15 はじめてのスキル
15 はじめてのスキル
俺は夕暮れのなかバッド寮へと戻る。
家の前まで来ると、元気な声が聞こえてきた。
「おかえりなさいです! ご主人さま!」
ミカンは飼い主の帰りを待ち望んでいた犬みたいに門から飛び出してきて、俺にひしっと抱きついてきた。
「ああ、ただいま、ミカン」
俺はミカンを撫でながら家へと戻ろうとしたが、ミカンは俺の腹に顔を埋めたまま、足を突っ張ってつっかえ棒のようになる。
なんとかして俺を家に入れまいと、踏ん張っているようだった。
「おいおい、いったいどうした……」
尋ねかけて、ミカンの髪の毛先が焦げてくるんと丸まっているのに気付く。
まるで、暖炉に近づきすぎた猫のヒゲのように。
「もしかして、料理を作ろうとして失敗したのか?」
するとミカンは、ハッ!? と、正体がバレた真犯人のような表情の顔をあげた。
「ど……どうしてわかったのです!? いま台所は、殺人鬼さんが暴れていったような有様だと……!?」
そこまでは予想していなかったが、相当ヤバい失敗をしたのだけはわかった。
ミカンは叱られた子供のように瞳をうるうるさせはじめたので、俺はその頭を撫でてやる。
「お前が無事なんだったら良かったよ。いくら失敗してもいいけど、ムチャだけはするなよ」
「ううっ……でもでも、台所を見たら……ご主人さまは……!」
ミカンをなだめながら台所まで行ってみると、そこはたしかに猟奇殺人の事件現場みたいだった。
おそらくオムライスを作ろうとしてトマトを使ったのだろう、血のようなトマトの痕が至る所に飛び散っている。
「じゃあ、まずは掃除からだな。ミカン、手伝ってくれるか?」
するとミカンは、心細そうにしていた。
「は、はいです……。でもご主人さまは、どうしてミカンを叱らないのですか? ミカンはとんでもない粗相をしてしまったのです……」
俺はスプーンをやっと握ったような幼い頃から、包丁を持たされて料理をさせられていた。
そんなので料理なんて作れるはずもないのだが、できなかったらオヤジからブン殴られた。
しかしその頃は自分が至らぬせいだと思っていて、いまのミカンのように自分を責めたものだ。
それがいかにおかしいことだってわかるのは、もうしばらく経ってからのこと。
台所の隅で縮こまっているミカンは、まるで幼い頃の俺みたいだった。
今にも消え入りそうな彼女に、俺は微笑みかける。
「ミカンは俺のために、いっしょうけんめい料理を作ろうとしてくれたんだろう?
だったら俺は叱ったりはしない。むしろ嬉しいくらいだ。ありがとうな、ミカン」
「ううっ……! ご主人さま……! ご主人さまぁぁぁぁ~~~~!」
親を見つけた迷子のように走ってきて、俺に抱きつくミカン。
それから彼女が泣き止むまで待ったあと、ふたりで掃除をして、ふたりで料理を作った。
メニューはもちろん、彼女が大好きなオムライスだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺はミカンが寝静まるのを待って、書斎の机であるものを広げる。
それは今日手に入れた、『原初魔法入門中級編』の切れっ端だ。
それは序章の一部分で、『呪文化』についてのやり方が書いてあった。
呪文化というのは、原初魔法の術式を『呪文』として登録すること。
呪文として登録しておけば、その呪文を唱えるだけで術式と同じ効果を得ることができるという。
ランプに照らされ壁で揺らぐ影が、大きくガッツポーズする。
「よし! いままでの術式が呪文として登録できるのなら、詠唱がいっきに楽になるぞ!」
試しにさっそく、いくつかの呪文を登録してみることにした。
「まずはやっぱり、最初に覚えた攻撃魔術だよな。えーっと、これを呪文として登録するには……」
俺は書物の断片に書かれていた、登録開始の文言を叫んだ。
「我が ・ 喚声を ・ 呪文化せよ …… 胎動!」
そして、アイスクリンと初めて出会ったときのことを思い出しながら、術式を編む。
「筐裡の第一節に ・ 依代せよ ・ アイシクル。
變成せよ ・ 筐裡の第一節を ・ 喚声から ・ 具現に。
奔出せよ ・ 筐裡の第一節を ・ 掌紋より……」
これでいいはずだ。あとは締めの文言さえ唱えれば……。
「産声をあげよ ・ 其は ・ アイスクリン ……!」
……オギャァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
新たな命が生まれたかのような反響が、脳内にこだまする。
次の瞬間、俺の目の前には『ステータスウインドウ』があった。
ステータスウインドウ。それは空中に浮かぶ半透明の窓のようなもの。
持って生まれた『天賦の才』が確認できるほかに、自分が身に付けた魔法やスキルを確認することができるんだ。
それは今までの俺にとっては無縁のものだった。
なぜかというと、この俺はなんの技も身に付けることができなかったから。
実家での剣士の修行を通して、兄弟たちはさまざまな剣技を身に付けていった。
ひと太刀で岩をも真っ二つにするスキルや、目にも止まらぬ速さで100発もの突きを叩き込むスキル。
しかし俺はいくら剣の修行をしても、なんのスキルも開眼することはなかった。
いままでずっと、天賦の才である『絶対感覚』がひとつポツンとあるくらいで、あとは空欄のままだった。
でも今は違う。
長年に渡ってフリースペースだったステータスウインドウには、新たに加えられた項目が燦然と輝いていたんだ。
その名も『アイスクリン』……!
俺にとって、初めての攻撃呪文……!
もうそれだけで、俺は泣きたくなるくらい嬉しかった。
いままで無能と呼ばれてきたこの俺に、ついに能力と呼べるものができたんだ。
「や……やった……! ついに俺にも、スキルと呼べるものができた……!
よぉーし! この調子で、ガンガン呪文を作り上げるぞっ!」
俺は今宵、ダマスカス先生がぎっくり腰で眠れぬ夜を過ごしていることを知らなかった。
眠らなかったという肉体的な点では先生と同じだったけど、精神的には正反対。
地獄の苦しみとは真逆の、天国への階段を登っているような、幸せな探究心に満たされていた。












