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視界を奪われたのは、オズワルドたちだけではない。
クィエルの本陣から王国軍の本陣までを、闇が覆い隠していた。
ディネージュに残った物見の目には真っ黒なドームが映ったという。
それは、遠く王都でも目撃されるほど大きなものだった。
突然のことに誰もが狼狽え、呆然とし、世界の終わりかとおののく。
その中で、誰からもはっきりと視認できるアントニオは異様だった。
「な……んだ、これは」
自分以外のものが見えなくなる。暗闇の中で一人取り残されたような焦燥がアントニオに浮かんだ。
《――っかっかっかっか》
「ひっ!」
耳障りな声がすぐそばで聞こえた。しかし振り返っても誰もいない。
「だ、誰だ、誰なんだ!?」
焦りから、自然と声が荒くなる。
《光精霊の愛し子がなにを喚くか》
しかし、声の主はそれに答えず嘲笑う。
《自分から愛想を尽かされに行っておいて》
その言葉の意味をアントニオは理解できなかった。したくなかった、の方が正しい。
祝福持ちは精霊に愛されている。だからこそ、本来姿を見せない彼らを身近に感じられるし、血を糧として召喚することもできる。
しかし、アントニオにはそれが出来なかった。
祝福持ちは他の人に比べて魔法の扱いが群を抜いている。範囲が拡大し、少ない魔力量で強大な魔法を扱える。そのためオズワルドは珍しい例だったが、見る人が見れば常に精霊が傍にいるのがわかる。
だから、しかるべき手順を踏めば、必ず召喚できるはずなのだ。実際にディムの手引きで、ウェンディとオズワルドはそれぞれ召喚に成功している。
なのに、アントニオはできなかった。
どれだけ血を流し、繰り返し手順を確認しながらおこなっても、精霊は現れなかった。
それがより一層、彼の焦りを募らせた。
王族として、未来の国王としての務めを果たしているのに、なぜ誰もついてこないのか。
人々を従えて導くのが王だ。その役目を十分に果たしているはず。
都合のいい意見や称賛しか言わせないように操作していることは棚に上げている。アントニオにとって、それが人々を導くことだと信じているからだった。
唯一支配できなかった光精霊への苛立ちは、存在しないはずの闇精霊へ向けられる。
「……黙れ」
暗闇に向けて怒りをぶつけた。
「精霊を騙る偽物がぼくを侮辱するな!」
《かっかっか。そうか》
だが、闇の向こうで相手は歯牙にもかけない。
《だが、後ろのあやつまで偽物扱いするなら》
ずん、と空気が重くなった。
《ワシとて容赦はせぬぞ?》
アントニオがバッと振り返る。
そこにいたのは、血まみれの少女を青みがかった銀色の繭に包み込もうとする一頭の龍。伝承にあるような、トカゲにコウモリの翼を付けたものではない。蛇のような細長い体に申し訳程度の小さなコウモリの翼。若木よりも太く、老木より力強い角。エラのように重なった三対の扇状のヒレ。
水の色を反映し、暗闇の中で穏やかに輝く鱗を纏った龍は、凛々しさと麗しさを兼ね備えたその顔をじっとアントニオに向けていた。
「は……?」
アントニオは自分の目を疑った。
目の前にいるのは、銀の繭を大事そうに抱える龍。
かつて王宮の本で読んだ水精霊の姿にそっくりの何か。
と、その繭が勝手に解け、中からウェンディが姿を現した。
斬られた衣服はボロボロのままだが、そこから見える肌は傷一つついていない。
その肌を晒さぬよう、水精霊がゆるやかに彼女に抱き着いた。
《目が覚めたかえ? 我が愛し子よ》
「……はい」
ウェンディは精霊に向けて微笑みかけた。
「ありがとうございます、水精霊様」
緊張から笑顔は強張っていたが、水精霊が気にした様子はない。
《よい、よい。あそこで助けを求めてくれねば、妾とて動けなかった故》
