〜兄弟〜
赤い雨が沁み込んで、赤黒く染まった大地に、大きな口を開け穴が開いていた。
まるで全てを呑み込む事を望んでいるかのように、穴はそこに存在していた。
穴の中は暗く闇に染まり、そこに確かに何かが存在するが、どんなものなのか、何が待っているのか、想像する事さえ許さぬように、ただ恐怖だけを与えていた。
「此処が、闇王の城です」
ユーラの言葉に、一同は予想していた雰囲気との違いに驚いていた。
「地上にある物とばかり思っていたが、なるほど、この街らしいと言うべきか」
クラマは皮肉っぽい笑みを浮かべるとそう言葉を口にした。
闇に紛れ、姿形の詳細は把握しきれないが、城はティア達のいる地面から、眼下に異様な空気を漂わせ建っていた。人間はもちろんの事、妖魔さえも寄せ付けない何か大きな力を感じ、ただ見ているだけで、足が竦むようなそんな威圧的な何かを漂わせていた。
「では行きましょう」
ティアの瞳が凛と輝きそう言葉を発すると、地面を蹴り闇に向って落ちていく。ティアの姿はすぐ闇に呑み込まれ見えなくなってしまった。
それに続くように、クラマを始めてとし、リリー、マーラ、リン、ライアン、最後にユーラが闇の中へと消えていった。
闇に染まる穴は、ただそこで静かに赤い雨を受け入れていた。
纏わりつくような闇の中で、眼の前には鉄製の大きな扉があった。
「ここが城の入り口のようですね」
ティアは静かな口調でそう言って、扉に触る。するとティアはふと切なさを混ぜたような笑みが浮べた。
クラマがティアの隣に立ち、扉を開こうと手をかけた。
「クラマ様、ここは私が開けます」
凛と輝くティアの瞳を見て、クラマは掛けていた手を放した。
ティアは気付いてた。この扉の向こう側に誰が立っているのかを……そう、此処を開け、そこに立っている者と一番最初に顔を合わさなければならないのは、自分自身だとティアは思っていた。
ティアは扉に力を入れる寸前で、後ろ向きのままユーラに話しかける。
「ユーラさん、リッパーは私と異母兄弟である事を知っているのですか?」
ティアの言葉に、マーラ以外の者達は驚き、眼の前のティアの背中を見つめる。
「……おそらく知らないのではないかと思います」
ユーラは真っ赤な瞳でティアの背中を見つめそう言った。
「そうですか……」
ティアはそう言うと、力一杯取っ手を引っぱる。重く軋む音をさせ扉は開いた。
扉を開いたと同時に、何とも言えぬ威圧的な空気が流れ出てきた。マーラはティアの装束を握り締め、その手は微かに震えているようだった。
体の中を通り抜けるように、悪寒に近い感覚が通り過ぎていく。
暗闇の中に、赤い髪の毛に真紅の瞳を光らせ、まだ幼さの残る姿形をした少年が立っていた。
ティアはその姿を目にして微かに微笑むと、斜め後ろにいるライアンの方を向く。
「ライアン、ちょっと耳を貸して下さい」
ティアの言葉に、ライアンは不思議そうな表情浮かべ、ティアに近付いた。ティアはライアンの耳に何かを耳打ちし、離れるとライアンの瞳を真っ直ぐに見つめ、退魔の剣を差し出した。
ライアンはほんの少し怯えたような悲しい表情で、首を横に振るが、ティアの威圧的な瞳に納得せざるをえない雰囲気を感じ取り、躊躇いながらも縦に首を振り、剣を受け取ったのだった。
ティアは安心したように微笑むと、眼の前に立っている影に目を向ける。
眼の前の影はいつもの悪戯っぽい表情とは違い、全ての物を射抜いてしまうような鋭い視線でティアを見ていた。
「……リッパー」
ティアの形の良い唇から微かに漏れ出した名前。その声にリッパーは口を歪め悪戯っ子っぽい笑みを浮かべ、ゆっくりと目を伏せた。
リッパーの後ろに広がる闇が一箇所だけ大きく揺れていた。
「あれは、サン!?」
クラマの声が暗く寒々とした空間に響き渡った。その声に促がされるように一同は奥の闇を目を凝らし見つめる。
闇はユラユラと揺れながら、形を作りそれは闇に埋もれていると錯覚を覚えるような姿だった。
漆黒の闇と同化する髪の毛、装束もまた闇の色、唯一違うのは不気味なほどに白い肌、真紅の瞳と唇だけだった。
そこに威圧的な雰囲気を漂わせながら立っていたのは闇王だった。
闇王の眼の前にはサンが佇んでいた。だが、何か様子が可笑しい。サンから生きているという感じを受けなかったのだ。
ティアはサンの姿が視界に入ると、考えるよりも先に走り出していた。
