06 はじめての生活魔法
06 はじめての生活魔法
魔導人形の少女ミカンは、機能停止していた時は、眠れる森の幼いお姫様のようだった。
しかし目覚めるやいなや、クローゼットからピョンと飛び出てくる。
「ご主人さま、なにをすればミカンはなにをすればよいですか!? どうぞ、はじめてのお仕事をミカンにお与えくださいです!」
ミカンは起きたばかり、しかも俺と会うのは初めてのはず。
それなのにまるで親鶏に甘えるヒヨコのごとく、俺にぴとっとくっついてくる。
そして「わくわく」と書いてありそうな顔と、澄んだ上目遣いで俺を見上げていた。
「ちょっと落ち着け、お前を起動させたのは俺だが、だからってお前の主人ってわけじゃ……」
しかしミカンは、一切の迷いがない様子でキッパリと言い切った。
「いいえ! ご主人さまはミカンのご主人さまです!
ご主人さま専用ミカンであり、ミカン専用ご主人さまです!
さあさあ、はじめてのお仕事をミカンにお与えくださいです!」
魔導人形がなんでこんなところに打ち捨てられていたのかは気になったが、ずっと機能停止していた彼女は知らないだろう。
というかそれよりも、彼女は仕事をしたくてたまらない様子だった。
ミカンはエサが待ちきれない子猫のように、俺の身体を這い上る勢いで迫ってくる。
俺は観念するしかなかった。
「わかったわかった。とりあえず身体が汚れてるからキレイにするんだ」
「かしこまりです!」
ミカンは脊髄反射のような勢いで返事をすると、着用していたエプロンドレスにある大きなポケットからハンカチを取り出す。
ハンカチの二刀流で俺に飛びかかってこようとしたので、
「待て待て。キレイにするのは俺じゃない、お前自身だ」
「えっ、ミカンなのです?」
「ああ、ホコリまみれだぞ」
俺がそう言うと、ミカンは白磁の肌をポッと染めていた。
ミカンの肌にこびりついていたホコリを拭き取り、エプロンドレスのホコリをはたき落とすと、彼女はりっぱなメイドさんになる。
俺が「よし、それじゃあ次は家の大掃除だ」と言うと、ミカンは「わあい!」と大喜び。
「ミカン、お掃除大好きなのです! どうぞ、海賊船に乗ったつもりでお任せくださいです!」
海賊船って……違法な手段でも使うつもりか。
ミカンは言うが早いが、獲物を見つけた海賊のように諸手を挙げて部屋から飛び出していく。
大丈夫かなと思って後をついていってみると、掃除箱から木のバケツを取りだしていた。
この家にいた魔導人形だけあって、どこになにがあるかは把握しているようだ。
ミカンはバケツ片手に外に出ていくと、庭のヤブをかきわけ、ツタのからまった井戸の手押しポンプを動かして水を汲んでいた。
しかしバケツを持って戻ってくる途中、草に足を取られてすっ転んでしまう。
見かねた俺は、手伝ってやることにした。
「水は俺が汲んでくるから、お前は掃除用具を出しておいてくれるか?」
「か……かしこまりです!」
そして俺とミカンは廊下で落ち合う。
ミカンはバケツに雑巾を浸したあと、さっそく床を雑巾掛けをしようとしたのだが……。
「ちょっと待て。俺にいい考えがある」
俺はふと、雑巾掛けを魔術でできないかと思い立つ。
しゃがみこんだままキョトンとしているミカンから雑巾を受け取ると、頭のなかで術式を組み立てた。
「えっと……。雑巾を動かすのを、連続でやってやればいいんだよな。
ってことは繰返しの術式を応用すれば……」
その前に、まずは下準備だ。
「筐裡の第一節に ・ 依代せよ ・ 掌紋の ・ 嚢中を」
これで、雑巾を術式のなかに組み込めるようになった。
「繰返しの術式は……。
回帰し・ 筐裡の第一節よ ・ 蠕動せよ」
すると、俺の手のなかにあった雑巾が、生き物みたいにうねうねと動き始める。
足元に置いてみると、まるでミミズのように床をのたうった。
それは不思議というか不気味な光景なうえに、蠢くばかりで床もぜんぜん拭けていない。
「ぞ……雑巾が、動いているのです……? な……なんなのです? これは……?」
魔導人形もドン引きしている。
「うーん、方角を指定しないとダメなのかな?」
俺はさっきの繰返しの術式に手を加えてみた。
「筐裡の第二節を ・ 依代せよ ・ 12 ・ 其は ・ 羅針なり
回帰し・ 筐裡の第一節よ ・ 蠕動せよ ・ 筐裡の第二節を ・ 窺狙え」
それまで雑巾は酔っ払ったミミズのようにのたくっていたが、術式を唱え終えると豹変し、廊下の奥へとツーッとすべっていく。
ホコリの海原を突っ切り、あとには航跡波のようにピカピカの床が現われた。
「おおっ、うまくいった!」
俺は思わずガッツポーズをしたが、ミカンはポカーンとしている。
「こ……これはまさか、雑巾がけの魔術なのです? こんな魔術、初めて見たのです……」
魔術でできている魔導人形が初めて見たというのだから、もしかしたらかなりレアな魔術なのかもしれない。
ミカンは離れていく雑巾をポケーッと見送っていたが、急に我に返っていた。
「こ……こんなの、ダメなのです!」
「ダメってなにが?」
「ご主人さまにこんなことをさせてしまっては、メイド失格なのです!
それに魔術でお掃除されてしまっては、ミカンの仕事がなくなってしまうのです!」
「ああ、そのことなら心配いらないよ、アレを見てみな」
俺は廊下の突き当たりを指さす。
そこには、壁にぺったりと張りついて動かなくなった雑巾があった。
「方向転換させる術式はまだ思いつかないんだ。それにバケツで洗うこともさせられない。
だからミカンはあの雑巾の面倒を見てやってくれないか?」
「は……はいですっ!」
ミカンは別の雑巾をしぼると、四つん這いでとてとてと雑巾がけをはじめる。
突き当たりで詰まっていた雑巾の元へと向かうと、向きを逆にひっくり返していた。
「ふふん、雑巾さんは世話が焼けるのです」と、すっかり先輩メイド気取りでいる。
「よーし、それじゃあ雑巾がけのお手本を見せてあげるのです!
玄関のところまでミカンと競争なのです! よーいどんっ!」
魔術の雑巾とレースを始めるミカン。
ライバルに負けるものかと、ミカンはムキになって飛ばしていた。
「み……ミカンの勝ちなのですぅわぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!?」
魔術の雑巾は玄関のへりでピタッと止まっていたが、ミカンは勢いあまってオーバーラン。
連続でんぐり返しでコロンコロンと庭へ転がり出ていった。