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第4話 いずみちゃんは嫁をゲットした。

 目の前にあるのは、彩りを意識した料理の数々。


 ご飯の代わりに小さくまとめて素揚げしたそうめんの一群。おかずの容器にはハムの包み焼き。細く刻んで炒めたアスパラ、にんじん、玉ねぎを薄く削いだ生ハムで包みこんで軽く炙ったもの。隙間からわずかに見える野菜に完成度の高さを予感させる。小分けカップには、細かく刻んだ長ねぎ、もやしと茹でたキャベツの酢味噌あえ。胡麻がふりかけてあるのが小憎らしい。サラダの容器には、細かくちぎったレタスを醤油、ごま油、一味いちみで作ったドレッシングで軽く混ぜ合わせている。メインの肉料理は、肉詰めピーマン。焼くのではなく、素揚げにして一口サイズにカット。十数個を表と裏、緑と茶色を交互に並べるおしゃれな演出。そして黄金色に輝く重量感たっぷりに厚く巻かれた卵焼き。それを一口サイズに切り分け、一手間をかけて格子模様に茶色の焼き印を入れている。携帯魔法瓶に入っていたのはうどんスープに少量のコンソメを溶かしたもの。素揚げしたそうめんはこのスープにひたしていただく。


「やるなあ、柿崎」


 あたしの正直な感想。やばい。こいつに持っていかれそう。


 心が。体ごと。


 あたしは素直に称賛する。これだけで今日という日に価値がある。こいつを作ったのが柿崎なのか柿崎のかあちゃんなのかはどうでもいい。あたしは今こいつ(弁当)に夢中なのだ。


 県立体育館の2階席。


 最上段の場所にあるベンチでお弁当を広げて、あたしは一人、きゃっきゃうふふと舌鼓をうっていた。あたしの満面の笑みに照れたのか、柿崎は目をそらしている。


 柿崎、嫁にほしいぞ。


 もぐもぐと味わいながら柿崎の顔を見つめる。柿崎が小分けケチャップのパックを指で切って肉詰めピーマンの横に盛った。


 柿崎の人差し指にケチャップが付いている。


 パックを切ったときに付いたのだろう。あたしは、ハンカチを取り出したが、ふと思いついて彼の指を両手でつかんで自分の口に持っていった。


 指をくわえたまま彼の目を見る。


 あんた、あたしの嫁だから。


 10秒、20秒と時間が過ぎていく。彼の人差し指が震え始めた。


 でも、あたしは口を離さない。もちろん掴んだ両手も、合わせた目も。


 やがて彼が観念したように大きく息を吐いた。


「大原……もう、やめてくれ」


 うなるように懇願する声に満足したあたしは口を離して彼に告げた。


「あんた、あたしの嫁だから」

「へっ?」


 異議は認めない。


 こんなお弁当様を爆誕させることができるなら、それはもうレベル100の村人といっていい。


 最強だ。


 最強すぎて箸が止まんにゃい。いかん、いかん。思わず猫化してしまった。凄まじい効力だにゃ。むふぅ。もぐもぐ。


 さてと、お腹もふくれたことだし、そろそろ本来の目的に取りかかるにゃ?


 2階席から見おろすと、広いフローリングの床に4面の正方形の試合場が赤い線で囲まれ、防具を着けて竹刀を構えた選手が気合いを発しながら動き回っていた。


 それを遠巻きにゆっくりと動く何人もの背広の大人達。


 少し離れたテーブル席でそれぞれの試合を注視している大人達もいる。


 次の一瞬。


「メーン」と打ち込みが入った。


 勝負が決まった。けれど主審の旗は上がらない。試合の続行が告げられた。


 決まらなかったの?


 二人の選手が離れて竹刀を構え直す。誰も異議をとなえない。


 選手だけじゃなく、他の審判も応援席も。


 今のは入ってないってこと? 皆が納得して試合が続く。


 じっと見ていると、一つの試合に関わる人数が半端じゃなく多いのに気づいた。


 正式な大会でもないのにこの規模の大きさ。


 体育の授業にも取り入れられているし、誰もが知っている競技なのに、剣道のプロとかセミプロの実業団なんて聞いたことがないし、柔道のようにオリンピック競技になっているわけでもない。


 それでもこの熱気と真摯に向き合う姿勢。これが武道?


