ローザ
彼女の華奢な身体はブーミに背後から両手で絡み取られていた。その片手がエリカの細い首に伸びた。
「動くなアーカーシャ。細い首だ・・・驚いてうっかり折ってしまうだろ?俺はどうでも良いんだよ。忌々しいぐらいに似ているから勿体無い気もするが、貴様が悔しがる姿を見られるのなら、こんな人形などどうなってもな」
「うっ――」
エリカの首を握った指に力が入った。
「止めろ!」
サイラスは彼女を盾に取られてはどうする事も出来ない。ブーミなら迷いも無く彼女を殺すに違いないからだ。只の人形だと思っているのなら尚更だった。ただ一つの救いがあるとすれば、ブーミの目的はサイラスだからやすやすと殺すことはないだろうという希望だけだ。無言で立ち尽くすサイラスに容赦無い攻撃が仕掛けられてきた。抵抗しない彼はブーミの思うままだった。片腕が千切れ、鮮血が吹き出した。
「サイラス―――っ!」
それでもサイラスは衝撃で膝をついても再び立ち上がり、我が身を庇う事無くブーミの攻撃にその身を晒し続けた。
「やめて――っ!」
エリカは叫んだ。真紅に染まる彼を以前見た事があった。恐怖ともいえる感覚が彼女を襲った。誰かが叫んでいる―――
更に一撃が襲い掛かろうとした時、その蠢く根が一瞬のうちに塵となって消滅したのだ。
「遅いぞ、ジャラ!」
「よく言うなアーカーシャ。来てやっただけでも感謝して欲しいね。我は亡者達を消すのに疲れたというのに」
ブーミはこの国に気配を感じるジャラの気を引く為に、死の軍隊を率いて来ていたのだった。それはシーウェルの海域に配置していた。それも海で死んだ者達を使っての陽動作戦だ。自分がこのオルセンの王女を攫うまでの時間だけで良かったのだ。
「ブーミ。好き勝手やってくれたな。あんな腐った物を掻き集めて我の昼寝の場所を汚して。この代償は高いぞ」
「見えないのか?ジャラ。ほら、アーカーシャの大事な人形が壊れるぞ」
ジャラは嗤った。
「お前馬鹿か?それはアーカーシャのであって我には関係無い。その人形に現を抜かす奴からそれを取り上げようと思っていた。だから・・・どうでも良いのだよ。それよりもお前は我の物に手を出した――我は怒っているのだよ、ブーミ」
ジャラの周りには渦巻く水がブーミに狙いを定めていた。白銀の髪が舞い上がり切れ上がった瞳が彼の怒りを語っていた。
「貴様の相手は俺じゃ無い。アーカーシャ!奴を止めろ!人形が殺されたくなければジャラを消せ!」
サイラスは無造作に落ちた腕を拾い上げ千切れた所に押し付けた。急速に腕の修復が始まる。ジャラとサイラス。彼らの殺気に満ちた視線が絡み合った。
「本気か?アーカーシャ?」
「・・・・・・・・」
彼は答えない。
ジャラは軽く溜息をついた。
「まあ・・聞くだけ無駄だな」
二人を戦わせている間に自分は姿を消そうと思っていたブーミだが、彼らに気を取られていて背後にグレンが回りこんでいたのに気付くのが遅れた。背中に鈍い痛みが走る。彼の剣で背を一突きされた地の魔神はエリカに回していた手を一瞬離してしまった。グレンへ攻撃を仕掛けようとしたブーミの力はジャラに防がれ、エリカはサイラスの腕の中へと戻っていた。
「しまった!」
逃げようとするブーミにすかさずサイラスとジャラが攻撃をする。天空を引き裂くサイラスの雷とジャラの水の矢は地の王を引き裂いた。大地をも震わすその力はブーミにその姿を留めるのが難しい程の痛手を負わせた。力が疲弊しているといっても五人の王達の中で頂点を極めたアーカーシャとそれに追随したジャラとの二人がかりでは勝ち目は無かった。しかし彼は残った最後の力を掻き集めて地に潜り逃げてしまったのだ。
「逃げたか・・・止めがさせなかったな」
ジャラは悔しそうに白銀の髪をかきあげた。
「まあいい。それでもかなりの痛手を負わせられた。早々に癒えるものでは無いから暫くは大人しいだろう」
呆然と立ち尽くすグレンにジャラは視線を流すと、彼に軽く微笑んだ。
「お手柄だな、シーウェル。お前がやらなければ奴と戦う破目にあうところだった。やはりお前は人間にしておくのが勿体無い奴だ」
エリカも緊張していた肩の力を抜いて大きく息を吐き出すと、サイラスの指が彼女の首にそっと触れた。その首は赤黒くブーミの指の痕が残っていた。
