隻眼の王(1)
シーウェルに到着して二日目の夜、エリカは夢を見ていた。
(これは夢?此処はオルセン?)
広がる大地に見覚えが無いが、遠くに見える山脈は見慣れたものだった。エリカはその大地に立っていた。たぶん自分だろうと思うのだが・・・・遠くにサイラスがいた。彼は空に向かって両腕を広げ、大地に水を注ぎ、実りをもたらしているようだった。瞬きする間に大地は黄金色に変わっていた。エリカはサイラスの名を呼んだが彼が振り向くと同時に風が吹いて思わず瞳を閉じたが、開いた時には違う場所へ飛んでいた。
其処は今日見たシーウェルの王の間よりも更に豪華で目も眩むような一室だった。その中央には豪華な寝台がありその周りを幾重にも人々が囲んでいた。そこに横たわる人物は年老いた王のようだ。その人物だけハッキリと見えたが人々は口々にその王を責め立てているようだった。
「王よ!早く契約の伝授を!」
「何をお考えですか!魔神の継承をどうなさるおつもりですか!」
「全く馬鹿な女王だ!魔神をとうとう独り占めか?死の旅まで供をさせるつもりか?冗談じゃない!」
年老いた女王は咳を一つして、瞑っていた目を開いた。
「!」
エリカは驚いた。彼女の瞳が自分と同じ色だったからだ。父王が昔言っていた事を思い出した。オルセン王家の特徴で薄紅色の瞳の王女が時々生まれるとの事だった。エリカは此処もオルセンなのだと確信した。段々と中の様子が鮮明に見え始めるとサイラスが寝台の一番近い位置に立っていたのが見えた。今と少しも変わらない―――優雅な黒髪に黄金の瞳。その表情は何も語ってはいなかった。死に逝く王を静かに見つめているだけだった。
年老いた女王は最後の力を振り絞るかの様にサイラスに話かけていた。
「サイラス、礼を言う。もう十分・・・だから最後の命令を申し渡す。私の死後は眠りなさい。お前の心がそれで癒される事は無いでしょうがその孤独からは救ってあげられるでしょう。夢の中だけでも探しているものが見付かると良いな・・・・幸せな夢で微睡めるように――」
そして声は途切れた。
(最後の命令?あっ!これはサイラスを封印した王だ!何故?私がこんな夢を見るの・・・夢?夢じゃないわ!だって今喋っていたのは私?)
エリカは何世代も前の王の臨終場面に遭遇しているのだろうか?死に逝く王の魂に何時の間にか引きずられているようだった。今日の夢も何時も繰り返し見ていたあの夢の様に自分が体験しているようなのだ。駄目だ!このままでは!と、思うのだが夢の王から抜け出せないのだ。もう駄目だと思った時、強く引き上げられる感覚に目が覚めた。その感覚は強く掴まれた両肩からきていた。
エリカは大きく息を吐きながら重い瞼を開いた。その瞳に真っ先に映ったのはサイラスだった。しかも焦りと動揺に満ちた表情から安堵へと変化していたのだ。その様子は何時も無表情な彼からは想像出来ないものだった。エリカの覚醒と共にサイラスは彼女の掴んだ肩を引き寄せて寝台から引き離し、強く抱きしめた。魔神の肩が少し震えている。まるでエリカが此処にいるのを確かめるかのように更に強く抱いていた。
サイラスは何か呟いていた。声がくぐもっていて聞き取れ無い。初めて会った時も同じような言葉だったと思うが、やはり分からなかった。
エリカはその言葉を確かめたくなった。
「何?サイラス何って?何って言ったの?」
サイラスはエリカを抱く腕の力を緩めると自分から引き離した。
エリカはサイラスを見上げたが何時もの彼だった。たぶん何と言ったかなんて教えてはくれないだろうとエリカは思い、自分の話をする事にした。サイラスの様子からすると自分はかなり危ない状況だったのだろう。何処から話せば良いのか?
