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東雲の窓

作者: 音澤 煙管




二十数年前の話を出しても、未だこの世に産声をあげてない人も多いと思うので、怠慢ではあるがその頃の年表を別途調べながら思い起こして欲しい…そんな時代の話だ。


平成の年号も未だ一桁で、産声から歩行器が無くなり、皆んなと団体行動を強いられる場所へ通う頃となる。

西暦では1995年、この年は様々な出来事があった…

世紀末間近だからか?天罰なのか??

はたまた、悪運の時代に生まれたからか?!

私も、思えばこの年にはあまり良い思いはしていない。

バブルの影響もそろそろ庶民に影響し始めた時で、定職も難しい頃だった。正規社員の募集も減っている時だったので、何もしないよりアルバイトでもして食い繋ごうという答えを出した。求人誌を見てもパッとしない、当然の事だ、この年は最低賃金の最低ラインを思い知らされた。それではと思い、時給が少し高めのバイトを探し出すが、やはり夜間になってしまう。


"時給1.300円、11:00〜5:00…この辺りが妥当だな?"と、そう思い電話して面接を受け呆気なく採用となる。注意事項として、必要なもの、服装、初日なので30分前には駐車場で待機している事が連絡され当日、いざ向かう…。


初めが肝心…とは言うが、肝心どころか就業時間帯を頭に入れず普通に生活をし仮眠と言うものを忘れてしまい、徹夜の初日となってしまった…やはり眠い。夜勤は自然の昼間の生活とは違い身体にかなり負担がかかる。

この日からは、今までの昼夜を反転させた生活を心がけることにした。


仕事内容は体力も使わなければ汚れもせず比較的綺麗な仕事だ。

あい間の時間にはちゃんと休憩もある。田舎のコンビニもそこそこ定着してきて物流も24時間体制が当たり前になり始めた頃の出荷作業になる。

品は全て加工済みの惣菜や弁当、おにぎりやサンドウィッチなどの食品関連だ。求人に"簡単作業!"と書かれていただけあって、この私でも数日で全体の作業の流れが見えてきた。

棚に平たいコンテナのカゴがあり店ごと分かれていて、そこに小さなパネルがあり数字が補充する数になる、その分だけ品別に入れていくだけ。

体力は使わないが、棚の高さが背の低めの自分くらいなので下の段は腰を曲げていないと作業できないから腰が痛くなる。


仕事に慣れたのは一週間もかからなかったが腰痛に悩まされていた。

それも一ヶ月もしたら慣れっこになった、それまでの怠けた生活を身体で知った。作業も慣れて、やっと同僚たちも顔と名前が一致する様になりバイトが終わってから雑談が出来る人、数名と過ごす余裕も出てきた。


ここのバイトの同僚には色々な顔が居る、

年齢も職歴も様々。

正一さんと言う人が居る、この人は定年後に年金暮らしでは生活が厳しいのと時間もあり、出荷の補助もして積み込み配送センターまでトラックの運転手。


西野くんは、未だ二十代前半の若い子。私と同じく正規社員を探し就活しながらココでバイトをしている。

性格が真面目で、作業中に仲良くなったが作業が終わり帰る時、白衣や食品工場作業用のヘアネットを取ると鮮やかな金髪ヘアだった、少し引いたが中身は西野くんだった。


他は、やはり就活中やらお金のためと昼間も職を持って週何回かバイトに来る中年の人たち数名だった。おとなしい人、よく喋る人だが、悪い人は居ない。

その中に、私より少し若い吉永くんが居る。色白で背が高く、流行りには流されて居ない風貌で個性がある。出勤時には毎回遭遇する、いつも出退社の挨拶くらいで、作業中は持ち場が離れているから、話はあまりしていなかった。


ある日、バイトの欠員が重なってしまい他の担当ラインの棚まで手伝って居た時、欠員で忙しいはずだったが皆慣れた雰囲気で、こんな事は滅多に無いと思い、普段話せない人と話しながら作業する。全て棚に補充出来たら、担当者が数に間違いはないか?品物は間違って居ないか?を確認するためにウロウロする。私はまだ慣れて居ないので急ごうとして居た、正一さんもこの日は補助どころか三人分くらいの働きで動き回って居たが、吉永くんと三人の作業が重なった時、正一さんが吉永くんの方に手をやり自慢気に言う…