「大丈夫か?怖い思いをさせた。すまない」
エリカは首を振るとサイラスに抱き付いた。
怖く無かったと言えば嘘になるがサイラスが絶対に助けてくれると信じていた。自分が捕らわれ彼がなぶり殺されようとした時、何かが弾ける音がした。同じものを見た事があった。何処なのか思い出せないが、確かに自分は其処にいたのだ。そしてその時のサイラスの瞳は晴れ渡った空の色だった。
天空の瞳―――空の王に相応しい色だ。
何時も見ていた夢のあの人はグレンでは無くサイラスだったと確信した。何故自分が異界でサイラスが、アーカーシャと呼ばれた時代の彼を知っているのかは分からない。これが何を意味するのか?彼に訊きたいが真実を聞き過去の記憶に囚われて、今の自分を見失いそうなのが一番怖かった。しかし・・・・
「サイラス。教えて私はあなたの何?」
サイラスはエリカをそっと自分から引き離した。
やっと起き上がれるようになったデールが固唾を呑んで二人を見ていた。彼女の秘密を話すのだろうか?それとも・・・・
サイラスはエリカの前でその長身を優雅に跪かせて頭を垂れた。今まで隷属していたとしてもその主に跪く事は一度も無かった。又、彼に跪けと命じる事が出来る者もいなかった。隷属していても誇り高い魔神に命じる勇気のある者はいなかったのだ。もちろん至高天王にでさえも跪いた事など無い。その彼がエリカに膝を折ったのだ。
「汝は我が主にて、我を支配するもの。我が心も、この髪の一筋さえも汝に捧げる者――」
エリカは目を見開き、首を振りながら後ろへさがった。
「い、嫌・・・私、そんなの望んでいない。サイラス、あなたは自由だと言ったでしょう?私そんなのいらない」
「はははっ、傑作だ!アーカーシャ。見事に振られたな?今も昔も彼女だけしか目に入らないお前の最大の愛の告白が、あっさりと断られるとはね。愉快、愉快」
「え?告白って・・・あっ」
そう言えばそうとも取れる言葉だった。急に胸に広がる想いが溢れそうになって頬が熱くなってきた。何故か恥ずかしくなってその場から逃げ出したくなり駆け出してしまった。
「オレにお任せ下さい!我が君」
デールは素早くそう言うとエリカを追った。
サイラスも追いかけようとしたが思い留まった。焦る自分が彼女をどうにかしてしまいそうだったからだ。自分では自制出来ていると思っているのに、今日みたいな事が起きるとそれも怪しくなってしまうのだ。
ジャラは愉快だとなお笑っていたが、サイラスの冷たい視線で笑いを引っ込めた。
「・・・さてと、今日は良く働いたから美味しいお茶でもご馳走してもらおうかな?なあ、シーウェル?」
「はい。私も色々とお訊きしたい事もございますのでどうぞ。その前にお二人の姿をどうにかして下さい。城の者が驚きますので」
流石に冷静沈着なシーウェル王は変事にも関わらず平静を取り戻していた。二人の魔神を前にしてこの態度なのだからジャラが気に入るのも頷ける強い精神だ。元々、サイラス達の界では力は精神力と直結しており、より強い心を持つ者が強い力を持つ。だからその自分より上の力に憧れ慕う性質があるのだ。
二人の魔神はグレンの後ろから付いて歩きながら衣を脱ぎ捨てる様に姿を変えていった。
「おい、待てったら、エリカ!おい!うっ、いてぇ~」
デールの〝痛い〟と言う言葉にエリカは足を止めて駆け寄った。
「デール!大丈夫?」
「ば~か。やっと止まったかよ」
片目を瞑って溜め息をついたデールはエリカの額を小突いた。
「もう!騙したのね!馬鹿!」
「落ち着けったら。オレも流石に今日は疲れたから、お前と喧嘩する気力はねぇよ」
「ご、ごめんなさい。私、助けて貰ったのにお礼も言ってなくて・・・」
「いいって。それよりも、ちょっと話したい事があるんだよ。う~ん。よし!あそこが良いな!よっと」
デールがそう言うとエリカを抱えて跳んだ。軽々と塀を蹴り、高窓を蹴り、次から次へと高く跳びながら王宮の屋根の上に登ったのだ。
其処から見下ろす景色は爽快だった。遠くに広がる海の色と空の色とが溶け合い何処から何処までが空で海なのか分からなく、色とりどりのタイル貼りの民家の屋根がまるで宝石を引っくり返したように太陽に輝いていた。このシーウェルの首都が〝海の宝石〟と云われるのも頷ける。
