魔神の主
エリカは彼の言葉に頷きながら、今の状況を忘れてその瞳に魅入ってしまった。無表情の中で輝くその瞳には自分が映っていた。
サイラスは数年前から誰かが自分に話しかける声を聞いていた。しかし最後の命であった眠りを妨げるとは思わなかった。それが出来るのは遥か昔の最後の主人であった王だけなのだから・・・その王も今は存在せず、新たな契約も正式に出来ていない。主従の契約は確かに契約者の血を口にするが、重要なのは自分を縛る呪と神器が必要であり、それらの不足で契約は完了していないのだ。何故、深い眠りより目覚めたのか分からなかった。
しかし、我が身に刻まれた宿命は目の前の少女が主人であると告げていた――――
感情を持たぬ死の兵士らも、只ならぬ張り詰めた空気に攻撃を躊躇していたが、再び総がかりで襲ってきた。
「きゃ―――サイラス!危ない!」
エリカは叫んだ。
兵達に完全に後ろを向いていたサイラスが真後ろから切りつけられたのだ。しかし刃は皮膚を裂くどころか逆に弾き飛ばされて彼を傷つける事は出来なかった。
サイラスは振り向いて後ろの兵達に視線を流すと、再びエリカに問いかけた。
「あれは、汝を害するものか?」
「そうよ!サイラス、助けて!みんなを助けて!」
「承知」
彼は金の瞳を閉じて承諾すると、死の兵らに伸ばした腕を横に振った。ただそれだけの様に見えた。だがその一瞬で兵達は砂塵の様に跡形もなく崩れ去ったのだ。それから彼は瞳を閉じたまま何やら呪を唱え始めていた。長い黒髪が夜の闇のように舞い上がっていった。髪の揺らめきと共に暖かい風が流れ、その場の大気が膨張していくような感じだった。そして金の瞳が開かれると一気に大気が弾け大地が震えた。
「い、今のは何? ぶぁ~って何かが駆け抜けたみたいだったけど・・・」
「汝に害する者を全て消去した」
「えっ? まさか全部? 本当に? あっ、父様達!」
エリカは家族の安否を確かめる為に慌ててその場を後にしようとしたが、人形の様に立ち尽くす魔神に手を差し出した。
「サイラス、何しているの? 一緒に行きましょう」
彼は差し出されたエリカの手をじっと見つめているだけだった。エリカはにっこり笑うと差し出したその手で彼の手を引っ張った。その手は大きく彼女の手では指しか掴めなかったがその指は今までと違って温かかった。
〝生きている証〟 それが彼女はとても嬉しかった。
「・・・・・・」
サイラスは間近で微笑むエリカを見た。微かな灯りの中でも薄紅の瞳が輝いていた。
魔神は何も映していないかの様な黄金の瞳を細め、その双眸を閉じると何か呟いた。
「何?何か言った?」
エリカは魔神の発した言葉を聞き逃してしまったので、無邪気に首を傾げながら聞き返してみた。しかし魔神はただ彼女を見つめるだけでそれ以上口を開く事は無かった。
エリカは彼が何と言ったのか気になったが、つないだ手を再び引いて歩き出した。サイラスは無言のまま、引かれる手に誘われながら自ら施した封印の間を踏み出して行った。
時の流れる中へと―――
