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一方その頃、開戦の幕が上がったクィエル領境界付近では。
「一体全体どうなっている!?」
天幕で報告を聞いたジェームズ・ホーヴィル将軍がダンッ、と拳を振り下ろした。
「で、ですから、我が軍の第一部隊はみな捕虜にされ、クィエル軍に連れて行かれまして……」
「そうではない!」
竦み上がる伝令の再度の説明を遮り、ホーヴィルは詰め寄る。
「なぜこれほどの戦力差がありながら、一人も首を取ってこれない!? いやそもそも、なぜ向こうの良いようにこちらの兵を奪われているんだ!?」
そう。戦とは通常、殺し合いだ。将と将がそれぞれ手駒を率いてぶつけあい、より洗練され、先を読んだ策を練った方が勝つのだ。
しかも初手での彼我の戦力差は約二倍。援軍が来たならこちらも増援を出せばいい。戦いにもならない圧勝を収めるはずだった。
なのに、目の前で展開されたのは無血の蹂躙。やたらめったらに強い一人が王国軍のど真ん中で暴れ、倒れたそばからクィエルの兵が向こうの陣地に引きずり込んでいく。その上練習用の槍なのか、手加減するためにわざと殺傷能力を抑える魔法でもかけているのか、今のところ死者の報告は来ていない。あれだけ派手に暴れていたら数十人単位で怪我人や死人が出ていてもおかしくないというのに。だからこそ、ホーヴィルの元に情報が来た時にはすでに手が打てない状態に追い込まれていた。
番号札同士なら多少の躊躇いは生まれるし、何体かは向こうの捕虜になるのも計算のうちだった。だが、一部隊丸ごと捕虜にされるなんて想定外だ!
しかも、物見の報告が確かなら風精霊の顕現まで確認されている。クィエル軍の情報は少ないが、祝福持ちがいるなんて報告はなかった。
かつての辺境伯の置き土産を甘く見ていた。どうやら相手は、番号札としておくにはもったいないほど頭が切れるらしい。
「サビオリ男爵を呼んで来い」
「は、はいっ」
ホーヴィルの気迫に呑まれた伝令が、足をもつれさせながら天幕を出る。少ししてやってきたのは、恰幅の良い頭皮の輝く男だった。
「なんですか、ホーヴィル将軍。私は忙しいのですよ」
嘘だ。隣の天幕から下品な笑い声が届いていた。大方、持ってきた番号札で遊んでいたのだろう。
ユリティ・サビオリ男爵は、かつて伯爵位を持つクィエル領主だった。先祖が賜った地位をひけらかし、金と欲のまま生きる彼は貴族の中でもお近づきになりたくないタイプの人間だった。しかし貴族社会の悲しいところで、あからさまに無才の看板を背負っている人物でもよほどのことがない限り階級の降格や剥奪はあり得ない。
そこに飛び込んできたクィエル領主ベネディクトの反逆の意図ありの知らせは、国にとってある意味渡りに船だった。アントニオの代用として用意させられた彼は、たった五年で見事にクィエルを負債領地にしてくれた。まともな貴族はとっとと他の貴族を頼って脱出し、残ったのは脱出資金のない貧乏貴族か、彼にうまく取り入った貴族、そして番号札と扱いの変わらな
い平民だけだった。
とはいえ、はるか北にある僻地のことなんて王都ではさして重要ではない。元が流刑地だったのもあり、人が生きているなら税を課すし、いなかったら国有地として放置するだけだった。
だが三カ月ほど前、突然サビオリ一家と共に分厚い書類が王都に届いた。そこには、領民に重税を課し、豪遊していた一家の五年間の記録が微に入り細に入り記載されていた。
あまりの内容に半分は盛っているだろうと思っていたが、サビオリ本人がこれを事実と自慢げに認めたのだ。これには貴族に甘い王家も愛想を尽かし、伯爵から男爵への降格と、元から持っていた領地の没収を決めた。除籍しないあたりまだまだ甘いが、貴族にとっては十分な罰である。真面目に領地経営を頑張っていた彼の親族は気の毒だが、こういうのは連帯責任だ。
