〜旅立ち〜
死者5名、負傷者21名。白い街での妖魔による被害の詳細であった。
負傷者に関しては、命に関わる重傷者のみティアの能力で再生させた。
能力を使い人体を再生させるという事は、自然の摂理からかけ離れており、人間が本来持っている自然治癒力を歪めさせ、体にいい影響を及ぼさないと予想されるため、自力で治せる者には手を施さなかったのである。
人々は今頃になって、ティアのその力の貴重さに気付いたようだった。
リリーもティアも5人の遺体を目の前にして、自分達の非力さを思い知り、どんなに力を持っていたとしても、危険に対する予想能力、判断の甘さが命取りになる事を悲しみの中に見出していた。
5人の遺体は火葬され、その炎は渦を巻き天高く昇る。
妖魔により命を奪われた者の嘆き、憎悪、恐怖が悲鳴を上げているように聞えた。
ティアとリリーにとって父でもあるべき主の遺体も、最後に炎の中に入れられる。
炎はより一層高く燃え上がり、全てを焼き尽くしていった。
後にはその者達との思い出だけが残っていた。
ティアは皆がまだ集まっている炎を横目に旅支度を始めていた。
「ティア、本当に行くのですね。淋しくなります」
リリーは瞳を切なく揺らし、ティアを見つめそう言った。
「さあ、俺も妖魔の首を手に入れた事だし、そろそろこの街を出ようかな」
サンも荷物の点検をしながらそう言った。
「あ、あの……サン殿、非常に言いにくい事なのですが」
リリーはほんの少し申し訳なさそうにサンにそう言葉を切り出した。サンはそのリリーの表情に何かを予想しているのか、ニヤニヤと笑っていた。
「報酬の件なのですが、出世払いというわけにはかないでしょうか?」
リリーはサンに手を合わせ、縋るような瞳をして言った。
「……こんな貧乏街に、そんな事期待しちゃいない。だたその代わりに欲しい物が一つ」
「はい、それは何でしょう?」
リリーの問いにサンは隣で荷造りしているティアの襟ぐりを掴み、自分の方に引き寄せるとニヤリと笑う。
「コイツを貰って行きたい」
その言葉にリリーは愉快そうに笑っている。その笑いには安心した雰囲気も含まれているようだった。だがティアの表情はいつもの柔らかい表情とは違い、不機嫌そうにサンの手を払い除けた。
「何を言ってるんです。サン殿も私の力、そして瞳の色を見たでしょう? 同情でそんな事を言ってるのなら……」
その時だった、ティアの言葉を遮るようにサンの平手が飛び、甲高い音が響く。
「何を勘違いしてるんだ? 同情? そんなもんするわけないだろう? 自分で自分を可愛そうだって思ってるんじゃないのか? 思い込みもいい加減にしろ! 俺はこれからも妖魔の首を取っていく、その時にあんたの力があれば、俺の仕事もやりやすい、それだけだよ!」
サンはそう言葉を吐き捨てるように言うと、ティアの顔を覗き込んだ。
「いいな! これは決まりだ。俺の仕事を助けてくれるよな?」
「……仕方がありませんね、リリーに出世払いはできないでしょうから」
ティアは不機嫌な表情のまま溜息をつきながらそう言った。
リリーもそんなティアの姿を見て柔らかい安心した表情を浮かべていた。
「お兄ちゃん」
ティア達は背後から声をかけられて、後ろを振り向いた。そこには妖魔に心を操られ、ティアを刺してしまった子供が立っていた。
「お兄ちゃん……これ」
そう言って後ろから差し出した手には白百合が握られていた。それはティアに差し出されたものだった。
ティアは驚いた表情を浮かべていたが、顔を緩めると、しゃがみ込んで子供の目線に自分の目線を合わせた。
「この街からいなくなってしまうんでしょう! これはこの間のお礼、母さんの事許してあげて」
子供はそう言うと、ティアの瞳を見つめた。ティアはその白百合を受け取ると、子供の頬に手を伸ばす。子供は一瞬ビクリと反応し、一歩後ずさり目を閉じていた。
