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第十五話目 タケシ、英語す ~オチ編~

 タケシが、やがて訪れるだろう自分の悲惨な最期に思いを馳せている間も足は動いてたらしく、気がついたら居酒屋で薬局長と中ジョッキで軽く乾杯をしていた。カチン、と硬質な音がタケシに現実感を取り戻させた。そして薬局長は美味しそうにゴクゴクと喉を鳴らしてビールを呷り、あっという間に残りは三分の一程度になってしまった。タケシもとりあえず見習ってゴクゴクと飲んでみたが、半分が限界だった。

「あー、うまい」

 薬局長は幸せそうな顔をして枝豆に歯を立て、焼き鳥をガツガツと食べた。枝豆のカラが小皿に積み重なり、美味しそうに湯気を立てていた焼き鳥も、次々と竹串だけになっていく。

 仕事をしている薬局長の姿しか見た事がなかったタケシは、意外にワイルドに食べ物を頬張る姿をただ呆然と見守るしかできなかった。初めて薬局長と個人的に居酒屋に行く、というミッションに緊張してるせいもあったが。

「うん? どうかした? ビール進んでないねー。ここの焼き鳥美味しいで有名なんだよ。なんなら他に頼みたいのあったらどんどん頼んじゃいなよ」

「はっ。だっ、大丈夫です!」

 慌ててタケシはジョッキを飲み干し、焼き鳥にかぶりついた。美味しいと言われたが、緊張のあまり、味なんて分からなかった。その隙に、薬局長が「ジョッキ二杯ね!」と追加オーダーをしていた。

 すぐに運ばれてきたビールを、今度は少しペースを落として(それでも最初の一口で半分は飲んでいた)飲んでいた薬局長が、キムチを箸でつまみながら言ってきた。

「今日は随分大変だったね」

「え?」

 声が随分遠くから聞こえた気がして、すぐには聞き取れなかった。

「外人さんの患者さんに、その後の……」

 思い出し笑いをするかのように、薬局長がくすくすと笑っていた。

「センパイのありがたいお説教ですか?」

「そうそう。ありがたーいお説教」

 この話をしに来たのかな、とタケシは少しブルーな気分になった。薬局長も説教をするのだろうか。たかが容器代で……。

「まぁ……。たしかにぼくが容器代もらい忘れたのが悪いんですけど……」

「容器代をもらい忘れるなんてさー、ウチの新人は必ず通る道だよ。俺だって実は今でもたまに忘れる」

「えっ! 薬局長もですか!?」

 衝撃の告白に、タケシは誇張ではなく本当に仰け反った。ミシリと椅子が鈍い音を立てる。

「だって、考えてもみてごらんよ。容器使うような科って、今回はたまたま婦人科だったけど、本来なら皮膚科じゃん? 皮膚科で何種類も軟膏が出てて、おまけに相手が年寄りだったりとか、若くても理解の悪い相手だったりとかしたら、ここにコレを塗って、この薬はあそこで、とか、この場所にはこっちを先に塗ってその後でそっちの薬を塗って、とかさ。下手したら内科とかの飲み薬よりも複雑になってくるじゃん。それをどうにかこうにか部位のシールとか駆使して理解させて、最後にうっかり容器代忘れたりとかほんとによくある話だよ。間違えて薬使うくらいなら、容器代なんて安いもんだよ。そりゃ、忘れないに超したことはないんだけどさ」

「そ…それは…そうですね」

 意外な所からの援軍にタケシが大いにビビリつつなんとか言葉を返した。

(これは……聞いて良かった台詞なんだろうか。薬局長としてあるまじき台詞なんじゃないだろうか……)

 ただの酔っ払いの戯言なのか、薬剤師としての倫理観溢れるトークなのか、はたまた大局を見据えた薬局長様の含蓄のあるお言葉なのか、判断に困るところだった。薬剤師としても人間としてもまだまだ未熟なタケシはただただ混乱するだけだった。

 脳内でうずまくもやもやとした気持ちを吹き払うように、タケシはビールをがぶ飲みした。

「お、いい飲みっぷりだね。今日は飲もう飲もう! も、無礼講でオッケーだから」

「はい!」

 考えてもまったく分からない事を、タケシはもう考える事をやめることにした。単純に、「容器代なんてたいしたことない!」と考えればいいのだ。そしてタケシはひたすら飲んで、食べた。