城内は悲惨なものだった。城は所々打ち壊されていて、数多くの者達が切り殺され、外は射殺されている者も多数いた。しかしサイラスが言った様に死の軍団は影も形も無かった。本当にあの一瞬で消滅させたようだった。
エリカ達は、さっき別れたばかりの城の奥へ向かった。流石に親衛隊は精鋭揃いなだけあって見事に王達を守りぬいていた様だった。しかし急な敵の消失に全員が呆然としている様子だ。
エリカは走り出して父に飛びついた。
「父様!良かった。みんな無事?」
「エリカ!」
王は愛娘の名を呼んで、その後ろに立つ者を見て目を見張った。敵兵の残骸の中に悠然と立つその姿は、人外の圧倒的な存在感に溢れていた。完璧なまでの肉体と、背を覆おう闇色の長い髪に黄金の双眸。誰の目にも明らかだった。まさに人間でない存在――――
「守護魔神・・・・エリカ、そなた・・・魔神を目覚めさせたのか?」
「何だか分からないけど目覚めて、みんなを助けてくれたの。本当に彼は守護魔神だったみたい!サイラス、紹介するわ。父様よ、そしてこっちがね―――」
彼は目線を動かしているものの彼女の紹介など聞いている感じでは無い。全くの無表情だった。機械仕掛けの人形のようだったと伝わる恐ろしい力を持つ魔神そのままだ。
王は畏怖を抱かずにはいられない存在の彼に問いかけた。
「余がオルセン王国の現在の王だが、そなたは余に仕えるのであろうか? それとも・・・」
「私の主は汝では無い。我の主は・・・」
サイラスはチラリと王を見たが、その視線はエリカに戻されていた。
王の予感は的中した。苛酷な試練を我が娘が受けなければならないのかと神を呪いたくなった。伝説によれば守護魔神は主の言う事しか聞かない。王国の守護者では無いのだ。彼の力を私しようとした者の考えでそうなってしまったからだ。だから魔神の力をどう使うかはその主の考え一つとなる。それゆえ魔神の力を欲する他の者は彼の主を狙うのだ。
(エリカは常に陰謀の渦中に巻き込まれ、そして真っ直ぐで素直な心が幾度となく傷つき悲しむことになるのか?)
王は娘を見つめる魔神に無駄な事だとは思ったが声をかけた。
「守護魔神サイラスよ。エリカを守ってくれ」
「・・・・言われるまでも無い。主を誰にも害させる事などしない」
「そうでは無い。あれの笑顔を・・・心を守ってやってくれ。悲しませないでくれ」
「・・・・・・」
〝ベイリアルによるオルセン侵略の失敗〟 の報は、大陸全土を駆け巡った。
オルセンは今や弱小国に成り果てたと云っても、かつては大陸に覇を唱えた伝説の王国。諸外国にとって潜在的に触れてはならない不可侵の存在だった。魔神を使役したその王国の王家は神格化されていたのだ。ベイリアル帝国の侵略方法は皆知っている。損害も疲れる事も無い軍を持つ国に唯一対抗できるのはベイリアルより国力が勝るシーウェル王国だけだった。だがその国は諸外国の同盟要請に沈黙を続けている状態だ。その情勢の中、オルセン王国への侵攻。誰がこれを予測しただろうか?
死の軍団の消滅を―――
シーウェルが動いた訳でも無く、何がこの王国を救ったのか?
