蘇った記憶
光り輝く大地で蝶を追って遊んでいる幼い自分がいた。何かにつまずき転んだ下には、寝転んで空を見上げていたアーカーシャがいた。空の色と同じ色をした瞳の彼は、急に飛び込んで来た私を不機嫌そうに見たのだ。
でもその天空の瞳に見とれてしまって彼の上から起き上がるのも忘れて訊ねた。
「あなたはだぁれ?わたしはローゼよ」
「・・・・・・・・・」
アーカーシャは自分に乗りあがってニコニコと名を訊ねる幼子に呆れ顔だった。その目の前を追っていた蝶が横切った。
「あっ、ちょうちょ!まって!」
手を伸ばしたがフワリとかわされて空を掴んでしまった。しかしその先に伸ばしたアーカーシャの手が蝶を捕らえてくれた。それから何か術をかけたのか蝶の羽ばたきが遅くなり大人しくなってきたのだった。
花のように綺麗な蝶がまるで蜜を吸っているかのようにアーカーシャの指にとまっていた。そしてそれをそっと渡してくれたのだ―――それが最初の出逢いで初恋の始まりだった。
空の王を手に入れるのは、天空に輝く星を掴むより難しいと云われていた。彼の心が手に入っても何時も不安だった。自分が想う強さと同じ位に、彼は自分を愛してくれているのだろうか?私の方が何倍も好きに違い無いと思っていた。そして自分は先に逃げてしまったのだ。残される彼の気持ちよりも自分の方がより辛いからと・・・・逃げた。
そして自分が疑い続けたアーカーシャの想いはこんな形で証明されてしまった。永遠かと思う終わりの無い輪を誰が見続ける事が出来るだろうか?
彼をこの孤独に置き去りにした罪を、自分は償う事は出来るのだろうか?
自分はローザであってローザじゃなくエリカなのだ。この記憶が蘇り他の全てが消えてローザに成りたかった・・・・だが違った。記憶はあるがそれはもう一人の自分がいる感じにしか思えないのだ。記憶があってもやはり自分はエリカのままだった。これは彼が待ち望んだローザでは無いだろう。どうしたら良いのだろうか?
エリカは瞳を開いた。其処に浮かんだ輝きにデールは息を呑んだ。
「エリカ?」
「私はローザでは無いわ。私はエリカであって、それ以外何者でもでない・・・・」
(そう、私はもうローザじゃない。それだけは確かなこと。私は私・・・過去は振向かない。今をどう生きるかだけよ・・・そして私の想いは・・・)
エリカの過去の記憶がサイラスを愛しいと想っているのか?今の自分自身が彼を愛していると想っているのか?どの気持ちがそう感じるのか分からなかった。ただ言える事はエリカもローザと同じく、サイラスとあの封印の間で出逢った時から、幼い心に芽生えたその想いを育んでいたのだ。そう暗く閉ざされた闇の中で孤独に眠る彼を見た時から・・・何の夢を見ているのだろうと何時も思っていた。皮肉な事に近すぎて気付かなかった自分の気持ちに今気が付いてしまった。
エリカは立ち上がると、大きく背伸びをして深呼吸して言った。
「さあ!デールもどりましょう!」
「ああ・・・・」
デールはエリカを眩しく見つめた。何かが変わっている様な気がしたが、エリカはエリカだった。真っ直ぐな強い心を映す瞳を持った彼女だ。
「それに父様に問いただす事があるのよね。もしかしたらサイラスもそれに加担していたのかも?あっ、と言う事は――デール!あなたも?かしら?」
「な、何だよ!何の事だよ!変な言いがかりを付けんなよ!」
「ほらっ、ちゃんとつかまえて降ろしてよ」
エリカはいきなりそう言うと、クスクス、笑いながら屋根の淵に上り跳び降りた。
「馬鹿!お前!無茶するな――っ!」
落下するエリカをデールは空中で抱きとめると登った時と同じく、跳躍しながら降りていった。エリカの瞳には光るものが見えたが、デールは見ない振りをして皆のいる場所へ戻って行ったのだった。
先刻の騒ぎでシーウェルの王宮では舞踏会どころでは無かった。ベイリアル帝国の魔神に、シーウェルでは海の魔神とオルセン王国の守護魔神らの出現、各国の使者達は顔色を無くし殺気立っていたのだ。そしてその使者達とシーウェル王が緊急に会談を行うことなり、王宮は一層緊迫した状態となっていた。
各国の使者は姫君達の同行者というだけの人材では無かった。強かなシーウェル王国相手での交渉とも云えるこの招待に太刀打ちできる外交手腕に富み、自国での信頼も厚い者達が大半だった。その首脳会談とも云えるこの会が早朝より開始されたのだ。
