最終章 〜太陽と月〜
何事も無かったように、太陽は変わりなく今日も空へと上っていく。
もしかしたらティア達が現れるかもしれない……等と淡い期待を抱きながら、昨夜は閉じてしまった黒の渓谷の傍で野宿をした。
何もなく静かに夜が明け、サンは寝ている皆を起こさぬように、一人で抜け出し、悲しみを紛らわすように歩いていた。
明らかに昨日までの空の色とは違っていた。
真っ白な絵の具で塗りつぶしたような空は、白く薄い雲を漂わせながら、透明感のある青い空を広げていた。
太陽の光は、眩しくて温かくて、目を閉じていても此処にあると、自分の真上にあると、サンは体全体でそれを感じていた。
乾いた砂のような土の上に手足を広げ仰向けに寝転び、ゆっくりと目を開ける。
頭の先の方には、遠くに灰色の街にある黒々とした山が逆さまに見えていた。
風が吹く。乾いた軽い土を運んでいく。
「あれは……」
サンの瞳に映った月。
太陽の光の強さに隠れ、ひっそりと青い空に白く浮かんでいた。
「白い月……か」
サンはそう呟くと、上半身を起こし振り向いて月を見上げた。
そこに存在している事を感じさせず、視界の片隅にも入らないような白い月。
だがそれは確実にそこに存在していて、無くてはならないもの……
サンは自分の胸を手で押さえ、静かに目を閉じる。
「……存在が此処になくても、お前は俺の此処に存在する。そうだよなティア?」
サンはそう呟き、閉じていた瞳を開ける。茶色の瞳には、今にも零れそうなほどの涙が揺れていた。
「おはよう……起きて、傍にいないから心配した。眠れなかった……よな?」
そう言って、ライアンはサンの横に腰を下ろした。
サンは何も言わずに、深い溜息をつくと顔を伏せる。
「サンに、ティアからの伝言……私にしてくれたように、これからは、皆の足元を照らしてあげて下さい。って、伝えるように頼まれた」
ライアンの言葉に、サンは微かに肩を震わせているように見えた。
「……お前は知ってたのか? ティアが死を覚悟してる事」
泣いているのか、サンのくぐもった声が聞こえてくる。
「……うん、知ってた。サンを頼むって言われたけど、僕じゃあティアさんの代わりにはならないし、そうなろうとも思わない。サンはサンでしっかり足を地面につけて歩かないとね」
ライアンの言葉にサンは顔を上げる、サンの頬を伝って涙が流れ落ちる。
「ああ、もう、そんな風に泣かれたら、抱きしめたくなるじゃん……でも止めとく。ぶっ飛ばされそうだから」
ライアンはそう言い、サンの涙を拭いながら、優しく微笑んだ。
「正解」
サンはそう言って、鼻で笑う。
「坊や、いい事言うじゃないか!」
リンの声が聞こえて、二人は後ろを振り返ると、そこには栗色の髪を揺らしたリンと翼をしまい込んだリリーが立っていた。
「朝早くから、サンは何をしていたの?」
「月を見ていた」
リリーの問いにサンはそう答え、青い空に浮かぶ白い月を、また見上げた。
ライアンもリンもリリーも空に浮かぶ白い月を見る。
「私達は生きている……のよね」
「人間の命には限りがある。だからこそ、失いたくないって強く思う」
「クラマさん、ユーラさん、リッパー、マーラ……それにティアさん。誰かのためとかって、結局、自分のわがままだよね」
リリー、リン、ライアンの三人は白い月を見ながら、静かにそう呟いた。
「月はまた上ってくるのにな……」
サンは言葉の最後に何かを匂わせるように、ポツリとそう微かな声で言った。
乾いた風が吹き、皆の髪の毛を揺らす。
土が舞い、目を開けていられなかった。
ハナコが翼を羽ばたかせる音が激しく聞え、鳴き声を上げていた。
何かあったに違いない!
その場の皆がそう思った。
サンを先頭にライアンとリンが走って行く。
なぜかリリーだけが、ゆっくりと歩いていった。顔には笑みを浮かべている。まるでハナコの鳴き声の理由を知っているようであった。
ハナコは鼻先を下げ、何かを舐めている。
サンは小高くなっている坂を駆け上がり、足を止めた。
地面の上に、倒れている二つの影を目にして、動けなくなった。
「これは……」
後からきたライアンも一瞬息を呑み込む。
「マーラ……ティア……」
リンは口に手をあて、微かに震えていた。
乾いた地面に突如現れたのは、マーラとティアの姿であった。
ただ、生きているのかどうかまでは把握できなかった。
ティアは血の気を感じさせない顔色に、漆黒の髪の毛が一段を際立って見えた。
装束は何箇所も裂かれ、全身には無数の傷が存在していた。
地面にただ転がる姿を見ていると、もう二度と目を覚まさないのではないかと思えてくる。
マーラは小さな体に何箇所も痣ができており、疲れきったような顔は、固く目を閉じていた。
いつもの元気で茶目っ気一杯の表情からは、かけ離れた姿であった。
「マーラ、ティア!」
ライアンは恐る恐る声をかける。するとマーラは眉間にしわを寄せ、呻き声と共にゆっくりと目を開いた。
体に痛みが走るのか、すぐには起き上がれないようであった。
リンが膝を付き、マーラを優しく抱き上げる。
「ティアは……どうなった?」
マーラは弱々しくそう聞いた。
「大丈夫だよ。すぐ傍にいる」
リンがそう言うと、マーラは弱々しく微笑んでいた。
「マーラ、約束守ってくれたのね。ありがとう」
後から来たリリーがそう声をかける、マーラは手を上げ親指を立てた。
そう、あの闇の街でマーラが耳打ちしたのはこの事だったのだ。成功する確率が極めて低い賭けだった。
