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第9話 いずみちゃんは魔王と対峙した。

「この間お前がくれた下着な」


 カラオケでひとしきり歌い、内線電話で追加のドリンクを注文した後、ソファに全身を預けるように沈み込みながら彼氏がしんみりと話し始めた。


「うん?」


「正直扱いに困ってる。どこに隠しても見つかりそうで。うちのお袋、そういうの目ざといんだ」


「机の引き出しの奥とかは?」


「机まわりはだめだ。昔、グラビア写真を切り抜いて引き出しの裏に貼っておいたことがある。次の日学校から帰ったらなくなっていた。引き出しの後ろにでも落ちたのかと探したが見当たらない。諦めかけたころに親父が言った。親に見られたくないものを机とかベッドに隠すのは愚の骨頂。そこは母さんのテリトリーだって」


「やるね。あんたのお母さん」


「おい、茶化すなよ。俺は真剣なんだ。特に今度のブツはしゃれじゃすまないからな」


「どうして?」


「親に見つかったら間違いなく下着泥棒扱いされる。下手したら性犯罪者だ。良くても児童相談所に連れて行かれるのは確定だな。お前からもらったと言っても多分信じてくれない。最悪の予想を言うと、もし俺の親がお前の親に連絡して事実を確かめようとしたら……」


「うん?」


「お前、否定するんじゃないか? あたしはそんな恥ずかしいことはしないって」


「……そうかも」


 あたしは場面を想像して青ざめながらうなずく。


「おいっ」


「ごめん。ちょっと想像しちゃった。でもあんたの言うとおりかも。ごめん。そのときは罪をかぶって。お願い!」


 しおらしく両手を胸の前で組む。本当にごめんね。


「……そう言うと思った。それでだ。ブツを持ってきた。お前に返す」


「……せっかくの誕生日プレゼントなのに?」


「俺の話、聞いてたか?」


「話はわかった。邪魔なら捨てればいい。あたしに断ることないよ?」


「捨てるなんてできない。お前がくれたものだしな。でも、持っていることはもっとできない。……だから」


「……使った?」

「えっ?」

「あたしの下着、使った?」

「何に?」

「……ナニカに」


「…………使ってないよ」


「嘘だね。使ったね。そんな穢されたものを返されても……」


「使ってないよ。穢されたって、何に使ったって言うんだよ」


「……あたしが聞きたいよ。何に使わなかったんだよ」


「……俺をからかってるのか?」


 使い方? 方法なんて百通りだってあるさって、ロックシンガーの渋い声があたしを応援する。ハマショー、あたし頑張るから。


「匂いをかいだり、頬ずりしたり、ペロペロ舐めまわしたり、自分で履いてみたりしたのはいいとしても、問題はその後のこと」


「いやいやいやいやいや。よくないから。そんなことしてないから」


「いやいやって言うの口癖? 直したほうがいいよ。彼女からの真摯な忠告」


「この間も言ったけど、俺はあれを何に使うの? どうすればいいの?」


「さあ?でも世間の男性は喜ぶみたいよ。……って、この間? 何のこと?」


 身に覚えのない冤罪は晴らさねばなるまい。最高裁まで徹底的に争う。最高裁を持ち出してる段階で負け続けてるような気がするけど。


「夜、電話したろ? もうすぐ衣替えだからブレザーをクリーニングに出そうと親に渡そうとしたとき、ポケットが不自然に膨らんでいて、手を入れたらあれが出てきて驚いたって」


「ふむ?」


「えっ? 電話に出たのお前だよね? まさか別の人?」


 彼氏が慌ててスマホを調べ始めた。やがて発信履歴の画面をあたしに見せつけて断言した。


「ほら、これ見ろよ。金曜の夜っていうか、5月26日土曜日の午前零時10分、俺はお前に電話をかけてる。お前だろ、電話に出たのは。話したよな。あれが出てきて慌てたって。ハンカチを出し忘れてたって親に説明したけど変な顔されたって」


「覚えてない。でもあんたから電話をもらったような気がする。……すごくいやらしいことを言われたような。服を脱げとか、おっぱいさわってみろとか」


「言ってないぞ。そんなこと」


「奥さん、今どんなパンツ履いてんの、とか聞かれた」


「明らかに嘘だよね。お前、奥さんじゃないし」


「冤罪って、こうやって作られていくんだね。あたしも気をつけよっと」


「冤罪って認めたんなら、俺に謝れ。いや、今はそんなことより電話のことだ。お前に本当に覚えてないの?」


「うん。全然。まったく。モウマンタイ」


「モウマンタイ?何?」


「ノー問題ってこと。今のあたしのマイブーム。中国語?」


「俺に聞くなよ。そもそも中国語って言っても北京語、広東語、上海語、南京語と種類がある。どれなのか。じゃなくて、お前、それならあの晩、自分で何言ったかも覚えてないわけだ」