中央には主催国であるシーウェル王の王座。だがその王座は空席のまま、その重臣達が先に後ろに控え、各国がそれぞれ着座を許されていた。
先触れの伝令が王とエリカの名を告げると、ざわめいていた人々は静まり返った。後方の扉にその視線が集中する中、グレンがエリカの腕を取って進んで来たのだった。その後ろからはサイラスらの護衛官が続いていた。
グレンは自分の玉座の横に用意した椅子にエリカを座らせると、この会談の主旨を説明しだした。主旨とはもちろん、シーウェルを中心とした〝反ベイリアル帝国同盟〟の設立の件だった。既に同盟していた国々は〝今更?〟と嘲り、〝結局シーウェルが一番になりたいだけではないか〟と中傷する者も多く、直ぐに同意する国は少なかった。
意見を戦わせている中、グレンは心の中で舌打ちしていた。全ての計画が崩れてしまったからだ。まだ根回しも十分では無いこの時期に、この様な話をしなければならなくなった事に対して腹立たしく思っていた。
「―――シーウェル王。いずれに致しましても私どもは今回、わが主の名代でも無いのでこの件は国へ持ち帰り検討して返答させて頂きたく存じます」
その意見に賛同する者達が、次々に同意見だと立ち上がって意思表示をしだした。
グレンも此処までか・・・・と思った時、エリカの涼やかな声が響き渡った。
「シーウェル王。オルセン王国は貴方の主旨に賛同致します」
周りは馬鹿な、と言ってざわめいた。一国の王女とは言っても国政の決定権は無いのだ。この様な大事な事を勝手に決めて良い筈は無いのだ。
「エリカ姫。ご賛同頂いて大変嬉しく思いますが、これは正式なものとなりますから後日と云う事で――」
グレンも気持ちは嬉しいが、そう答えるしか無かった。
エリカは立ち上がって、各国の要人達を見渡すと声を張り上げた。
「みなさん、何を今更迷っていますの?シーウェル王国が各国の代表では駄目だと云う理由が私には分かりません。構わないでは無いですか。各国の中で最も強国であり、十分その代表として責務を果たしてくれると思います。何処が代表とも分からない同盟ほど内輪の争いを止める者も無く脆いと思います。そう思われませんか?」
エリカは一度言葉を切り一同を見渡し、はっきりと宣言したのだ。
「――それとこの決定は王である、わたくしの権限でしております」
「・・・・エリカ姫。貴女がオルセンの国王?」
グレンは驚いてエリカを見た。その様な情報は無かったからだ。
「はい。私がオルセンの守護魔神と契約したその時から私が王と成りました。我が国では魔神を擁する者が王と成ります。さあ、シーウェル王、私の魔神を此処に呼びましょうか?皆が賛同しないのなら我が国とだけで構わないではありませんか?オルセンの守護魔神はあの伝説通り、四十日と四十夜で大陸全土を焦土と化す最強の魔神ですよ。それがお望みなら命じてみましょうか?」
各国の要人達は静まり返り、畏怖の念を抱きながらエリカを見た。
エリカはそれらを確認すると、今までとは一転してにっこり微笑んだのだ。
「さあみなさん、どうなさいますか?私もシーウェル王もベイリアルのように大陸を制圧して統一しようなんて思ってもいませんのよ。先程も言ったようにしようと思えば容易いのです。だけどそんな事はしません。ご存知のように我が国は大陸を統一した愚かさを知っています。魔神の力は必要無いのです。だからそれで自分が優位に立とうなんて思ってもいません。だから皆同じくそれぞれが自国の権利を守る為に共に立ち上がりましょう。そうでなければ舞踏会を開催して仲良くなろうとか、こんな会談なんかしませんよ。ねえ?シーウェル王?」
グレンの真意は彼女の考える同盟とはかなり違うのだが、それも良いかと思った。
(本当に彼女には負けた・・・・たまには良いだろう。各国と馴れ合うのもね)
そして、クスリと笑った。
「エリカ殿の言う通りだ。その様に伝えて欲しい」
シーウェルの重臣達は驚いて王を見た。彼らは当然、王の真意は知っている。ベイリアルへの対抗策とは表向きであり、結局シーウェルが大陸の全てを掌握したかったのだ。侵略ばかりが統一への道では無いのだ。それを今回は損得抜きで同等のうえ世話役まですると言うのだから・・・・・