 勝ち負けではない価値観がここにあった。


 マイナースポーツと自らを貶めることはしない。武道として自分を鍛え、ひたすら高みを目指す孤高の大鷲達がここにもいた。


 礼に始まり、礼で終わる。


 競技は戦う相手がいるから成立する。その戦う相手だから礼を持って尊重する。


 その絶対の真理を、ただ好きだからという理由でなんとなく走っていたあたしに突きつけてくる。


 お前はそれでいいのかと。


 だとしても、それがなんだ。あの応援席の中にはあたしの母親の不倫相手がいる。


 そいつのせいで家族が破綻するかもしれない。しかも、今日この場にいなかったとしても、水泳部や体操部を覗いた不審者もいるのだ。


 あの眼鏡をかけたハゲ頭とか。んっ? あいつだよね? 違ったかな? 必ずいるはず。


 目を凝らして探すが今一つ確信が持てない。ハゲ率が高い。眼鏡率も。


 どいつもこいつもあたしと同じくらいの年の子の親のはずなのに、うちの両親より高齢のようだ。


 頭部のてっぺんが射撃の的に見えてくる。弁当にプチトマトが入っていたら的めがけて投げつけていたかも。


 プチトマト、なくて正解。


 あたしは試合に目もくれず、記憶に残る男の姿を探す。


 しらみつぶしに見ていく。だが、結局、あの夜母を送ってきた男を見つけることはできなかった。かつて見たはずの不審者も。


 けれど、ちっとも残念だと思わない自分がいた。


 当初の狙いが空振りに終わったにもかかわらず、あたしの気持ちは充実していた。


 あたしは走ることの意味を見つけたい。先輩を追いかける、それを理由にしたくない。


 あたしは自分のために走りたいのだ。


 ❏❏❏❏


 火曜日、今日は剣道部が対抗戦で優勝したことを祝って部員でカラオケに行くらしい。啓太は初めてのカラオケに昨夜からそわそわしていた。


 大丈夫かな。アンパンマン体操とか歌って引かれたりしないかな。


 いや、いい詞なんだけどね。父が送別会で職場を離れる部下に言葉を贈ろうとして一部をパクった、おっと、引用したくらいなんだから。


 啓太がアニソン以外の歌を知っているとは思えない。微妙な選曲をして恥をかかなきゃいいけど。


 テレビで流れるのは1番だけ。2番になって知らないことに気づいて、鼻歌でごまかしたりしてないかな。


 あれって聞いてる方がいたたまれなくなるんだよね。気づかないふりして選曲のページをめくるけど、どうしたって無理がある。


 誰か音源を切ってやれよってみんなが思っている。たったそれだけのことができないのだ。紳士淑女には。


 みんなでスマホを取り出しポチポチタイムの始まりだ。


 4時に学校から帰ると、母が夕飯の準備をしていた。


 これはあれですね。外出する気満々ですね。だって夕飯作るには早すぎるもん。


 あたしは諦めの気持ちで母を眺める。母の暴走を止めるのは無理だろう。行くところまで行かなければ気持ちに収まりがつかないのかもしれない。


 鼻歌で料理をする母の背中を見ながらあたしはどんよりと落ち込んでいった。


 案の定、ランニングから帰ると母は家にいなかった。今日は塾が休みだから夕食後は家で一人きりだ。啓太はカラオケで遅くなるだろうし。


 その日の夕食は味気なかった。


 そんなに広くもない家だけど、人がいないというだけでこんなにも寒々しい。


 母も啓太も今を楽しんでいると思うと、気持ちがもやもやして何も手につきそうにない。机に向かっても無駄な時間を過ごすだけだろう。この気持ちをどうにかしたい。


 気分転換を図ろうとスマホを持った瞬間、頭をよぎる名前。


 画面の上を指が踊り始める。


 探すのは土曜日に番号を交換したばかりの相手。やがて見つけた「嫁」。カラオケに行ってるなら繋がらないだろうけど。


 祈りを込めて電話をかける。


 そうやって呼び出した嫁がうちに着いたのは7時だった。通話を切ってすぐに飛び出したようだ。


 その忠誠心に二重丸。


 うい奴め。そんなにあたしに会いたかったか?