「すげー気持ち良い!な?エリカ?」
屋根の上は平らで危なくは無いが身を乗り出すように下を眺めるデールにエリカは呆れた。格好はまだ青年のままだが何時もの彼に変わりは無かった。
「危ないわよ。デール。で、話って何?」
デールは振り向いてエリカの隣へ腰掛けると話出した。
「オレさ。昔っからアーカーシャ様に憧れてずっと見ていたんだ。側近と呼ばれる様になる前からずっとな。我が君は本当に空のようなお方で、雄大な心に何にも囚われず、執着もせず漂う雲の様だったんだ。そのアーカーシャ様の心を捉えたお方が現れたんだ。それがローザ様だった・・・・」
エリカは又その名前にドキリとした。先程も何度か魔神達の会話に出ていた名前だった。
「ローザ様はオレ達の界で一番偉い至高天王の娘で次期天王と云われていた優しくて気高く美しく最も高貴な女性だった。地の王が言っていたから分かるだろう?彼女は奴の許婚だったんだ。その頃から既に頭角を出していた我が君を目障りに思った天王が、兄弟である地の王を対極させる為に仕組んだ謀り事だった。だけど二人はお互いに惹かれ合ってしまったんだ。そして事件が起きた―――」
デールは一息ついてエリカを見た。彼女は真剣に聞いている。
「それで、それでデール。何が起きたの?」
「ああ、天王と我が君が争って我が君が負けて消滅しかけた時、ローザ様が代わりになって助けたらしい」
「代わりって・・・ニーナの時みたいに?」
「そう・・・ローザ様は我が君に命を捧げて亡くなったんだ。そしてアーカーシャ様はその魂を追って人界へ向かわれた」
「代価を払った魂は人界の輪廻で再び生を受ける・・・・」
エリカは以前デールから教わった話を呟いた。
「そう。ローザ様の魂は廻っている。我が君はその愛した方の魂の傍にいる事を望んで・・・・嫌、オレの勘だけど次期至高天王だったローザ様は普通の奴らとは絶対に違うと思う。だから我が君は本当のローザ様が蘇るのを待っているんだと思う。永い時を重ねながら・・・・エリカ―――ローザ様の瞳は薄紅色だったんだよ」
「! わ、わたしと同じ?」
デールは真剣な顔で頷いた。覚えがあるだろう?と言いたそうだった。
「エリカ・・・想像できるか?全てを捨てて何よりも愛した人が傍にいる。だがその人は自分を覚えていない。そして思い出さないまま時は自分だけを残し過ぎ去って行き、孤独だけが重く圧し掛かる・・・・それを繰り返し味わい続ける。どんな気持ちだろう?オレには耐えられない」
「・・・・・・・・・」
「エリカ・・・お前の夢。間違い無く我が君だよ。今なら分かっているよな?思い出しかけているんだよ、きっと。アーカーシャ様もそれを感じるからああ言ったんだよ。お前達の契約では無く本心を言ったんだよ。昔も今も我が君の心はローザ様で占められているんだから・・・・」
「・・・・私、私はまだ分からないわ・・・そのローザと云う人の生まれ変わりだと言われても・・・・確かに何か思い出せそうで思い出せない何かがあるのは分かる。だけど、だけど・・・・そんな事・・・・」
エリカは急に黙り込んだ。真紅に染まったサイラスが目の前にチラつき始めた。さっきもそうだった。何かが・・・考えると目眩がして吐き気を伴う頭痛がしだした。エリカは瞳をきつく閉じた。
「エリカ?お前!大丈夫か?真っ青だぞ!」
突然エリカの中に多量の記憶が流れ込んできた。それはまるで夢の早送りを見ているようで目を閉じても関係無かった。鮮明なものもあれば不鮮明なもの・・・・関わった人々の話声が重なり混ざり合って渦をまいていた。何世代もの薄紅色の瞳を持った人達の記憶だった。その近くには必ず孤独を纏ったサイラスがいた。
そして光が弾けたような感覚が過ぎると最後の鍵が開いた―――
デールまたもや準主役?となりそうで、主役さえも霞んでしまうのか?と冷や冷やでしたが、何とかサイラスがその座を守ったようでした。グレンは影薄いのですけど…私の愛が足りないのでしょうか?? あとサイラスが無言でやられたり、ジャラと対決しそうになったり、エリカに跪いて告白する場面はお気に入りです。そしてその合間に敵さんあっという間にやられましたけど…毎回ながら敵との対決に重点をおかない私ですので、こんなものでしょうねぇ~スミマセン




