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領主さまは救世主  作者: 長久保いずみ


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 テントの中は、重力が一段階上がったのではないかと思うほど重い空気に包まれていた。


 自らの意思と関係なく膝を折られた人々は、嵐が過ぎるのを待つように息を詰める。


「意外と早かったね」


 その中で、ただ一人立っている青年がディムを見下ろす。


 着ている服は他の番号札(ナンバーズ)と同じ質素なもの。首筋にあるはずの刻印はかすれてほとんど読めない。


 金の髪を乱暴に手で後ろに流し、琥珀色の目は獰猛に笑う。


 写実魔法で描かれた、新聞などに載っている似顔絵のままの姿。


 アントニオ=セシル=ド・ランプレーシュその人だった。


「長期戦を覚悟していたつもりだったけど」


 アントニオはディムを見下ろす。


「さすがは、ベネディクト氏が最期まで隠し通した秘蔵っ子だ」


 膝をつき、地面とにらめっこしているディムは目を見開く。


「え……」


 ウェンディの口からも思わず声が漏れる。


「おや、知らなかったのかい?」


 だがアントニオは気分を害した様子もなく、にこやかに言った。


「これはベネディクト=アンセーヌ・クィエルが隠し持っていたんだ。労働ではなく教育を与え、知性を与え、その果てにベネディクト氏を変えた危険なもの。見つかったらまず廃棄処分ものだけど」


 アントニオは、新しい遊びを見つけた子どものように言った。


「ぼくは殺さないよ」


「……え?」


 かすれて吐息に紛れそうな疑問の声。それをこぼしたのが、果たして誰だったのかはわからない。


 けれど、一国の王子が、番号札(ナンバーズ)を支配する立場にある彼が、ディムの生存を許した。


(何を企んでいる?)


 ディムの頭に浮かんだのはそれだった。


 アントニオは国王に並ぶ、いやそれ以上の切れ者だ。気まぐれに殺すことはあっても、理由もなしに生かすと宣言することはないと思った。


 そして、それは間違っていなかった。


「きみはとても頭がいい。そのおかげで、まだまだ国の制度に穴があると気付けた。同じ番号札(ナンバーズ)ならきみも話しやすいだろう。この国がより良い方向へ発展していくために、協力してくれないか?」


(なるほど)


 言っていることは壮大だが、要するに番号札(ナンバーズ)の管理強化だ。ディムをアントニオの手足とし、支配を強めるための駒になれと言っているのだ。


「クィエルのことは安心してくれ。こんな寒い場所にいるより、もっと南の温かい場所に全員を移住させよう。そのための費用もこちらが負う。ぼくから父上に相談してみるよ」


 つまり領民の番号札(ナンバーズ)化は決定事項。反乱の芽を摘むため、全員バラバラの地に送られるのだろう。


 アントニオの手が無遠慮にディムの襟を広げる。


「えーと、5R11X1だね。どう? 悪い話じゃないだろ?」


 人当たりのいい笑顔を浮かべ、アントニオは訊ねる。


 彼の中では、きっとディムが涙を流しながら飛びつくほど魅力的な案だと思っているのだろう。


 額面通りに受け取れば、たしかに彼は危険を冒してまでクィエルの民を救いに来た勇敢な王子だ。素直な子どもならあっさり頷いてしまうだろう。


 だが。


「断る」


 ディムははっきりとよく通る声で言った。


 生まれがどうであれ、ディムはベネディクトの気まぐれに救われ、自ら戦う力を得た。そして、約束を果たすためにこの地に戻ってきた。


 クィエルの領主として、意思を持つ一人の人間として、民を都合のいい玩具にするアントニオに従うわけにはいかなかった。


「――そっか」


 すん、とアントニオから表情が消える。


「じゃ、死んで」


 お使いを頼むような軽い口調で放たれた命令。拒絶しようとディムが口を開く前に、その手がひとりでに動いていた。


「っ!」


 ベルトの内側に隠していた小さなナイフを取り出し、それを自分の首に向けて突き立てた。


 喉の奥で悲鳴を上げたのは誰だったか。


「…………っぐ」


 地面に血が滴り落ちる。


 ナイフと首の間に滑り込んだ右手から、ぼたぼたと血が流れ落ちた。


「――へえ」


 アントニオは意外そうに表情を歪めた。


「意外とやるじゃん」


 新しい玩具を貰った犬のように、無邪気で獰猛な笑み。あの笑顔で何人が殺されたのか、誰も考えたくなかった。


「まあ、それがどこまで続くか見物だね」


 アントニオがつい、と指を振る。ナイフがディムの右手を押し込んだ。


「なんせぼくは祝福持ち(ギフテッド)なんだから」


 思わぬ情報にディム、ウェンディ、リュミスの三人が目を見開く。


 薄々感づいてはいたが、まさか本当に祝福持ちだったとは。


 アントニオの加護は光。王族や神官の家系に多く生まれ、他者の加護を見抜いたり、人々を導く――転じて支配する強力なもの。


 光魔法が持つ「導き」や「支配」は、だいたいその場限り、そして一人か二人程度にしか効果を発揮しない。だがアントニオはこの場にいる数百人の捕虜を一度に支配した。一朝一夕で出来る芸当ではない。


 光精霊(リュミエール)の助力なしにここまで出来たのは称賛に値するが、おそらく大規模な魔法の行使に慣れていないのだろう。ナイフによる痛みで、魔法の拘束力が若干薄れた。このわずかな隙をディムはこじ開ける。


 支配(ひかり)と隠匿(やみ)。似ているようでまったく違う属性の魔法で相殺し、拘束を解く必要があった。


「さて」


 ディムに背を向けたアントニオが空気を揺らす。


 彼以外の全員がびくりと肩を揺らした。本能的なそれに、しかしアントニオは不快感を見せない。むしろどこか喜んでいるようにも見えた。


「改めて名乗ろう。ぼくはアントニオ=セシル=ド・ランプレーシュ。このランプレーシュ王国の王子にして、未来の国王だ」


 貼り付けた笑顔がまったく笑っていない。この場の全員の命を握る絶対君主に誰もがすくみ上がった。

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