ティアの傍らにサンが膝を付き、静かに抱きあげると、ティアの青白い顔を見つめた。
金色の睫毛だけが、太陽の光を受けキラキラと輝いていた。
体は温かい、呼吸もしてる。生きている。サンはその事を感じ取ると、ティアを思い切り抱きしめ、ティアの首筋に顔を埋めると体を震わせ泣いた。
ティアは金色の睫毛を揺らし、顰めながら目を開ける。
驚いた事に、そこに存在する瞳の色は両方とも翡翠色の瞳だった。ただ片側だけは血にまみれていた。
サンはティアの顔を覗き込む。
ティアは眩しそうな顔をしながら、サンの顔を見て、少し怯えたような表情を浮かべる。
様子がおかしかった。
「まさか……」
ライアンは声を絞り出すようにそう言い、後の言葉を呑み込んだ。
サンはライアンの言おうとした事を予想し、変わりに口にする。
「記憶が消えたのか」
サンのその言葉を、ティアの方は把握しきれていないようだった。
ティアはサンの手を離れ、ゆっくりと上半身を起こす。体中の傷が痛むのか、時々動きが止まる。
ティアの握っていた手から何かが落ちた。
それは青い石だった。リンはその石を拾って握りしめると胸に持って行き、心から石に感謝した。
「此処は何処ですか?」
ティアは周りを見渡し、そう呟き、何かに気付いたような表情を浮かべ、両手で顔を覆って震えていた。
「どうした?」
サンの言葉に、ティアはゆっくりと顔を上げ、何かに怯えるような表情を浮かべる。
「……私は誰ですか?……なぜ此処にいるんです……わからない、わからないんです」
ティアはサンの顔を覗き込んでそう泣き叫ぶように言う。
自分の過去を失くしてしまうという事は、どんな苦しい事なのだろうか。それはティア本人にしかわからない事だった。
「そうか……何も憶えてないのか。無理に思い出す事も無い」
サンはそう言って、無理矢理笑顔を浮かべると、ティアの血で汚れた顔を装束の端で拭く。
ティアは一瞬、目を見開いて、頬を触るサンの手を握りしめ、綺麗な翡翠色の瞳でサンを見つめた。
「……もしかして、貴女は私の大切な人だったのですか?」
「思い出したのか?」
サンは一瞬、期待を表情に浮かべるが、ティアは揺れる瞳で首を横に振った。
「なんとなく……そう思っただけです」
「そうか……過去が消えても、お前はお前だ。これから新しい未来を作っていけばいい、俺達は皆友達だ」
サンの言葉に、ティアは顔を上げ、周りにいる、ライアン、リン、リリーの顔を見つめる。
ティアを包むように笑顔が溢れ、温かく優しい雰囲気に包まれていた。
突然、ティアの頬を伝って涙が流れる。自分の意思とは別に、心の芯が震えているのを感じ、涙を止める事ができなかった。
「ティア……大丈夫か?」
マーラがゆっくりと起き上がり、ティアに近付くと弱々しく笑みを浮かべた。
ティアは悲しみの影を宿す瞳で、マーラを見つめる。
「サン、ごめん」
マーラは目を伏せそう言う。謝罪の理由が何を意味しているのか、サンにはすぐにわかった。
「謝るな……俺は感謝してる。空間を飛ぶ……マーラ、お前にしかできない事を、危険を犯してまでやってくれてありがとう」
サンは今にも泣きそうな顔をして、微笑んだ。
太陽の光を背にサンはゆっくりと立ち上がる。
「ティア、道に迷ったら、俺が手を繋いで横を歩いてやる。だから安心しろ。過去は消えても、生きてる限り、新しい未来は作れる。俺と一緒に未来を作っていこう」
サンはそう言って、ティアの前に手を差し出した。
ティアは手を伸ばし、一瞬、躊躇する。そんなティアの手をサンは自分から握りしめた。
ティアは翡翠色の瞳を見開き、サンの茶色の瞳を見つめる。
太陽の光を背に浴びたサンの姿は、その存在自体が太陽のように見えた。
サンはティアの体を引っ張り上げるように立たせ、涙で濡れたティアの頬を手で拭う。
「貴女はまるで……太陽だ」
ティアはそう言って、柔らかく優しい笑みを零した。それはまさしくティアにしか浮かべる事のできない笑顔だった。
闇夜に浮かぶ月の様な優しい光を想像させる笑顔。
サンの優しく揺れる瞳に、ティアの涙で濡れた笑顔が映っていた。
リンには、二人を包む柔らかい眩い光が見えていた。
ライアンもリリーも、その姿を優しい笑みを浮かべ見つめている。
マーラは、ハナコに顔を舐められながら微笑んでいた。
太陽の光の片隅に、浮かぶ白い月はまだ顔を見せていた。
温かな強い光の中で、優しく穏かに存在する。
それはまるで、サンとティアのようだった。
日は沈み、また昇る。月もまた沈み、また昇る。
生きている限り、未来は必ずやって来る。
まだわからない未来だからこそ、自分で選ぶ事ができる。
左に行くか? 右に行くか? それとも真ん中なのか?
新しい一瞬後に向けて一歩を踏み出す。
いつか必ず、この手に握れる何かがあると信じて。
〜了〜
ついに完結いたしました。
このような自己満足でしかない作品に、長い間お付き合い頂いた方々に感謝いたします。
いかがだったでしょうか?
この物語を締める上で、結末をどうしようか非常に悩みました。
皆さんの予想した通りだったでしょうか?
それとも違ったでしょうか?
些細な事でもかましません。
色々な方の声が聞き、今後の作品にいかせたらと思います。
感想、ご意見、批評等を書いて頂けると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。