22
翌日、王国軍から使者来訪の先ぶれが来た。
十中八九、捕虜の返還要求と形だけの交渉や投降要請だろうと誰もが思った。
それは間違っていなかったが、思わぬ相手にクィエル軍全体が殺気立った。
「なんだ、この不味そうな茶は」
リュミスが差し出した紅茶を覗き込み、サビオリ男爵は入れたてのそれを地面へ叩き落した。
「うわもったいね」
思わずオズワルドがそう呟いてしまい、全員に睨まれる。
交渉役としてやって来たサビオリ男爵の後ろには、付き添いだろう軍人と番号札が一人ずつ立っていた。番号札まで連れてきたのは、同胞を人質にして余計なことをさせない算段だろう。
「ゴホンッ」
わざとらしい咳払いでディムが視線を集めさせ、口火を切る。
「わざわざこちらに出向いて、茶の文句ですか。王国軍はずいぶんと潤沢だと見える」
国境警備や要人警護がメインの軍は、ただでさえ他の国に比べて小規模だ。それを知ってい
ての嫌味に、軍人が眉をひそめ、番号札が縮こまった。
「番号札ごときが出す茶なぞ、そこら辺の雑草をわざわざ煮出しただけだろ? うちには専属の紅茶師がいるからな」
対するサビオリ男爵はふんぞり返って答える。一聴するとただの嫌味合戦に聞こえるが、男爵はディムの嫌味をそうだと受け取っていない。そして返答もまた彼の中の事実を答えただけだ。
腹芸が基本と言われる貴族社会でよく生き残って来れたなと、いっそ感心するくらいドストレートな文句。
「それに貴様、番号札の癖になぜまだ堂々と座っている?」
じろりと男爵はディムを睨めつける。
「私はかつてのクィエルの名君ユリティ・サビオリだぞ。地に頭をこすりつけて出迎えるのが普通だろ」
「私は今のクィエルを治めている者」
ディムはよく通る声で反撃した。
「かつて重税を重ね、一六五八二名の餓死者、凍死者を出した人を誰も名君とは呼ばない」
「でたらめを言うな!」
振り下ろされた拳にテーブルが悲鳴を上げた。
「私の治世に皆感謝していたのだぞ! 極寒のあの僻地を“常春のクィエル”とまで言わしめた私をそれ以上侮辱するなら、こちらにも考えがある!」
「どのような?」
「は?」
速攻で返され、サビオリ男爵が言葉に詰まる。
「どのようなお考えで?」
テーブルに肘をついて彼を見るディムは、明らかに馬鹿にした笑みを浮かべていた。サビオリ男爵が何も考えていないとわかっているからだ。実際、勢いで出てきた言葉にそれ以上の力はない。脅して屈して、這いつくばった頭を踏みつけることしか想像していなかったのだ。
目の前で浮かぶ薄ら笑い。それは親戚が治めていたサビオリ領に戻ってきてから、ほぼ毎日付きまとっていた笑みだった。
――穀潰しにやれる飯はこれくらいだ。
親戚はそう言って、硬いパンと炒った豆しか乗っていない皿を押し付け、男爵一家をかつて物置小屋だった離れに追いやった。
――さすがは伯父上、これでよく領主になれましたね。
親戚の息子はそう言って笑った。言葉の裏を読みづらい男爵でも、馬鹿にされているのはわかった。
――伯父様、ドレスを見繕ってくださいな。ああ、やっぱりいいですわ。そんなセンスも甲斐性もありませんものね。
親戚の娘にそう言われ、しばらく妻や娘が荒れて大変だった。
――はやくわたくしの前から消えて頂戴。誰かさんのせいでこの家の品位がさらに落ちてしまうわ。
親戚の妻は明らかな侮蔑をたたえて言った。その扇の向こうで笑っていたのを、男爵はしかと見ていた。
彼らだけではない。彼らに仕える使用人も、新たな領主となった貴族も、街の人々も、皆男爵一家を嗤っていた。
妻と娘は男爵に当たり散らした。もっとうまく立ち回っていたら、あの極寒の地でも幸せに暮らせたのにと。
唯一笑わなかったのは番号札だけだった。彼らは男爵たちよりも貧しく、虐げられていた。彼らを躾けることで、かろうじて貴族としてのプライドを保っていたようなものだった。
