
リアナはノエルに近づき向かいあった。
「……モシュミツ……モシュミツ……モシュミツ……」
ノエルが呪文を唱えると、全身が淡く光りだした。
光はだんだんつよくなっていく。
「……モシュミツ……モシュミツ……モシュミツ……」
突然、強い光が部屋中を満たした。
まぶしさに目をきつく閉じる。
光が消え、目を開くと言葉を失った。
ぞくりとする恐怖を感じる。
ノエルがいなくなり、見知らぬ男がいた。
「……すごい」
リアナは独り言のようにつぶやいた。
(ノエルはわたしたちとはちがう。やはり魔導士なのだ……)
目の前の男にはノエルの面影がまったくない。
「……なにか話してみてください。ナターシャにあいさつをしてみてください」
思わず、初めて会う人のように声をかけた。
少年のようなあどけなさがあったノエルが、中年の男になっている。
赤毛がごっそり抜け、額が禿げあがっている。
湖のような澄んだ青い目が、眠そうに垂れさがっている。
鼻は引くなり、鼻の穴は大きくなっている。
形がよかった唇は、芋虫のように厚くなっている。
なめらかな白い肌は、隅々までひび割れている。
ほっそりとした身体は、麻のシャツのボタンがはじけそうなほど腹が膨らんでいる。
「ばじめまして、ナダーシャさま、ばじめまして」
ノエルは間のびした声で、道化のように言葉を繰りかえした。
口から覗く歯は前歯が欠けている。
「ナダーシャ様、お目にかかれてごうえいですだ。ごうえいですだ」
膝を折り、礼をしようとするが、酔っぱらったようにふらつく。
その姿は滑稽だった。
「ノエル、今までいちばんよくできてる! こわいくらい!」
リアナの顔に笑みが広がる。
「ありがどうごぜえます、ありがどうごぜえます」
リアナは目の前の男がぎこちなく動き、しゃべる度に笑った。
声をだして笑った。
自分の命が脅かされていたにもかかわらず、森の中で婚約者だったジェラミーに喉を切られたときから、ここまで楽しい気持ちになったのははじめてだった。
「ノエル、もういい、やめて」
リアナは息苦しくなり、いった。
すると、中年の男の身体が光り、姿が消える。
「……リアナ様のおかげで、うまくできました」
元の姿に戻ったノエルが青く澄んだ目を輝かせている。
「リアナ様はわたしをつよくする」
力を使ったためか、呼吸がはやくなっている。
「リアナ様のことを想うと魔法がうまくつかえるようです」
「ノエル、明日あなたはうまくやれます。ジャラミーとナターシャの婚約をやめさせられる」
「……リアナ様は勇敢です。危険をかえりみずジェラミーに抵抗をする」
「わたしたちが力を合わせれば、この屋敷を守れます」
リアナはノエルの手をそっと取った。
ノエルはびくりと身体をこわばらせた。
なめらかな頬を赤くする。
「あなたはここにいられる」
「……はい」
「わたしはあなたといたい。ノエルが好きだから」
リアナは自分でも驚きながら勢いにまかせていった。
「ノエルを愛している」
(ノエルに好意を伝えておかないと後悔する)
審問官に尋問され、処刑台の前にひきずりだされることを想像すると後がない気持ちになっていた。
大胆になっていた。
(ジェラミーとの結婚に気がすすまなかったのはあの男への不信だけではなかった。気が優しいノエルがずっと好きだったからだ)
ノエルは顔を赤くしたまま唇を薄く開き、固まっている。
リアナには長く感じる沈黙が流れた。
(……魔導士は人間の女を好きになるのだろうか)
たちまち自分がいったことが恥ずかしくなる。
(……ノエルは使用人。主人の娘であるわたしに親身になって仕えていたのでは……。恋愛感情ではなく……)
「あ!」
思いみだれていたリアナは手をひっこめた。
突然、ノエルの手がむくんだように厚くなった。
たるんだ腹がつきでている。
一瞬にして、ノエルは首から下が中年男になっていた。
「……変身してしまいした。まだ、魔法をつかいこなせない」
ノエルはぶ厚い手を口惜しそうに見ている。
「……リアナ様、まだ、時間はあります。わたしは魔法の訓練をつづけます」
再び、木の杖をかまえる。
「……ノエル、あなたはできます」
リアナは気まずかった沈黙がなかったことにするようにいった。
そして、呪文を唱えるノエルを祈るような気持ちでみつめる。