海上の嵐
「成程。では、差し詰め姫の夫候補でもあるとか?」
「な、何言っているの!」
「驚くこと無いでしょう?有力な家の若い男はだいたい王家の花婿候補に名を連ねるものでしょう?そうかと思っただけですよ。姫も沢山の候補者がいらっしゃいますでしょう?まあ、今回は政治的な兼ね合いで我が国へ出向かなくてはならなくなったのでしょうが」
「私に夫候補なんていないわ。だからって、シーウェル国王の妃選びにホイホイ誘いに釣られて来た訳でも無いわ!私、興味は無いもの」
「興味が無い!自慢では無いですがシーウェル王国ですよ。これ以上の縁談は望めないでしょう?そうで無いのならどのような目的で?」
グレンは表向き驚いた表情を見せたが本心は冷静だった。彼の空色の瞳は油断無く光っていた。
エリカは困った。下手な作り話をしても鋭い彼は見抜いてしまうだろう。
「私の方こそシーウェル国王にお聞きしたいわ。この時期に何故、こんな事をされるのかを?馬鹿げているとしか思えないわ」
「手厳しいですね。では何故?姫はこの馬鹿げた招待を受けたのですか?」
答えない代わりの質問だったが逆に返されてしまった。やはり下手な嘘は通じない様だ。
それならば正直に言って協力して貰うのも一つの方法かと思えた。
「実は宝玉を探しているの・・・」
「宝玉ですか?」
意外な答えにグレンは少し驚いた。
「そう・・・大切な国の宝なのだけど事情があって流出してしまったから探しているのよ」
「しかし、王女自ら探しに行くなんて余程の代物ですね。どう云うものですか?」
エリカは言っていいものかどうか迷ったが重い口を開いた。
「それは〝魔神の瞳〟と云われている宝玉なの・・・・」
「魔神!〝魔神の瞳〟まさかあの伝説の魔神縁のものなのですか?」
「そうね・・・そうとも云われているわ」
「しかし、何故そのような秘宝が流出してしまったのですか?」
「それは色々あったみたいだけど最近の話では無いから探すのが難しいのよ・・・」
エリカは歯切れ悪く答えた。
グレンは考えた。ベイリアルの魔の手からの奇跡の回避は非常に興味深い事だった。恐らく各国もこの話題には興味津々で探っている最中だろう。オルセン自体もともとガードが固くて実態が掴み難い国なのだ。現国王は温厚で親しみ易いとの評判だが以外と侮れず、二人の息子も堅実で切れ者の王子と、父王と同じく人当たりが良いのに騙されてしまいがちだが油断なら無い王子がいる。その彼らがこの情勢の中、王女を出してまで探させる宝玉とはどう云う役割なのか?先日の奇跡に何か関わりがあるのか?
グレンはその奇跡の話を探りたかった。それは大陸の覇権を左右する重要な事柄だからだ。ベイリアル帝国とシーウェル王国、いずれはその覇権をかけた戦いが生じるだろう。それにオルセン王国が参入するのか?オルセンは伝説の力が無くても信仰と云う力がある。だからベイリアルは近隣諸国を飛び越えてオルセンを狙ったのだろう。オルセンを制する者が勝利すると信じられている。
「では、姫は各国の国自慢の姫君達がその宝玉を持参しているかも?と思っているのですね。もしくはその噂を聞きたいと?」
エリカは頷いた。正直に話して良かったものかどうか今でも迷うところだがグレンには話しても良いような気がしたのだ。
「正直、残念です。王も貴女とお会いすればきっと気に入られたと思いますが、その気が無いとは・・・しかし、その話は此処だけにして下さい。そうで無いと招待の意味がありませんから帰って頂かなくてはならなくなりますから」
「あっ!それは困るわ・・・私って馬鹿ね。正直に色々と喋ってしまって・・・」
グレンは本当に困った表情のエリカが可愛く思えた。くるくると表情を変える彼女は王女という身分を忘れるぐらい無邪気で可愛らしいのだ。
彼女を安心させてやりたかった。しかも自分を信頼させたいと思った。
「姫、申し上げましたでしょう?此処だけの話にしましょうと。内緒です。その宝玉を一緒に探しましょう」
