魔神の瞳<最終話>
三人で連れ立って歩き出したのを少し寂しげに見つめていたグレンに、ジャラが囁くように話しかけた。
「そなた、振られたのであろう?」
グレンはその彼を、ちらりと見て溜息をついた。
「見ていたのですか?」
「まさか。そんな行儀の悪いことはしないよ。あの二人には我も入り込めぬゆえ」
「え?貴方もエリカが好きだったのですか?」
意外だというようにグレンが驚いた。
「いや、我の心はアーカーシャを求め・・・」
「はぁ?貴方はそのような趣味だったのですか!」
ジャラはにやりと微笑んだ。
「振られた者同志、我はそなたも気に入っているから悪いようにはしない。我の愛は深く激しいゆえ」
グレンはぞっとした。
「え、遠慮致します!私にそんな趣味はありませんので!」
「馬鹿め、冗談だ。誰が可愛くない男などに懸想するか!だいたいアーカーシャの奴め、我の友情よりも女を取りおって!我が楽しくないではないか!」
グレンは呆れて笑いを堪えた。この海神と出逢ったころから思っていたが、彼は寂しがり屋なのだとつくづく感じた。何かと構ってやらないとへそを曲げるのだ。
「で、どう致しますか?我々は城下町に遊びに行きますが?付いて来られるならそのお姿をどうかして下さい」
ジャラは行くのは当たり前だというように白銀の海神は瞬く間に姿を変え、グレンと共にエリカ達の後を追って行ったのだった。
次の日、エリカ達一行は魔神の力で瞬く間にオルセンへ帰国した。小さな竜巻のような風が王宮に起きたかと思うと、その中からエリカ達が現れたのだ。
「ただいま!お父様、兄様」
エリカはそう言ったかと思うと驚く二人へ次々と飛びついた。
「早かったなエリカ。どうしてまた・・・舞踏会はまだだろう?」
エリカ達の帰国の方が早かったから当然だろうが、シーウェル王国での出来事はまだ知らせが届いてないらしい。エリカは事情を説明した。大きな情勢の変化に皆食い入るように聞いていた。毅然と的確に報告する娘を頼もしげに見ていた王は呼ばれる声に、はっ、とした。話終えたその娘が怒った表情で自分を見ているのだ。
「お父様!私、お訊きしたい事がありますの。私が探しに行った〝魔神の瞳〟はこれでは無いのですか?ご説明して頂けませんか?お父様」
エリカは左手にしていた腕輪をかざしながら父に詰め寄った。手首に輝く青い宝玉が揺れている。兄は驚いたようだったが、他の重臣達はそんな素振りは無かった。皆、知っていたのだ。歴代王達の肖像画を見てもその頭に冠した宝冠の中央には、黄金の宝玉しか描かれていなかった。だから青い宝玉では無い筈だった。
「・・・・確かにエリカの言うようにそれが〝魔神の瞳〟だよ」
「やっぱり!どうして?こんな・・・」
「元々、他の宝石は売ってもこの宝玉は王家の証みたいな物だから売るつもりは無かった・・・確かにこの宝玉は黄金色だったが、宝玉を取り出す為に冠を砕いたらこの色に変化してしまってね。余も驚いた」
強力な隷従の封印を施すその一つとして、自らの瞳をくり抜いて魔神が作った宝冠はそう易々と壊れる物では無い。しかし魔神の権利を持つ事が許される王ならばそれを解く事は可能だったのだ。そしてその鎖が解かれ隷属の証である瞳の色の変化が消えたのだ。その事により永遠に眠り続ける筈だったサイラスの封印も弱まっていたらしい。魔神の浅くなった夢の中から微量な力がエリカを呼び、扉を開けたのだろう。
「お父様!私に何故嘘をついたの?それにサイラス!あなたも自分の瞳なのだから知っていたのでしょう?あっ!もしかして出掛ける前、何か二人で話していたのはこの事?ベイリアルの事とサイラスは言っていたけれど」
王が答える前にサイラスが淡々と答えた。
