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          〜閉〜

 ティアはサンの触れればすぐに涙が零れそうな瞳を見つめ、儚げな優しさを持つ柔らかい笑みを浮かべる。

 サンは眼の前のティアを見つめ、ゆっくりと轟音を鳴らす赤い水の向こう側にいる、リン、マーラ、ライアン、そしてすぐ近くにいるリリーを見つめ、目を伏せた。

 俯いた時、サンの瞳から涙が落ち、床に点をつける。

「嫌だよ」

 サンの声が微かに響く。

 ティアは痛みの走る胸を押さえながら、よろめきながらゆっくりと立ち上がり、サンの真っ赤な髪の毛を見つめる。

「……許さねえ……言ったじゃねえか、誰かの為に死ぬなんて、絶対に許さねえ! 俺ってさ、人間的に出来てない。だから皆、ごめん。この世の人間の命なんてどうでもいい。俺は……ティアに生きていて欲しい」

 サンは顔を上げ、ティアの装束を握り締めると、涙で濡れた顔でそう言った。

 ティアはサンにされるがまま、次から次に零れ落ちる涙を見つめていた。

「わかってる……お前一人の命で、この世が救われる。それはわかってる……だけど、すっげえ格好悪いけど、そんな命なんかより、俺は……お前に!」

 サンの言葉が途中で遮られる。

 ティアはサンの頬を両手で優しく包み込むと、自分の唇をサンの唇に重ね、サンの唇を塞いだのだった。

 柔らかい感触と血の匂いがする口づけだった。

 サンは驚きのあまり、茶色の瞳を見開き凍り付いたように動かなくなる。

 ティアは金色の睫毛を伏せ、ゆっくりと流れるように、サンの唇から離れ、真紅と血に染まった翡翠色の瞳で、サンを見つめた。

 サンは日焼けした浅黒い頬を真っ赤に染め、ティアの顔を見つめている。

「サン、わかっています……わかっていますから」

 ティアの中の思いは膨れあがり、それ以上言葉に出来ないほどだった。サンの気持ちは痛いほどわかっていた。

 それを考えただけで、胸が苦しくなり、喉の奥が締め付けらるように痛む。

 サンは、揺れるティアの瞳を見ていることに耐え切れずに、ティアに背を向けた。

 ティアはそんなサンの姿に目を伏せ、口元を悲しそうに歪ませる。

「サン、正直に言うと、貴女の横で生きていたいと思う自分がいるんです。それができたらどんなにいいか……ですが、一緒に死を選ぶより、私は貴女にだけは生きていて欲しい……私のわがままを許してもらえませんか?」 