クラマとリン、マーラもサンに向って走り出す。
「ティア、お前の相手は俺がする!」
そう言って、ティアの行く手を遮ったのはリッパーだった。
リッパーの手がティアの額に伸びてくる。ティアは咄嗟にその手を掴み掌から光を放つ。リッパーは光を避けるように、ティアの胸を足で思い切り蹴り、自分からティアの体を離した。ティアはよろめきながら後ずさり一瞬視界からリッパーの姿を外してしまう。
上か!? ティアが上を見上げると、眼の前にリッパーの爪があり、手で遮るのが精一杯であった。
リッパーは長く鋭い爪でティアの腕の肉を切り裂き、飛ぶようにティアから離れると、柱を足場にして蹴り、疾風の如くティア目掛けて飛んでくる。
ティアは血だらけの腕を押さえると、押さえていた方の手を水平に振る。指についていた血は遠心力で前に飛び、それは針と化し向かってくるリッパーに飛んで行った。
リッパーは目を見開く、加速していたせいもあり、すぐに体制を崩す事ができず、真紅の針はリッパーに突き刺さる! 皆がそう思った瞬間、真紅の針を飛ばすように黒い影の塊がリッパーの眼の前を通り過ぎた。
「な……に!?」
リッパーはティアに向け構えていた爪を引っ込めると、ティアの体をかすめて床に降り立つ。そして影の塊を飛ばした者に目を向けた。
「兄弟喧嘩は止めてください!」
ユーラは自分を見ているリッパーに向ってそう叫んだ。
ティアはその言葉に静かに目を伏せ、悲しく笑う。
「……お前は……今……何て言った?」
リッパーは目を見開き、ユーラを睨みつける。
その問いに答えようとユーラは口を開きかけた、その時だった、凄まじい地響きが響き渡る。それはそこに居る全ての者の体に伝わった。
震動によって、体に伝わる微弱な揺れが、皮膚の表面だけでは無く、脂肪、筋肉、血管、全ての器官、神経の一本一本にまで影響を及ぼし、それは中枢である脳を狂わせ、存在しない物を見える物として視界に映し。脳裏に恐怖として焼き付けるものだった。
眼の前の途轍もない恐怖から逃れようと、皆は蹲るようにして床に倒れ込む。
リッパーもまた例外ではなかった。
「ユーラめ、余計な事を口走りおって」
闇王はそう言って、床に倒れ込む人間達を見て愉快そうに微笑んでいた。そんな中で、ティアだけがゆっくりと立ち上がる。
真っ黒いオーラに包まれたその姿を目にして、闇王は嬉しそうに笑うと、眼の前のサンに耳打ちをする。
サンは無表情のままゆっくりと、クラマ、リン、マーラが倒れこんでいる間を縫い、ティアに近付いていった。ティアもまたサンに近付いていく。
ティアは鋭い光を放つ瞳の中に、ひっそりと優しい光を持ちつつサンを見つめていた。
サンはティアの眼の前まで来ると、ティアに手を伸ばし抱きついてきた。
ティアはサンの背中に優しく手を回し目を伏せ抱きしめる。サンから異様なほどに醜悪な気配を感じていた。
刹那、ティアの脇腹に激痛が走る。サンが持っていたナイフでティアの脇腹を刺したのだった。
全ては闇王の差し金、もし暗示を無理矢理解こうとすれば、サンの命が危なかっただろう。ティアは咄嗟にそれを掌握し、されるがままになっていたのだった。
ティアは顔を歪めながらも薄っすらと笑みを浮かべる。
真っ黒いオーラは波打ち大きくなっていく。ティアの足元から床が凍りついていき、後ろで蹲ってる皆の所まで到達するとそれは止まった。
ティアは静かにサンの額に人差し指を当て、目を閉じる。
それぞれの神経を伝い、ティアの冷たい冷え切った気が外側から内側へと浸透し、神経を伝い脳に纏わり付く悪しき気配を一気に凍りつかせる。
ティアは目を見開き、真紅の瞳を光らせた。サンをはじめ、皆の脳に纏わりつく悪しき気配を一気に粉砕した。
皆はそのまま気を失い床に倒れこんでしまう。
眼の前のサンはそれと同時に、静かに目を閉じティアの体にもたれかかってきた。
ティアは静かにサンを抱きしめる。
サン、貴方の事を覚えていられるといいのですけど……ティアはそんな切なる願いを胸に抱きながら、サンを静かに床に寝かせ、顔を歪めながらわき腹に刺さっているナイフを抜いた。
不思議な事に傷があるにも関わらず、血は出ていない。
闇王は楽しそうにティアのその姿を見ていた。
ティアはゆっくりと顔を上げると、左右の異なる瞳で闇王を冷ややかに睨む。
闇王とティアの突き刺さるような冷たい気がぶつかり合い、空気までもが凍りつきそうであった。