黄色い街 〜砂嵐の中〜
黄色い風が吹いていた。
粒子の細かい黄色い砂は、風の勢いに巻かれ舞い飛び、それはまさに凶器とも言うべきものに姿を変え、サンとティアの二人に襲い掛かっていた。
「痛ってえな! 何だよ、この砂嵐は……口の中まで入ってきやがる!」
サンはスッポリとフードをかぶり、マントを顔の半分まで巻きつけ、砂嵐から自分の身を守っていたが、ここの砂は粒子が細かいせいなのか、マントの中にまで砂が入り込んできていた。
口に入り込んだ砂を必死に吐き出しながら、サンは痛みを感じる程の風に向って怒鳴りつけている。
ふと横に歩いてるはずのティアに視線を向ける。ところがそこにはティアの姿は無く、ただ唸り声をあげて砂が吹いてるだけだった。
サンは慌てて、今歩いてきた足跡を探しながら後ろを振り向くが、今つけたばかりの足跡も、ティアの姿も砂に隠れ跡形もなく消えてしまっていた。
「ティア!」
サンは今歩いてきたであろう道を戻りながら力の限り叫ぶ。だが自然の驚異的な力に人間が敵う筈も無く、砂を混ぜた黄色い風はサンの声を掻き消し、唸るように鳴いていた。
その刹那、足元に何かがぶつかった。サンは脳裏に悪い予感が走る。と同時に足に当たったその部分の砂を必死で掻き払った。するとティアが着ていた白いマントが目に飛び込んで来た。
ニ週間歩き詰めでティアは疲れていたのだろう。砂に足を取られ転んだのが運のつきだった。見る見るうちにティアの体は砂嵐に飲み込まれ、ティアの体をいとも簡単に覆い隠してしまったのであった。
「何やってるんだ!? ったく、大丈夫か?」
サンに引き上げられたティアは、口の中に入り込んだ砂でむせ返り激しく咳き込んでいた。
「助かりました。すみません」
ティアは弱々しく疲れきった声でそう言った。あの白い街で見た驚異的な力を持ったティアの影はそこにはなかった。
「まったく……ティアの力に期待したのは間違いだったかもしれないな。こんなひ弱だとは思ってもみなかった」
サンはそう呟きながら溜息をつくと、ティアを持ち上げるようにして立たせる。
砂嵐はそんな二人に容赦なく襲い掛かり行く手を阻んだ。
「このままじゃ、俺まで埋まっちまう。どこか休める場所があればいいんだが」
サンがそう言いながら周りを注意深く目を凝らし見回すと、砂嵐のベールの向こう側に微かだがに岩山のような影が見えた。
あそこなら砂嵐から身を隠せるかもしれない。サンはそう思い、ティアの手を力一杯握り締め引っ張りながら歩き始めた。
その姿はまるで親が子供を迷子にさせまいと手を握って歩く姿に似ていた。
まったくとんだお荷物を抱え込んでしまったかもしれない。サンは密かにそう心の中に思っていた。
岩山らしき影が近くなるにつれ、それが洞穴である事がわかった。
「運がいいな」
サンはそう呟くとティアの手を引きながらその洞穴に足を踏み入れた。
サンはマントのフードを脱ぐ、すると真っ赤な炎のような髪の毛が姿を現し、砂がパラパラと落ちた。サンは首を思い切り横に振り、砂を払い落とした。
ティアもフードを脱ぐと岩の壁に凭れるように立ち、漆黒の長い髪に絡み付いている砂を手で払いながら、顔を顰めまだ咳をしていた。
一歩足を踏み入れて、サンはその空間に不思議さを感じていた。外はあんなに酷い砂嵐だったというのに、洞窟の中には砂が入り込んでいる気配がなかったからだ。
「ティア、何かおかしいと思わないか?」
「……特に邪悪な気は感じませんが」
ティアはそう言うと、岩の壁に体重を預けるようにしてその場に座り込んだ。かなり疲れているようだった。
「なあ、お前さ、旅をするのは初めてか?」
「はい」
サンの問いにティアは何の躊躇も無く笑顔を浮かべて、当たり前のように即答する。
その笑顔で即答した姿に、サンは腹立たしさを感じ、ズカズカとティアに近付いたかと思うと、いきなりティアの頭を平手で叩いた。