 ティアの言葉に、先程、大声で叫んだマーラも固く口を結び何も言えなかった。

 リンとリリーは二人の姿を見つめ、今にも零れそうなほどの涙を瞳一杯に溜めている。

 ライアンは手が白くなるほど力を入れて拳を握り締め、俯き震えていた。

 リッパーは冷ややかな瞳の中に悲しい影を漂わせ、鼻で笑う。

 それぞれが、眼の前の現実を無理矢理納得しようとしていたのかもしれない。

「……くそったれ……俺は納得したくねえぞ」

 サンは流れる涙を必死に拭いながら言葉を綴る。

「まったく、むなくそ悪い……お前がしたいように、しろよ」

 サンはそう言うと、手で顔を覆い、必死に泣き声を殺す。苦しい泣き声が響き渡っていた。

 ティアはサンの真っ赤な髪の毛を梳くように撫でると、後ろから優しくサンを抱きしめ、髪の毛に口づけをする。

 ティアは金色の睫毛を揺らし、ゆっくりと顔を上げサンから離れた。

 サンは咄嗟にティアの方を振り返る。

 亀裂の闇から吹き上げてくる風で、ティアの漆黒の髪の毛が風に揺れていた。

「ティア……」

 サンはティアに向って手を伸ばす。

 ティアは柔らかく温かい微笑を浮かべると、そのまま後ろに倒れるようにして、飛沫を上げながら渦を巻く赤い水の中へと落ちていく。

 漆黒の髪の毛が踊り、血に汚れた端整な顔は穏かな表情を浮かべていた。

 ティアの体は、赤い飛沫の中に飲み込まれていった。

「ティアああああああ!」

 マーラは叫び声をあげ、亀裂の中で渦を巻く赤い水を覗き込む。

 ティアの姿はもう見えなかった。

 リンは胸にぶら下げていた青い石の紐を引き千切ると、石を額にあて念を込める。

 石は淡い光を放ち輝いていた。リンはその石を亀裂の中に投げ入れた。

「青い石よ、ティアをこの世に、サンの隣に戻してあげて」

 リンがそう言うと、不思議な事に、赤い水の中でもその色がわかるくらいに光を放ち、深い深い、底があるのかさえかわからない闇の中へと沈んでいく。

 サンはその場に座り込み、胸の部分を握り締めていた。退魔の剣が悲しい音を響かせ鳴いている。その音はまるで淀んだ空気を突き刺さすが如く澄んだ音を響かせていた。


 亀裂の奥深い底から地響きと共に、低く地を這うのような音が聞こえてくる。

 大地を裂くように広がっていた亀裂の底の方から、空目掛けて一直線に真っ白い全てを隠してしまいそうなほどの閃光が、突き上がって来た。

 閃光は亀裂から飛び出し、淀んだ赤い空を突き刺すように伸びていった。

 淀んだ赤い空に、閃光よって空いた穴は、波紋を広げるように波打ち広がっていく。

 閃光はこの世の、邪悪な物を全て消し去るように、広がり大きく膨れ上がっていき、サン達も含め闇の街全体を覆いつくした。

 大地が大きく揺れる音の中で、今まで感じた事も無い、眩い真っ白な光に、目を開けていられる者はいなかった。

 

 大地の揺れが弱くなり光の気配が消え、目を開けてみると、目の前に開いていた大きな亀裂は、まるで何も無かったように閉じていて、赤い水の痕跡も無かった。

 ただ、そこには亀裂があった事を証明するかのように、床と床がぶつかり合い、お互いの力で押し合って出来た盛り上がりが、城の外まで続いているだけだった。

 いつの間にか赤い雨も止んでいた。

 水が渦を巻く轟音の中にいたのが嘘のように、周りは緩やかな風が吹く静かな空間に包まれていた。

 リン、マーラ、ライアンはサンの元に集まり、床に座り込むサンの背中を見つめていた。

 いつになく小さな背中に見えた。


 静けさの中に、何かが歪み崩れる音が聞えた。刹那、下に落ちるような衝撃と共に、地響きを鳴らし地面が震動する。

「何だ?」

 皆は口を揃えそう言い、何が起こったのか必死に把握しようと辺りを見渡す。

「なるほど、そう言う事か」

 リッパーが一人納得するような顔をして、目を伏せそう言った。

「この揺れは何だ?」

 リンは、冷静な口調でリッパーにそう聞く。

「お前達、早くこの街から出て行け、この街は無くなるぞ。黒の渓谷ごと閉じてしまう。ティアの存在は漆黒の闇の扉だけじゃなく、この世の闇に属する物全てを、闇に返す鍵って事だ」

 リッパーは真紅の瞳を輝かせ、皆にそう言った。

 淀んだ赤い空の下で、今まで薄暗い空間に覆われていた闇の街に、月明かりが差し始める。

 頭上には白い霧のような雲が薄っすらかかる、深い青色をした夜の空が広がっていた。

 城の建物が割れた裂け目から、細かい瓦礫や塵が落ちてくる。

 揺れは徐々に激しさを増しているようであった。

「確かに此処から早く出ないと危険だ……」

「どうやって出るんだ?」

 ライアンの言葉に、リンは栗色の髪の毛を掻き揚げそう言った。 

 