エリカの表情が一瞬のうちに明るい笑顔に変わった。
彼はそれが見たかった。
「では情報その一です。姫からその宝玉の名を聞いて驚きました。シーウェル王は隻眼なのですが、その隠された目は何故か〝魔神の瞳〟と云われています。」
「えっ、本当?でも・・・見せてと言って見せて貰えるかしら?」
「そうですね・・・王は滅多にその隠しを外されないからどうでしょうか。だけど姫が気に入られれば願いは聞いて貰えるのでは?」
グレンは彼女の反応が楽しくて少し意地悪く言ってみた。結局、目的が違うのに妃候補として気に入られろ、と言う意味なのだ。
エリカはポンと手を叩いた。そして屈託なく笑った。
「そうか!お友達になれば良いのね!それなら自信があるわ」
「嫌、そういう意味では無くて――」
後方で会話を聞いていたデールは、やっぱり馬鹿だ、と溜め息混じりに言い、シェリーは額に手を当て、頭を振っていた。
サイラスは何を思っているのか分からない相変わらずの無表情だった。
「ねえ、グレン。王様ってどんな人?」
「どんなお方だと思われますか?噂ぐらいはお聞きでしょう?」
「知らないから聞いているのよ。それに私は噂なんか信じないの。自分で見て聞いたものしか信じ無いのよ。でもそうね・・・こんな時期に呑気に自分のお嫁さんを探しているなんて呆れたけれどね。本当にそれだけが目的なら貴方達がちゃんと言ってあげないといけないわよ。でも、違うのでしょう?」
(流されるまま何も考えない深窓の可愛いだけのお姫様ではないらしい)
グレンは真意まで答えるつもりは無かった。
その時、空の遠くで雷鳴が轟き始めた。暗く立ち込める黒雲の間からは光の矢が降っている。風も少し強くなってその雲を此方へ運んで来るようだった。
急に変化しだした天候にエリカは空を見上げ顔をしかめた。
「何?急に?」
グレンも空を見上げたが気にする様子では無かった。
「海上での天候は変わり易いから・・・でも大丈夫です。我が国は海神が守護してくれるから船に被害が及ぶ事は無いのです」
〝海神〟と聞いてエリカは驚いた。
シーウェル王の目が〝魔神の瞳〟と云われているのは自分が探している〝魔神の瞳〟では無く、オルセンと同じように魔神との契約で使う別物?
「海神!それは魔神と契約していると言う事?」
エリカはサイラスを振り返って見た。彼の表情は変わらない。デールはそんな馬鹿な事があるものか、と言うように肩を竦ませた。
「契約?ああ、オルセンの魔神は契約していたのでしたね。それ程の力はありません。王しかその姿を見た事が無いのですが、ましてオルセンの様に自由に使役する事など出来ません。しかし加護があるのは確かです。魔神の気まぐれでしょうがね。それゆえ海での我々は無敵なのです」
グレンの瞳が不敵な色を湛えて光った。かなりの自信なのだろう。しかし、その話とは裏腹に真上の空は黒雲が垂れ込んで風が一層強くなり海が荒れ始めたのだ。船を呑み込むこの様な大きな波と落雷が襲いかかってきた。
「まさか!」
グレンの顔色が変わった。その表情から察するに本当に彼が言っていた事はかなりの自信と確信があったと伺えたが―――
グレンはすぐさま嵐に立ち向かうべくバイミラーに指示を出して、エリカ達に船室に戻るように言うと、揺れて滑る甲板を走りだした。予想されなかった事態に船上の者達は右往左往していたが流石に訓練された兵士達は次第に落ち着きを取り戻し始めた。
エリカはサイラスに庇われながら船室へと向かっていたが揺れが大きく思うように進まなかった。猛り狂う大波に呑み込まれる者達が方々で発生していた。自然の驚異にエリカは恐怖するしかなかった。
その表情を見たサイラスは彼女の耳元で囁いた。
「皆を助けなくて良いのか?」
そうだった―――この状況をどうにか出来る力を自分は持っているのだ。無力な人間には無い力を持つ魔神が此処にいた。しかも自分の命令一つでそれを可能にする事が出来るのだ。問う魔神は何を思っているのか?