「王に頼まれた。汝に心の準備をさせたいと・・・そして王宮の外の世界を見せてやりたいと言われた。だからその瞳は汝に渡すが黙っていて欲しいとの事だった」
運命の変化に対する父の愛情だったのだ。それよりもそれを承諾した魔神にエリカは驚いた。彼には関係無い事なのにだ。
「・・・・サイラスあなた・・・こんな嘘に黙って従っていたの?」
「従ったのでは無い。それが妥当だと思ったからそうしたまで」
エリカは眩しかったシーウェルの陽の光よりも輝くように微笑んで、サイラスの首に抱き付いた。
「ありがとう!サイラス。大好きよ!」
魔神は驚き瞳を見開いた。デールは肩を竦めただけで邪魔はしなかった。
エリカは嬉しかった。サイラスが自らの意思で動いていたのが何より嬉しかったのだ。永年かけられた隷従の鎖は宝冠の損傷によって意思を完全に支配していないのが良くわかった。それなら思っていた糸口がはっきりしてきた感じがした。彼を自由にする方法がだ。鍵はこの〝魔神の瞳〟
「デール、お願い。この宝玉を取ってくれる?」
エリカはサイラスから離れると不満気に立っていたデールを呼んだ。
「何だって?なんでオレが?」
「たぶんサイラスはこれを扱う事出来ないんじゃない?早く!早く!」
分かったよ、とデールはブツブツ言いながら小刀でその青い宝玉を取り出してくれた。
それを手渡されたエリカは光の射す方向へかざしてみた。それは何処までも続く空の色で切なく懐かしい最も愛した色だった。何時の間にかエリカの頬に一筋の涙が流れて消えた。サイラスに向かい合った時には涙は無かった。
「サイラス。この瞳はあなたのどちらの瞳だったの?」
何をするのか?といぶかしむ魔神が指し示した瞳にエリカがその青い宝玉をかざして、自ら禁じていた命令の言葉を叫んだ。
「我がオルセンに流れる血によって縛りし魔神の契約の証を此処に返します!私は主として命令する。サイラス!我が血との契約の鎖を断ち切りなさい!」
その言葉に呼応するかの様に宝玉が強く熱く輝き始め、それを持つエリカの手を拒否するかのように焼き付けた。それでもエリカはそれを放さず、サイラスの見開く瞳にかざし続けた。苦痛に顔を歪めながらそれを持つエリカを助けようとデールが近寄ったが弾かれてしまった。サイラスは身動き一つ出来ず只、エリカを見つめるしか出来なかった。
その宝玉の光がサイラスの瞳に吸い込まれるように消えていくと同時に、彼が呻き声をあげて後ろに反り返り、頭を抱えるように床に膝をついたのだ。酷い苦しみ方だった。そして呻き声が途絶えた―――周りにいた者達は固唾を呑んで見守っていた。
片膝をつき両目を瞑ったまま肩で大きく息をするサイラスにエリカが近づいて行った。
「サイラス・・・」
魔神が薄っすらと開いた瞳に映ったのはエリカの焼け爛れた小さな手だった。サイラスはそのまま顔を上げて彼女の薄紅の涙で濡れた瞳を見た。
エリカは微笑んだ。彼女を見上げた彼の瞳は真っ青な空の色だった。何にも束縛されず、何にもとらわれない果てしなく広がる空のような色―――空の王。
サイラスは立ち上がり周囲を見渡した。デールが平伏さんばかりに跪いている。
(この世界はこんなに輝いていただろうか?)
まるで今まで深い霧に覆われていた視界が急に晴れ渡ったように、何もかもが生き生きと輝いて見えるようだった。そして自分を解き放った元主を見た。輝く世界の中でも一際鮮やかに輝いているのはエリカだった。
「サイラスの黄金の瞳も好きだったけれど、その瞳の方がアーカーシャらしくってやっぱり好きよ」
魔神の時が止まった。
(今、彼女は自分の事を〝アーカーシャ〟と呼ばなかったか?)
