13 図書館へ行こう
13 図書館へ行こう
ランドファーの街の片隅にある剣士街はパニックに陥っていた。
とある剣士の家からあがった不審火が、あっという間に燃え広がっていたからだ。
二階にいた子供は逃げ遅れ、窓から外に向かって泣き叫んでいた。
そのとき買い物に出ていた母親は、変わり果てた我が家を見て愕然となる。
我が子を助けるために危険もかえりみず、業火の中に飛びこもうとしていたのだが、近所の人たちに取り押さえられていた。
野次馬たちは手分けしてバケツリレーを行ない、消火活動にあたっていたが、火勢はまったく衰えない。
誰もが悲しみ、心を痛め……そして疲弊し、あきらめかけていた。
彼らの無力さを責め苛むように、母と子、ふたつの絶叫が轟きわたる。
「うわぁぁぁぁぁーーーーーーーんっ! 熱いよ! 助けて! 助けて! ママぁーっ!」
「は……離して! あの子がまだ中にいるの! 離して! 離してぇぇぇぇーーーーっ!!」
この命懸けの声すらも、天に届くことはない。
「かみさまっ! かみさまぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」
たとえ手に向かって手を伸ばし、泣きすがったとしても。
剣士たちには神などいない。魔術師たちが支配するこの街では。
そう……!
あの少年がやって来る日までは……!
「ううっ……! かみさま……! かみさまぁぁぁ……!」
天を仰いだまま、ヒザから崩れ落ちる母親。
絶望に打ちひしがれたその瞳には、光はもうない。
茫洋とした瞳に、ただただ青空を映すばかり。
不意にその青空に、ふたつの人影が現われた。
それは、少年と少女であった。
ふたりは天使のように空を飛んでいて、やがて手をかざすと、信じられないことが起こる。
手から滝のような水を迸らせ、燃え盛る家を雨で包んだのだ。
雫は陽光を受け輝き、空に虹がかかる。
その光景は圧倒的かつ美しく、神が起こした奇跡としか思えないほどであった。
「あ……ああっ……!」
我を忘れて見とれてしまう野次馬たち。
やがて自然とヒザを折り、祈りを捧げ始める。
少年と少女の放った水は、バケツリレーではまったく歯が立たなかった火を一瞬にして消し去ってしまった。
そして少年と少女は窓まで飛んでいく。
焼け跡となった二階の窓に少女が手をさしのべ、子供を抱きかかえた。
そのまま家の前の通りに降りてきて、母親に子供を差し出す少女。
母親は呆然自失となっていたが、やがてその瞳には輝きがあふれた。
「うっ……うわぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!
ありがとうございます! ありがとうございますぅぅぅぅぅーーーーーっ!!」
母親は少年と少女にひれ伏し、おいおいと泣きはじめる。
周囲にいた者たちも、ふたりに向かって跪いていた。
少年はやにわに叫んだ。
「あっ! そうだ! 今日は大事な用事があったんだ! 俺はもう行かなきゃ!」
少女はぎょっとなる。
「えっ? デュランくん? ちょっと待って」
さっさと走り出す少年を、泡を食って追いかける少女。
街の人々はポカンとしたまま、その背中を見送る。
神にも等しい奇跡を起こしたふたり組は、民衆に地位や名誉どころか報酬すらも求めず、まさに神のような無欲さで去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺は学院へと戻ると、敷地内を抜けて校舎に飛びこみ、息を切らしながら廊下を走っていた。
「いつまでやってるかは知らねぇけど、急がなきゃ!」
アイスクリンは俺についてきていたが、俺の走りにはついてこれずに途中でへばっていた。
彼女を置いてきぼりにしてまで、なにをそんなに急いでいるのかというと……。
「えーっと、たしか図書館はあっちだったよな!」
そう。俺がこの学院に入った理由はいろいろあるが、そのひとつに図書館に行きたいというのがあった。
俺はかつて、潰れた図書館のゴミ捨て場から『原初魔法初級編』という本を拾って魔術に目覚めた。
それは隅々まで読み倒したので、『中級編』が読みたくてたまらなかった。