二度と命令はしないと誓う自分に何故、問いかけるのか?
見上げたサイラスの表情は変わらないが瞳が淡い金色になっていた。
横に付き従うデールはニヤニヤとしながらエリカが答えるのを待っている。どうせ使うだろう、と思っているのだろう。
エリカはサイラスに手招きした。魔神は背を折って彼女の声が聞こえるように顔を近づけた。エリカの瞳は辛そうな色を湛えてはいたが迷いは無かった。細い両腕が魔神に差し出されたかと思うと彼の首に抱きついたのだ。
「おい!馬鹿女!何をするんだ!我が君から離れろ!おいって――」
デールはすぐさま抱きつくエリカに抗議したが何時もの返答が無いのをいぶかしんだ。
エリカはサイラスに強くしがみ付いたまま肩を震わせていた。
「私は決めたのよ。あなたに命令しないって―――どんなにそれを望んでいても。それをしないって――私はしたく無いの」
「・・・・・・・」
サイラスは何も答えない。主命が無いのなら動く必要は無いのだ。
デールは呆れた。この後に及んで親子共々お人好しな彼女が皆を助けようとしない、嫌、助けたいけれど自分の誓いと云うかサイラスとの約束を違えないようとする意思の強さに呆れたのだ。
(なんて人間だ!頑固な奴!これじゃ自分が傷つくだけだろうが!きっと後で、わぁわぁ煩く泣くに違いない)
デールは悪態をつきながらも少しばかりエリカの心配をした。
サイラスの首元に顔を埋めながら小さく震える頑固なエリカを、彼はそのままの状態で脚をすくって抱き上げた。そして再び耳元で囁きかけた。
「本当に良いのか?」
エリカがビクリと肩を上下させたが強く頭を振った。
確かに力の恐ろしさと乱用を戒める必要があったが、此処まで頑なになるとはサイラスも予想外だった。余程先日の件がショックだったのだろうが・・・・・
エリカさえ守っていれば良いのだし、主命以外で力を使う事は今まで一度も無い。自分が感情に動かされる事など一度たりとも無かった。主の命が無く、罪も無い女子供が斬殺され街が焼かれようともその場で見ていた事も度々あった。そこで一緒に嗤えと言われれば嗤った。哀れむ気持ちさえ許されなかった時もあったのだ。何時に無く気になって言葉をかけてしまうのは、やはり彼女だからかもしれない―――
サイラスが再び話しかけようとしたその時だった。小船のように揺れていた船に大波が襲い掛かり、あっという間にサイラスとエリカを呑み込み海へと引きずり込んでしまったのだ。二人は海低に吸い込まれる様に沈んで行く。エリカは不思議と落ち着いていた。サイラスに抱かれているせいか海水の中でも息が出来るし瞳も開く事が出来た。ふと、サイラスを見上げると魔神の姿に戻っていた。夜の闇のような流れる黒髪は水中で漂い、黄金の瞳が妖しく光っていた。
(やっぱり、綺麗だなぁ・・・)
エリカは封印の間で過ごしていた日々を思いだした。静かな二人だけの世界―――
(なんて静かなんだろう・・・このまま死んじゃうのかなぁ・・・)
それは無いか、と頭に浮かんだ思いを否定した。
魔神は契約により必ず主を守るのだ。そう、主だけ―――それは駄目だと思った。人間の寿命は魔神に比べればとても儚く短い。自分が生きている間なら問題は無いが、その終わりは避けられないのだ。サイラスを解放する事が出来なかった場合はどうなるのだろうか?と思ってしまうのだ。主を亡くした彼はどうなってしまうのだろうか?と。もしかして続く契約者がいなければ解放されるのだろうか?それとも主がいようといまいと契約の戒めは彼を心の無い人形のようにしてしまうのだろうか?そんな事は無い、とエリカは思いたかった。抑制された中にもサイラスの意思が見え隠れしていると感じるのだ。囚われる前の様に自由な意思で生きて貰いたいと願うのだ。
だから命令なんか絶対にしない―――