「今、何と?ロ・・・」
サイラスは〝ローザ〟と言いかけて言葉を呑み込んだ。〝私はローザじゃ無い!〟と悲痛に叫んだ彼女の姿が脳裏を過ぎったのだ。
(目の前にいるのはローザなのか?それとも・・・・・)
アーカーシャと呼んだ者は永遠の時を待ち続けたローザだと感じる。懐かしい呼び方―――遥かなる昔、彼女は誰よりも涼やかにそう呼んだ。しかし彼女がそのローザだとも思えない。
彼女は―――
「エリカ・・・・」
魔神の呟いたその一言にエリカは大きく瞳を見開き、震える手を口元に当てた。初めて彼がエリカの名を呼んだのだ。エリカだけでは無い。彼は今までの薄紅色のローザの魂を持つ者達の名を一度も呼んだ事は無かった。違う名を呼べばローザでは無いと認めてしまうようで怖かったのだ。その彼女達の生が終わる瞬間まで彼女らがローザとして蘇るのを待っていた。まるで祈るかのように―――
そして祈りは通じローザは甦った・・・しかし彼女は〝エリカ〟だ。
「エリカ。ローザの心を持つ少女よ。記憶の鍵が開き汝はエリカでありローザでもあるのだろう?嫌、言い方が違うな・・・ローザだったエリカだろう?」
とうとう彼に昔通りの自分では無いと知られてしまった。覚悟して望んだ事とは言っても涙が溢れてきた。拒絶されるかもしれないのだ。
「ご、ごめんなさい。私はエリカのままで・・・あなたの望むローザになれなくて・・・ごめんなさい・・・・わ、わたし・・」
しかしアーカーシャは微笑んだ。それは何時も無表情な彼からは想像出来ない、優しく柔らかな微笑みだった。
「何を謝る?待つ事に疲れた私は夢の中へ逃げてしまった。幾らでも回避しようと思えば出来るものを・・・そしてローザへの想いは漂う夢のようになっていた・・・・そのまま微睡の中で終わっても良かったと思う・・・その中では昔のままの彼女がいて幸せだった。だがエリカ、汝に呼ばれ再び目覚めてしまった。それが何を意味するのか今まで分からなかったが、ようやく分かった気がする。私も生まれ変わったのだろう。ローザがエリカになったように・・・・エリカを・・・汝を愛する為に―――今度の答えは間違ってないだろう?エリカ、汝の今の気持ちは?」
サイラスは星降る夜から考え続けていたものに答えを見出していた。〝ローザ〟と〝エリカ〟についてずっと自問自答を繰り返し続けていたのだ。過去のローザよりも自分を捉えて放さないエリカの存在。隷従の契約だけで彼女を見ていたのでは無いことに薄々気が付いていた。
眩しく心を揺さぶるその存在に―――
「わ、わたしはローザと過ごしたあなたを知っているわ。だけどローザじゃないわ」
「分かっている」
「わ、わたしはローザよりお転婆で子供っぽいし、直ぐ怒るし」
「分かっている」
「わ、わたしは・・・」
「黙ってエリカ・・・汝の返事を聞いていない」
エリカは何時もの様に両手を大きく広げ魔神の首に抱きついた。
「大好きよサイラス!暗い城の奥底であなたを見つけた時から、ずっとずっと好きだったわ!ローザの時よりも、ずっとずっとあなたが好きよ!私はもうあなたを二度と一人にしないわ。嫌って言うぐらいあなたの傍にいる!」
サイラスは安心したように微笑みながら瞳を閉じるとエリカを優しく強く抱きしめた。
デールはやれやれと思う気持ちと、胸に残るほろ苦い想いを感じながら幸せそうに抱き合う二人を見つめ心の中で呟いた。
(良かったな、エリカ。今度は幸せになれよ)
兄クライドは前後の事情が分からず驚きながら父に耳打ちしていた。
「どうします父上?」
「どうするも無いだろう?それよりも魔神の義父とは中々いるものじゃないよ。自慢できると思わないか?」
「・・・・父上。貴方という人は・・・」
オルセンの王はにっこり笑って息子の肩を叩いた。
「まあ、エリカが幸せならいいじゃ無いか?」
クライドはあきらめたように溜息をつくと、幸せそうに見つめあう二人を見るのだった。
―――界の境目であった結界が脆く、世界が混乱の中に陥ろうとする時代に、二人は再び出逢い、重い過去の楔から解き放たれた。それが再び過去をなぞるのか?新たなる時代の幕開けとなるのか?
オルセン王国の守護魔神は今、永い微睡の中から目覚めた――――
最終話となりました!グレンを見事に振って玉砕し、デールはほろ苦い失恋を味わいと泣く男続出でした。最後とはこんなものでしょうか…男性陣の二番手だった筈のグレンはデールにその座を奪われた感じでしたが、次作は主役で新しい恋を用意しております。これからどうなったの?も含めて続編です。私は本編より気に入っています!では次作にて~




