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第十四話目 タケシ、過誤す ~交換編~

「はぁぁぁ……」

 入社したばかり、まだ新人薬剤師のタケシが今日何度目かのため息をつく。

「そんなに落ち込まないの。人間誰だって間違いはあるさ〜」

 二歳年下のセンパイが、好物のグレープフルーツジュースを飲みながら肩を叩いてきた。

「落ち込みますよ……」

 説明しよう。

 タケシは調剤過誤を起こしたのだ。調剤過誤とは、間違った薬を渡してしまうことなのだが、間違った薬を患者さんが飲んでしまったら大変なことになるので、薬剤師は日頃から調剤過誤を起こさないよう、細心の注意を払っている。だからこそ、間違えたらそれだけ心のダメージは大きいのだ。

 今回のタケシのミスは、ペルサンチン25mgのところ間違って100mgを渡してしまった。幸い患者さんはすぐに気づいてこちらに電話をよこしてきたので事故には至らなかった。

「飲んでなかったんだから、セーフセーフ。今度からもっと気をつければいいのよ」

「そりゃそうなんですけど……」

 報告書を書きながら、再び深いため息。

「でも、なんでそんなミスしたんだろうね。ちゃんと二重監査(一度監査したものをもう一度誰かに監査してもらうこと)してたんでしょ?」

 薬局長がパソコンから目を離して問いかけると、……なにやらタケシの様子がおかしい。目線が完全にスイミングしてるし、カタカタと身体が小刻みに震えてるような……。

「…………」

「してたんでしょ? ん? どうしたの?」

「…………」

「あーあ」

 二歳年下のセンパイが何かを察した。

「……すいません…」

「ん? どういうこと? してないの?」

「……しませんでした…」

「しなかったんだ」

「はい。ちょっと忙しくて誰も手が離せなさそうで、声もかけられなかったし患者さん急いでるみたいだったから……」

「はい。タケシくん。言い訳しないの」

「……申し訳ありません」

「まぁ良かったじゃないの。過誤の原因がわかったんだから。今度から気をつけることと、あとそれちゃんと報告書に書いておいてね」

「はい……」

 調剤過誤を起こしたら、タケシの薬局では報告書を書くことになっている。過誤を起こした薬剤師の名前、患者さんの名前、年齢、どういう間違いを犯したのか、患者さんはどうなったのか、そのときの対応の内容、これからどういうことに気をつけるのか。などなど。結構面倒な書類だ。

「じゃ、僕、患者さんのところに行ってきますね」

 午後2時になって、タケシは腰を浮かした。間違った薬を交換しに行くのだが、患者さんが用事があるとかで時間を指定してきたのだ。

 タケシは正しい薬を持って(今度はしっかり確認してもらい)、薬局を出た。



 今回の患者さんは林村さん。81歳、女性。よく来るおなじみの患者さんのようだが、当然タケシはあまりよく知らない。年のわりに足腰も丈夫で目も耳も悪くない。悪いのは心臓だけだ(ペルサンチンは狭心症の薬です)。

「あら! わざわざありがとう。いらっしゃい。よく来たね。ささっ、上がって上がって」

「え? いや、ここでいいですよ」

「そんなこと言わないの。お菓子、あるからね。さ、上がって上がって」

 林村さんの強烈なお招きにより、タケシは靴を脱いだ。

「おじいちゃん。薬局の人、来たよ」

 そう言うと、仏壇に手を合わせた。

「さ、あなたも手を合わせて」

「え? は、はい」

「南無南無南無……」

「南無〜」

 たっぷり10秒ほど手を合わせると、林村さんはお菓子を出してきた。

「さ、食べなさい食べなさい」

「いえ、いいです。仕事中ですし」

「若いモンが遠慮しちゃ駄目だよ。たっぷり食べなさい」

「………………………いただきます」

 タケシは押され弱かった。

 そして、ようやく薬を渡せた。タケシは精いっぱいの誠意をこめて頭を下げる。

「大変申し訳ありませんでした。これから気をつけます」

「いいのよいいのよ。さ、供えようね」

「え? 供えるんですか?」

「さ、手を合わせるわよ。南無南無南無…」

「あ、はい。南無〜」

 タケシも手を合わせると、ほんとに薬を仏壇に供えた。

 見れば、仏壇の片隅に薬が大量に供えられている。

(こ…これは……)

「村林さん。薬飲んでないんですか?」

「薬はね、大事だからちゃーんと供えてあるよ」

「いや、供えないでください。飲んでください。発作が起きたらどうするんですか」

「そんときゃね、おとなしくおじいちゃんのところに行くさね」

 村林さんは南無南無〜、と手を合わせる。



(困ったなぁ。どうしたら飲んでくれるのかなぁ)

 とぼとぼと歩きながら、タケシは空を見上げて考えた。結局、薬をちゃんと飲むように村林さんを説得することはできなかったのだ。

 調剤過誤の方は無事に解決したが、タケシの心から霧は晴れなかった。

 ふと、死んだおばあちゃんを思い出した。

 おばあちゃんも、あんな風におじいちゃんを慕って死んでいったっけ。おばあちゃんは最期まで笑顔だった。おじいちゃんはそれで嬉しかったんだろうか。

 村林さんがおばあちゃんと同じように笑顔で逝けるなら、それで旦那さんも本人も満足なのか?

 薬をきちんと飲んでもらって、長生きをしてもらいたいというのは薬剤師である自分のエゴなんだろうか。

 タケシは歩きながら考える。空はいつの間にか黒っぽくなっており、今にも降りだしそうな気配だった。湿った空気が鼻をくすぐる。

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HONなび
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