第11話 いずみちゃんはハンターの正体を看破した。
柿崎・半兵衛官兵衛・洋一郎
この兵衛'z のような名前の持ち主は、あたしの軍師にしてアドバイザー。ミッションの立案から調達、現場総指揮までこなす作戦参謀。
だったのだが、初手でクライアントをバイオハザードの危険にさらすという失態を演じた。
もうクビにしたい。
その作戦参謀サマのピンク色の脳細胞が指した次の一手は、コンドーム根こそぎ作戦だった。
嫌だ。こんなネーミング。
ガルパンみたいなダサくても口に出して言える作戦名がいい。
もうクビにしたい。
「何言ってる。俺とお前がわかってれば十分だろ」
あたしの不満を軽くあしらった作戦参謀サマだが、その慧眼で見通したとおり、両親の部屋のベッドの引き出しにはコンドームが入っていた。それを根こそぎ持ち出して母の注意を引こうという作戦だ。
母が気づくのは、多分、父と仲良くお使いになるとき。それって、なくなってることが父にも気づかれちゃうんじゃない? むしろ、自分以外の相手に使った思うのが自然だよね。
最悪の予感しかしない。だけど他に妙案もない。
溺れる者は藁をもつかむ。問題はそれが本当に藁だということ。
もう本当にクビにしたい。
最後は、気は進まないけど、このミッション最大の山場、アダルト作戦。
柿崎のスマホで再生した音源をあたしのスマホで録音だ。場所をあたしの部屋に移し、録音テストを念入りに繰り返す。
ほら、スマホの録音機能なんて普段使うことがないからね。
「昼間、カラオケで見せてくれたおっぱい動画がいいな。あんたのおすすめなんでしょ?」
「あれはただのデモだ。家に帰ってちゃんと準備してきた」
ピンク色の脳細胞、絶好調です。
女子中学生にアダルト動画を見せることにためらいなど全くない。昼間にちらっと見た動画も凄かった。
これぞ巨乳。巨乳とはこういうものだと、雄叫びに合わせて上下左右に暴れまくっていた。
あたしのはそんなに大きくないと自覚はしているが、あれを見てしまうと、世の中で巨乳を名乗れるのはほんの一握りだと思ってしまう。どこかで出会えたら拝んでしまうかも。
柿崎は渾身の動画を用意したらしいが、そんなのあたしは望んでない。可愛らしいあえぎ声で十分だ。
「柿崎、あんたが協力してくれるのはとても助かる。ただ、できれば、控えめなのがいいかな? ほら、あたしがあえいでる設定だし。……無理でしょ?」
「わかってないな。この作戦の肝は音量と声質にある。この部屋のドアを開けられたら試合はそこで終了だ。のぞき見られてもアウト。
じゃあどうするか? 答えは一つ。布団をかぶってその中で再生する。大音量でだ。
それでも、布団の外、部屋の外に伝わる声はあまりにも小さい。だけど、夜の静けさの中、そのひそめく声にお母さんは気づく。
ドア越しに耳をそばだて、やがてそっと開けて部屋の中を覗く。
布団の中から聞こえる声。布団の山が動いて形を変える。お母さんはそっとドアを閉めてリビングに戻る。そして男が帰ったころ、お前に話しかける。
そこでお前の反撃だ。お母さんは浮気どころじゃなくなる」
「お母さんがドアを開けて飛び込んできたら?」
「そのときは作戦失敗だ。ただちに撤退。寝たふりをしろ。それとも開き直ってアダルト大好き少女いずみを演じるか? 悩むところだな」
柿崎はそう言うが、悩むことなどない。
撤退一択。たぬき寝入りでごまかすだけ。あたしはそこまで恥知らずじゃない。
「じゃあ始めようか」
マック見っけ、ちょ寄ってく? みたいな軽いノリで、柿崎がスマホで動画を呼び出す。画面に映ったのは、男女がもつれあう場面。
こいつ、とんでもないものを見せてきた。あたしは目を白黒させて抗議しようとするが声が出ない。
いいの? こんなもの映して。日本は表現の自由が認められている国だけど、さすがにこれはアウト、即逮捕でしょ。
そう思いながらもあたしの目は画面に釘付けになる。もっとよく見ようと目を凝らそうとしたら動画が終わった。
