13
日が沈んでも、屋敷の中も外も忙しなかった。 ウェンディはその中で一人、取り残されたように暖炉の火を見つめていた。
いや、実際取り残されていた。
他の人たちは来たる戦争に向けて準備を進めているのに、自分はのうのうとここで食っちゃ寝の生活を送っている。
それが三日も続けば、いたたまれなくなるというものだ。
「失礼します」
ノックの音がして、リュミスが入ってくる。
「夕食をお持ちしました」
「……うん」
ウェンディの話し相手は今、食事を持ってきてくれているリュミスだけ。その彼女にもどんな顔をすればいいのかわからず、生返事しか返せない。
「お食事が終わったら、また外に出しておいてくださいね」
テーブルに並べ終えたリュミスが、そのまま去ろうとする。
「ね、ぇ」
その背中に、ウェンディは言葉を投げた。
「なんで、……領主に、従ってるの?」
それは、三日ぶりのまともな言葉だった。
部屋に引きこもっていてもわかる、使用人たちや兵士の動き。それが今日の知らせでさらに拍車がかかった。
王国軍の指揮官はアントニオ王子。誰もが振り向く美貌と知力を兼ね備え、次期国王として国内外に名を馳せる実力者。しかしその裏で、階級を問わず彼の気まぐれで殺された者も多い。
そんな人物が軍の指揮官に選ばれたとなれば、クィエルの未来は蹂躙の二文字しかない。良くて領民全員が番号札に堕とされ、死ぬまで彼の玩具にされるだろう。
可能なら逃げたいくらいの危険人物を前に、しかしクィエルの人々はむしろ殺気立っていた。志願者たちの訓練には一層の熱が入り、使用人たちの作業スピードもぐんと上がっている。
ディムが発破をかけたのは間違いなかった。
「……なぜ、か?」
リュミスはドアノブに伸ばそうとしていた手を下ろし、ウェンディを見た。
「私は……私たちは、あの方に大きな恩があるんです」
そう言いながら、詰襟のボタンを外す。
「あの地獄から救ってくれた、返しきれない大恩が」
襟を開いて晒された先にあったのは、9I06F9の英数字。
「王子は、王家は、私たちにとって怨敵なんです」
絶句するウェンディの前で、襟を戻したリュミスは告げる。
「…………ウェンディさん、図書館のどこかに、先々代さまの日記が隠してあります」
不意に、リュミスはそう言った。
「番号札について、かの御方が独自に調べたことをまとめているそうです。興味がありましたら、探してみてください」
そう言って鍵とメモをテーブルに置き、今度こそリュミスは部屋を出て行った。
ウェンディはのろのろと立ち上がり、テーブルに置かれたメモを見る。
『105.11.1 紡がれし縁はどこへ導くか~神話と縁の考察~』
そこにはディムの筆跡で書籍番号と書名が書かれていた。隠している、というから、なるほど本の題名もあからさますぎては怪しまれる。それにこのメモを彼が書いたとなれば、目的の本は彼からのメッセージでもあった。
鍵はおそらく、図書館の鍵。今は夜。そして本どころではない大騒ぎ。
本を一冊持っていくのを咎める人はいない。
なにより、先々代が番号札について記したものというのが気になった。
ディムがあれほど激高し、殺意を見せて庇うほどの人物。
ウェンディは鍵とメモをポケットに突っ込み、ランプを持って三日ぶりに客室から出た。
目的の本は、思ったよりもあっさりと見つかった。百番台の本棚は一階の一番奥だったが、幸いにも目線の高さの場所に収まっていた。
一番肝が冷えた図書館の鍵の開閉もクリアし、ウェンディはすぐに客室へ戻った。
途中ですれ違う人は何人かいたが、みんなウェンディに構っている余裕はなかった。歩きながらあれやこれやを真剣に話し合い、武器や魔法、戦力など、物々しい単語が飛び交う。
部屋に飛び込んだウェンディは、スープとパンだけを胃に詰め込んだ。空腹では頭が働かないし、満腹では眠くなってしまう。
こんな時でも、料理長の料理はため息が出るほど美味しい。すっかり冷たくなっているけど、緊張で体が火照っていた今はとても助かった。
パンとスープの皿を空にして、ウェンディは一息つく。
そして、持ってきた本をおそるおそる開いた。
『親愛なる隣人へ捧ぐ』
本は――先々代の領主、ベネディクト=アンセーヌ・クィエルの日記は、その一文から始まった。
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