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2.当直明けの見習い天使


 独り暮らしには少し広めかな、と思わせる1DKの部屋。白を基調にしたシンプルなインテリアで、机の周りの一角以外はそんなに物も置いていない。机の上にはノートPCとゲーム機がいくつか。乱雑気味にソフトパッケージが積み上がっている。書棚に並んでいるのは主に大学のテキストだろう。横にゲーム誌がこれも積み上げられている。


 ダイニングのテーブルに座って、彼女の淹れてくれたコーヒーのご馳走になる。

 しばらく他愛のない話をした後、彼女が改まったようにして言った。

「明日はわたしの誕生日なんだ」

 今日オフィスで、1日早いプレゼントの贈呈式が行われていたのを思い出した。

「21になるんだよね」

「だから、二十歳はたちのうちに...経験しておきたい」

 彼女のその言葉に一瞬気後れした。

「ひょっとして?」

「うん」

 次の言葉をなかなか言い出せなかった。

「実は...ボクも」

「そう...それはそれで、嬉しいかも」


 しばらく沈黙が流れた。コーヒーを啜る音。テーブルの端のデジタル時計が9時になっていた。

 おずおずとボクが切り出す。

「ほんとにボクで、いいの?」

「なんとなくキミだと思っていた。一緒に卒業制作やってた頃から」

「でも...ごめん、こういう展開予想できてなくて...コンビニ行って来ようか?」

「大丈夫」

 そう言うと彼女は立ち上がって、チェストの上段から小ぶりの箱を持ってきた。

「独り暮らし始めるときに、母親が渡してくれた。『遅かれ早かれ必要になるだろうから』って」

 渡してくれた箱はシュリンク包装がかかったままで、正真正銘の未使用だった。


 着替えを持っていないボクに、彼女はちょうど洗濯したてのゆったりめのバスローブを貸してくれた。念入りにシャワーを浴びて、念入りに髪を拭いて、そして念入りに口をすすいだ。


「お先」と言いながら出てきたボクが目にしたのは、ベッドに横向きになって眠っている彼女。身につけているのは白のTシャツと白のパンティだけ。彼女の白い肌に溶け込んで、ショートヘアの髪の毛の黒以外は全身白一色だった。両腕を胸元にたたみこんで、両膝を曲げたこぢんまりとした体勢。


 当直明けで休んでいる見習いの天使がいるとしたら、たぶんこんなふうだろうと思った。


 ベッドに上がって、彼女の顔に自分の顔を近づける。いたいけなくて、無防備で、そしてなんともかわいいその寝顔。「Fragile」というのだろうか、触れた途端にすべてが壊れてしまいそうな儚さを感じたボクは、そのまま何もせずにベッドから下りた。彼女の上に春秋物の薄手の布団を掛けると、ボクは置いてあったタオルケットをかぶって、フローリングの上に身を横たえた。

 時計を確認したわけじゃない。けれどボクが眠りに入ったのは、まちがいなく金曜日、彼女の誕生日の前日のうちだったと思う。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 シャワーの音に目が覚めた。上半身を起こして、ベッドサイドの古風な目覚まし時計を見ると、6時少し前。ベッドの上は藻抜けの空だ。ボクは起き上がると、タオルケットを畳んでベッドの端に腰をかける。

 喉の渇きを感じ、ダイニングに行き昨晩コーヒーを飲んだカップに水を注いで飲む。ついでに念入りに口をすすぐ。シャワーの音が止まった。

 ベッドに戻り再び腰をかける。「箱」に手を伸ばして、シュリンク包装を破いて使用方法に目を通す。しばらく待っていると、バスタオルを体に巻きつけただけの彼女が出てきた。ダイニングで水を一口飲むと、ボクの横に腰を下ろす。


 ゆっくりと彼女が話し始める。

「ごめんね。自分から言っといて眠っちゃった。それに...隣に寝てくれたらよかったのに」

「いや...なんか、その」

「...体、痛くなかった?」

「オフィスの仮眠で慣れてるから」

「それもそうだね」


 二人はしばらく、黙ってダイニングのほうを見ていた。

 どちらからともなく向き合う。ボクが顔を近づける。それに合わせて彼女も顔を近づける。

 目を閉じて、唇と唇をそっと重ね合わせる。彼女の体から漂うボディーローションの仄かな香り。


 重ねた唇を離し、至近距離で向き合う。

「21になっちゃったね」

「そうだね。でも、キミが最初のヒトになることのほうが大事」

 バスタオルをそっと外す。白い肌が露になる。ボクの掌にすっぽりと納まってしまいそうな、それでいて自らの存在をしっかりと主張する彼女の胸の膨らみ。

 バスローブを脱ぐ。もう一度彼女と唇を重ね、そのまま倒れ込んでベッドの上に身を横たえる。


 その瞬間、ボクを見上げる彼女の顔に浮かんだ苦痛の表情。やさしく、ゆっくりと動く。やがて彼女の口から洩れ出す、喘ぎ声というにはあまりにも微かな息遣い。

 そんなに長い時間ではなかったと思う。けれど永遠のように感じた。終わって、やさしくキスをして、しばらくすると眠りこむ彼女。その寝顔をしばらく眺めて、ボクも眠りにつく。


 二人が目覚めたときは、もう昼頃になっていた。最初に彼女が起き上がって、Tシャツにインディゴブルーのデニムを身に付けた。ボクも起き上がると、昨日着ていた衣装で身を包む。

「お昼食べに出かけようか」と彼女。

「そうだね。コンビニかどこかで下着買いたいし」

「それに...シーツ洗いにランドリーにも行かなくちゃ」


 ボクたちはそのまま「半同棲状態」になった。毎週末、ボクは彼女の部屋で過ごす。母子家庭で、小さいころからボクをかまうことができなかった母親は、いまさらとやかく言わなかった。けれど1ヶ月ほど経った頃、こう言った。

「たまにはこちらにお連れしなさい。ご馳走してあげたいから」


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 彼女の故郷、天歌あまうた市は、東京から新幹線で1時間ほどの十海とおみ県にある。二人の乗った列車は、県庁所在地の十海駅に近付きつつあった。減速し始めるとすぐに車内放送のチャイムが鳴り、まもなく到着することが告げられた。


「もうすぐだよ」とボクは彼女に声をかける。

 なかなか目覚めようとしない彼女に、声のトーンを上げてもう一度言う。

「起きなくちゃ。乗り過ごしちゃうよ」

 彼女の体が微かに動きはじめ、ゆっくりと目を開ける。体を起こすと腕を上にあげて伸びをする。


「おはよう。タエコ」と、ボクは彼女、内田うちだ 多恵子たえこに挨拶する。

「おはよう。ツバサ」と、彼女はボク、城之内じょうのうち つばさに挨拶する。

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