後に残る静けさの中、100メートルを全力疾走したような疲労感に襲われて、身動きができない。柿崎は気まずそうにあたしから目をそらしている。
「終わったの?」
短い時間だった。けれど、衝撃が強すぎて何があったのか処理できていない。理解が追いつかない。録音できる余裕なんてなかった。
「1分30秒かな。十分だろ。まさか、録音しなかったのか?」
「うん。びっくりして……」
「もう一度再生するから今度はちゃんと録音しろよ」
この程度の動画で驚くなとでも言いたげな柿崎にあたしは驚いてた。
この境地にいたるまでに一体どれほどの動画と対峙してきたのか。強い刺激は人の正常な感覚を鈍麻させるという。柿崎がもう普通のエロ動画では満足できなくなっているのだとしたら、なんと罪深いことだろう。まだ15歳だというのに。
あたしが柿崎の境遇とか将来とか末路を思って涙していると、準備を確認する声が聞こえた。
「準備はいいか? じゃあいくぞ。とうびょうまえ!」
闘病前? 確かにそうだとは思うけど。なにも自分から言わなくても。
「8、7」
8から? なんで半端な数字から始めるの? 柿崎の闇は深そうだ。真面目に「6、5、4、3」とカウントを取る姿がいっそ哀れだ。
あたしの憐憫に気づいたのか、口を閉じてピース、大丈夫だよと返してくる。健気だ。
そして人差し指であたしに合図する。今だ、録音ボタン、オンと。
柿崎、あんたの助けがなかったらここまでできなかった。ごめんね。クビにしたいとか嘘だから。
このミッションが終わったらゆっくり養生してね。
そして繰り返される男女の痴態。
いやらしいのに、きれいだと思った。全身全霊をこめて相手に自分のすべてを捧げようとしている。
その姿は、氏子にかつがれた神輿の激しく揺さぶられる動きに似て神々しい。
わっしょい。あたし達はこうやって生まれてきたのだ。わっしょい、わっしょい。
でも、この二人、夫婦か恋人なんだろうけど、こんな動画が流出してること知ってるの? 見たことが知られたら損害賠償とか請求されない?
そんなあたしの心配をよそに、唐突に動画は終わりを告げた。けれどあたしの脳裏には男女の絡みあう姿が焼き付いている。
男に抱かれ、目を閉じている女の顔、それはいつしか母の顔に置き換えられていった。
そのせいなのだろうか、柿崎に声をかけようとするが口が動かない。
サポートしてくれたことに感謝はしてもそれとこれとは別だ。あんな動画を見て平常心ではいられない。
集めていることについても友達として苦言を呈さねばならないだろう。ただし、相手は病人、追い詰めてはいけない。注意深く言葉を選んで。そう、理解度MAXでささやくように。
「すごかったね。うん、驚いた。ありがとう。あたしのために頑張ってくれたんだね」
「いや、本当は悩んだ。お前にあんなの見せていいのかって。でも、お前の家の事情知っちゃうと、中途半端じゃだめだと思った」
「うん。あんたの本気、見せてもらった。ごめんね。恥ずかしいこと頼んじゃって」
「いや、お前のプレゼントに比べたら大したことはない」
「何をおっしゃいますか。年頃の男の子が女性の裸に興味を持つのは自然なことだし、スマホで見ちゃうのも仕方がない。あんたがどんな動画を見てたって、あたしは否定しないよ。あんたは悪くない」
「いや、いや、動画はしょせん作り物。あくまでファンタジー。履いてた下着のインパクトには及ばない。いずみセンセイの発想力には頭が下がる思いです」
「とんでもない。むしろ、とんでもないものを見ちゃったけど、あたしが知らない世界を教えてくれちゃって、どうもありがとうございます」
「いやいや、ご謙遜を。あの下着のさわり心地とか、最高でした。とてもよいものをお召しになっているようで。まさに眼福。眼福」
しれっとショーツで楽しんだことを告白してきたが、それはいまさらどうでもいい。あたしは言うべきことを言うのみ。
そう、友達として。
ト、モ、ダ、チ、トシテ! ダカラネッ! オコッテナイカラネッ!