精霊たちには独自のルールがある。それは、祝福持ちが血を流し、呼びかけてこない限り顕現できないというものだ。
精霊たちは彼らを愛しているが、だからといっていちいち出しゃばっていては各属性のバランスが崩れる。
どれだけピンチに陥っていても、彼らからのSOSが出されない限り、精霊たちは手を出せない。その分、呼び掛けられれば全力をもって自らの愛し子を助けるのだ。
《ほれ、闇精霊の子も治すとよい》
「は、はい」
ウェンディはアントニオの向こう側、ディムがいるだろう場所を見る。
そこに向けて手をかざし、魔方陣を描く。魔力の輝きで浮かび上がったディムは、右手を押さえてうずくまっていた。
右手の傷が塞がり、どんどん消えていく。
「やめろ!!」
アントニオが叫んだ。同時に女と番号札、どちらを先に殺すべきか天秤にかける。地面を蹴り、向かう先には番号札。服の下に隠していたナイフを取り出し、ディムの首を掻き切ろうと振り上げる。
闇の中で誰かが息を呑む。
振り下ろされたナイフは、彼の首を的確に貫いた。
はずだった。
「……は?」
アントニオが怪訝な声を上げる。
目の前には番号札がいる。その首を間違いなく刺した。
なのに、手ごたえがない。
不意に後ろから手が回った。
「な……っ!?」
首を締め上げてくる腕から逃れようとするが、相手の力が強い。さらに口も塞がれて命令できない。手にしたナイフで何度も刺すが、それに怯む様子もない。
「ディムさん!?」
ウェンディが叫ぶ。
目の前にあるはずの番号札の体がゆっくりと消えていく。
なんだ、これは。
こんな魔法知らない!
「簡単には殺さない」
アントニオの後ろで、少年のような声が囁く。
「寿命が尽きるまで、絶対に死なせない」
強い覚悟を込めたその言葉は、忠誠ではなく呪い。
「楽に死ねると思ったら大間違いだぞ、クソ王子」
ぐっ、と喉が締まり、意識が落ちる。脱力したアントニオを下ろし、ディムは大きく息をついた。
「……ウェンディ、もう一回」
「あ、うん」
頷いたウェンディが手をかざし、血まみれの腕を治していく。それからおそるおそる訊ねた。
「……殺しちゃった?」
「気絶させただけだ」
そう答えたディムは、傍らの闇に呼びかける。
「闇精霊様、こいつを取り込んでもらえますか?」
《構わんぞ》
闇精霊が応え、アントニオの体が闇に包まれる。一片の隙間もなく飲み込まれ、あたりを完全な闇が支配した。
《…………マッズ》
思わず漏れた一言に、水精霊がくすりと笑う。
《それはそうでしょう。見放したとはいえ、あの子の愛し子で御座いますから》
《んむ……》
「出来るだけ早く王都に行きますので、よろしくお願いします」
《良い、良い。数百年ぶりの愛し子だ。多少の胃もたれくらい引き受けよう》
カラカラと笑う闇精霊に、精霊でも胃もたれを起こすのかと、何人かが場違いな感想を抱く。
《では、な》
《妾も引き上げるわ。またね》
「はい、水精霊様」
そっと地面に下ろされたウェンディが頭を下げる。水精霊は空気中へ溶けるように消えていく。闇精霊も姿を消したのか、明かりがついたように昼が戻ってきた。
「ウェンディ、リュミス、怪我はないか」
ディムが素早く近づき、二人を自分のコートで隠す。
「は、はい」
「わたしも、なんとか」
「そうか」
頷いた二人の手を取って立ち上がらせる。捕虜たちにはまだ待機しているように指示を出し、テントの外に出る。
冷たい空気を目いっぱい吸い込んで、彼は声を張り上げた。
「勝鬨を上げろー!! クィエルの勝利だー!!!!」
領主の宣言に、周囲が一瞬沈黙する。
『――ォォオオオオオオオオオ!!!!』
空気を揺らす大歓声が轟いた。
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