その番号札が、今目の前で同じテーブルに座り、他の者たちと同じように嗤っている。
男爵の中で何かが切れる音がした。
「……黙れ」
テーブルを掴み、渾身の力でそれをひっくり返す。
「黙れ、番号札がああああああ!!」
テーブルクロスが舞い、ディムに向けて質量のあるテーブルが襲い掛かる。
周囲の兵士や使用人たちが悲鳴を上げる中、そこに蹴りを入れて追い打ちをかける。
「私は! クィエルの! 領主だ!! たかが番号札が! 意見するな!!」
ガンガンと音を立てて蹴るサビオリ男爵を見て、同伴した軍人のケネスは頭を抱えた。
ホーヴィル将軍の命で一部始終を見て来いと言われたものの、予想以上に男爵が幼稚で救いがなかった。
王都からここに来るまでの道中も、彼のわがままで何度足止めされたことか。思い通りにいかなかったら駄々をこねて暴れる。平民の子供の方がよっぽど聞き分けがいい。領主を騙る番号札が可哀想なくらいだった。
どうやってこのでかい子どもをなだめようかと考えていると、テーブルが勢いよく押し返された。
「ぶぺっ」
まともに受け身を取れなかったサビオリ男爵がひっくり返る。
テーブルの下から出てきた黒髪の番号札は、自身についた汚れを上品に払い、男爵を見下ろした。
「爵位を落とされ、陛下の温情で貴族の座にしがみつけているという自覚がないのか」
軽蔑の視線を男爵にやり、彼はケネスの方を見やる。
「こちらは投降するつもりはない。やるならあくまでも徹底抗戦だ」
唐突に本題の回答を得られ、ケネスは一瞬、思考が混乱する。
「アントニオ殿下に伝えろ。その首、かならず落としてやると」
親指を立てた左手で、自身の首を掻き切る動作をする。その顔に一切の躊躇いがないことにケネスは感心した。
「……返答、承った」
ケネスは恭しく礼をする。
「こちらも一切の慈悲をなくそう。クィエルの民は皆殺しだ」
穏やかな表情で放った殺意に満ちた言葉に、けれど彼らは動じない。
「もとよりそのつもりだ」
番号札の言葉に頷き、ケネスは呆然としているサビオリ男爵を起こした。
「それと一応、捕虜をそちらに返還する準備はできているが――」
「いらん!」
ディムを遮ってサビオリ男爵が言った。
「「は?」」
思わずディムとケネスの声が被る。
「使えん駒などいらん! 煮るなり焼くなり好きにしろ!」
「…………」
あまりの言葉に、呆然とディムはケネスを見やる。
「……念のため聞くが、そちらの将も同じ考えで?」
「いや――」
「ああ、そうだ!」
再び男爵が遮った。
「たった五百体のクィエル兵も潰せない無能共など不要! こちらにはまだ何千という兵がいるのだからな!」
空気が一気に同情へ変わった。オズワルドが口パクで「ドンマイ」と言っている。ケネスとしては、できればこれ以上男爵に喋ってもらいたくなかったが、相手は腐っても貴族。平民の自分ではその場で斬り殺されるのがオチだった。
ふう、とディムがため息をつく。
「その言葉、違えるなよ」
よく砥がれた刃物のように鋭く冷たい声。もしも言葉を実体化できるなら、鋭い剣が男爵の首筋に添えられていただろう。
それほどまでに鋭利な声を受けても、サビオリ男爵は動じない。
「フン、吠え面をかくのも今のうちだ」
本人はドヤ顔で言い放ったが、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
この時ばかりは彼の鈍感さが少しだけ、ほんの少しだけ羨ましかった。
揚々とテントを出るサビオリ男爵を追って、ケネスも連れの番号札と共に立ち去った。
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