この国でも有数の魔術学校である『王立高等魔術学院』の図書館なら、中級編どころか上級編もあるんじゃないかと思ったんだ。
その想像どおり、学院の図書館はとても立派で、入口からしてまるで王家の宝物庫のようだった。
あたりには生徒の姿がちらほらあるので、まだ開いているようだ。
実家にいた頃は、図書館に近づくだけで殴られていたので、図書館に入るのは生まれて初めて。
俺はちょっとした緊張感と、たまらない高揚感を感じつつ、馬車すらも通れそうな巨大な両開きの扉をくぐろうとする。
その寸前、入口の傍らでひとりの女生徒がうんうん唸っているのが目に入った。
メガネに三つ編みで魔術師のローブを着た女生徒が、重厚そうな金属の箱を持ち上げようとしている。
しかし箱は床から1ミリも浮いてないどころか、びくともしてない。
近くには同じ魔術師科の男子生徒たちがたむろしていて、女生徒をからかっている。
「うーんうーん、重いでちゅねぇ、重いでちゅねぇ~!」
「おいおい、そう言うんだったら手伝ってやれよぉ!」
「誰がメガネブスのグラシアの手伝いなんかするかよ! 相手がアイスクリン様とかだったら別だけどな!」
「それもそうか、ぎゃははははは!」とバカ笑いする男子生徒たちをよそに、俺は女生徒のそばに立つ。
「持ってやるよ」
声をかけると女生徒は「えっ?」と振り返る。
女生徒は背が低くて華奢な感じで、いかにも大人しそうな感じだ。
「え……あ……その……」
彼女は遠慮しようとしていたが、俺はさっさと箱を持ち上げる。
箱はたいして重くなかったのだが、ヒザから上に上げたとたん急激に重くなった。
でもこのくらいならたいしたことはない。
実家にいた頃は、50キロ以上の盾をいくつもまとめて運ばされてたんだからな。
箱を胸のあたりまで抱え上げると、女生徒は「すご……」と言葉を失う。
それが面白くなかったのか、それまで傍観していただけの男子生徒のひとりがチッと舌打ちする。
「おい、待てよテメェ」
リーダーらしき男子生徒が俺に近づいてくると、後ろにいた取り巻きたちも駆けてきて俺を取り囲んだ。
「テメェ、デュランダルとかいう新入生だろ?」
「女の前だからって、カッコつけてんじゃねぇぞ?」
「それとも、俺たち魔術師に媚びようとしてんのか? このコウモリ野郎が、ああん?」
男子生徒たちはどうやら上級生のようで、ローブを着崩していてワルを気取っていた。
「よくわからんが、文句があるならお前らが持ってやったらどうだ? ほら、やるよ」
持っていた箱をリーダーに投げてやると、ドッチボールのように受け取ろうとする。
しかし持った瞬間にボーリングの球のごとく落としてしまい、足をグシャッと潰していた。
「ぎゃあっ!? いでぇーーーーっ!? な、なんだこの箱!? メチャクチャ重いぞ!?」
「そんなわけねぇだろ! 新入生が持てるくらいの封印箱がそんなに重いわけが……!」
取り巻きたちが落とした箱を持ち上げようとしていたが、その結果は女生徒がやっていたのとたいして変らなかった。
ヒザのあたりまでは持ち上げられていたが、そこからは急激に重くなり、誰ひとりとして俺のように持ち上げられずにいる。
「く……ぐぐぐぐぐっ……! ぐぎぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーっ!!」
取り巻きの中でいちばん力のありそうなヤツが、顔を真っ赤にして汗びっしょりになって、ようやくヒザ上くらいまで挙げられていた。
俺はそれを、片手でひょいと受け取る。
男子生徒たちは驚きのあまり、尻もちをついたまま俺を見上げていた。
「な……なんだ、コイツ……!?」
「こんな重い封印箱を、片手で……!?」
「ば……バケモンか……!?」
「そんなことはねぇよ。俺の妹のほうがよっぽど力もちだからな」
そう言ってやると、彼らはさっきまでの威勢はどこへやら、
「うっ……うわぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!?!?」
と本当のバケモノに遭ったみたいに逃げ去っていった。