〜余興〜
ライアンが微かに呻き声を上げながら、顔を上げる。視界にはサンが倒れており、その向こう側に闇王とティアの姿があった。
「サン……」
ライアンはそう呟く。
頭には少し痛みが残っていたが、手の中にある退魔の剣を握り締めると、四つん這いの状態でサンに近付いていき、固く目を閉じているサンを抱き上げた。
「サン?……サン、大丈夫か?」
ライアンの声にサンはゆっくりと目を開く。
サンは眼の前にあるライアンの顔に驚き、自分の意識が暗闇に閉ざされる前に、眼の前に広がっていた映像が全て幻であった事に気が付いた。
サンはライアンの腕から起き上がり、周りを見渡した。
入り口の所には三人倒れ、反対側の奥にも三人……その向こうにティアの姿、そして闇王の姿が見えた。
「美しいな……マヤにそっくりだ」
闇王はそう言い、ティアの頬に手を伸ばす。
ティアは触れらる寸前で、闇王を睨みながら流れるように後ろに後ずさった。
闇王はティアのその姿に、冷ややかな笑みを浮かべる。
「貴方は存在していてはいけない物、この世から消滅すべきです」
ティアの少し低めの声が、突き刺すような鋭い口調で響いた。
闇王はティアの言葉にほくそ笑み、高笑いをする。
「……消滅すべきは、この腐りきった世を創り上げた人間達の方だ、私という存在が生まれたのは、歪んでしまったこの世を無に返すため、人間達がこの私を創りだし、大きくしたのではないか」
「確かに……その通りだと思います」
ティアはそう言い、悲しい影を漂わせる。
「馬鹿な人間どもは、科学だの文明だのと創りだす事に目を向けすぎ、自然を蔑ろにしてきた。戦を起こしては人間が人間を排除してきた、人間達の暮らしを豊かにするために自然を破壊する。人間達は己らの命を己らで縮めている。私はその手伝いをするだけだ」
「確かに人間にも反省すべき点は多々ある」
「愛すべき我が子よ、ならば、その肉体を私に差し出せ、そうする事で私は完全なる体と力を手にする事ができる。私と共に闇の覇者になろうではなか」
闇王はそう言い、狂気に満ちた表情を浮かべた。
ティアは眉間にしわを寄せ、不快感を露にすると、纏っていた黒いオーラが波打ち始める。
「それはお断りします。私は人間ですから。人間として生きていきたのです。この世の多くの命等と大それた事は考えていません。ただ目の前にある自分の大切な者を失いたくない。それだけ……貴方と共に人間達を滅ぼす? ご冗談を」
ティアはそう言うと、ティアの足元から風が吹き始め、黒い渦を巻き始める。
「私に勝てると思うのか?」
闇王は真紅の唇をいやらしく歪めると、サンの方をゆっくりと見る。
サンは退魔の剣を握り締め、ゆっくりと立ち上がり、闇王に向かい金色に輝く瞳で突き刺すように睨みつけた。
ティアは咄嗟に、床を蹴り走り出すと、闇王の視線を阻むように、サンの眼の前に立ちはだかる。
「サン、逃げなさい。この街から早く出なさい! ライアン、サンを頼みます」
ティアにそう言われ、ライアンはサンの肩に手を掛ける。サンの体は燃えるように熱かった。
「俺に触るな……」
サンは燃えるような真っ赤な髪の毛を揺らし、ライアンに激しい口調でそう言った。
「サン、此処は危険だ。僕はサンに生きていて欲しいんだ!」
ライアンは力の限りそう叫ぶ。
「誰が死ぬって!? うざってえ事ぬかしてんじゃねえよ! 俺は死なねえ。ティア、俺は言ったはずだ、誰かのために命を捨てるなんて事、俺は許さねえってな! 俺の事を思うなら、自分の命を責任もって守れ!」
サンはそう言うと、ティアの横をすり抜けるように、闇王に向って走っていく。
「サン!」
ティアの声が響くが、もう誰もサンを止める事はできなかった。
周りで気を失っていたクラマ達も気が付き、顔を上げる。
「ティア、俺もサンに賛成だな。言ったはずだ、自分のため、それはお前を守る事でもある。それが俺の生き方、お前が反対しても俺は自分のやりたい事をさせてもらう」
そう言って、クラマがゆっくりと立ち上がり、ティアに向けて朗らかな笑みを浮かべる。
「私は私のためにここに来た。そして眼の前の自分にとって害になる存在をぶっ潰す!」
リンはそう言って、瞳を輝かせ胸元の青い石を握る。
「ああ、俺の言いたい事、全部言われた。つまんねえ」
マーラはそう言って、サンの後を飛ぶように追いかける。
「……まったく。皆さんは自分の事しか考えない大馬鹿者ですね」
ティアはそう呟き金色の睫毛を伏せた。
クラマは闇王に向って掌を向け光の球を作り出し、リンは矢をライアンに何本か渡すと笑みを浮かべ、弓矢を構える。ライアンも意を決したような表情を浮かべ弓を構えた。
そんな皆の姿を包み込むように、白い花びらが吹き荒れる。花びらは冷え切った闇の気を浄化すようだった。
ティアの眼の前に翼を広げたリリーが降り立った。リリーはティアに背中に向けたまま口を開く。
「これからの私を記憶に残してもらうためにも、ティア、貴方は生きていなさい」
リリーはそう言うと、翼を羽ばたかせ闇王に向っていく。
「まったく」
ティアはそう言いながら、微かに微笑んでいた。