軽快な音が岩に反響していた。
ティアは突然の事に、痛さよりも驚きの方が勝っているのか、口をポカンと開けたまま怒りを露にしたサンの顔をただ見ていた。
サンはしゃがみ込むとティアの視線に自分の視線を合わせ、思い切り睨み付けた。
「そんなんで、旅に出る、なんてよくも簡単に言えたもんだよな! 自然をなめんじゃねえよ。まったく死にたいのかよ。そもそもなんで旅なんかしようなんて思ったんだ? あの街を出たかったのか? あの街のヤツらだって理解をし始めていたじゃないか」
サンはそう吐き捨てるように言うと立ち上がりティアに背中を向けた。背中からも怒りが漂っていた。
ティアはサンのその言葉に儚げに笑い、ゆっくりと口を開いた。
「……母に会いたくて……自分が何処の誰なのか知りたい」
ティアはそこまで言うと唇を噛み締めて口をつぐんだ。まだ何か言いたげだったが、それを呑み込んだように見えた。
ティアのその言葉がサンの心を揺らす。怒りに満ちていた背中の刺々しさが消えていった。
「……いいか、足手まといにだけはなるなよ」
サンはぶっきら棒だったが、穏やかな口調でそう言った。
ティアはサンの背中に向けて悲しい陰のある微笑を浮かべる。ティアの心の奥底には何があるのだろうか。それは誰も知りえない。
あのリリーでさえ読む事が出来なかったのだから。
ティアが洞窟の奥の闇に鋭い視線を送る。何かくる! そう思った。
「あんた達、こんな所で何してるの?」
暗闇の中からいきなり声だけが響き、サンも咄嗟に暗闇に視線を向けた。感のいいサンが人の気配に気付かないというのは珍しい事だった。
暗闇からゆっくりと姿を現したのは、肩の辺まで伸ばした茶色い髪の毛を揺らし、二重瞼でパッチリとした茶色い瞳の少女だった。サンと同じくらいの年だろうか。
少女は好奇心旺盛な仕草を見せて、サンとティアの二人をまじまじと見つめていた。
その輝く瞳からは邪悪な気は感じなかったが、この洞窟の雰囲気と少女の気配を感じ取れなかった事が、サンの心の中に引っかかりを残していた。
「貴方達、旅の人?」
「はい」
ティアは素直に笑顔でそう答えた。
サンは腕を組みながら、眼の前の少女に疑いの目を向けていた。
「ようこそ、黄色い街へ」
少女は二重瞼の瞳をキラキラと輝かせて二人に微笑みかけた。
サンはその笑顔に面食らった。可愛らしい人形のようなその微笑みは、何の邪気もない純真無垢な雰囲気を漂わせていたからだ。
自分自身が遠い昔に置いて来てしまった笑顔。サンはそんな事を思い、感傷に浸っている自分が滑稽だったのか、鼻で軽く笑った。
「私の名前はユリカと言います。この街で神使様の使いとして仕事をしております」
少女はそう言うと、深々と二人に頭を下げた。その礼儀正しさから、この街の神使がどれだけの統率力があるのかと言う事が想像できた。
「この奥が街の入り口になっているんです。どうぞ」
ユリカと名のった少女は優しい笑顔でそう言うと、サンとティアを招くように洞窟の奥に向って歩き始めた。
ティアは何の迷いも無くゆっくりと立ち上がった。
サンの中ではまだ完全に疑惑は消えていなかったが、今は街へと急ぎたい、その思いが強く、少女の後について行く事にした。
サンには黄色い街にできるだけ早くにたどり着きたい理由があったのだ。
黄色い街は換金所のある街だった。妖魔が消えた後に残った宝石を換金所で金に換えなければ、宿に泊まる金も残っていなかったのだった。
サンとティアはユリカの揺れる茶色い髪の毛を見ながら歩いていく。
ユリカはこの暗闇の中でもまるで先が見えているかのように、躊躇せずに歩いていく。
これは慣れというものなのか、それとも他に何か理由があるのか……
この時のサンとティアには知る由も無かった。