やはり不可侵の王国に手を出した天罰なのか?それとも伝説が蘇ったのか・・・・・
諸国は真実を求めてオルセン王国の動向を探り始めたのだった。
奇襲をかけてきたベイリアル帝国は主力部隊の謎の消失で力を削がれ、原因が分からぬ今は沈黙し、再攻勢をかける様子は無かった。
しかし慌てたのはベイリアル帝国の侵略を手引きしたカルヴァート国だった。同盟を結んでいながら裏切って、自国からオルセン王国へ軍隊を通した卑劣な行為を犯したからだ。当然、オルセン王国はベイリアル帝国と同等にカルヴァート国を敵とみなすだろう。カルヴァートの国力はオルセンと変わらないから裏切ったとしても大帝国が後ろ盾となり憂慮する事は無かったはずだった。だが、まさかのベイリアル敗戦で状況は一変したのだ。頼りの帝国は沈黙し返事すら無い。だからベイリアルなど信用するのでは無かったのだと論争されたがもう後戻りは出来なかった。同盟を結んでいた近辺諸国からは完全に孤立してしまった。
それぞれの国の思惑が交錯する中、オルセン王国の一件は大陸の勢力分布さえも変えようとしていのだ。
しかし一番暢気なのはその話題の中心であるオルセン王国に他ならなかった。自国の民でさえも何故助かったのか分かっていないが、今や神格化されている王家がその力を使ったぐらいしか思っていない。魔神の力が無くなって久しいのにも関わらずその信仰だけが生きているのだ。
そして大いなる力を持つ魔神の主が王族とは言っても政権に全く関わる事の無い若い王女だ。その父である王も野心は無く自国の平和だけを願う実に穏やかな性格の持ち主であった。だから魔神を以前のように利用するつもりは無いのだ。
それでもこの数日議会の間に集まった重臣達の意見は分かれるところであった。
「王、ここは一気に裏切りものであるカルヴァートと、世界の脅威であるベイリアルを攻める絶好の機会であると思います」
「いや、待たれよ。隣国のカルヴァートなら分かるがベイリアルのような遠方の地を攻略してその後遠隔統治など難しいと思わぬか!」
「いいや、せっかく恐れをなして沈黙したベイリアル帝国を刺激して起こさなくても良い戦いをする必要は無いのではないか?」
それぞれの論説が飛び出し、その度に同意するもの反論するもの様々だった。しかしついに当然の言葉が飛び出してきた。その者は大きく声を張り上げて言った。
「それならいっその事、我が国が大陸統一をしてしまえば良いでは無いか!」
一同、息を呑んで静まり返った。
王は重臣達を見回し、こんな事になろうかと思い隣室で待機させていたエリカを呼び入れた。その後ろには当然、魔神サイラスが付き従っていた。他を寄せ付けない、見るだけで戦慄を覚えるその王国の守護者―――
重臣達の視線は、入室して来た王女よりもその背後に立つサイラスに注がれていた。
彼は何を思い感じているのか?その表情は無に等しかったが主のエリカは違っていた。隣室で聞いていた意見に怒っていたのだ。薄紅色の瞳が憤りで紅く染め上がっているようだった。皆の意見はバラバラのうえに、まるで新しい玩具でも手に入れたかのようにはしゃぐ者達。しかも止めが 〝大陸統一!〟
(冗談じゃない!ベイリアルの死の軍隊ならまだしも、サイラスに人殺しをしろと言う訳?絶対に駄目!これじゃ昔と同じじゃない!)
王もエリカの怒りは最もだと思っていたが、ここで国の方針を一同にはっきりさせなければならなかった。王は怒りを今にも爆発させしょうとしている娘にでは無く、後ろのサイラスに問いかけた。
「魔神よ、そなたにこの大陸の統一を再び望めばやって貰えるのであろうか?」
エリカは、父が言うはずが無いと思っていた言葉を聞いて反論しかけたが制された。
「エリカ、サイラスに聞いている」
エリカは振り向いた。サイラスの金の瞳と目が合った。彼の瞳は何も映して無いようだが、その視線をエリカから外す事は無かった。常に彼女を追い続けるのだ。それが契約と言うものなのだろうか?
