王位を守護する魔神
居並ぶ者の誰よりもエリカが飛び上がって驚いた。
「クライド兄様!何馬鹿な事言っているの!そんなのありえない!」
「いや、エリカ。クライドの言う通りだ。次代と言うよりも既にお前が王なのだよ」
「お、お父様まで・・・そんな馬鹿な話がある?言っている意味が理解出来ないわよ!」
王は娘に課せられる使命を思い哀れんだ。
王国の守護魔神を使役出来るものが王国の主となる―――これは代々受け継がれた決まりだった。当然だろう。最高の力を持つ者が王国を統べるのは理に叶っているのだ。だから代々の王家は継承者にのみ魔神を使役する秘儀を伝えてきたのだ。王の証は傍らに立つ魔神だった。
ところが今回は予期せぬ契約が結ばれてしまった為に、兄達を飛び越えて王女であるエリカが王となる訳だ。今まで政務に関係なく大事に育てられただけの王女に、王家の誇りはあったとしても国を治めるだけの知識はもちろん、心構えさえ持っていないのだ。重臣達もエリカの意見に賛成だった。
そんな馬鹿な事など承認出来ないと―――
「お父様!黙っていないで説明して!」
王は頼りになる息子クライドと沈痛な顔で目を交わしその重い口を開いた。
「魔神サイラスよ。もしこのまま余が退陣せず王権を持っていたらどうなる?もしくは王子クライドが王となった場合は?」
エリカは憤った。
「何故?サイラスに聞くの!」
王はエリカの言葉に耳を貸さず、魔神の金の瞳を強く見つめた。王家に伝承される魔神にまつわる数々の記述。それによれば・・・・
「魔神よ。どうなる?」
サイラスは弧を描くように腕を上げ、王を指差して答えた。
「・・・いにしえの契約により我が主の権利を奪うものには死を与える」
エリカは再び飛び上がって驚いた。瞳を大きく見開きサイラスを見上げて叫んだ!
「サイラス!何馬鹿な事言っているの!私はそんな事望んでいない!やめて!」
エリカは彼が王を指差す腕にしがみ付いた。しかし、その腕は王を捉えたまま微動だにしなかった。
「無駄だよ。エリカ。彼はそういう命を受けているのだからね」
エリカはしがみついていた腕を振りほどきサイラスの胸を叩いた。
「駄目!駄目よ!そんな命令なんかナシよ!」
サイラスの瞳だけが動いてエリカを見下ろした。
「――主の望みでも解除は出来ない。そう云う命を受けている」
「そんな・・・・」
エリカはサイラスを叩いていた両手を力無く下ろすと、兄クライドが淡々と語り出した。
「エリカ、我々ではどうする事も出来ないんだ。王家の権力争いに歯止めをかける為に当時の王が魔神に命じた解除出来ない絶対法則。それに諸外国からもその力は狙われるから魔神を支配する者には確固たる足場が必要だったのだろう。国と云う権力が・・・」
「でも!私は望まない!絶対にイヤ!私に出来る訳無いでしょう?何にも知らないのよ?無理に決まっている。あっ!そうだ!私は王様って名前だけにして実際はお父様がやれば?そうよ!それなら大丈夫でしょう?」
父と兄は大きく溜め息をついた。
「エリカ。そういうのは傀儡と言うのだよ。傀儡こそ認められない。そうであろう魔神よ」
王の問いにサイラスは無言で頷いた。
「エリカ。王は皆の意見も聞くが最後は自分で決断しなければならない。そしてその責任を持たなければならないのだよ。その責任を他の者に背負わる者を王とは言えない。もしそうなれば魔神の契約が発動するだろう」
エリカは目の前が真っ暗になった。父や兄達が王家の責任の元に、王国に尽くしている様を、傍から見ても大変な事だと思っていた。それに比べて自分は姫だし、王族として恥ずかしくない教養を身につけ、年頃になったら何処かに嫁いで行く。それが当たり前だと思っていたし、それ以外の人生など考えられなかった。だが拒否すれば父も兄も魔神サイラスに殺されてしまうのだ。選択するまでも無い。自分が王になるしか無かった。