 遠くの方から、何かが羽ばたいてくる音が聞える。

「あれは……」

 そう言って、マーラは城が崩れた割れ目から外を見た。

 深い青い空と同化するような深い海の色をした巨体が羽ばたく姿が見えた。

 金色の瞳だけが月の光に照らされ輝いている。

「……ハナコ……ハナコおおおおお!」

 マーラは大きな声でハナコを呼んだ。もうハナコの飼い主であるクラマはいない。ハナコはまだそれに気付いてはいなかった。

 ハナコは城の前に降り立ち、金色の瞳でマーラを見ていた。

 マーラは一瞬、リッパーを見つめると、可愛い茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべる。

 リッパーはそれを見て、鼻で笑い目を伏せた。

「皆、ここから出るぜ! 急げ!」

 マーラの言葉に、リンとライアンが走り出す。だがサンはその場を動こうとしなかった。

「サン、何やってるんだ!」

 マーラの声にも反応せずに、ただその場に座り込んでいた。サンの周りには深い悲しみが纏わりつき、足止めをしているようだった。

 ライアンは悲しい笑みを浮かべると、サンに近付き無理矢理サンを抱える。

「何するんだ!」

 サンは激しく動き、その手から逃れようとした。

「約束したんだ……サンを絶対に死なせないって」

 ライアンの瞳は強い意思を感じさせ、サンの顔を見つめる。

 約束……誰との約束なのか、サンにはすぐにわかった。

「サン、僕だって君の事が大好きなんだ。だから絶対に置いてなんかいけない!」 

 ライアンの正直な言葉がサンの心を力強く包み込む。サンは瞳を揺らし、見上げた視界の中に月を見ていた。

 リン、ライアン、サンがハナコに乗る。

 マーラは、翼を広げ飛び立つのを待っているリリーに声をかけ、耳打ちをしていた。

 リリーは一瞬驚いた表情を浮かべ、次の瞬間、悲しく瞳を揺らすと、マーラの額に口づけをして微笑んだ。

 その行動にどんな意味があるのか、それを知っているのは、マーラとリリー、そしてリッパーだけだった。


「ハナコ、じゃあ行くぞ!」

 マーラはそう言って、ハナコの体を叩く。ハナコは翼を羽ばたかせ空中に体を浮かせた。

「ちょ、ちょっと、マーラ、リッパーもあんた達、何を考えてるの! 」

「俺は闇に属する物。だから此処にリッパーと残る! サンの事頼んだぜ!」   

 リンの言葉に、マーラは満面の笑顔を浮かべて、ハナコの乗っている三人の顔を見つめた。

 リッパーは、皆から目を逸らし、顔を上げる事はなかった。

「マーラ、貴方を信じてるからね……そして、リッパー……」

「上の三人にも言っておけ、俺は何処にでも存在する。お前達の此処の中に、だから気をつけろっってな!」

 リッパーは、悲しい表情を浮かべるリリーにそう言って、自分の胸を指差していた。

「闇はいつでも、心の中に存在する……そう言う事ね」

 リリーはそう言い、リッパーの顔を見て頷くと、翼を羽ばたかせ飛んでいった。

 ハナコは、小さくなっていくマーラを見つめながら、空気を裂くように悲しい声を上げ、急上昇していく。

「マーラ! マーラあああ!」

 サンの声が、空気を引き裂くように響き渡る。

 そんなサンを背後からライアンは強く抱きしめ、背中に顔をつけて肩を震わせていた。

 リンは栗色の髪の毛を風に靡かせ、月を見ている。頬を伝って涙が流れていた。

 ハナコは闇の街を疾風の如く突っ切ると、黒の渓谷を一気に通り過ぎ、上空へと飛び立つ。

 リリーがその後を追うように、翼を羽ばたかせ飛び出してきた。

 

 黒の渓谷には、あの腐臭漂う赤い川はもう流れておらず、大地を分けるように長く続いていた渓谷は、何か言いたげに、凄まじい轟音と岩肌を崩しながら口を閉じていく。

 クラマのあの力強い心も、ユーラの従順な真っ赤な瞳も、リッパーの反抗的なティアへの思いも、マーラの茶目っ気のある可愛らしさも……

 そして、ティアのあの柔らかく温かい、優しい雰囲気を漂わせる微笑も、全てを呑み込み闇の街は黒い渓谷もろとも、閉じていってしまった。

 岩と岩とがぶつかり合う激しい轟音が、いつまでも空気に余韻として残り、悲しく淋しい雰囲気を漂わせながら、空気を震わせていた。

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