サイラスは質問に答えた。その声は静で感情が無く戦慄を覚えた。
「―――主が望むのならば・・・大陸は如何様にも」
王は口元を軽く上げながらサイラスの言った言葉を繰り返した。
「エリカが望めば・・・か。どうだ?エリカ?」
「私が大陸統一なんて望む訳ないでしょ!他国を干渉するよりも自分の国の心配をするべきよ!戦争なんて嫌!サイラスにそんな事をさせたくない!」
最後の方は背の高いサイラスを振り仰いで言った。
「・・・・・・・」
エリカの憤りに揺れるその瞳を受けながらサイラスは黙した。
王は微笑みながら居並ぶ重臣達を見渡して言った。
「と、言う次第だ。守護魔神は主のエリカの望まないものは決してしない。魔神のおかげで侵略は免れて被害も広がらなかった。しかしその爪あとは残っている。それと同じものを他国に付けて良いと誰が許すのか?憎むべきベイリアルと同じものになりたいとは余は思わない。力で凌駕しても強大な力は憎しみを生み、その報いは倍になって返ってくるだろう。今までのわが国の歴史が証明している。臆病だと謗りを受けても構わない。一緒にここまで国を支えてくれた貴公らは分かってくれると余は信じている・・・」
王は静かに語り終えた。
彼は若くして王座に就いた。天災で前王と主だった重臣達が亡くなり、発足した新政権は同年輩の者達ばかりだったのだ。経験不足で何度も危機に陥ったが、皆情熱を傾けて弱小ながら争いの無い平和な国に建て直したのだった。苦労を共にしてきた重臣達は王の言葉で昔に思いを馳せた。誰も王に反論するものはいなかった。そしてそれぞれが思った。
魔神の主が野心を持たない、この姫であって良かったと―――
だが他国がこの状況をどう受け取るのかが問題だった。魔神の存在が知れ、それを恐れて王国に手を出さないのなら良いが、反対に伝説を恐れて自国を守る為に団結して攻撃をかけて来る可能性もあった。伝説の魔神が現れたオルセン王国はベイリアル帝国と並び畏怖される存在となるだろう。
暗黒の時代が来たと―――
それを真っ先に思案したのは第一王子のクライドだった。父王を始め国の重鎮達は平和ボケで事の重大さに気が付かないのを腹立たしく思っていた。此方からは何もしない、では済まないのだ。知的で教養が深かった前王妃の面差しに良く似たクライドは眉根を寄せた。そして怜悧な視線を魔神サイラスに向けながら言った。
「王と諸侯らに問う。彼をどう扱うおつもりか?」
クライド王子から発せられた言葉はざわめく場を一瞬にして沈黙させた。
〝どうするのか?〟そうなのだ。それが問題だった。
魔神の存在を告知して我が国が他国を侵略する意思など無い、と言って通るとは思えないのだ。今は周辺諸国と同盟を結んではいるが侵略を開始したベイリアルに対しての処置であって微妙な間柄だからだ。
「大陸を統一する程の力なのだから我が国だけ、その力で守ってもらえば良いのではないか?守護魔神として」
王子の問いかけに対して重臣の一人が発言した。
同意する者達が頷きながらざわめいた。
クライドは大きく溜息をついて静まるように手を上げると冷ややかに喋り出した。
「国境に侵入出来ない様に術でも廻らし他国から隔絶するつもりか?それとも進入して来る者らを一人残らず殺して行くのか?彼ならどちらも可能だろうが何れも得策では無い。国境封鎖は我が国からも他へ行くことも出来ず、隔離された状態では国として発展も止まり衰退して行くのは手に取るように想像出来る――自衛手段は結局、綺麗な言葉で飾ろうとも戦争と同様・・・・」
王子の侮蔑がにじむ言葉に再び皆は沈黙した。
静まり返った重臣達を見回しながらクライドは続けた。
「それともう一つ。王家の規範により魔神の主であるエリカが王統を継ぐ」
彼が呟いた言葉が??伏線です。何と言ったのか・・・それは後半にて。そして名前だけ出てきた悪役の帝王ゲルト。この方、本当に名前だけなんですよ。本人でません。そこまで出すと話が長引きそうなので涙を呑んで止めました。敵役に愛を注ぐ私としては惜しいのですが…仕方ないですね。
そして主の言うことにのみ従う魔神~この感じ!! が、好きなんです。くぅ~これがイイ!←自己満足(笑) そして頭が固く融通のきかないような、お兄様クライド王子好きですね。彼の設定は迷いました。初めエリカとは血が繋がらなくて結婚予定という設定でしたが・・・かなり違ったものとなりました。