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第十六話目 タケシ、教育す ~勘弁してくれ編~

「えっと、以上がだいたいのうちの薬局でのやり方なんだけど、なんか質問ある?」

 入社二年目になるタケシは、今日入ってきたばかりの新人薬剤師を振り返って問いかけると、

「いやー、素晴らしいですね!」

「……何が?」

「タケシ先生の教え方ですよ! ものすごく分かりやすいし、ところどころに垣間見える先生の博識ぶりは下手をしたらとても嫌味になってしまいますが、嫌味さをまったく感じさせない! これはひとえにタケシ先生の人柄の良さによるものですね! 博識さと人柄の良さを同時に人に感じさせるなんて! 素晴らしい方に出会えて僕は本当に幸せ者です!」

「やめてくれないかな……」

「照れないでくださいよ!」

 照れてるのではない。本当にやめて欲しいのである。タケシは深々とため息をついた。

 まだ糊の取れていないパリッとした白衣を身につけた青年は、なぜだか常にぴっかぴかの笑顔でタケシに対する褒め言葉を口にする。朝、初めて会って「どうも。薬剤師のタケシです」と簡単に挨拶をした直後に「……なっ、なんと……」と彼は絶句してから、「僕と同じ歳くらいなのに、白衣がすでに身体の一部になっているような方ですね! 生まれついての薬剤師というのはこういう方のことを言うのだろうか!」と言って熱烈にタケシの拳を握りしめて感無量の眼差しで涙すら浮かべて以来、タケシが何かを口にするたびにこの調子だった。褒め言葉を拷問道具にするという特殊な会話スキルを持った青年のようだ。ちなみにタケシよりも頭ふたつ分くらい背が高いので、若干見下ろされてる感があり、それが居心地の悪さに拍車をかけている。

 にしても、自分がお世辞にも博識でないことくらいはよく知っているので、明らかに事実ではない事をここまで高らかに叫ばれると、この男はもしかして何か悪い事を企んでるんだろうか、と思ってしまうのはタケシが卑屈になっているから……だけとも言えない。

 ちなみに、二年目にしてやっと薬情をカンペにしなくても投薬できるようになったレベルのタケシのハクシキぶりは推して知るべし。

『タケシくんもそろそろ薬局の事が分かってきたと思うから、教育係、よろしくね』

 二歳年下のセンパイの可愛らしい声に乗せられて教育係などを引き受けた自分が返す返すも嫌になる。

(いや、こんなキャラだって知ってたら引き受けたりしなかったのに……)

 センパイをちらりと見ると、明らかに笑いを堪えて監査していた。肩が震えてるぞコラ。薬局長に至っては、明らかに不自然な角度でこちらから顔を逸らしてパソコンに向かっている。そこまで首曲げて画面見えてんのかコラ。ちなみに事務陣は隠すことなくこちらをチラチラと見て笑い合っている。笑ってないで仕事しろコラ。

 居心地の悪さを怒りに昇華させたところで、タケシの心はようやく鎮まった。

「調剤薬局での経験はあるって聞いてるので、とりあえず簡単なヤツでいいのでガンガン投薬しちゃって」

「タケシ先生ほどの方に及第点をもらえるような投薬ができるかどうかは分かりませんが、精一杯頑張らせていただきます!」

 言って、彼は目薬が一つだけ置かれたトレイに向かった。

「あ、それはちょっと……」

「いえ、止めないでください! タケシ先生から見ればあぶなっかしいことこの上ないだろうかとは思いますが、僕も男です。一度決めたものを簡単には覆せません!」

 そこは覆そうよ、とひっそりと思ったがめんどくさいことになりそうだったのでやめておいた。目薬1種類とはいえ、そのトレイには初回質問表が入っていた。これはうちの薬局に初めて来局したという意味であり、この目薬を初めて使う患者さんに当たってる可能性があるという事だ。しかもこの目薬は緑内障という病気に使われる薬で、初めて使う患者さんには色々と注意事項を説明しないといけない、若干特殊な薬である。

(最初に投薬するんなら、Do(前と同じ内容の薬)の人がいいんだけどなぁ)

 本人がやりたいと言うなら仕方がない。何かあったら手をさしのべてあげよう、という心構えで、タケシは新人さんの監査する手元を見ていた。

(お?)

 新人さんは意外にスムーズな流れで監査を終えた。薬の名前をきちんと処方箋と照らし合わせてチェックする所までとても様になっている。明らかに慣れているものの手つきだった。

 やっぱり経験者は違うなぁ、と感心しながら見ていると、トコトコと投薬台に向かっていったので慌てて追いかけた。新人さんが呼んで応じた患者さんは、50代くらいの男性だった。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

「こちら、記入していただいてありがとうございます。特に飲んでる薬もないみたいですね」

「うん」

「こちらの目薬は初めてお使いになりますか?」

「うん。初めて」

「そうですか。2、3、注意事項があるので、説明させていただきます」

「え? 目薬でしょ? 点せばいいんでしょ? 説明なんていらないよ」

 患者さんが露骨に険悪な目つきになってきていたので、タケシはどきりとした。こういうタイプの患者さんは、うまく対応しないと絶対に説明なんて聞いてくれないのだ。下手したら、怒って帰ってしまう。タケシはこういう患者さんの対応はとても苦手だった。