怯えている。ティアはそう思った。
子供の頬に触れる寸前で止まっていた手を握り締めると、ティアは手を下ろした。
「ありがとう」
ティアは子供に満面の笑顔でそう言った。子供は静かに目を開けると、ティアのその笑顔を見て安心したように笑い背中を向けて駆けて行った。
ティアは白百合を見つめ、悲しみに瞳を揺らしていた。
人間の心は簡単には変えられない。だが変える切っ掛けを作る事は決して無駄ではない。
いつか……きっと……それを忘れてはいけない。
リリーが手を振る姿を後ろに、藁葺き屋根が点在している街の中心部から、サンとティアの二人は離れていく。
白百合の花が一面に咲き、白い絨毯が敷かれているようだった。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「答えられる事であれば」
「もしあの時、子供の額にティアが触れていたとしても、助ける事が出来たんだよな?」
サンは気になっていた事を思い切って聞いてみた。ティアは目を伏せ、少しの間、何かを考えていたかと思うと、ゆっくりとサンの顔を見つめ口を開いた。
「……さあ、どうでしょうね。妖魔と一緒にあの子までも消滅させてしまったかもしれませんよ」
ティアは皮肉めいた口調でそう言い力なく目を伏せた。サンはそんなティアの後頭部を軽く小突く。
「まったくひねくれ坊主だな、なんでそんな皮肉しか言えないんだよ!」
「何年も迫害されて生きてきたんですよ。私だって完璧じゃありません。ひねくれたくもなります」
ティアはすねたようにそう言った。サンは少しだけ安心する。いつも冷静で淡々と事を運ぶティアの中にも、こんな子供っぽい部分が存在してる事を知り嬉しかった。
ティアは、儚げに揺れる瞳をして口を開いた。
「私は……幼い頃、同じ事をして人を殺してしまった事があるのですよ。あの時、助ける自信はありましたが、昔の記憶が過ぎり怖くなってしまったのです」
サンはティアのその告白に衝撃を受けた。そしてあの女が口にした「私の子供を殺さないで!」その言葉の理由を把握したのだった。
「そ、そんな……何か事情があったんだろう?」
サンは今耳にした言葉に、自分の気持ちが動揺し、ティアを見る目が変ってしまうのが怖くて、その出来事に対して正当な理由があることを祈っていた。
「主様は、私を責める事無く、あれは仕方がない事だったと言ってくれましたが、それが私に対しての優しさなのか、真実なのかは今でもわからないのです」
ティアの表情は途端に悲しみに染まり、子供に貰った白百合を揺れる瞳で見ていた。
サンは感じていた。ティアの中に存在する強大な力に対して、一番怯え恐怖を感じているのはティア自身だという事を。
サンはそんなティアの左手をいきなり握り締めた。ティアは突然の事に驚きサンの顔を目を見開いて見ていた。
「ティアの手はこうしたって何も起こらない。俺はそれを知ってるから」
ティアの淋しげな心を察したのか、サンはぶっきら棒な中にも優しさに溢れた言葉を紡いだ。
「サン殿、貴女は本当に」
「やめやめ! 次の言葉を出すなよ! その言葉を言われると体がむず痒くなる。それにこれからはサンでいい、一応相棒だしな」
サンはそう強い口調で照れくさそうに言うと、体を掻き始める。
「はい」
ティアはそう満面の笑みで返事をすると、心の中で「本当に温かく優しい女性ですね」そう呟いたのだった。
太陽が南の空に顔を出していた。サンとティアは太陽に向って歩いていく。
旅は始まったばかり、これからの二人の未来に日が差し続ける事を祈らずにはいられない。
緩やかな優しい風に百合の花が揺れていた。
差別や迫害。小さいものでは、いじめ。
人間とはそういった醜い習性を、持たなければ生きていけないのか