「わ、わたし・・・私が王に・・・」
エリカはそう呟いたまま黙ってしまった。
「魔神よ。余はエリカに王位を譲る。直ぐにでも戴冠の儀を執り行いたいのだが実は肝心の例の王冠が無いんだよ。無くても構わないのであろうか?」
〝例の王冠〟とは王位継承に必要とされる鍵とも云うべき大事なものだった。魔神と宝冠は対でありその冠を戴く者に魔神は従ってきたようなものだったのだ。彼を隷属させる秘儀に使われる神器でもあった。その支配の鍵の一つであったものも使わずにエリカはそれらの法則を破って魔神と契約を交わしてしまった。本当に不思議な話だ。
「――無いのは許されない。王権への妨害とみなしそれを排除する」
「やはりな・・・まさか魔神が復活するなど思ってもいなかったから呑気にしていたがね」
「父上!どういう事ですか!」
冷静なクライド王子も王のこの発言には驚いて立ち上がると声高に問い質した。
「ふぅ・・実は国が災害に見舞われて父の後を継ぎ急ぎ戴冠の儀を行った後だね。土砂と泥まみれの荒野にその冠を戴く自分の姿が愚かに見えたのだよ。皆は困窮していると云うのに自分は何をしているんだとね。輝くその宝冠はどれだけの人々を救えるだろうかと思ったよ。それは昔と違って守護魔神を与えてくれる訳もなければ只の高価な冠にしか過ぎなかった・・・・」
「ま、まさか・・・・売ったのですか?」
王は微笑んで頷いた。
「そう。バラバラにしてね」
クライドは呆れ果てて脱力して腰掛けた。
重臣の一人が弱弱しく付け加えた。
「・・・お止めしたのですが・・その・・・食べられない宝石よりも明日のパンをと申されまして・・・」
実に父らしいとクライドは思った。エリカも同意見だった。
大陸統一時代から受け継がれてきた国一番の宝である(本来の一番は魔神だが)王冠を簡単に売り払うなど普通なら考えられないだろう。その価値は金額に換算するものでは無いが国を立て直すには十分な金を与えてくれたのだった。
エリカは吹き出さずにはいられなかった。だがサイラスの言葉を思い出した。〝無いのは許されない。王権への妨害とみなしそれを排除する〟そうだ!〝無いのは許されない〟のだ!
「み、見つける!私が見つけるからサイラスそれまで待って!お願い!」
見つけると言っても宝冠はその形を留めていない・・・・
それは無理な話だった。
だが一同は魔神の答えを待った。
「・・・・真に無いのか?必要なのは私の眼だが?」
サイラスは王に低く問いかけた。
「サイラスの眼ってどう言う事!」
エリカの問いかけより先に問われた王が答えた。
「冠の中央にあった宝玉は魔神の眼球だったと云われていたが・・・本当だったのか・・・」
「眼球!でも、サイラスの眼は両方あるわ。何故?サイラス?」
心配そうに自分を見上げる少女をサイラスは見つめた。
「・・・・我の肉塊はちぢに割かれようとも元に戻る」
本当の死など魔神にとって縁遠いものだった。ただ一度を除いてだが―――
エリカはコクリと唾を呑み込んだ。
「じゃあ・・・そのサイラスの眼を・・宝玉を見つければ良いのね?サイラスの瞳なら黄金色よね?それがあったら戴冠の儀が出来るからお父様は助かるのよね?」
サイラスは何か言いたそうに思えたが無言だった。
「では魔神よ。その魔神の瞳をエリカが手に入れた時点で即位すると言う事で認めて貰えるか?」
王は頼むようにサイラスに問いかけた。
「―――主がそれを手に入れれば依存は無い」
「そなたがそう約束してくれるなら問題は無いな。安心した」
「お父様!何安心しているのよ!それを見つけないといけないのよ。それとも何処にあるか分かっているの?」
「いや、全く」
父の気楽な言葉にエリカとクライドは呆れてしまってお互いに顔を見合わせてしまった。
