第八話目 タケシ、配達す〜スーパーマン編〜
そして数時間後、卸の人がルーランを持ってきてくれた。
「なんか、手配するのにあんだけ苦労すると、卸の人がスーパーマンに見えますね」
「スーパーマンって…タケシくん、若いのに発想が古いわね。可愛そうに…」
と、タケシはぽっと頬を赤らめた。
「……いいじゃないですか。好きなんです」
「じゃ、今度はタケシくんがスーパーマンになる番ね。いいわよ? 家に帰って赤い服着てきても。惜しかったわねぇ。もう少し時間があれば赤い白衣用意してってもよかったのに」
「赤い白衣ってなんですか」
というわけで、やっとこさ冒頭に戻った。
つまりは…タケシは道に迷ったのだ。
(おかしいなぁ。ここら辺のはずなのに…)
タケシは決して方向感覚は悪いほうではない。
だが、行ったことのないアパート街というのは結構わかりづらいものなのだ。目印というものがまるでない。
ぐるぐると同じ所を歩き、やっと「竹林」という表札を見つけた。
「あったぁぁあああ…」
チャイムを鳴らすと、「はい」という声とミシミシという足音。
(怒ってるかなぁ。もう日が暮れちゃったし)
「だれ?」
「調剤薬局病気にばんの薬剤師、タケシです」
「遅い!」
「ごめんなさい!!!」
寝ちゃったじゃない、という声と共にドアが開く。
――と、でてきたのは…、
首が、
変な方向にねじれて、
目が、
見開かれた、
「ぎゃあああああああ!!!!!!! バケモノ!!!!」
「なによバケモノとは失礼なボウヤね! ちょっと首が痛いだけよ!」
目が慣れるのにタイムラグはあったが、慣れてみればなるほど竹林さんだ。
「首が痛いって、大丈夫ですか?」
「もううるさいわね! 薬置いてさっさと出て行きなさい!」
怒られた。
薬持ってスーパーマンみたいに来たはずなのに怒られた。
「ほらっ、ほらっ、もう行きなさい!」
どこから持ってきたか、塩まで撒かれた。
(ひどい…)
仕方ないから、タケシは薬を置いてアパートを後にした。
「はぁ…」
(薬剤師ってなんだろう……)
卸さんはあんなにかっこよく見えたのに。
感謝もされなかった。
考えてみれば、当たり前だった。
(結局竹林さんの最初の対応もうまくできないでセンパイに任せちゃったし、小分けの電話もうまくいかなかったし、道にも迷ったし)
特に期待を抱いて薬剤師になったわけではなかったが、それでも塩撒かれたらやっぱりショックだ。
こんな自分が虚しかった。
(薬剤師なんてやめて、うちのレンタル屋、継ごうかな…)
そうして、一日中、好きなスーパーマンでも見ていようか。
けれど、これからまだ二時間ほどは仕事しないといけない。
こんな気持ちで投薬される患者が可愛そうだ、と思うと余計にタケシの心は沈んだ。
「はぁ……」
「何ため息ばっかりついてるの? タケシくん」
ある程度患者がきれると、二歳年下のセンパイが可愛く言ってきた。
「実は……」
竹林さんを見て悲鳴をあげてしまったこと、塩を撒かれたこと、そして、薬剤師を辞めようかと思ってること、すべてを打ち明けた。
もう、辞めるのでもなんでもいい。とにかく、しゃべってすっきりさせたかった。
「そう……」
センパイの瞳に黒い影が落ちる。辞めようと思ってると聞いて、憂えてるのかもしれなかった。
(寂しいと思ってくれてるのかな……)
きっとそうだ。ハリセンで叩かれてばかりだったけど、それでも自分とセンパイは一週間同じ職場で汗を流してきたのだから。
「センパイ! 僕!!」
「うるさい」
ハリセンで叩かれた。
「え……?」
センパイは「今日の治療薬」を出してパラパラとめくった。
そしてなにやら悩み出す。
「あの…? センパイ…?」
「うーるーさーい。辞めるなら辞めていいわよ。荷物、整理しなさい」
トドメだった。
竹林さんからは塩撒かれた上に、センパイからは荷物整理しなさいと言われた。それもあっさり。
もう流す涙もなかった。
無情にセンパイはくるくるとボールペンを回していたと思うと、
「でも、最後に一つ、仕事していきなさい」
「え? 投薬ですか? でも僕もう……」
「投薬はいらない。電話するの。竹林さんに」
「電話? なんでですか?」
「いい? 最後に教えてあげる。首が変な方向にねじれる、首が痛い、目が見開かれてる。これは、『急性ジストニア』の症状よ」
「きゅうせいじ……」
「ルーランみたいな、抗精神病薬を飲んでいるときに起きる副作用の一つよ。ルーランで起こる事はあんまりないけど、でも絶対にないとは言い切れないわ。大丈夫。命に別状はないから。アキネトン飲めば治るわ」
「センパ……」
凛とした表情で言い切るセンパイは、まさしくはスーパーマンみたいだった。
「もう一つ教えてあげる。タケシくんは、薬剤師をなんだと思ってるの? 人から尊敬される職業だとでも思ってたの? そんなことだから大事な事を見落とすの。私たちは、そんな仕事だけはしちゃいけないのよ。どんな事があっても。それが、命を預かるということなの。それがわからないなら今すぐ辞めなさい。迷惑よ」
命を扱う。
(そうだ――)
僕たちは、人の命を預かってるんだ。
大事な、命を。
「僕、電話します!」
それから、竹林さんが薬局を訪れることはなかった。
(こんなもんなのかな……)
後日談ができるということは、タケシは薬局を辞めてはいなかったということだ。
薬剤師というのがなんなのかはまだわからないけど、それでもあの時のセンパイの姿が、言葉が胸に刺さって。
もう少し、薬剤師を続けてみよう、とタケシは思った。
「ターケーシーくん!!」
「なんですか? センパイ」
「これっ! あげるっ!」
「こっ…これはっ…」
赤い白衣だった。
「ほら、スーパーマンが好きなんでしょ? いいわよ〜。トレードマークになるわねっ。特注したのよ」
なんとなく、押され弱いタケシくんは赤い白衣を受け取ってしまった。
(もう少し……ほんとに薬剤師、続けるのかな…。僕……)
今回のお話で、タケシくんは薬剤師として一歩成長しました。
みなさん、これはあくまで一歩です。
このお話を通して、薬剤師の仕事というものが少しでもみなさんに伝わることを祈ってます。
注:竹林さん、変な人と描写されていますが、これは話の都合上そうしただけです。別に、ルーラン飲んでる人はみんなこうだとか、精神病を患ってる方はみんなこうだというわけではありません。