「サイラス。私、あなたに会ったわ。私は年老いた女王であなたに命令していた・・・眠りなさいって。何だろう?これは・・・ただの夢?そうだ、その前に大地実らせるあなたに会ったのよ。私は笑っていたわ――」
言葉が終わらないうちにサイラスが再びエリカを引き寄せて抱いた。
「何?ちょっとサイラスってば!」
魔神の身体はやはり震えていた。
「サイラス?本当にどうしちゃったの?ねぇ、何が怖いの?震えているわよ」
エリカはそう言うと自分の腕の中から放そうとしない魔神に抵抗するのは止めて力を抜き、頭を彼の胸へ預けた。胸の鼓動が聞こえてくる。力強く脈打つ音だ。幼い頃、良く彼の胸に耳をあてて何度も生きているか確認していたのを思い出した。暫し時を忘れてそのまま眠ってしまった事も度々あった。
「そうだ!サイラス、今日は一緒に寝ましょう。あなたは知らないでしょうけれど良くそうしていたのよ。そうすれば怖く無いでしょう?私も怖くないもの。また変な夢を見たら嫌だから・・・ねっ」
全くもって無邪気なものだ。もう幼い子供でも無く何処に嫁いでも可笑しくない年頃なのにサイラスを異性として意識していないものなのか、そういう感覚に無頓着なのか?
エリカはサイラスの腕から抜け出すと、さっさ、と寝床に潜り込んで上掛けをはねのけ、どうぞ、と言って自分の横を叩いた。
示された場所を彼は一瞥すると呆れたのか?ふと笑ったようだった。
広いと思っていた寝台はサイラスが共に寝れば狭く感じた。エリカは寄り添うようにサイラスにくっ付き彼から伝わる心地よい体温に夢現になりながらも色々話かけていた。昔からこんな感じだったのだ。つらつらと喋る内容はどうでも良いものだったが次第に途切れ、小さな寝息に変わっていた。
「眠ったのか?」
サイラスは自分の腕にしがみ付くように身体を丸めて眠るエリカの柔らかで少しくせのある髪を優しく撫でた。そして名を呼んだ。
「・・・ローザ・・・」
その名を口にするのは三回目だった。目覚めた時と先刻―――
その呼び名に反応したかの様にエリカの瞼が動いて返事をした。
「・・・なぁに・・アーカーシャ・・・」
サイラスは肩をビクリと震わせて彼女を見つめたが、無意識に反応しただけで目覚めた訳では無かったようだ。それを確認したサイラスは〝エリカ〟では無いもう一つの名を囁いた。その声は切なく悲しみに満ちたものだった。そして無邪気に眠る彼女の少し開いた唇にそっと口づけをした。その眠りを妨げないように自分の想いを重ねた―――
翌朝、エリカはデールの罵声で目を覚ました。
「おいっ!馬鹿女!今度は我が君の袖で飽きたらす、とうとう寝台へ引きずり込んだのか!」
「う~んん。煩いわよ、デール。朝からキャンキャン吠えないでよ!」
「吠えるだと――っ!オレを犬みたいに言うな!」
「だって昨日は変な夢を見たのよ。だから仕方が無いじゃない?」
デールは夢と聞いて真剣な顔つきになった。
「夢?例のか?」
彼なりに心配している様だ。
「ううん。似ているけど初めて見たの・・・」
「大丈夫か?」
「あらっ?心配してくれるの?珍しい~」
「し、心配なんかするもんか!お前に何かあれば我が君が困るだろうが!そ、それだけだ!心配なんかしてないぞ!絶対!」
「ふ~ん」
「エリカ様。いい加減になさいませ」
やっぱりこの二人を止めに入るのはシェリーの役目だった。
シェリーが朝の支度に入室して寝台の中を見て驚き一瞬立ち止まった。だが流石に出来る侍女は慌てず騒がず何時も通りに支度を始めたのだ。そこへデールがやってきてこの騒ぎだった。
「エリカ様。妙齢の姫君が、気軽にご自分の寝所に殿方をお入れになるのではございません。まして未婚の女子がするものではございませんよ」