「あんたに限らず、男子にスマホとかパソコンを渡したら、時間を忘れてエロサイトのネットサーフィンを始めるのは当たり前。男子の属性。だから、カッコつけなくていいんだよ。ここにはあんたとあたししかいないんだし」
もう本気を出す。「口寄せの魔女」の発動だ。ついでに録音ボタンもオン。
「何言ってんだ。俺がいつもエロ動画ばかり見てるみたいに言うなっ!」
「だってあんなの見せられたら、ねぇ?」
「あれは、好みの女優だったから残しておいただけだ」
「つまり、ああいう動画ばかり集めてるわけじゃないと?」
「当たり前だろ。そもそもアダルト動画なんてどれもこれも似たようなものばかり。違うのは女優。顔と体と体当たりの演技。どれだけリアルに演じるかが大切なんだ。それが好みの顔で好みのスタイル、つまり尻と乳とくびれ、それに脚! これらが備わることで伝説の1本になるっ!」
「さっきの女の人、女優だったの?」
「そうだが?」
「あの女優があんたの好み?」
「そう」
「おっぱい、大きかったね」
「はん! 見るべきはそこじゃない。まず、くびれ! 引き締まったくびれが乳と腰の存在感を美しい曲線で描き出す。そして脚っ! 長くて細い脚の美しさ。それを惜しみなく生かした演技力。神が降臨する瞬間だ」
「だから?」
「だからどうしても足を美しく見せる映像に惹かれる。そうだな。あえて言おう。脚フェチであると」
止まらない。柿崎が止まらない。だけど、あたしも止められない。変なスイッチが入ってる。これも「口寄せの魔女」の力なの?
「脚のどのあたりが好きなの?」
「太ももからふくろはぎにかけてのラインな。細けりゃいいわけじゃない。健康美というか、グラビアの水着姿のような」
「それが裸になってるのがいいの?」
「まあ、そうだが、浴衣とか着てるともっといい」
「浴衣だと脚は見えないよ?」
「だから、浴衣の裾から脚がちらりと見えるような画像を探すんだ。これが、なかなかなくて」
「確かに浴衣って色っぽいよね」
「だろっ! 髪の長い女の子がアップにまとめあげてるときのうなじとか、最高だよね」
「浴衣姿が好きなの?」
「違うよ。わっかんないかなぁ。浴衣が乱れたときの体のラインとか、うなじを流れる汗とか、ちらりと見える太ももとかがいいんじゃないか」
「太ももが見えた段階でちらりじゃないけど。そうか、あんたは脚の長い女性が浴衣姿でセックスしてる動画を集めてるんだ」
「……………いや、そんなこと、言ってないぞ」
「なんで汗だくになってるの? 別に恥ずかしいことじゃないよ。でも、全裸よりも興奮するの? 本当に?」
「これだからシロートは。わかってないな。全裸なんて10分も見れば飽きて早送りするんだよ。俺クラスの動画ハンターにもなればね。でも、浴衣なら見えたり見えなかったりするから、早送りしたり巻き戻したりして楽しめるんだ。浴衣が汗で体に貼り付くからすごくエロ……」
「ふうん」
「やべぇ。うっかり誘導尋問にひっかかるとこだった」
「それで終わり? 案外底が浅いんだね」
「何言ってんの。浴衣の下に何も付けないのは当然として」
「当然なんだ? 着物じゃないから普通は下着を着るんだけど」
「真っぱがデフォルトでしょ、そこは。料理でも何でもそうだけど、下ごしらえが大切なんだよ」
下ごしらえ? 下心の言い間違いかな? でも、真っぱは下ごしらえというより素材のまんまとかそういう感じなんだけど。
だけど、ここはあえてのスルー。相手は妄想癖のある変態だからね。
ただ、女の子の気持ちを考えてない。ここは一つ、助言しておいてあげよう。あんたとあんたの未来のパートナーの幸せのために。
「女子としてはどうかな? 真っぱの上に浴衣じゃ夜店とか行けないし、楽しみは半減じゃないの?」