「まぁぶっちゃけ点せばいいだけなんですけどね」

 と新人さんは普通に笑いながら言った。彼の気取らない笑顔に、そうでしょ? と患者さんの表情が緩んだ。

「でも、たまにこの目薬使って目が充血してびっくりしちゃう人もいるからそれだけは言っとかないと」

「充血?」

 こくりと彼は頷いて、大事な秘密を打ち明けるような慎重さで言葉を続けた。

「薬の作用で、最初は充血しちゃう人もいるんです。でも、しばらくしたら治るから大丈夫です」

「やだなぁ、そんなに強い薬なの?」

 今度は逆に大した事じゃないといった風に軽い口調で極めてにこやかに言う。

「強いとかじゃないんですよ。この薬に特有のことなんです。だいたい2週間しないくらいのうちに自然に治るから驚かないでくださいね」

「治んなかったらどうすんの?」

「治らない方というのは聞いた事がないのでなんとも言えませんが、3週間くらいしても本当に治らなかったら、また病院にかかってください。まぁ、それが治らなかったって人はほんとに見た事ないから大丈夫だと思うんですけどね。でもこれを言っておかないと、目が赤くなった! って慌てて病院来たり薬局に電話かけてきたりする人がいるから」

「ふーん、そうなんだ」

 そしてさりげなく新人さんは色素沈着の事についても説明し、それを防ぐために顔を洗う前に点眼することをすすめ(瞼に目薬が付着したままだと瞼が黒ずんでくることがあります。それを色素沈着といいます)、開封して四週間経ったら破棄することを伝えた。雑談を交えながらの説明に、患者さんは抵抗することなく笑いすら浮かべて聞いている。その雑談の中に、目を疲れさせると眼圧が上がるので気をつけるようにという指導が含まれていたのにタケシは二度驚いた。

 調剤室に戻ってきた新人さんを、タケシは拍手で迎えた。

「すごいすごい。あの系統の目薬は説明し慣れてるんだ? いやー、最初のあの患者さんの反応に、ちょっとどうなのかなー、って内心思ったけど、うまいねー」

「とんでもないです! タケシ先生のおかげでなんとか乗り切ることができましたが、次はこんなにうまくいく自信はとてもないです! 本当に有り難うございます!!」

 がしっと両手を握ってきた。

「……ぼく何もしてないけど」

「何を言ってるんですか!? 先生があそこに立っていてくれて、どれだけ僕の心が勇気づけられていたことか! 先生が後ろに控えていてくれる、それだけで僕の中に小さな勇気が芽生えたんです。だからあの場で僕は!!」

「……とりあえず次いこうか」

 この掴めないキャラはなんだろう、と思いつつ、タケシは手元にあったトレイを彼に渡した。1言うと10の言葉が返ってくるのでキリがない。彼のこの特殊なコミュニケーションスキルが、接客においては一目置くに値するものである事だけは確かであり、その後、数人の投薬を行う事でその事実の裏付けは充分にとれた。ついでに、しっかりとした薬の知識に基づいた適切な指導は眼科の範囲に留まらず、内科から整形、皮膚科までありとあらゆる科を網羅している事も確認された。

 つまり、彼は完璧に投薬業務をこなしたのである。

(や……やりづれぇ……)


 結局タケシは、その日一日中他の仕事をしているフリをして投薬をあまりやらなかった。投薬しようとするたびに、新人さんが期待の眼差しに満ちた視線を向けるのだ。そんなプレッシャーの中に晒されてしまっては、チキンのタケシには普段以上の力を出すどころか普段通りの実力も満足に出せない。

 最後の新人さんの台詞は、「タケシ先生はシャイなんですね!」だった。

「シャイなんて言葉、日常生活では初めて聞くわ~」

 二歳年下のセンパイが感心したように言ってから、タケシの肩を優しく叩く。

「ま、頑張ってセンパイとしての見本を見せてあげなさいね」

「どっ……どうやって見本を見せるんですかっ!! あれにっ!!」

「うーーん、まぁ、気合いで?」

「無理無理っ!!! 無理です! 教育係変わってくださいよ!」

 ロッカーの前で必死に訴えたが、センパイは白衣を脱いでロッカーから出したコートを羽織ると、

「がんば☆」

 と一言言い残して薬局を出て行った。今まで聞いた中で一番可愛らしい声だった。

「く……っ……」

 がっくりと膝をついて項垂れていると、再度、ポン、と肩を軽く叩かれた。振り返ると薬局長だった。

「明日くらいに花田さん来そうだから、頑張ってね」

「ああっっ!! そんなっ!!」

「じゃ、おつかれさん」

 パタンと無情にもドアは閉じられた。

 花田さんはなぜかいつもタケシを指名し、薬に対する難しい質問をしてくる難物だ。資料とパソコンを駆使して汗だくになって答えるが、満足な回答を返せた試しがない。それでもなぜだかいつもタケシを指名する。指名に対する拒否権があったら確実に拒否していたが、そんな権利は薬剤師にはない。いや、あるのかもしれないが、サービス業としてそれはやっちゃいけないことのような気がするのだ。

 新人さんが優秀な薬剤師である事はもうすでに嫌というほど分かりきってしまっている。そんな彼の前で、センパイとして仕事をし続ける自信すらないのに、よりにもよって花田さんとは……。

(消えてしまいたい……)

 センパイの威厳が損なわれる事はもう怖くない。ただ、花田さんの前で醜態を晒してなおあの拷問のような言葉を浴びせられると思うと、身が縮む思なんてものではない。


『明日なんて来なければいいのに』


 こんなことを念じたのは、小学校の運動会以来だった。

充血したり色素沈着したりするのは、緑内障の薬の一部であって、他の目薬でそのような副作用はないので安心してください☆

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HONなび
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