「あたし、何言った?」


「覚えてないならもういいよ」


「気になるよ。教えて?」


「俺も忘れることにする。この話題はもうなしだ」


「教えてくれなきゃ嫌だっちゃ。ねえ、ダーリン?」


「うおっ、ラムのモノマネ、すげぇな」


「教えてくれるまで続けるっちゃよ。学校でも。ダーリン?」


「やめてください。頼みます。洗いざらい話すから。だが、いいか、これは俺が言ったんじゃない。そこんとこ忘れんな」


 そう言って彼氏は立ち上がり、腰に手を当ててあたしを指さした。ふんぞり返っているのが気に入らない。


「いいか、お前はこう言ったんだ。下着が気に入らないのなら、……あ、あ、あたしを……」


 腰砕けになっておろおろしている彼氏。彼女なら助けてあげなくちゃね。


「あたしをあげる?」

「それっ!そん……」

「そんなこと言って、あんた恥ずかしくないの?」


「それ、俺のセリフな。あのとき電話で俺が言った言葉だから」


「あんたもあたしもまだ中学生なのに。いやらしい。あたしのことそんな目で見ていたの? 裸にひんむいてやりたいとか、結構巨乳だぜとか、いい尻してやがるとか、俺の女にしてやるとか、性欲のはけ口にしてやるとか、快楽を覚え込ませて俺から離れられなくしてやるぜとか。そんなふうに思っていたなんて本当にいやらしい!」


 あたしは彼氏から離れるようにソファの奥に身を寄せながら、ブレザーの襟を両手で掻き合せて胸元を隠す。


「妄想はやめろ! いやらしいのはお前のほうだ。……それに、巨乳とか……」


「巨乳じゃないって?」


「見たことないからわからないし」


 そう言って目をそらした。


 それは否定したのと同じだ。けれど、今はもっと大切な話をするべきだと思った。


 コイツの前で醜態をさらした。家族の問題を知られてしまった。そして、その元凶の母にコイツのことを知られてしまった。


 関係のないコイツをこれ以上巻き込んではいけない。覚悟のないヤツに家族の問題に踏み込んでこられるのも迷惑だ。


「ねぇ、マジな話。あんたはどう思ってるの?あたしのこと」


 あたしの表情と口調が変わったことに気づいたのか、真面目な顔を作って考え込む。


 やがて、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


「……俺はお前と友達になりたいと思った」


 一度大きく息を吐いて続ける。


「走るのがすげぇきれいで。あんまり笑わないけど、笑ったときがすごく可愛らしくて。


 ひたむきに前だけを見ているお前のことをずっと見ていたいと思った。


 お前が考えていることを聞きたいと思った。


 俺が考えていることを話したいと思った。


 それは恋とは違うかもしれない。


 ただ、俺にとってお前は特別な存在で、お前にとっても俺がそうであったらうれしいと思った。けど……」


 口が重い。


 ならば、あたしが代わりに言ってあげよう。


「けど、付き合ってみたらこんなはずじゃなかった?」


「そうじゃない。本当は、今日の会話もときおりエロを混ぜてくるのも嫌じゃない。むしろ、ますますお前のことが気になってる。だけど、戸惑ってもいるんだ」


「あたしに付いていけないって?」


「お前、本当に好きな相手に対しては今日みたいなこと言えないだろ? 下着渡したりしないだろ? 俺にそれができるのは、実は恋愛対象として見てないからじゃないのか? いや、俺はそれでもいいんだが。でも、お前は恋愛ごっこで浮かれているような、不満をそれでごまかそうとしているような、俺にはそんなふうにしか見えない」


 ごくり。


  のどが鳴った。


 慌ててグラスを手にするが、氷がカランと鳴るだけ。それでもストローをくわえて返す言葉を探す。


 そうして。


「あたしはあんたを利用して現実逃避してるだけなのかもね。そうだとしたらどうする? 付き合うのをやめる?」


「そこまで言うなら俺に相談してみろよ。俺はお前の友達になりたいんだ。お前は何に悩んでるんだ?」


「……家族のことだから他人には言いたくない。それが気に入らないなら、お付き合いはここまで」


「お母さんのことだろ? この間のお前の態度を見たら嫌でもわかる」


「そうだとしても、あんたには関係ないこと。あたしは家族の問題に他人を巻き込みたくない」


「相談もできないのか? それとも、信用できないからか?」


 コイツはあたしの家族のことをぺらぺら喋るやつじゃない。そんなことはわかっている。けれど、あたしはあと一歩、前に踏み出すことができない。


 だけど、あたしが黙り込んだままでいるのを見て、コイツが踏み込んできた。


「……お母さん、浮気してるのか?」


 あたしも重い口を開く。


「……間違いない。証拠があるわけじゃないけど、あたしはそう思ってる。火曜日はいつも12時過ぎまで帰ってこないし、この間は外泊した。男と会っているのを見たこともある。でも、あたし、お父さんに言えなくて。浮気したお母さんなんか離婚して追い出しちゃえばいいのにって思うのに、両親が離婚したら今のあたしの生活も壊れちゃう。あたしは自分の保身のためにお父さんに黙っているの。それなのに、お母さんはお父さんと一緒にいるときは仲良く笑って話をしてる。薄気味悪いったらありゃしない。あんな母親から産まれてきたかと思うと、自分の体が汚らしく思えてしまう。お父さんよりも好きな男ができたのならそう言って出て行けばいいのに」