生まれは貴族でも末っ子の五男、しかも軍人一筋だったホーヴィルにもここまで詳細に話が届くほど酷いのに、サビオリ男爵はどこ吹く風で文句ばかり言っている。なんならクィエル軍よりもこちらを相手にする方がよっぽど疲れた。
「貴殿も報告は聞いているだろう。わが軍の兵が無傷で捕虜にされた」
それを聞いたサビオリ男爵は、「なんだそんなこと」と鼻で笑った。
「所詮は番号札でしょう? たしかに武器を奪われたのは痛手ですが、こちらにはまだ精鋭がごまんといる」
たしかに、小手調べとして最初にぶつけた部隊には番号札百体も混ざっている。しかも、彼らには一定の衝撃で爆発する魔法石を持たせていたのだ。
だからこそ、おかしい。
見るからに軽装な番号札をぶつけることで相手の感情を逆撫でし、少ない戦力で多大な被害を与える。ホーヴィルの目算では、これで一個部隊くらいは潰せると思っていた。
なのに。
「あちらの損害もないのに?」
「足りないなら増やせばいいじゃないか。番号札なんて掃いて捨てるほどいるのだから」
その言葉に、ホーヴィルは内心で深いため息をついた。
彼はなんにもわかっていない。
様々な資源に限りがあるように、番号札だって無尽蔵に生まれるわけではない。誕生時に神官が精霊の加護を調べて、初めて番号札かどうかが判明するのだ。
そもそも、番号札が“使える”ようになるには生まれてから三年はかかる。さすがに五年経っても使えないようでは“廃棄”せざるを得ないが、それを利用したとしても番号札の数はさほど多くない。
このまま転用されると戦力差が拮抗、あるいは逆転する。
ホーヴィルは決めた。
「なるほど、さすがはかつてクィエルを治め、クーデターを未然に阻止した御方だ」
神妙に頷きながら言うホーヴィルに、サビオリ男爵がぴたりと止まる。
「我々の想像も及ばぬ領域にて展開されるその思慮深さ、感服いたしました」
あからさまな嫌味だが、男爵はぱあっと顔を輝かせた。
「そうか! 貴様はわかってくれるか!」
一気に口調が砕け、ホーヴィルの背中をばしばしと叩く。
「今回のことが終わったら、私から陛下に上申しておこう。ゆくゆくは将校も間違いないぞ!」
「ご期待に沿えるよう努力いたしましょう」
ちなみにホーヴィル家は伯爵位を賜っているし、彼自身もとっくに将校になっている。
上手いこと言って上機嫌のまま退出させると、ホーヴィルは大きく息をついた。
「はぁー……」
「お疲れ様です」
部下がそう労ってくれるのが救いだ。ああいうおめでたい輩に思ってもいないことを言うのは、何度やっても慣れないことだ。
男爵には祝福持ちの情報を渡さない。渡したところで有効活用できるような男ではないが、妙な動きをしてこちらの作戦を乱されたくはなかった。
お茶を用意しようとする彼を止め、ホーヴィルは気持ちを切り替える。
「隊長たちを集めろ。会議を始める」
「はいっ!」
敬礼した伝令係が外へ飛び出す。
敵がどれほどイレギュラーな戦力、戦法を取ってきても、それを打ち破るのが王国軍だ。何より、番号札に後れを取るなんて失態はホーヴィル自身のプライドが許さなかった。
「将軍!」
「今度はなんだっ!?」
だが、伝えに行ったはずの伝令係がすぐに飛び込んできて、ホーヴィルは反射的に怒鳴った。
「クィエルに動きあり! 領主の旗を掲げた一団が北より迫ってきています!」
「……来たか」
ホーヴィルの目が剣呑に光った。
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