闇王は一斉に向かってくる者達に対して身構えるわけでもなく、余裕を感じさせるような卑しい笑みを浮かべ立っていた。
サンは床を蹴り剣を振りかざし飛ぶ、マーラもそれに続けとばかりに鋭い爪を振りかざし向っていく。
クラマは光を放ち、リンとライアンは矢を放つ。
リリーの飛ばす花びらが闇王を包み込んだ。
サンの剣は闇王の肩を切り裂き、マーラの爪は顔を引き裂く。
クラマの放った光は、腹の部分に当たり、リンとライアンが放った矢は、確かに心臓の部分を射抜いていた。
リリーの放った花びらも闇王の体を包み込んでいたはず。
だが、闇王はそこに揺ぎ無い姿で存在していた。
全ての攻撃が、闇王の体をすり抜け、何の手ごたえも無く、サンの剣は肩から足元へと素通りし、マーラの爪は顔を抉る事無く空振りしただけだった。
クラマの放った光も、闇王の向こう側にある壁を壊しただけに終わり、リンとライアンの放った矢は、床に突き刺さっていた。
リリーの花びらもやはり、闇王の体を素通りして、床に散らばっていた。
「愉快、愉快……お前達の悪あがき、私にとっては余興にしかすぎない」
闇王はそう言うと、音も無く滑るようにティアに近付いて行く。
そんな闇王に向って、サンは剣を振りかざして飛び、剣を闇王の頭目掛けて振り下ろすが、霧を切っているような感覚で、何の効果も見出せなかった。
「クソッ! どすりゃあいいんだよ」
サンは唇を噛み締め、言葉を搾り出すように呟く。
「ティア! そこをどけ!」
ティアの背後から、リッパーの叫ぶ声が聞こえる、ティアは咄嗟に後ろを振り向いた。
眼の前に、空気の塊が見え、咄嗟にティアはそれをかわす。
空気の塊が闇王に命中した。と同時に、空気は激しく揺れ波紋のように広がっていく。闇王の体はまるで映像が乱れるように波打ち、消えていく。
「くそやろうが!」
そう叫び、真紅の瞳を輝かせるリッパーの傍らにはユーラが立っていた。
闇王の影が消えて無くなってしまった。
皆の周りに一瞬安堵の空気が流れる。
「まだです! 闇王はまだいま……」
ティアの言葉が突然途中で途切れた、そう思った時には、ティアの体は飛ばされ、柱に叩き付けられていた。
ティアの体はそのまま床に落ちる。
「ティア!」
皆の声が響き渡った。
サンはティアに駆け寄り抱き起こし、体を揺する。ティアは微かに呻き声を上げていた。
「甘いやつらめ……私は実態を持たぬ者。お前達の力など私には通用せぬ」
空間の中を声が響き渡っていた。
「てめえ、よくも俺を騙しやがったな、闇王を殺したのはお前じゃねえか! それにティアが俺と兄弟だったなんて……いいかげんにしろ!」
リッパーは気配だけを頼りに、空間に向って声を荒げる。
「そうか、ユーラから全部聞いたのだな。だがな、私もまたお前の父である事に変わりはない。もともと父の中にいた存在なのだから」
「うるせえ! 俺の気持ちをもてあそびやがって」
「もてあそんでた等と、それは心外だ。私はただ言わなかっただけだ」
空間に響き渡る闇王の声は、そう言うと声を立てて笑っていた。
リッパーは唇を噛み締め立ち上がると、両手を合わせ目を閉じた。
とたんにその場の空気が凍りつくような冷たさに覆われる。リッパーの体に黒いオーラが現われ激しく波打つように大きくなる。
合わせていた手を大きく開き、目を見開いた。と同時に、周りの空気が揺れだし、空間に波紋が広がっていくのが目に見えた。
一箇所だけ、波立たない場所を見つける。
リッパーはその部分に鋭い視線を向けると、床を蹴り跳躍して目に見えないようなスピードで突っ込んでいく。
掌を広げ、その部分に気を放つ。刹那、黒い波動が激しい風を巻き起こしながら周りに広がる。
リッパーはその力に飛ばされ、勢いよく床に叩きつけられた。
他の者達も風に飛ばされないように踏ん張るのが精一杯であった。
風が止んだ……
「リッパー様!」
その叫び声に、一同は床に倒れこんでいるリッパーに目を向ける。
顔を顰めながら床に倒れているリッパーを庇うように、ユーラの姿があり、ユーラの胸には闇のように黒い刃が突き刺ささっていた。迸る鮮血が床を染めていた。
「馬鹿な女だ……」
闇王の言葉がそう響くと、黒い刃は消えてなくなり、ユーラの体は床に崩れるように倒れてしまう。
「ユーラ!」
リッパーはそう叫びながら、ユーラを抱き起こし体を揺する。弱々しく目を開いたユーラは小さく口を開くと言葉を紡いだ。
「主と認めるのは……リッパー様……ティアさ……ま……だけ」
聞えないような微かな声でそう呟くと、ユーラの姿は薄くなり影と化し、空間の中に消えてしまう。
後にはリッパーの掌に黒い石が淋しい影を宿し残っているだけだった。
くそったれ! 闇王を父として認めてはいなかった、だが父なのだろうと思っていた自分がいた。そしてその恐怖の前にひれ伏す事しかできす、サンに対しての嫉妬を理由に、ティアを敵視した。その結果がこれかよ!
リッパーは自分の中の不甲斐なさと、眼の前にいる闇王に対して怒りを露にし、真紅の瞳を燃えうるように輝かせる。
リッパーは掌の中の黒い石を、自分を戒めるように、血が滲むほど強く握り締めた
その手は微かに震えていた。