……わたしはリアナ様のためなら死ねます
「ノエルが助けてくれたの?」
信じられない気持ちで、上半身を起こしノエルに声をかけた。
「はい。夢中で呪文を唱えました。首の傷を消すことはできませんでしたが……」
涙が乾いたノエルは歯がゆそうにいった。
「……ありがとう。奇跡です」
リアナは子供のように声をあげて泣いて、ノエルに抱きついたいと思った。
だが、恥ずかしさを感じ、わたしはレディであるといいきかせて気持ちをおさえた。
空には陽が消えている。
黒い雲がかかり、森は薄暗くなっている。
空気が冷えている。
どこからか灰狼の吠える声がする。
吐き気がこみ上げ、身体が震える。
まだ身体に毒が残っているようだった。
「……マハドゥラム……マハドゥラム……マハドゥラム……」
リアナの顔を見たノエルは、杖の先端をリアナに向けた。
だが、リアナの震えはおさまらない。
「……くそ」
ノエルは麻のシャツの袖で汗を拭いた。
前髪の赤毛が額についている。
この世のものとは思えないなめらかな白い顔の肌に汗が浮かんでいる。
(……ノエルも人間みたいに汗をかくんだ)
リアナは苦しさを感じながら思った。
「……ノエル、どうしてここに?」
「ジェラミー様から聞きました。リアナ様が森の中で行方がわからなくなったと。他の使用人たちとリアナ様を探していたのです。そうしたら……」
「ね、あの人も生き返らせことはできる?」
ジェラミーに喉を切られた赤ひげの男のことをはっと思いだした。
男は離れた地面に倒れたままだった。
傍に山菜が入った籠が落ちている。
「……もう力が残っていません。力の回復に時間がかかります。死から一日経ってしまうと蘇らせることはできないのです」
「……そう」
「……それに、同じ魔法をもう一度つかえるかわかりません」
(……むごい)
胸が痛んだ。
(わたしが助けを求めてなければ、ジェラミーの手にかかることはなかったかもしれない……)
ワンピースについた自分の血が目にはいった。
そして、盛り上がった首の皮膚の傷に触れると恐怖をありありと思いだした。
(……ジェラミーとナターシャは結婚をするために手を組んで、わたしを殺そうとした)
ジェラミーの肌に寒気を感じるような冷たい目。
ナターシャの蔑んだ目。
(あの男はナターシャを愛しているといっていた。嘘だ。あの男が愛するのは自分自身と野心だけ……)
ジェラミーのナターシャを見るときの冷たい目。
(ナターシャは宰相の娘。ジェラミーはナターシャを手にいれようとした。より便利な出世の道具として……。ジェラミーにとって女は出世の道具……)
元司令官であったリアナの父親と将軍がリアナとジェラミーの婚約を取り決めていた。
将軍がリアナの父親にジェラミーを紹介した。
部下のジェラミーが晩餐会で見かけたリアナに好意をもったといって。
リアナは社交界で目立った女性ではなかった。
男性に言い寄られたのははじめてだった。
「ジェラミーは貴族の位を手にいれるためにリアナの家の婿になろうとしている」
「ジェラミーは貴族の位ほしさに日陰の花にちかづいた」
サロンでリアナはこれみよがしに陰口を叩かれていた。
女性貴族たちは勇者ジェラミーと結婚をするリアナに嫉妬をしていた。
(ナターシャにとっては勇者ジェラミーは新しい宝石……)
サロンでのナターシャを思いだす。
彼女の取り巻きの貴族令嬢が珍しい宝石を身につけている。
ナターシャは物欲しそうにそれを見る。
その持ち主には怒りの目を向ける。
身分の劣る者が、自分より上等なものを持つのは侮辱であるとでもいうように。
そして、脅すようにしてその宝石を買いとる。
ジェラミーと婚約をする前、二人で宮殿の演劇会にいったことがあった。
そこで、ナターシャに婚約者のジェラミーを紹介した。
ナターシャはこの世に珍しい宝石に目を奪われたようにジェラミーを見た。
リアナには憎しみの目を向けた。
(ジェラミーは宰相の娘に求められていると気がついた。わたしが知らない間に彼女に近づき、誘惑した。そして、ナターシャを言いくるめ、邪魔になったわたしを殺そうした……)
19年生きてきて、他人にここまで心を踏みにじられたのははじめてだった。
(わたしは、物のように扱われた……)
自分が無力に感じた。
(……あのふたりはわたしが生きていると知ったらどうするだろう……)
不意に不安がよぎる。
