第7話 いずみちゃんはぬくもりをあげた。
とうとうこの日がやってきた。
5月22日、彼氏の誕生日だ。
母はあたしが父に何も言わなかったことに安心したのか、夕方になるといそいそと出かけていった。
今夜も遅くなるのだろう。
彼氏の家では今日はお祝いをしないという。仕事で遅くなるからお祝いは次の土曜日に外食で、ということらしい。
それならばと、彼氏に電話をかける。
7時にうちにおいでよと言った。勉強会のついでにお祝いをするからと伝えると、電話の向こうで喜びを爆発させ、オーマイガーと神に感謝を捧げていた。
「何をたくらんでるんだ?」とか、意味不明なことも言っていたが、今日はコイツの誕生日、招待を受けるという言葉に免じて赦してやった。
さぁて、いっちょ、ぶちかましますかと気合いを入れ直す。
ケンタでフライドチキンを買って、予約していたお店で5号のケーキを受け取る。二人で食べるには大きいけれど、これは気持ちの問題だ。
食べ切れないときはあたしが彼氏の口に運んでやればいい。あーんとか言いながら。
先週、先々週と火曜日の夜、母は外出している。先週は水曜日の夜も外出した上、木曜日はとうとう外泊だ。完全に男に夢中になっている。
そのうち一緒に暮らし始めてもおかしくない勢いだ。
今日は火曜日。
今までの母の行動から考えて、今夜も遅くなるに違いない。あたしが父に何も言わなかったことで、母の背中を押すことになったのだとしたら辛いことだが。
けれど、今夜はそれを利用させてもらう。
最初はカラオケ店でお祝いするつもりだったが、母がいないのなら家でやったほうが計画を実行しやすい。
恥ずかしさを乗り越えやすいと思うから。
弟? あいつなら剣道部の仲間と勉強会? だったかもしれない。どうでもいいけど。
リビングにケーキとチキン、ジュース、コップを並べる。
あたしの手づくりは豆腐サラダ。豆腐をざっくりと指で砕きながら、ちぎったレタス、スライスしたきゅうりにオクラ。これにレンジで柔らかくして短くカットしたアスパラを混ぜる。
彼氏の手料理には及ばないけど、これがあたしにできる今の精一杯。彼氏にはこれで認めてもらうしかない。
ドレッシングは彼氏のまねをしてごま油に醤油と一味。そこに隠し味でカレー粉をプラスしたのがあたし流。
思いつきのアイデアで作ったやっつけ料理だけど。
さて、今度はあたしのドレッシングだ。
あえての制服。部屋着で彼氏を迎え入れて、ショーツなんかあげて変な気を起こされても困るもんね。
なぜなら、いずみちゃん、今夜タブーに挑戦するからです。
まずは、今履いているのを脱いでハレンチなヤツを履く。紐じゃない方。全部隠れないのは承知の上。だけど、その上にプレゼント用の純白を履くから問題なし。
せっかく買ったんだし、サポーター代わりに、ね。
あたしは考えたんだ。
あたしのプレゼント、使用済みだよって言ったって信じないんじゃないかって。むしろ「まさか啓太が履いたんじゃないだろうな?」とか言われそう。
だったら、あんたの目の前で脱いで差し上げようじゃない。脱ぎたてほっかほっかの純白のショーツを。
でもご心配なく。ホントはその下にもう1枚、履いているのサ。
もちろん、そんなことは教えない。
彼氏はオンナのコの大切なところが布地に触れていたショーツをそっと大事にしまいこみ、夜な夜な密かに眺めては、今日という日があったことを思い出してうれし涙を流すはず。
今回は紐パンはパスの方向で。
だって、あれだと本当に大切なところがショーツに触れちゃうじゃない? サポーターの役目すら果たさない。
マジ紐だったな。危ない。危ない。
紐パン、いつか出番が来るまで隠しておこう。そんな日なんて来なくていいけど。
取りあえずベッドの下に押し込んでおく。ほら、今日一度履いちゃったからね。タンスには戻せないから。衛生的にね。
あたしが汚いわけじゃない。
気分的な問題。帰ってきてシャワー浴びてるからね。ほんとだよ。
テーブルの用意も、プレゼントの準備も終わり、あとはお客様を待つだけとなって、あたしは気づいた。
これって相当イヤラシイんじゃない?
ふと我にかえる。
あたし、何やってんだろ?