 あたしは、玄関ではあはあと息を切らす嫁を見下ろして満足して微笑んでいた。


「あがんなよ」


「おじゃまします。って、なんだよ。こんな時間に呼び出して」


 靴を脱ぎかけてやめる。あがるつもりはないようだ。


「あたしの部屋で一緒におベンキョしようぜ」


「いやいやいやいや、怖いんだけど、その態度。何たくらんでるんだ?」


「今は家に誰もいないからさ。一人じゃつまんないからあんたと一緒に勉強しようと思って」


「勉強なんて一人でするもんだろ? なんだよ。すぐに来なかったら俺の恥ずかしい噂を流すって」


「あんたが剣道部に入ったせこい動機のことよ。大丈夫。あたしの言うとおりにしていれば誰にも言わないから」


「お前の今の顔、信用できねえよ。鏡見てみろ。邪悪なツラしてるぞ」


「邪悪? ふふん。今のあたしはジャアク、ジャアカー、ジャアケスト。災厄の禍津神」


「最悪の鍋つかみ? なんだ、それ? でもミトンはきちんと熱を遮断するものを選んだ方がいいぞ。長く持ってると低温やけどするからな。鍋は」


 さすが嫁。あたしの渾身のギャグに調理でボケ返すとは。


 ……あっ、「熱い鍋を長く持ってるとか、どんな罰ゲームだよ」って返すためのフリだった? ごめん。期待に応えられなくて。あたし、芸人を目指してないんだ。


「ところで、あんた、カラオケには行かなかったの?」


「3年は呼ばれてないな。受験があるからかな?」


「家にいたんだ」

「ああ」


「親にはなんて言って出てきたの?」

「何も。親が帰ってくるのは9時過ぎだからな」


「じゃあ、ゆっくりできるんだ」

「いやいやいや、何言ってんの。用がないなら帰るから」


「用ならあるよ。とにかくあがって」


「お前、今家に誰もいないって言ったよな。夜、男と二人きりでいるところをお前の親に見られたら、俺殺されちゃうんじゃないの?」


「大丈夫。父親は単身赴任だし、母親は夜遅くまで帰ってこない。啓太は、まあどうでもいいか」


「啓太はって、いや、そんなことよりお前がよくないだろ。俺も男だぞ。変な気になったらどうすんだよ」


「写真に撮ってネットにアップする」

「俺、帰るわ」


「待って待って。まだ7時じゃない。9時まででいいからさ。勉強につきあってよ。お願い」


「……9時になったら帰るからな」


 こうして嫁を部屋に連れ込んでしまった。……あたし、何やってんだろ?