 一度口を開くともう止まらない。


 誰にも言えなかった思いをただただぶつけていく。あふれ出る感情、ほとばしる言葉を。願いはある。それは手が届くところにあるはずだ。


 でもどうしたらいいかがわからない。


 こんなことは間違っている、ただそれだけの正義を振りかざしたって何も変わらない。


 変えるだけの力がない。お金もない。アイデアもない。頼る仲間もいない。圧倒的に経験が足りてない。


 でもこのままじゃ力のある大人達に振り回されるだけだ。あたしはそれが納得いかない。


 吐き出す声に涙が混じる。


「でも、それはあたしと重なるんだ。お母さんがわが身可愛さからお父さんに言わないように、あたしも自分の生活を守りたくてお父さんに何も言わない。


 だからあたしもお母さんと同罪。


 一緒になってお父さんを裏切り続けている。お母さんが男と会うたびにあたしの罪も重くなっていく……」


 嵐が過ぎたときには、あたしはもう後悔していた。こんなことまでコイツに話すつもりなんてなかったのに。


 そうしてやっと自覚する。


 あたしは多分、どうしたらいいかわからないやり場のない気持ちを柿崎に預けてごまかしていただけなんだ。


 誰でもよかった。たまたま柿崎とタイミングが合っただけのこと。


 ごめんね、柿崎。


 そう思うと今までの痴態が急に恥ずかしくなってきた。どうしよう? 完全に変な女の子だよね。でも、やらかしたことは取り返しがつかない。ただ、それならあのショーツだけでも取り返しておきたい。


「なあ、お母さんが男と別れたらお前の問題は解決するんじゃないか?」


 あたしの思考が沈み込んでいると、唐突に柿崎が提案してきた。


「そうだけど、何かいい方法でもあるの?」


「お前が問題を起こす、というのはどうだ?」


「問題?」


「そう。例えば、お前が俺と不純異性交遊をしていると知れば、お母さんも浮気どころじゃなくなるだろ」


「嫌よ。あんたと何かするつもりはないから」


「実際にする必要はない。お母さんにそう思い込ませればいいだけ。中学生の娘が男を家に連れ込んでいるとなれば、夜、家を空けることもできなくなるだろ」


「そうね。考えてもいいかも。でも具体的にはどうするの?」


「お母さんが遅くなった夜を狙って玄関に見知らぬ男物の靴を置いておくとか、お前の部屋からアダルト動画のあえぎ声を流すとか」


「無理。持ってないし」


「じゃあ、録音した自分のあえぎ声を流すとか」


「それも無理。……できる気がしない」


「しょうがないな。スマホ、出して」


 当たり前のように言ってきたが、スマホは個人情報のかたまりだ。他人に渡すことなんかできない。あたしは首を振って拒絶する。


「何するつもり? 変なことされるのは困るんだけど」


「ネットでアダルトコンテンツの無料動画を検索するだけだよ。大丈夫だよ。変なことはしない」


「あたしのスマホで?」


「それ以外にないだろ? 一度検索しておけば、履歴から呼び出していつでも再生できる。タイミングを見計らってお母さんに聞かせるって、さっき提案したよな」


「何言ってるの? 女子中学生のスマホでアダルト動画検索? ないない。無理」


 断固拒否だ。


 痴女確定の暴挙、愚行、蛮行。言語道断。そんな提案には乗れない。


 そんなあたしの態度に、柿崎はやれやれしょうがないなぁと首を横に振った。


 あたし、間違ってないよね?


「じゃあ、俺のスマホで検索するから、それをお前のスマホで録音しろよ。それならいいだろ」


 柿崎が慣れた手付きでスマホを操作する。


 コイツ、初めてじゃないな。まあ、いいけどね。ただ、目つきが……怖い。


 お父さん、お父さん、魔王がいるよ。ほら、ここに。歪んだ笑み、こぼれるため息は枯れ葉のざわめきじゃない。ギラついた目は柳の幹でもない。怖いよ。怖い。魔王があたしを連れて行くよ。


「これなんかどうだ」


 魔王さまが自慢の逸品を推奨してくる。動画を再生するまでもなく選別した魔眼、相手が女子中学生でも容赦しない真の男女平等主義、己のすべてをかけたプレゼンテーションに満足したこのドヤ顔。


 魔王さまカラオケ店に立つ。


 魔法陣も生贄もないのに召喚されてしまった。エコエコアザラシ、エコエコアザラシ。


 そして大音量で流れ出す女性のあえぎ声。


 あっという間にカラオケルームが魔王城と化す。そこにドリンクを盆に乗せた店員がノックもそこそこに飛び込んできた。

「お客さん!」と叫びながら。


 柿崎は慌ててスマホの電源を切り、あたしはグラスの底にたまっていた溶けた氷水をすすった。ずずっと。


 よかった。魔王は去った。世界に日常が戻ってきた。


 ありがとう。名前も知らない、とあるカラオケの店員さん。





 学校に通報しないでくれて。


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