チャイムが鳴り、来客の訪れを知らせる。彼氏だ。どうしよう。居留守を使っちゃう? でも……
勉強会はただの口実だったが、実は、3日後の金曜日から中間試験が始まる。
高校受験に向けて内申書の評価を左右する大切な試験だ。勉強する時間は大切だ。
よしっ。プレゼントは最後の最後に。
妙な雰囲気にならないようにしなくちゃね。
彼氏を家に迎え入れ、まずはテーブルに案内する。
「おいおい、豪華だな。まさか自分で作ったわけじゃないんだろうけど」
「……今日はプロの味を用意しました」
「……ありがとう。……うれしいよ」
「今の間は何? ……でもサラダはあたしの手作り」
「……それは楽しみだな」
「ちなみにあたしの誕生日は11月29日」
「うぉっ、ノータイムで言ったな。妙な間がない分、忘れんなよって声まで聞こえたぞ」
「うん。勉強もしなきゃいけないから早速始めようか」
チキンとケーキを取り分けて柿崎に手渡した。ジュースで乾杯する。
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「プレゼントも用意してる。だけど、勉強が終わってから」
「……怖いな」
「どうして?」
「お前、絶対忘れられない誕生日にするって言ったろ? 今のお前の顔、何かたくらんでるような気がしてしょうがない」
「わかるの?」
「……ああ、悪い顔をしてる。自分で気づいてないのか?」
「……チキンの口休めにサラダもどうぞ」
サラダを小皿に取って彼氏の前に置いた。あたし特製のドレッシングを回しかけて勧める。フォークでサラダを口に運んだ彼氏が顔をしかめた。
「カレーの味がする」
「隠し味にカレー粉を入れてみた。あたしのオリジナル」
「隠れてないよ。ていうか、カレーの味しかしない」
ちっ。これはあれだな。独創的な料理を作ろうとしたのが仇になって毒草的になってしまった。空回りってやつだ。
「……おいしくなければ残していいよ」
「このあとスタッフがおいしくいただきました、か?」
再びサラダを口にして言う。
「うん、おいしいよ」
「嘘だよ。無理してる」
「おいしいし、何よりうれしい。俺のために作ってくれたんだろ? 俺が食べないでどうする?」
「でも、おいしくないのに」
「サラダがカレー味だったことに驚いただけ。斬新すぎて」
「そう? おいしい? 本当?」
「ああ。ただ、前衛的というか、飛び抜けてるというか、革新的というか。不思議だな。カレーなんて数え切れないくらい食べてるのに、初めて食べるような気がする。てか、お前、これ味見した?」
「今更それ聞く?」
「いや、もういい。わかったから」
「おかわりする?」と言いながら、まだ空いていない小皿の上にサラダを追って乗せる。
「お前の気持ちは本当にうれしい。俺のためにここまでしてくれて感激だ。俺は今日、この15の夜を一生忘れることはない。だから……」
「だから?」
「もうごちそうさまでいいか?」
あたしは答える代わりに小皿にサラダを盛った。大盛りにした。最後はボウルを裏返して底にへばりついていたのをトングでこそぎ落とした。
彼氏はあきらめてドレッシングをかけずに豆腐サラダを口にかきこむ。
「ああ、うまい。うまいよ。いけるなぁ。これ」
こうして彼氏は泣きながらサラダを一人で平らげた。あたしが作ったドレッシングに手を付けることなく。
当分、カレーは見たくなさそうだ。顔にそう書いてある。
今回の件でカレーが彼氏のトラウマにならないことを祈ろう。
食事を終えるとあたしの部屋に移った。もちろん勉強するためだ。
「啓太はまだ帰ってないの」
「あいつも勉強会。夕飯食べて友達の家に行った。今夜は、なんと、あんたとあたしの二人きり」
「なんとの使い方間違ってるぞ。今この家に俺とお前しかいないことは薄々気づいてたし」
「ダイハツ、なんと」
「そんな車ないから。えっ、ひょっとして、今の、驚いたってこと? わかりにくいよ。そもそもお前が驚く要素は何もないだろ。むしろ男と二人きりになってることを警戒しろよ」
「大丈夫。あたし、蹴りにはちょっと自信があるから」
「俺が怖くないと言いたいのか」
「だから安心して勉強できるよ」
「でも座って勉強してたら蹴りは使えないんじゃ」
「実はひじ打ちにも自信がある。試してみる?」