 実は勉強会なんてしたことがない。勉強は一人でするもの。その点、嫁は正しい。


 さすがあたしの嫁。さすがあたし。というのは置いといて。


 初めての勉強会、何をどうしたらいい? 経験値が圧倒的に足りてない。しかも、嫁は勉強道具を持ってきていない。できることには限りがある。


 だけど勉強するならあたしの部屋しかないよね。


 あたしは、ローテーブルの上に広げたノートを前に、二人してベッドを背もたれにして並んで読み合わせをすることにした。


「お前のノートよくまとまってるし、きれいだな。これ覚えるだけで点とれそうだぞ」


「そうかな。うへへ」


「……誰からもそう言ってもらえなかったようだな。ためしにこのページから問題出すから答えてみろよ」


 こうして時間が過ぎていった。


 8時になったころ、休憩と称してリビングに移ってコーヒーを淹れた。


 ほら、ベッドがあるとやっぱり気が散るでしょ。トイレとかで部屋を空けている間に何か探されても困るし。


「ねえ、嫁はどこを受験するの?」


 食卓についている嫁の前にマグカップを置く。


「近い所だな。電車で通うのはかったるいし。……って、ヨメ? 今、嫁って言った? 嫁って何? 誰のこと? まさか俺? 俺のことか?」


 慌てているが、撤回はしない。あたしは自分のカップを食卓に置いて、立ったまま会話を続ける。


「この間、言ったでしょ。あんたはあたしの嫁だって」


「いやいやいやいやいや、おかしいよね。いろいろと」


「いやが多すぎ。あと驚きすぎでしょ。別に深い意味はないから気にしないで」


「いや、……俺のこと嫁って言ったよね。気にするなって無理だろ」


「これからはガッコでもそう呼ぶ」

「なんで? 俺、お前になんかした?」


「あんたを他のやつに取られるわけにはいかないからね」


「んなこと言って、お前、俺のこと好きなの?」


「……………………うん」


「何だよ、今の間。絶対に違うだろ」


「あえて言うなら……」

「あえて言うなら?」


「あんたのお弁当に惚れた。大好きだ。愛してる。もう首ったけ」


「それ、俺のことじゃないよね?」

「うん? あんたのことでしょ」


「いやいや、弁当の話だろ?」

「あんたのお弁当が好き。これからもずっと作ってほしい。だから嫁」


「わかった。俺の料理の腕に対するお前の評価はよおく伝わった。でもな、嫁は違うんじゃないか?」


「どうして? 嫁じゃなきゃ作る理由がないでしょ」


「俺が弁当を作るのが前提か。もし作らないって言ったら?」


「どうして? たった一つしかないあんたの貴重な長所よ。アピールしないでどうするの」


「一つしかないって? あるだろ! 優しいとか、勉強できるとか、顔がいいとか、クールでかっこいいとか。……自分で言ってて悲しくなってきたんだけどぉ?」


「今言ったことは全部具体性に欠けてるよ。あんたより優しい男子も、勉強ができる男子もクラスにいるじゃない。何言ってるの? 顔がいいとか、自分で言っちゃう? 冗談だってわかってるけど、寒過ぎ。恥ずかしくなっちゃう。こっちが。ああっ、顔が熱い。確かに寒すぎてクールなのはそうかもしれない。でもかっこいいって……くくく、受けるっ!」


「お前、絶対俺のこと大嫌いだろっ!」


「だけど、あんたのお弁当は誰にも負けない。あたしが保証する! そんなあんたの価値に最初に気づいたのはあたし。だからあたしの嫁!」


「他の女子が俺の弁当を気に入ったらどうするんだ?」

「そのときはみんなの嫁。あ、みんなには男子も含まれるから」


「考えつく限り最悪の悪口だ。あのな、嫁っていうのは弁当を作る人のことじゃない。そんなふうに言うのは、嫁に対するセクハラだ。ジェンダーハラスメントだ。性差別だ。って、違うか? この場合は」


「お弁当を作ってこなければ、学校であんたのことを嫁だって言う。でも作ってくれたら彼氏だって言う。どう、それで手を打たない?」


「お前、彼氏の意味も作り方も間違ってるぞ。何気に弁当作ってこいって脅迫してるし。いいのか、そんな生き方で」


「大丈夫。あんたがいれば怖くない」


「俺はお前が怖いよ。とにかく嫁って呼ぶのはやめてくれ」


「仕方ない。ええと、柿崎。……下の名前、何だっけ?」


「…………洋一郎だよ。お前、本当に俺に興味も関心もないのな」


「じゃあ、ようちゃんて呼ぶ。あんたにしてみれば洋一郎のようちゃん、あたしにしてみればヨメのヨーちゃん」


「嫁のままかよ。まあいいさ。で、お前は俺の彼女ってことでいいんだな」


「オールオッケー」


「軽いな。いいのか? 好きなやつとかいないの? ほら、陸上部の先輩とか? お前、ずっと見てただろ?」


「……何で知ってるの?」


「俺はお前を見てたって前に言ったよな」


「そうだったね。でも先輩はもういないよ?」


 あたしは座ったままの嫁に顔を寄せた。


「今はあんただけ」


 そう言って彼氏の唇を奪ってやった。


「これで契約成立だね、ようちゃん。あたしのことはいずみでいいから」


 何があったのか理解できない顔であたしを見ている彼氏を見て晴れ晴れとした気分になってくる。


 今、このときばかりは母が何をしていようと気にならなかった。


 こうしてあたしに彼氏ができた。母も同じような気持ちで彼氏を作ったのだとしたら責められない。


 本当に欲しいものが手に入らないとき、その寂しさを埋める何かが人には必要なのだ。


 あたしがそうだったように、母もそうなのだろう。慰めにすがることであたしたちは明日に希望を持てる。朝目覚めて現実と向き合うことを恐れないで夜の眠りにつくことができるのだ。


 9時ころ、彼氏が帰ったのと入れ違いに弟が帰ってきた。母はまだ帰ってこない。


 でももう気にしない。母には母の人生がある。


 あたしは勉強を続ける。彼氏とのひとときがあたしに力を与えてくれた。


 事態は何も変わっていないことは理解しているけれど。


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