第一話目 タケシ、投薬す
「今日からここでお世話になる、薬剤師のタケシです。よろしくお願いします」
タケシは25歳。今年薬科大学を卒業したばかり。
『よろしくお願いしま〜す』
薬局の職員は事務6人薬剤師6人。朝は9時半から夜は7時半まで。土日祝日も営業。働く市民に優しい薬局だ。
給料は決して高くないが、みんな和気藹々としていてやりやすそうな職場だな、というのがタケシのこの薬局に対する第一印象だった。
けれど人生そんなに甘くはなかった。
「誰か〜。これ、監査お願いしまーす」
「はいはい。ちょっと待ってねー。誰か! この患者さん順番違う! 二人くらい飛ばされちゃってるからここお願い!」
「誰か〜! 粉、はかって〜!!」
「薬剤師さ〜ん。患者さんから電話です〜」
「誰か!! 監査!!!」
「あああ!!!! 誰も粉はかってないの!?」
……調剤室は戦場だった…。
常に怒声が飛び交う調剤室。そして待合室では子供が泣き叫び、待ちくたびれた患者さんは調剤室を睨んでいる。
「タケシくん、なんとなく流れ、わかった? じゃ、これ、お願い」
と、いきなり薬の入ったトレイを渡される。一日目でいきなり実践らしい。
(マジかよ…)
とりあえず、さっき言われた通りに処方箋とトレイの中の薬を見比べて、間違いがないかどうかをチェックする。ミリ数も用心深くチェックする。
次に、処方箋と薬袋(薬を入れる袋)も見比べて、ちゃんと正しく入力されてるかどうかもチェック。
そして、いよいよ投薬(薬を患者さんに渡すこと)だ。生まれて初めての投薬が、「なんとなく流れ、わかった?」で任されていいものだろうか…、と思いつつ、ままよ、とばかりに患者さんの名前を呼ぶ。
「き…木村さ〜ん」
「はーい、はいはい、よっこらしょ、と」
72歳、木村ヨシノさん(骨粗鬆症)が腰を重たそうに上げる。
ゆっくり、ゆーっくりと足を進めて、たっぷり2分ほどかかって短い距離を歩いてきた。
「あ…っと、こ…こんにちは。えっと、薬は…これ…この薬は…」
(あれ? これ、なんの薬だろ?)
タケシはいきなりてんぱった。薬科大学では薬の名前は一切習わないのだ。
(マジかよ、全然わからねぇ…)
「あら。ボウヤ。初めて見る顔ね。新人さんかい?」
「は…はい」
返事をしつつも、タケシの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
「この薬はね、ビタミンDの薬よ。しっかり頑張んなさい」
と、木村さんは勝手に薬を薬袋に入れて、持参してきたビニール袋の中に突っ込んで湿布を持って、去っていった。
(……………)
とりあえず、輝かしい一人目の投薬は終了した。
「何やってんの! そんな本なんて見てないでさっさと投薬いきなさい!」
「えっ……でもっ…」
二人目の投薬を控えて5分ほど薬の本と首っ引きになっていたタケシに、怒りの声が響いた。
「でも、…わからないんです。どれがなんの薬だか…」
これが薬剤師の台詞だろうか。自分でも情けなくなる。
「そんなもんはね、薬情(患者さんに渡す、薬の説明が書いてある紙)を見て、てきとーに言ってればいいの!」
(なるほど)
目から鱗だった。4、5枚は落ちた。もうこの際薬剤師のプライドも何もあったもんじゃなかった。さっきのビタミンDの薬のように、患者さんに教えられるくらいなら薬情をカンペ代わりにしたほうが100万倍もマシだった。
タケシは目を輝かせて二人目の投薬に行った。薬情を大事に右手に持って。
「こんにちは」
(よし、とりあえずこんにちはは慣れてきたぞ)
「この薬は寝付きを良くする薬で、こっちの薬は安定剤です」
今度は、まるでちゃんと薬を知ってる薬剤師かのように説明できた。
(よっし。この調子でやるぞ!)
タケシは単純だった。
めらめらと燃えたタケシは、どんどん患者さんをさばいた。
「これは血圧の薬です。これは胃薬です」
「これはなんの薬でしたっけ?」
「ああ、これはコレステロールの薬ですね」
にっこりと笑顔を見せる余裕もでてきた。
(この人胸でけぇ…)
……患者さんの胸元を見る余裕まででてきた。
なんのかんのしているうちに2時間もたつと、もうまるでタケシはベテラン薬剤師のような気がしてきた。なんといっても、薬の副作用について聞かれても、答えられることができるのだ!(薬情に書いてある)
意気揚々と、もう何十人目かわからなくなった患者さんの投薬に向かった。
「何かご不明な点はありませんか?」
「ああ、薬剤師さん、わからないんですけど」
「はい? なんでしょう?」
自信満々の笑みで聞き返す。
薬情さえあれば、怖いモノなしだ!
「この薬と一緒に飲んじゃいけない薬ってなんでしょうか?」
「………ぇ」
薬情にはそんなことまでは書いてなかった…。
実際の薬剤師さんはもっと真面目に働いてますよw