「格闘技でもしてたのか?」
「陸上。毎日走ってひじを振り抜いてきた。だから、威力は絶大」
「ふぅん」
「脚はともかく、腕の振りはいい、上体の使い方がうまいと合宿で大学生のコーチからほめられた。たぶん、ひじ打ちだけなら中学陸上界最強」
「そうか。やっぱ勉強するって大事だな。今の言葉で確信したぞ、俺は」
「うん、がんばろう」
勉強が進むうちに9時になり、彼氏が帰り支度を始めた。
「じゃあ、俺帰るから。戸締まりに気をつけろよ」
「うん。でも」
かばんを抱えて立ち上がった彼氏の前に向かい合って立つ。彼氏を見上げながら視線を絡ませる。
ここでプレゼントを渡すことは最初から決めていた。
さあ、本日最大のイベントを始めよう。
「見て」
あたしはスカートのすそを持って前をめくり上げた。
のどの動きで彼氏がごくりとつばを飲み込んだのがわかる。
「……なんのつもりだ」
「あたしからのプレゼント」
「……何が?」
「あたしの下着。脱ぎたてをあげる」
「……お前」
「せっかくだからね。ほら、使用済み」
「気持ちはうれしいが、そんなの持ってるのを見つかったら、犯罪者扱いされるよな、俺」
「なんならサインしておこうか。あたしがあげたって」
「そうじゃなくて。女性の下着を持ってる男子中学生って異常だと思わないか」
「そう? 男子は好きでしょ。こういうの」
「いや、それは否定しないけど。俺、これもらった時点で変態だよね。ていうか、バレたら社会的にアウトだろ」
「いずみの初めてを、あ、げ、る」
「初めてって、下着をあげるというのをそんなふうに言われても」
「そろそろあたしも恥ずかしいんだけど。それともこの格好をずっと眺めていたいの? とんだ羞恥プレイね。そっちのほうがよっぽど変態」
「……わかったから。ありがとう。いただくよ。だけど、本当にいいのか。家に男と二人きり。こんなことして、お前、人生舐めすぎてないか」
彼氏が目をそらす。
あたしが下着を脱ぐのに気を使ったようだが、ベッドとか、机の上や壁のポスターを見回すのはやめてほしい。そこは、あたしのプライバシーだ。
あたしは大急ぎでショーツを脱いでぬくもりが消える前に彼氏の手に押し付け、ポケットに導く。
動揺を隠せないでいる彼氏の様子に余裕が生まれてくる。自然と軽口も出てくるというもの。大丈夫。怖くないよ。
「あたしも恥ずかしいんだよ、ようちゃん。いいから、これ、入れて。お願い」
トントン
ノックの音に二人して息をのんだ。
控えめだったが、聞き間違いではない。
ドアの向こうに誰かいる。
「いずみ、入ってもいい?」
母だった。
心臓が鷲づかみされたように縮みあがる。
……なんで? まだ9時なのに。もう帰ってきたの?
「お母さん?」
わかっていても確かめずにはいられない。このシチュエーション、強盗のほうがまだマシだ。嘘です。ゴメンナサイ。
だけど、言い逃れのできない密会現場を押さえられてしまった。
あたしは恐る恐るドアを少しだけ開けて母を見る。お互いスネに傷を持つ者同士、ここは見逃してもらえないかな。
「お友達?」
母の不安げな顔にあたしの羞恥心が爆発した。
「なんで、なんで。ねぇ、なんでこんな早くに帰ってきたのっ!」
「剣道部の打ち合わせが終わったから。ねぇ、開けてくれない?」
「いやっ!」
いつからいたの? ひどいよ、こんなの。
「誰か来てるんでしょ。ご挨拶しなきゃ」
「何言ってるのっ! いつもは遅くまで帰ってこないくせに。今日に限ってなんでよっ!」
泣き叫ぶあたしの肩に手が乗る。
彼氏があたしにうなずきながら、ドアノブを持つあたしの手に自分の手を添える。
あたしがやめてと言う前にドアを開けた。
「はじめまして。柿崎洋一郎といいます。いずみさんとは同じ中学なんです。中間試験が近いので二人で勉強していました。夜遅くまでお邪魔してしまいましたが、もう帰るところでした。心配させて申し訳ありませんでした。こういうことは二度とないように気をつけます」
母は、まるで品定めをするかのように彼氏とあたしを交互に上から下まで舐めるように見た。
あたしと彼氏がいやらしいことをしていたと邪推して、着衣の乱れを確認しているのだろう。
自分こそ男と密会してきたくせに。
あたしたちは勉強をしてた。やましいことなんか、何もないっ!
…………ないよね?