「それがいいんだよ。真っぱの上に浴衣だけ。一緒に街を練り歩く。髪は当然アップ。下着のラインが浴衣の上に透けて見えないわけだから、下着をつけていないことは一目瞭然。わかる人しかわからない仕掛け。
当然、女の子も下着を着てないことで羞恥心のかたまりだ。それをそのまま夜店に連れて行く。最初は金魚すくいだ。ヨーヨー釣りでもいい。
大切なのはしゃがみ込むシチュエーション。胸元が上から見えそうになるのを、手で押さえようとするし、足を開くと股間が外気を直接感じるから股を閉じようとする。その姿勢が女性の丸みを帯びた形を作るんだ。
その次は焼きそばだ。箸でふうふうした焼きそばを、女の子の口に運ぼうとしてわざと胸元に落とす。女の子は下着を着ていないから脱いで取り出すことができない。モゾモゾした感触がいつまでも残っている。
さらにソフトクリームを食べさせてあげるとか言って胸元に落とす。失敗したふりをして。
取ってあげるからと言って物陰に連れて行って胸元のソフトクリームを舐め取る。やきそばを取るふりをして帯を緩めてはだけさせる。
半裸のあられもない姿をさらしてるんだ。誰かに見られてしまうかもしれない。女の子は羞恥心で全身を隠そうとする。あとはじっくりと……」
柿崎の言葉が止まった。
恐る恐るあたしの顔色をうかがっている。どうやら我に返ったようだ。あたしも愕然としている。友達として、せめてエロ動画収集を諌めようと思ったけど、とんでもない妄想タイムに付き合わされてしまった。
これは多分医師の領分。そして柿崎は間違いなく原罪を背負ったアダムとイブの子孫。蛇にそそのかされ禁断の実を食べてその身に余る知識を得た罪人。
思わぬところから正体を看破してしまった。恐るべし「口寄せの魔女」。
ご近所の皆さん、柿崎君は社会に溶け込んでいる犯罪者予備軍ですが、まだ法に触れることは何もしていないので、警察に通報することはできません。ゴメンナサイ。
あたしはにっこり笑って告げる。
「ハンター、どんまい」
「俺、最低だよな。笑っていいよ」
柿崎が頭を抱えてしゃがみこんだ。落ち込んだ声が痛々しい。
こいつの妄言はそれ以上に痛々しかったが。
「笑えないよ。正直、途中から性犯罪者の告白を聞いてるのかと思って怖くなった」
うなだれて、しおらしくしているが、こいつの前で浴衣を着るのは無理。たとえ友達でも越えられない一線はある。
柿崎が恨めしそうにあたしを見上げるが無理なものは無理。それでもフォローだけはしておきたい。友達として明日も笑って話せるように。
「大丈夫。誰にも言わないから。ほら、あたしにはこんなこと話せる友達はいないし。ねっ、安心でしょ? それに本当のこと言うと、あたしももっとすごいこと妄想しちゃった。
男の友人に女の子の浴衣姿を鑑賞させて羞恥心をあおるとか、夜の公園で浴衣を取り上げて全裸で家に帰れって命令するとか、それを撮影して女の子に無理やり鑑賞させるとか」
「……お前、オレの心が読めるの?」
これにはさすがにあたしも引いた。無理。こいつはもう手遅れだ。
おっとっと、録音を止めなきゃ。あたしはにっこり笑うことで返事に代えた。
どんまい。
❏❏❏❏
こうして柿崎の助けを借りてあたしの準備は完了した。玄関に靴を置くことは諦めて柿崎に持ち帰らせた。9時に帰ってきた弟に夕飯と入浴を終わらせてさっさと自分の部屋に追い払う。
あたしの武器は、両親のベッドから拝借したコンドームとスマホに録音したあえぎ声だ。後はあたしの演技力。
時計は11時を指している。母はまだ帰らない。
あたしは部屋の明かりを消す。スマホを手にして母の帰りをじっと待つ。物陰に隠れて獲物を待ちかまえる狩人のように。
闇の中、スマホを胸に、祈るようにつぶやいた。
「どうか、この道が間違っていませんように」




