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第三話目 タケシ、調剤す

「しちいちがしち、しちにじゅうし、しちさんにじゅういち……」

 ここは小学校ではない。神聖なる調剤室である。

 真剣な面持ちで数字を唱えているのは、タケシだ。タケシはこの春卒業したばかりの新人薬剤師だ。

「しちしにじゅうはち……」

「いんいちがいち……」

「しちごさんじゅうご……」

「ろくろくさんじゅうろく……」

 けれど薬剤師という理系まっしぐらの街道を進んだはずの肩書きにしては、ずいぶんと基本的な事をやってるとお思いのそこのアナタ。実はこれ、薬剤師にとってはとても重要な呪文なのである。

 たとえば、一日3錠で7日分とかだと、21錠の薬を調剤する。

 一日2錠で21日分だと42錠、などという風に、日数は7の倍数になる事が結構多いので、自然と7の段のかけ算は重要になってくる。

「しちろく……」

「ししちにじゅうはち……」

 もちろん、10日分とか5日分とかもあるので7の段以外もマスターしておきたいところだが、ともあれ、今のタケシにとって重要なのは7の段だ。さっきから、7日分で4回も立て続けに調剤ミスをしているからだ。12×35とかを間違うならまだ可愛いものだが、7×5を間違ったりしているのだから恥ずかしいことこの上ない。でも、一日に何百ものかけ算をやっていると、この手の簡単なかけ算のマジックに陥り結構間違いやすいという事はみなさんもなんとなくおわかりかと思うが、今は朝の11時。タケシはまだ15回しかかけ算をやっていない。それで4回も立て続けに間違ってるんだから、ほんとに恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だがコンクリートなので穴は簡単に開けられない上に今は仕事中だから穴に入ってる場合でもなかった。

 なので、仕方ないからタケシはかけ算――薬剤師にとって最も重要な、7の段の復習をしているのである。復讐、と言っても過言ではないほどタケシの目つきは悪いが、かけ算に恨みはない。真剣にやってるだけのことである。

「しちろく……」

「ごごにじゅうご……」

「……ケンカ売ってるんですか…?」

「いやぁ、そういうわけじゃないけど、真剣だったからついw」

 と悪びれずに言ってるのは、二歳年下のセンパイだ。可愛いから許してしまうが、やってる事は結構悪質だという事は、かけ算の暗記をした事のある方ならわかるのではないだろうか。

「やめてください。ほんとに真剣なんです」

「わかってるわよ〜。タケシくんはえらいっ」

「……茶化さないでください……。お願いします。邪魔しないでください」

 しくしくと泣き出すタケシくん。でも、ほんとに洒落にならないくらい真剣なのだ。この簡単な計算ミスが調剤過誤(患者さんに薬を間違って渡すこと)を引き起こすからだ。

「あっ。患者さん来た! タケシくん、今こそその努力が報われる時よ!」

「はいっ!」

 意気揚々と調剤をしに行ったタケシくん。


 10分後。

「何か申し開きは?」

「7のかけ算にまどわされて、5のかけ算を見失ってしまいました……」

「申し開きにならん!」

 パコン、と薬局長にハリセンで叩かれた。この薬局ではハリセンがブームなんだろうか。

「すいません……」

 5日分の計算で、タケシは何をトチ狂ったか5×3=20としてしまったのだ。

「ここで間違うなんて、結構基本に忠実だね。タケシくんは」

「ギャグの基本なんてどうでもいいです……。素直に責めてください……」

「やーいやーい、ばーかばーか。あったまわるーい」

「…………」

 傷ついてしまった。ガラスのハートである。

 と、なにやら事務さんたちがざわざわと言っている。

 ざわめきはピタリと止まり、やがて事務の主任さんがしずしずとタケシに近寄ってきた。

「タケシ先生。これを……」

 そっ、と手渡されたのは……電卓だった。

「これを使えば間違えないと思うのっ! タケシ先生には、これが必要なのっ!!!」

 ちょっと大げさな素振りで踊りながら電卓を(可愛いシールまで貼ってあった)手渡してきた主任さんは、実は隠れ女優である。劇団と仕事の二足わらじを履いているのだ。

「…………」

 タケシは更に傷ついた。


 んが。

 タケシの心とは裏腹に、このプレゼントが功を奏したのだ。

「がーっはっはっはっは!!!!!! できる!! できるぞ!!!!!」

 さっきから傷ついてばかりのタケシの台詞とは思えない。というか、人格が変わっている。

 電卓を使う事によって、いきなり間違えがゼロになったのだ。ここまでタケシくんを舞い上がらせるとは……かけ算、恐るべし。というか、電卓を使って間違えなくなったのは当たり前なのだ。間違える電卓など、湿ったマッチほども役に立たない。

 シール付きの電卓を使いこなし、これで調剤ミスも完全撲滅!!!!

 と思いきや……。

「あれ? タケシくん、これ、間違えてるよ」

 二歳年下のセンパイの指摘。

「えっ? そんな馬鹿な……」

「2×21だよね? なんで63錠もでてるの?」

「え…? なんでだろ? おかしいな?」

「タケシくーん、こっちも違うなぁ。5×15が125になってるよ」

「ええっ!?」

 早い話が、打ち間違えである。2×21ではなく、3×21を。5×15ではなく5×25をやってしまったのだ。

 万能なはずの電卓も、使い方を誤れば意味がない。

 タケシくんはまた傷ついてしまった。


「ごいちがご……。ごにじゅう……」

 結局、振り出しに戻ってしまったタケシ。処方箋を入れたら正しい薬が出てくるマシンが欲しい、と痛いほど思った。

ギャグの基本を塗り込めてみました。

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HONなび
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