「ほ~ら見ろ!馬鹿お――」
シェリーがギロリとデールを睨んで黙らせる。
「宜しいですか?エリカ様。それではお着替えをいたしましょう。皆様、退室下さいませ」
既に起き上がって身繕いをしていたサイラスは不満気なデールを促して出て行った。先に出て行く主の横顔が何処と無く違っていたように見えた。
この日も、その次の日も王の住まう後宮に近いというのにシーウェル王と会えるどころか姿さえも見られなかった。エリカは与えられた部屋の中庭で大きな溜め息をついた。その側にはサイラスとデール。
「はあ~もう嫌になるなぁ~全然会えないし、他の情報も全くだし・・・そうよ、情報なんかこんなに苦労するとは思わなかったわよ。他の姫君達なんか完全に無視されるし」
「仕方がないんじゃない?妬まれているだろう?」
「妬まれる?そうよ!それっ!だいたいデールやサイラスにも責任あるんだからね」
「はぁ~何でオレ達に責任があるんだよ!変な言いがかりつけると怒るぞ!」
デールの激する様子にエリカは笑った。
「ほんと!デールって子供っぽいのに他所から見れば、あなた一応見栄えが良いらしいってよ。だから私みたいな痩せっぽちの貧相な姫が連れて歩くのに勿体無いって言っているらしいわ。なんであんな姫ばかり良い目をみるのかってね」
「誰だ!そんな事言う奴は!なんかゴチャゴチャ言っていたのはそんな事を言っていたのか!お前、そんな事言われて黙っていたの――」
「此処は賑やかだね」
デールの話の途中に後ろから声がかかった。
彼らの後ろには誰もいなかったが、優雅に弧を描きながら舞い上がる噴水が水音をさせているだけだった。だがその噴水の水が逆流したと思ったら人の形へと変化していったのだ。其処から現れたのは海で遭遇した水の王ジャラだった。揺らめく水の中で見た彼とは違って陽の光の下で見るその白銀の姿は真昼の月のようだった。
一番驚いたのはデールだった。飛び上がって低頭し控えたのだ。
サイラスは視線だけジャラに流し、
「何の用だ?ジャラ」
と、冷たく問うだけだった。
「冷たいな。アーカーシャ。また会おうと言っていただろう?歓迎してくれても良いではないか?ほら其方の姫のようにね」
「ジャラさん!ちょうどあなたに会いたいと思っていたのよ」
「おやおや、何かな?アーカーシャのお嬢さん」
「・・・そう言えばジャラさん、どうしてサイラスの事アーカーシャって呼ぶの?」
「アーカーシャ?昔から奴はそう呼ばれている」
エリカはジャラの返答を聞くとサイラスを見上げて首を傾げながら言った。
「ねえサイラス、それは本名なの?えっと、アーカーシャ?って?」
サイラスは彼女の口から発せられた名に心が震えた。
遥かなる遠い昔、そう呼ぶ人がいた。誰よりも涼やかな発音で自分をそう呼んだ。
「本名ならそう呼んだ方が良い?ねえ、サイラス?」
サイラスは瞳を閉じて軽く首を振った。
「――嫌、いい」
〝アーカーシャ〟と呼ぶのは彼女だけで良い―――本当の彼女だけで・・・・
ジャラはサイラスを意味深な目つきで見て肩を竦めた。
「――ところでお嬢さん。我に用事とは?」
「そうよ!ジャラさん。先日言っていたでしょう?シーウェル王は〝魔神の瞳〟を持っているって。だけど聞いた話によると自分の瞳をあなたに捧げたからそう呼ばれているって言っていたわ。私が探しているのはサイラスの瞳なのよ・・・違うのかな?」
ジャラはおや?と、もう一人の魔神サイラスを見た。
どうなっているのか?
やっと物語の核心に迫った感じがします(涙)サイラスの呟いた言葉は昔の恋人の名前でした。私にしては長い引っ張りでしたが、いよいよ物語が動き始める気配です。エリカが眠った後のサイラスの切ない場面はとても好きです。