そんな二人を気にせず呑気な王は、エリカが再び飛び上がるような話をし始めた。
「当てが無いわけでは無いのだがね。エリカ、そなたシーウェル王国に行ってもらえぬか?」
「えっ?何?シーウェル?」
「そう。あのシーウェル王国だよ。そなたの縁談でね」
「えええっ―――」
クライドはもちろん重臣達も初耳のようでエリカと同じく驚いてざわめいたが、王だけが愉快そうな表情で話しを続けた。
「実は前にシーウェルの国王より親書が届いていてね。各国の年頃の王女を招いて舞踏会を開催したいとの内容で、その本当の目的は自分の花嫁選びだそうだ」
「ば、馬鹿?その王様は!馬鹿としか言いようが無いわ!政治に疎い私だって少しは分かるわ!大陸中がベイリアルの侵攻で戦々恐々している最中よ!今まで呑気に昼寝でもしていたかのようなシーウェルがやっと何かを言って来たかと思ったら、自分のお嫁さん探しですって!大馬鹿者よ!」
エリカは頬を蒸気させて大声で叫んだ。全く馬鹿げている話だ。大陸一の大国だからと言って他国を馬鹿にするのにも程がある。エリカは許せなかった。各国の王女を並べての品評会など傲慢な考え方に吐き気がした。
憤る娘に笑みを深めながら王は続けた。
「まあまあ、エリカ落ち着きなさい。やっとシーウェルが重い腰を上げたのだからね」
「重い腰ですって!重過ぎるわよ!国王は太った豚?」
「これ、女の子が汚い言葉は慎みなさい。これは非常に意味があるものだよ。各国を飛び回っているアルフからは昨晩情報が届いてね」
アルフとはエリカの二番目の兄で、社交的な彼はその特性を生かして外交を主な仕事としている。今回のベイリアル侵攻時は留守だったのだ。
「アルフからの内容は各国の情報だった。主だった国にも同じくシーウェルからの親書が届いていたそうだ。各国はこの縁談がまとまれば大きな後ろ盾が出来る絶好の機会だと大いに乗り気らしい。更に我が国がこうなったから、これまた絶好の機会と舌なめずり状態らしいのだよ」
エリカは後ろ盾とかやらは分かるが、その後の話の意味が理解出来なかったが、クライドは成程と頷いて言った。
「公の場で各国は堂々と我々を探る事が出来る訳か・・・今、最も不可解で謎めいた事実を暴く機会を逃す国はいないだろう」
〝ベイリアルの侵攻失敗〟と言う謎の事件は憶測だけが流れていて、その事実が自国にとって有益なのか不利益なのか判断出来ないでいるのだ。エリカは国の事情とやらは何と無く分かったが、それなら自分が行く必要など全く無くかえって行かない方が無難だと思えた。
「じゃあ、行かなければいいじゃない。それにそんな茶番に付き合っているよりも私は先にする事があるでしょう?そっちが大切よ!お父様達の命に関わる事なんだから」
「そうそう、エリカそれなんだよ。それこそ各国が国の威信を賭けて姫君を送り出すだろう?シーウェルの国王に気に入ってもらえるように大いに着飾らせて・・・」
「あっ!」
「それを身に着けていれば上々。あれだけの宝石だ。国一番の姫君達なら何か知っているかもしれない。花と宝石は姫君の最も好むものだからね」
「成程ね・・・だけどお父様!偏見よ。私は、花は好きだけど石っころより、お菓子の方が好きだわ!」
「それはそなたが変わり者なだけだよ」
「もう!お父様!怒るわよ!」
議会の間は爆笑に包まれた。厳しい顔をした大臣から、普段は冷静沈着なクライドまで緊張した話の内容を吹き飛ばすように笑った。
昔から屈託の無い王女の存在は皆の心の安らぎだった。その王女が魔神を得て王となる。もちろんクライドも賢王となっただろう。描き易い未来だ。だがエリカの未来は予測がつかないが心浮き立つものを感じた。きっと〝魔神の瞳〟を戴いた女王に心から跪き忠誠を誓うだろうと重臣達はそれぞれ思うのだった。