episode 1 -the end-
____授業終了を示すチャイムが校舎に鳴り響き二分が経過する。
寂れた渡り廊下の先に、 何処か異様な雰囲気を醸し出す空間がある。
最近改築された本校舎とは違い、創立当初から姿を変えない部活棟の男子トイレ。
その扉から、なんとも形容しがたい熱のこもった異様な空気が漏れ出している。
(はぁ……全くやれやれだ)
大和紘。弥生高校一年生。交友関係は狭く、友達と呼べる人間は一人しか存在しない。
(……早くあいつにもいろいろと教育しなければ)
基本的に自分の興味のないことは無頓着で、時間や約束事にも割とルーズ。
(そろそろ怪しまれても仕方がないな)
その上コミュニケーション能力も皆無で、努力も全くしないので学力も芳しくない。
(……よし、時間だ)
四時を知らせるホームルーム終了のチャイムを皮切りに、大和紘はとっくに温まった便器から立ち上がり、男子トイレを後にした。
____二分後。最初に、トイレ横の階段にいくつも仕掛けていたブツを回収する。
慣れた手つきで淡々とこなしていき、部活棟を出ようと思った瞬間、
「お前、朝からそこのトイレにずっといたよな?」
知らない男に話しかけられた。黒髪にジャージ姿。若くも精悍とした顔。気の強そうな体育教師である。
「既に教室に戻っているかと思っていたんだが……病気か? 実は俺も学生時代持病に悩まされていてな……」
突然の出来事に一瞬思考が停止する。
部活棟にこの時間帯に教師がいる教室はないはずであり、鉢合わせになる確率は極めて低いはずである。
「分かるぞ……なんとなく担任に言うのは恥ずかしいよな……。先生もよく学生時代授業をサボってしまったものだ……」
どうする。現在の状況を確認する。朝からトイレにこもっていた生徒に鉢合わせた教師は次に何をしようとする……。
普段全く使わない脳内をフル回転させ、最善の一手を選ぼうとする。
「はい、そうなんですよ。実は腸を患ってて……。ご心配をかけてすみません。では、私は帰りますので……」
「いや、担任に報告しに行こう。欠席より幾分か印象が良いだろう。一緒に行ってやるから。何年何組だ?」
「……一年三組です」
活気を取り戻した渡り廊下。紘は苦悶の表情を浮かべながら体育教師の後ろについて歩いていた。
大和紘にとってこの状況は非常にまずい。
第一に、学校指定のサブバッグの中にある盗聴・盗撮用のカメラの存在である。小さい頃からコツコツと貯めていた貯金で買い揃えた至極の一品達を、没収されたらいろいろとまずい。
第二に、そもそも大和紘はこの高校の生徒ではないことである。
友人の予備の制服を借りて校舎に朝から忍び込んでいるので、身元確認でもされたら建造物侵入罪でお陀仏である。
第三に、自宅のパソコンのハードディスクである。
仮に警察に捕まり余罪の追及でもされたら、ハードディスク内にある幼少から集めた画像動画が摘発されお陀仏である。
「……なんだ紘! 学校来てたのかよ! 早く部活行くぞー!」
九割方詰んでいる現況を打破せんとする一縷の望みが、大和紘の眼前に現れた。
紘の唯一の友達、観月結人である。
「なんだ、こいつの友達か?」
「はい、そうです」
「職員室に用があるみたいだからお前がついていってくれないか? 俺は部活の顧問をせにゃならんからな」
「了解です! 紘、さっさと済ませて練習するぞー」
大和紘は口角を上げて下卑た笑みを浮かべる。親友の結人の気の利いた行動に感謝せずにはいられなかった。
「先生、ありがとうございました」
「いや、気にするな。少し昔の自分を思い出してしまってな……」
元来た道を戻る体育教師を尻目に、紘は安堵の溜息をついた。
「サンキュー結人。マジ助かったぜ」
「なぁに、お前がいなくなると俺も困るからな」
一度ブツを確認しようと職員室横の男子トイレに向かおうとした瞬間、至る所で悲鳴や驚嘆の叫びが生じる。
(……何だ……?)
辺りを見渡すと、スマートフォンを見ながら膝を落とす者、窓の外を指差して乾いた笑いを漏らす者、笑いながらそんな訳ないだろと叫ぶ者と異様な光景が広がっていた。
「何が起きてんだ?」
「ちょっと待ってろ」
結人が某SNSのアプリを開くと、タイムラインを同じ内容の記事が埋め尽くしていた。
「えっと……今から五分後に巨大隕石が衝突し、地球が滅亡するらしい」
「へー」
この高校のネットリテラシーはどうなってんだと無駄に偏差値の高い自分に無関係の学校の行く先を懸念している暇もなく、
「なんかN◯SAが衛星画像をソースに記事をアップしてんだと」
結人がそう口に出した瞬間、
耳をつんざく轟音が学校内に、いや世界中に響いた。
「「うわっ!?」」
轟音は段々と激しさを増し、事の重大さを警鐘しているようだった。
「紘! お前女子トイレ内のカメラは回収したか!?」
「いや、まだだ。今日の分はまだ五分の一も回収できてねぇよ」
「そうか……仕方がない」
「……あぁ」
大和紘と観月結人。幼少期から親友同士であり、昔から似たような思考回路で生きてきた二人。
((死ぬ前に一番の傑作を見なければ死に切れねぇ……))
時を同じく、全く同じ思考に到達する。
スマホを手早く操作し、イヤホンを耳に装着する結人に、サブバッグからタブレットpcを取り出しカメラと端子で結ぶ紘。
今まで生きてきた中で、両者ともに最も軽快に体を動かす。
「がぁ________っ!充電がねぇぇぇぇ! なんで! こんな!ときにぃ_____っ!」
先ほどまで8%ほど残っていたのに写真のアプリを開いた瞬間に充電が尽きる。授業をサボってソシャゲの周回をしていた自業自得である。
パキッ。
「え?」
脆い音を立てながら呆気なく端子が折れた。
「あぁ________っ! いやぁぁぁぁぁぁぁ! 誰か助けてぇ______っ!」
両者仲良く項垂れる。今まで生きてきた中で最大の絶望である。
「嫌だぁぁぁぁぁ! まだ死にたくないぃ______っ!」
「せめて! せめてもの願いがぁぁぁぁ!」
悲痛な叫びが伝播し、阿鼻叫喚の地獄なような空間と化す。
それから数分、呆気なく人類は滅亡した。