(……口封じをする)
足元にからみついた蛇が首元まで這いあがってくるように恐怖は強くなっていく。
(……また殺そうとする)
「リアナ様、なにがあったのですか? 賊に襲われたのですか?」
ノエルが思いをめぐらすリアナに声をかけた。
リアナはノエルに話をした。
しゃべると喉が痛んだが、話しをせずにいられなかった。
話しているうちに恐怖と悔しさで目に涙が浮かんだ。
ノエルは身動きをせず、リアナのかすれた声をきいていた。
「ジェラミー、あの男! おぞましい!」
ノエルは怒りで燃える目を見開いた。
「やはり、あいつが魔人王を討伐したというのは嘘だ」
勇者ジェラミーは黒鉄島にいる魔人王を倒してはないという者たちがいた。
ジェラミーがロッド国王に献上した魔人王の首は、巨人鬼の変種のものだといわれていた。
この世から魔人王がいなくなれば、世界から魔物は消えるといわれていた。
だが、今もスプリングホルムに魔物は出没している。
ジェラミーは功績として貴族の位を与えらなかった。
それは魔人王を討伐したことを疑われているためといわれていた。
「リアナ様、ではジェラミーとは結婚はしないのですね……」
リアナが話し終えると、ノエルがたずねた。
リアナは話をしてすこし気分がましになっていた。
「世界中の黄金を贈られてもお断りする」
リアナが答えるとノエルはほっとしたような顔をみせた。
だが、この場にふさわしくない表情だと思ったのか、すぐに真剣な顔になる。
「……リアナ様、もしジェラミーがまたあなたに手をかけようとしたら、わたしがやつと戦います」
青く輝く目をリアナに向ける。
「……ノエル、あの男は偽物の勇者かもしれない。けど、魔人王討伐隊にいたのは確かなんだから」
「リアナ様のために魔法の力をつよくしてみせます」
「……気持ちは嬉しい。けれど、わたしにそこまで忠義をつくすことはありません。あなたはお父様と使用人の契約をしているのだから」
「……わたしはリアナ様のためなら死ねます」
(……魔導士は忠誠心がつよいのだろうか)
リアナはノエルの真剣さにとまどった。
「わたしはリアナ様に生かされています。あなたのお役にたちたいのです」
ノエルは木の杖を身体の前にかまえた。
「……バルビドゥ……バルビドゥ……バルビドゥ」
ノエルが呪文を唱えはじめると、木の杖の先端が緑色に光る。
すると、黒い雲におおわれていた空一面が光った。
次の瞬間、轟音とともに近くに雷がおちた。
森の木がばりばりと倒れる音がする。
「これは雷を落とす魔法です。わたしの魔法をリアナ様のために使います」
ノエルは唖然としているリアナにいった。
「……もう一度、魔法をつかってみて」
リアナはノエルが雷をあやつれるとは思えなかった。
「……バルビドゥ……バルビドゥ……バルビドゥ」
ノエルがふたたび呪文を唱える。
だが、今度は黒い雲に変化はなかった。
(……たまたま、雷がおちたんだ)
リアナはノエルがおそろしい魔導士のような力をつかえないことにどこかほっとした。
「……もう一度、試してみます」
息が荒くなっているノエルがいった。
「……あなたの力が必要になったらお願いします」
灰狼の吠える声が近くなってきていた。
赤鴉の羽音、鳴き声もしている。
「……ノエル、戻りましょう。あの方をあのままにしておくわけにいかない。人を呼んで遺体を他の場所に移してもらいましょう」
倒れている男に目をやり、立ち上がり歩きだそうとするとふらついた。
出血のせいだろう。
「わたしの背に乗ってください」
ノエルが慌ててリアナに背中を向け、かがみ込んだ。
「わたしの魔法は完璧ではありません。リアナ様は回復しきっていません。途中で倒れてしまうかもしれない」
ノエルはかがみ込んだまま石のように動こうとしない。
リアナは恥ずかしさを感じながらノエルの背中におぶさった。
森の外にいる愛馬までの道が遠く思えていた。
ノエルは木の杖を突いて、歩きだす。
リアナはシャツ越しにノエルの身体のあたたかみを感じた。
(……ジェラミーとナターシャから身を守ろう……)
薄暗いヘイランの森を出る間に、リアナは恐怖をおさえこむように心に決めた。
(……ジェラミー、ナターシャ……)
そうすると、しずかな怒りがわきあがってくる。
(傲慢なひとたち……)
リアナが復讐を果たすのはスプリングホルムの冬がはじまった頃だった。