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An die Freude

「恐怖」


それしか、考えられなかった。

周りの熱気や熱狂。


ただでさえ「疎外感」を味わっているのに、これから更に誰とも繋がらない「疎外感」を味わうのも、誰かの感情を「押し付けられる」のは、ただ、恐ろしかった。


流れるイントロ。特徴的なピアノ旋律。


1番売れた代表曲。歌い込まれた回数などを考えても、感情は込めやすいのは自明。


誰かの感情に呑まれる感覚はもうごめんだと本気で思った。


逃げよう。


目算、前方100mぐらい下方にいる「音楽家」。

俺には「怪物」にしか、もう、見えない。


幸いなことに俺は通路側におり、俺が扉へ向かう道には誰もいない。だがこんな時に限って扉が閉まっている。


おい!?換気はどうしたんだよ!!都知事怒るぞ!?

ダメだ。逃げられない。絶望感がうっすら襲ってくる。


前奏が終わる。

このタイミングで扉を開く勇気の方が俺にはない。


音楽の邪魔をした方が周囲の敵意が爆発的に増えると、冷静に判断できた。ここはコンサートホール。


そして俺は、俺にしては珍しく、本当に珍しいことに足掻くのを止めて諦めた。


素直に、絶望的に曲を、歌を、音楽を聴いた。

本来なら「彼」のファンなら涙して喜ぶんだろう。実際に2mぐらい離れた場所に着席しているご婦人は泣いている。


俺はただ、ただ「怖かった」。

見つめる。じっと「怪物」を。


なんだか不思議な歌い方をするんだな。と場違いなことを考えながら、抵抗しないで音楽を聴いた。


今だけは時間が過ぎるのを受け入れた。


やはり歌い慣れているんだろう。

今までより一層強い感情というか「何か」を感じた。


どこか「悲しみと僅かな苛立ち混じりの感謝」というのだろうか。強い誰かの感情に呑まれた。


なんだろう?

感じたことは歌えることの感謝?か?

傲慢さを説諭された「彼」が?


確かに俺が子供の頃に聞いたCD音源の記憶よりは、だいぶ衰えた声だと思う。


公演前に誰かが「昔はイケメンだったのに!」と言っていたから老け衰えたのは間違いないだろう。当たり前か。発売から30年近くは経過している。


常識的にこの歌詞を、間違っても教師が歌うとは思えない。


だけど、不思議とこの歌詞に乗せる感情が歌詞にあるような「愛」ではなく「感謝」に感じたことに驚いた。


どうやって考えても、全力全開なナルシストですら歌うの躊躇うような愛の歌にも関わらず。


そういえば確かにステージ上の「おじいさん」は、オーケストラに対しても客席に対しても礼儀に気を遣っていた。


気に入らない。


しかし、この訳の分からない「天才」の歌を、諦めて抵抗せずに聴いた。


そして歌に、声に乗っていた感情が「俺の歌を聞けー!!」とか「俺は最高にカッコいいだろ♡」とかではなくて。


なんとなく、本当に何気なく「感謝」なのかもな、とサビが終わってそう思ったときに「ストン」と何が腑に落ちた。


俺は俺で完結している。俺は誰かを全く必要としていない。だから立ち去ることを要求され続ける。


やってもらった事象に感謝しても感謝の意を持って誰かに接したことはないな、と。


Schillerが詠う「自由讃歌」に該当してしまうからだと。


それが「答え」だというように。

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