「この子は凄いんだよ!まだ若いのに、小説家を目指してるって!頭良いよなぁーハハハッ」


その言葉に、苦笑し照れながら吉永くんの笑顔を始めて見た。

出勤の時は、無愛想で身体が弱いのか低血圧なのか色白でどちらかといえば取っ付きにくく話しかけられない苦手な人と言う印象だったが、この欠員が重なった日がきっかけで帰りの雑談の人数が増えたのは言うまでもない。




バイトも慣れてきて、年が開けて1995年となりこの業界も忙しくなる。

棚のコンテナに入り切らず、追加のコンテナを出荷前の台車に乗せ狭い作業通路に並べながらの作業が何日か続いた…

この日、昨日から日付が変わって1月17日…


いつもの様にバイトを終え、雑談もし終えて帰路に就く。日課として、帰宅すると直ぐにテレビを点ける。テレビゲームもこの頃ハマっていたものがあったので支度をしていると、普段気にしていないニュースのアナウンサーの荒々しい声が気になりよく観ると、大阪で大地震があったと騒いでいる。

陽も昇り始めて辺りの様子が見えてくる、高速道路が倒れているし、神戸の映像では火災があちらこちらで起こっていた。

尋常ではない、ゲームどころではないと思う前に、呆然と暫くテレビに釘付けになった。



この日は、震災があって睡眠不足でそのまま夜を迎えバイトへ向かった。

いつもみたいに、外は夜なのに

"おはよー、おはようございます"

と言い着替えを済ませる。

作業場へ向かうと、正一さんが言う…


「今日、吉永くんが大阪へ行っていて来られないと言うからまた、欠員の分も皆んな宜しくなっ!」


ゾッとした…

あの大地震の中、吉永くんが居たんだと思うと私をはじめ皆んな心配し始めた。


私が正一さんに聞くと、

「知人の所へ遊びに行っていたみたい、彼自身は大丈夫みたいだけど、交通機関がアウトだから…今週帰って来られるかなぁ?また、明日以降の欠員も会社に相談してみるよー皆んな頼むな!」

と言い冷静に現場を仕切った。

この日から四日後、吉永くんの姿を久しぶりに見た。

「大丈夫?大変だったなー」

皆んな一人一人吉永くんに詰め寄って肩を叩いて決まり文句の様に話しかける。


吉永くんは苦笑いを浮かべながら、会釈を何回も何人にもして居た。

私も心配だったから勿論話しかけた、

この日から少しずつ吉永くんとの話づらかった距離が縮まり本や小説の話もする様になる。


赤川次郎や村上春樹の数冊しか読書経験の無い私に、彼なりの作品への感想や背景を語り他の人とのバイトの雑談より中身が違い濃い内容でとても興味があるものだった。

それから、何度かバイトの度に話していたが数日後、彼の姿を見る事は無かった。バイトを辞めたんだと思っていたが、理由など聞きにくい。

ある日、もう作業も終わる頃に正一さんに聞いてみた。どうやら彼は、同じ小説家を目指す仲間が居る東京へ引っ越して執筆活動を本格的にやりたいからと言う理由だったらしい。私は少し寂しくなったが、彼の小説への熱い語りを聞いていたので納得した。



あれから二十三年経った…

阪神淡路大震災も平行して、祈りの日が来る度に吉永くんの事も思い出して居たが去年の事、新聞で直木賞の記事が載っていた。

著名が変わっていたが、プロフィールで吉永くん本人だった事に気が付いた、立派になったなー凄い!吉永くん、やっと目的も果たせたな。届かない声だけ祝福した。

とても嬉しくなり当時の顔が浮かんできた。

そして…ありがとうと感じた。


私も、苦手ではあるが吉永くんのお陰でこうして書こうと言う意欲があり今が在る。私の執筆時間は無意識にも東雲の頃、全ての始まりときっかけになっていたし今も東雲の空はあの当時と変わらない。

執筆もこの時間は、無意識にペンが進む。


執筆をし途中で休む時には、いつも部屋から外を眺めると東雲から夜明けに変わる時…あの時と同じ空。

窓から見る朝焼けがその頃に返してくれる気がする、この時間を大事に今は過ごして居る…そしてこれからも執筆し続けたい…ずっと。





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