 そして、薬局長が手にする物が冷たく大きなジョッキから、冷たいながらもどこか暖かさを感じるような丸みを帯びたお猪口に変わった頃に、呂律が怪しくなってる口調で薬局長が語ったのは衝撃の告白(タケシ比)第二弾だった。ちなみにその頃タケシは瓶ビールを飲んでいた。どこ産なのかもよく分からない海外のビールだ。

「実はさ~、昨日の早番の時、俺も怒られたんだよね」

「えっ!」

 昨日の早番は薬局長とセンパイだ。

「仮にも一応上司なのに……。さすがセンパイ」

「仮にも一応ってなんだ」

「いやいや、無礼講でしょ無礼講。ささ、もっと飲んでください。で、何で怒られたんですか?」

 目つきが怪しくなっている薬局長に、タケシは徳利を傾けた。ちびり、と冷酒を口に含んだ薬局長は、どこか虚ろな眼差しで答えた。

「机の上が乱雑すぎるって。自分のデスクをどうしようと俺の勝手だっつーのよ。……まぁ正論だけどさ」

「ああ、それで昨日ぼくが出勤した時、みょーにデスクがキレイだったんですね。でもこう言っちゃなんだけど、センパイだって決して片づけ上手とは……」

 先日の、女性の、男性にはなかなか踏み込めない場所について、部位の名前まで克明に描かれた本を思い出した。結果的にはあれのおかげで今日の難局を乗り切った訳だが、その前提として、本を片づけるのがあまり得意ではないセンパイの性質がなければいけない。

「タケシくん、今日俺が君を誘ったのには理由があるんだ」

 ダン、とひときわ大きな音を立ててお猪口をテーブルに置いた。なんと、入店後二時間くらい経ってからやっと本題に入ったということか。前振りが長すぎると思ったが、当然タケシはそんな突っ込みはいれない。

「なんでしょう」

「彼女は……まぁもともとああいう性格だからな。なんかあっちゃーすぐにお説教モードに入るのが得意だ。だけど、ああいうのがあんまりにもひどくなるというかしつこくなるというか、ぶっちゃけヒステリックな感じになる時期が周期的にある」

「周期的…ですか」

 その言葉で真っ先に思いついたのが、いわゆる周期的に訪れる女性の身体の事情だ。

「あれ? でもそれって月に一度とかですよね? あんなに怒られたのは今日が初めてですけど?」

「何を想像しとる。そんな理由じゃない」

 ハリセンで叩かれた。持ってきていたのか……。

「じゃあなんですか?」

「実は前にこっそり事務の主任に訊いてみたことがあるんだ。こういう女性の事情について詮索するのは危険行為なんだがね。あらぬ誤解を受けて訴えられるなら弁解のしようもあるかもしれないが、職場内で変な噂を立てられたりしたら非常に困るからね」

「ああ。ああいうのには必ず尾ひれとか背びれとかもついて、最終的には原形をとどめないほどの内容になってても不思議じゃないですからね……。下手したら人間としての尊厳すら失われるほどの大打撃を受ける可能性もある……」

 女性って怖いですよね、となにやら思い出したくない過去でもあるのか、タケシは遠い目をして語った。

「分かってくれるか、タケシくん!?」

「ささ、もっともっと」

 最後の一杯をお猪口に注ぐと、タケシは即座にお代わりをオーダーした。

「それで、薬局長はどうしたんですか?」

「それはもう、まずは主任は結構酒を飲む人だから、仕事の話があると居酒屋に誘い出し、最初に何も食べない状態で何杯もビールから日本酒まで飲ませ、かなり酔っ払ってから話を切り出したんだ。周期的とかいう言葉を出したらセクハラとか言われかねないから、そこはうまーくオブラートに包んで、「たまに」とか誤魔化して、必死に言葉を選びに選んで、そしてようやく聞き出す事に成功した!」

 その時の事を思い出したのか、最後には感極まったようにぎゅっと拳を握った。

「ものすごい戦略ですね……。酔い潰してからって微妙に犯罪ちっくじゃないですか」

「犯罪とか言うな。別に犯罪行為は行っていない。それに、酔っ払いはしたが、結局酔いつぶれなかったからな。あの時飲ませた日本酒は何合だったか定かじゃないが、かなりの量だったのにな……」