その後、グレンが補足してベイリアルの魔神の件と、それを抑制できる自分達の魔神の件を話した。それによって異界の力を相殺するので、より一層国同士の結束による防衛が必要だと説き伏せたのだった。
各国の要人達は先程とは打って変わって積極的に賛同し始め自国にその旨を伝えるようだった。ほぼ確実に王達の賛同を得られるだろうと予測出来た。結局は彼らの意見と判断は各国では重要視される存在だからだ。
その各国の要人が去った後に残ったのは、グレンとエリカ達だった。
「はあ~疲れちゃった」
「全く、聞いているこっちが冷や冷やしたぜ。良くもまぁ~ペラペラと出来もしねぇ事を言ってよ。お前が本当に我が君に命じきれるなら、今頃ベイリアルなんか焼け野原さ!こんな面倒な事しなくてさ!」
デールは相変わらず、憎まれ口を叩いた。
「命じきれるなら?そう言えば昨日もそのような言い回しをしていたが?」
グレンはデールとエリカの会話を思い出して尋ねた。
「そうね、グレンには正直に言うわね。さっきは皆の手前、大げさに言ったけど私はサイラスに命令しないのよ。彼は自由なの。逆にジャラさんの方が言う事聞いてくれるのではないかしら?だから私達の方こそは同盟が必要なのよね」
「なっ!馬鹿な・・・・自由に使役出来る魔神を持ちながら使わないなんて・・・・」
「なぁ~馬鹿だろう?我が君を自由に出来るなんて夢のまた夢。オレだったらあんな事やこんな事をして貰いたいって色々考えるのによ~」
「デェェェ―ル!あなたが考えているのは変な事ばかりでしょう!もう、馬鹿!」
グレンはその重大な事柄について考えを巡らせた。オルセンの魔神がそういう状況で海神と同じく当てに出来ないとは思ってもいなかったのだ。
(やはり彼女を手に入れて魔神を思い通りに?)
ふと浮かんだその考えにグレンは、はっ、とした。初めて愛しいと思った人を政治に利用しようと考えた自分に嫌気がさした。思っただけでも後ろめたい。
「 ? グレン、どうしたの?サイラスの事?大丈夫よ。私は彼の気持ちを無視して命令しないだけだから彼に相談すれば良いだけよ。どうするかはサイラスが決めるわ。人は誰だってそうでしょう?お互いに話し合って共存して行くのだから。まあ~サイラスは人間では無いのだけれどね」
サイラスの口元が少し上がったようだった。
「安心するが良い。シーウェルの王よ。私は彼女を裏切らないし、彼女が悲しむような事もしない。本人が望もうと望まないと関わらずだ」
サイラスの彼女に対する至上主義的なその言葉にグレンは嫉妬を感じた。しかし所詮人間と魔神。相容れないのが現実なのだからと思いたかった。
「ねえ、グレン。何故まだそれをしている訳?」
思案中の彼にエリカは左目を指さして無邪気に尋ねた。
「これ?ああ、眼帯?」
「そうよ。目はもう悪く無いんでしょう?それをしていると、しかめっ面だし目つき悪いわよ。なんだか何時ものグレンらしく無いんだもの。私は嫌だわ」
「はははっ、嫌い?結構自分では気に入っていたのだけどね。印象強くて何かと役にたつんだ。例えば本心を隠したい時は表情がわかりにくだろう?」
「ふ~ん。気に入っているなら仕方が無いわね。本心ねぇ~そうね。お父様はいつも笑っていて分かりにくいけど・・・そんなものかしら?でもね、もう少し笑ったら良いわよ。ちょっと怖いもの。あなたのお嫁さん候補達が逃げるわよ」
「お嫁さん?ああ、その話?あれはもうお終い」
「そうなの?あんなに大勢集めていて?」
「そうだね。もう決めたから良い」
「あら?いつの間に?でもお幸せにね」
エリカのあっさりとした返答に失望を覚えたグレンだったが、正式にオルセン王国へ申し込みの親書を送っていた。もちろんエリカへの求婚をだ。エリカが王だったのなら話は早かった。シーウェルとオルセンの共同統治。いわゆる同盟では無く併合して並ぶものの無い大陸一の国となるのだ。駆け引きは得意なものだが・・・・果たして彼女に何処まで通用するのか?自信が揺らぐところでもあった。
ここで一番好きな場面はローザとアーカーシャの出逢いです!小さな女の子が大人の男性に恋をするパターンはとても好きです。そしてやっぱりデールは準主役確定ですね(笑) 盲愛する主の大事な人だというプレッシャーがあるので、彼のエリカに対する気持ちはそんなに強く無いけれど、その微妙な感じが私的に好きだったりします。