「主任さんてお酒強いんですね。んで、結局原因はなんだったんですか?」

「おお。そうだったな。すっかり忘れていた」

 本題に入るのに二時間もかかった上に、本題の説明のために本題を忘れる薬局長……。

「あれはな、付き合ってる彼氏と大喧嘩するとああなるらしい」

「は?」

「そう。割と何ヶ月かに1回のペースで彼氏と大喧嘩したりしてるらしい。そしてその次の週くらいには普通に仲直りしてるらしいこともその時に聞き出した。ちなみに、みんな……主に事務さんの間では結構有名な話みたいで、知らないのは俺だけだったらしい」

「………!!」

 なんということだ。タケシのショックは大きかった。あの可愛らしい女性にわりと憧れていた部分もあったので、付き合っている彼氏がいたという事実が一番のショックだった。

 ショックのあまり硬直しているタケシを見てるのか見てないのか分からない動作で、薬局長は新しく運ばれてきた日本酒を手酌でお猪口に注いだ。

「ハッキリ言って、八つ当たってるだけみたいなんだよなー。ったく、私生活の乱れを仕事に挟むなってんだよ」

「薬局長、日本酒ください」

「ん? おお。飲め飲め」

「今日はとことん飲みましょう!」

 憧れの女性が汚れてしまったような気持ちになり、ナイーブなタケシの心は崩壊寸前だった。

 薬局長のお酌で注がれた日本酒を、タケシは豪快に呷った。

 こうなったらひたすらアルコールを摂取し、この気持ちを忘れるしかない!

 タケシの勢いにつられて薬局長もテンションが上がり、二人の異様なまでの盛り上がりに周囲からの視線も尋常ではなかったが、二人はまるで気づかずにそのあと何杯も日本酒や芋焼酎をオーダーしまくった。

 テーブルに片足を乗せて、女なんか怖くない!! とシュプレヒコールのように叫び、拳を高々と突き上げるに至って二人は店から追い出された。だがそんな事で二人の団結は壊れるものではなく、肩を組んで今度はスナックに入った。


 だいたいそこら辺でタケシの記憶は途切れ、気づいたら家の近くの電柱で眠っていた。空が明るくなってきた頃に目を覚まし、ガンガンと痛む頭を宥めながら帰宅した。電柱には汚物らしきものがたくさん散らばっていたが、あれが何かは分からない。考えたくもない。

 家に入り、よろめく足取りで台所に向かい、マイペットボトルを冷蔵庫から取り出して水をラッパ飲みした。血液がすべてアルコールと化している気がする。そして何度もトイレに入って汚物を胃から吐きだしていると、妹が起きてきた。トイレから出てきたタケシを見て、眉間に皺を寄せて鼻を手で摘む。

「お兄ちゃん、酒臭い」

「うるせい。女なんか怖くねーぞ」

「なんか言った?」

 鋭い妹の眼光に、タケシの身体は恐怖に粟立った。

「とりあえずさっさとシャワーでも浴びてきなさい。それで、部屋中が酒臭くなってるから、ちゃんとファブリーズしてね」

「……はい」

 一夜明けて、女性とはおっかないものであるということを再認識したタケシである。

 しかも今日も仕事がある日なので、まさか二日酔いなので休みます、とは言えずにタケシは重たい足取りで薬局に向かった。頭痛と吐き気は治まる気配を見せず、このままでは患者さんに笑顔を振りまける自信はまるでなく、それどころか調剤過誤をしてしまってもおかしくないような危機的状況である。具体的には今日タケシに担当される患者さんにとっての危機だが。

 マスクをして通勤したタケシは、同じく暗い表情をしてマスクをしている薬局長に会った。

「おはようございます」

「おはよう」

 アルコールで喉が焼け爛れている二人のその声は、力なく、そして風邪を引いているかのようなガラガラのだみ声だった。

 肩を落として背中を丸めて調剤室に入ると、センパイが、妹と同じような視線をこちらに向けてきた。

「……二人とも……。……二日酔いね」

 軽蔑を隠さない口調に、タケシは再度震え上がった。

「二人揃って昨夜はどこでお楽しみあそばされたのかしら。次の日の仕事に差し障りのある飲み方はどうかと思うんですけど? 薬局長? まったく。私生活の乱れを仕事に差し挟むなんて、ほんと、男ってサイテーね。調剤過誤とか起こしたら、私はちゃんと上に報告しますからね。二人は勤務の前日に深酒をしていました、って」

 リンゴジュースをちゅーちゅーと飲みながら、冷酷にセンパイは言い放った。

 今回の一件でタケシが学んだ事。やはり、女性とは大変に恐ろしきものである。

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HONなび
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